深雪の目に映ったモノは、あの神風が無惨に散る姿。中柄が生やした第三の腕から放たれた鋭い斬撃をモロに受けてしまい、無防備にされた胴を袈裟斬りにされてしまった。
血を流して倒れる後ろ姿をハッキリと見たことで、深雪はすぐさま動き出していた。神風を失いたくない。ただひたすらに、神風の無事を願い、駆け出した。
「神風……!」
その瞬間、深雪の腕から膨大な量の煙幕が噴き出した。その勢いは凄まじく、たちまちこの戦場を包み隠していった。
特に倒れた神風の周囲には恐ろしい速さで蔓延していく。神風のためにと手を突き出したからか、それともその思いがこれまで以上に強かったからか。
「……またか」
この煙幕のことは、中柄も嫌というほど知っている。出洲が伊豆提督を始末することが出来ずに撤退することになった理由。文字通り、
今回もそれと同じ効果だというのならば、この煙が晴れるまでは、完全に攻撃が無力化されることとなる。
「うわ、またモクモクだ。ママ、どうするの?」
あれだけ癇癪を起こしていた小柄が、中柄の勝利を目の当たりにしたことで調子を取り戻し、呑気に煙幕を払ったり吹いたりして遊び始めた。また自分が勝つしかないゲームに戻ったことに上機嫌なようだが、この煙だけは前回と同じようにイレギュラー。どうすればいいのかわからず、闇雲に戦いを続けてもおそらく攻撃は当たらない。
そもそも目の前に倒れたはずの神風が既に見えなくなり、そこにいたと思っていた場所に攻撃をしても空振り。まるで、敵との間合いが無限に開いてしまっているかのような感覚に陥る。
見えないモノには何も出来ない。そして、敵は煙幕がある限り見えない。探し当てることも出来ない。
「これをされたら、我々は何も出来ない」
「うー、これ何ターン出たままなの?」
「特異点の気が済むまでだろう」
小柄はうぇっと嫌そうな声を上げるが、中柄は臆さずに背中から生えた第三の腕を収納する。
「その間にやりたいことがある」
「やりたいこと?」
「
神風が倒れた今、小型と中柄は艦娘達からは離れた位置にいる。つまり、
煙幕は結局のところ海上にのみ作用する視覚への攻撃。もしくは煙という体裁を持った呼吸だけで作用する化学兵器。特異点の煙幕という常識から外れた兵装だとしても、その点は変わらないはず。むしろ、敵潜水艦からは海中だとしても身を隠せて、味方潜水艦には作用しないという可能性すらある。
中柄はそこに目をつけて、この煙幕の分析に入った。小柄が潜水艦から攻撃を受けたことは知らないものの、アンツィオ沖棲姫の艤装まで持ち出したとなれば、あらゆる方向から攻撃を受けたというのが妥当。潜水艦の存在も意識しなくてはならない。
「
「もっちろん!」
中柄に指示されたことで、小柄はすぐさま海中へと潜航を開始した。
いや、
「うぇえっ!?」
そこにあったのは、暗き海の底から狙いを定める伊203の瞳。雷撃は勿論のこと、明確な殺意がこもった瞳で魚雷と同じ速度で浮上してきている。
やはり海中からは小柄と中柄、むしろ海上にいる者の場所は全て把握出来ているくらいだった。
軍港都市の時とは違う。あの時はさっさと帰ってほしいという気持ちが強かったため、そのままスルーした。だが、神風がやられたことで伊203も隠しきれない殺意を以て攻撃を再開する。
「ママ、潜水艦来てる!」
「……仕方あるまい。これでは埒が明かない。今回は撤退せざるを得ないな」
この状況で潜水艦に攻撃されては、負けるとは思わなくとも不利であることには変わりない。
この状況で迷いなく突っ込んでくるということは、それだけ手練れであることが予想された。その上でこの煙幕だ。簡単には晴れないであろう感覚に作用する煙の中でこれ以上戦うのは、中柄を以てしても厄介だと判断したようである。
軍港都市では出洲ですら興が削がれたと撤退を選択した。中柄もこれでは撤退せざるを得ないと考える。だが、今回は初めてではなく二度目だ。ただ撤退するだけでは三度目も四度目も同じことになりかねない。
「……運も向いているようだ。流れは我々だが、今は引き上げる」
「むー、一発クリアしたかったんだけどなぁ」
「また来ればいい。それに、次は負けん」
足元にまで流れ着いた
小柄と手を繋いで帰るその姿は、歪んでいるとはいえ、間違いなく親子であった。
煙幕が立ち込める中、深雪は出来る限りのトップスピードで神風の側まで辿り着いた。煙の中でもその姿は捉えたまま。迷うことなく真っ直ぐに駆け寄る。
「神風! しっかりしろ、神風!」
誰がどう見ても重傷。だが、本当に一瞬、神風の持ち前の瞬発力が無意識に働いたから、傷が深くても一撃で死ぬようなモノではなかった。とはいえ、血は絶え間なく流れ続けているし、神風自身も息遣いが荒い。身体だけでなく、内臓も当然斬られてしまっているため、口からも血を吐き出しているような状況。
見ただけでも致命傷。だが、神風は意地でも死んで堪るかという気持ちで、気を失わないように耐えていた。
「……み、ゆき……」
辛うじて話せるようだが、すぐにゴホッと血を溢れさせる。このままではまずいということが、素人目に見てもわかる。
どうすればいい。どうすればいい。深雪は出来る限り考える。神風を死なせないために必要なモノは何か、自分に出来ることは何か。
今この近くにいる仲間達は戦闘に特化している。そのため、今この場で応急処置が出来るものはいない。救護班の子日も、電と白雲をうみどりに運んでもらうときには両手に主砲を携えていた。救護班の作業を安全に進めるために、護衛というカタチで参加していたと考えられる。
ならば潜水艦のドックに入れてもらえばと考えたものの、それが不可能であることがわかる。小柄からの攻撃をアレだけ受けていたのだから、深雪がわからないだけでも相当な被害が出ているだろう。下手をしたらドックどころか各種機能も動かなくなっている可能性がある。
そうなると、神風を救えるのはうみどりしかない。しかし、この神風を運ぶのは至難の業だ。背負うにしても、引きずるにしても、神風へのダメージが心配になる。安定した乗り物、それこそ、先程電と白雲を運んでくれた睦月のように、大発動艇が扱えれば。だが、今ここに大発動艇なんてなく、潜水艦にもそれがあるかはわからない。
「……えっ!?」
しかし、今は
神風を運ぶのだという強い願いが、大発動艇のような大きな装備まで顕現させた。睦月や梅が使っていたそれと全く同じ形状。全てが同じ性能だと確信出来るそれは、深雪の意に添うように動いたそれは、真っ直ぐ深雪の隣に向かってきて、大きな波も立てずに停まる。
「あ、あたしの大発なのかコイツは」
肩の妖精さんも困惑気味ではあるが、深雪と共に成長したこともあって、おそらくはそうと言わんばかりに首を縦に振る。不思議なことは多いものの、今はこれに縋るしかない。
「んなこと後から考えりゃいい! 誰か手伝ってくれ! 神風をうみどりに運ぶ!」
煙の中に叫ぶ深雪。まだ小柄も中柄もいるかもしれないのに、絶対に攻撃されないという確信があるのか、はたまたただ神風を救いたいという思いでいっぱいだからか、戦況のことなんて何も考えずに叫んだ。
すると、その声が届いたか、その戦場にいる者達全員の視界が拡がった。煙の中にいるのに、深雪と神風の姿を視認することが出来た。
そこに大発動艇がある理由はわからないが、それがあるのならそれを使って神風を運ばねばならないと全員が把握する。特に子日は救護班であるため、誰よりも早く動き出した。
「すぐに乗せなくちゃいけないから、長門さん!」
「心得た! ゆっくり持ち上げるぞ!」
こういうときに戦艦の膂力が役に立つ。艤装を装備した神風であっても、長門自身も艤装を装備しているだけ、軽々ゆっくりと持ち上げ、すぐさま大発動艇に乗せた。
流れ続ける血ですぐに血溜まりが出来てしまうが、そんなことを気にしていても仕方ない。手や服が血塗れになろうが、神風の命が救えるならばそれも勲章だ。
「神風、頑張ってくれ。絶対に生かしてみせるからな!」
「……っ……みゆ、き……」
ゆっくりと手を伸ばす神風。その手を深雪はしっかりと掴んだ。
「大発は自分で乗ってでも操縦出来るよ! 睦月ちゃんや梅ちゃんもそういうこと出来るから!」
「あいよ! すぐにうみどりに向かう!」
子日からのアドバイスを貰い、深雪は神風の手を握ったまま大発動艇を起動。初めての操縦ではあるのだが、まるで今は全てを理解しているかのように驀進出来た。
神風を救いたい。ただそれだけを深雪が考えていたからか、煙幕の中では全員がその気持ちを持っていた。誰も冷やかさない。むしろ誰もが協力して、ただひたすらに深雪のため、神風のために行動する。
長門、時雨、タシュケントの3人は念の為と煙幕の向こう側に意識を集中し、攻撃が来ないことを警戒する。グレカーレと子日は深雪のサポートをするためと大発動艇から付かず離れずの距離を保ちながら同行。
小柄に攻撃が出来た加賀も、煙幕の影響を受けてはいないが、状況は把握出来た。神風がやられた瞬間も、艦載機の妖精さんから聞いている。そのため、煙を突き破ってうみどりに戻ってくることをすぐさま工廠で全員に伝え、ドックの準備を急がせた。
「神風……絶対に救うからな。誰一人欠けちゃあダメなんだ。だから、諦めるなよ。絶対に」
「……ゴホッ……諦める、わけ、ないじゃない……。貴女が……
神風が意地になるところはそこでもあった。失った愛娘にそっくりな深雪が、特異点として狙われているというのなら、それを守るのが
これで自分が命を落とすことで深雪が心に傷を負おうものなら、死んでも死に切れない。ならば、絶対に死ぬわけにはいかない。
「ああ、その調子で意識を失うなよ。あたしだって神風には死んでもらいたくねぇ。まだまだ教えてもらいたいことはあるんだからな」
「……ふ、ふふ、そうね……それに……」
神風は意志の強い瞳で深雪に笑みを浮かべた。
「私も……リベンジ……したいもの」
中柄との戦いで敗北したことを気にしている神風は、次戦うときには絶対に勝つと意気込んでいた。それもあってか、こんなところで死ぬわけにはいかないと、意地になっている。
この気持ちがあるのなら絶対大丈夫だと深雪はほんの少しだけ安心した。勿論、無事にこの傷が完治するまでは緊張感が高まったままではあるのだが、神風に死ぬ気がないのなら、絶対に死なないと確信出来た。
「ああ、あたしもだ。あんなことした連中が許せねぇ。ここまでやってくれたんだ。お返しは絶対にしてやるさ」
「……そう、ね……だから……死んでやるもんですか……」
弱々しい声であっても、意志の強さは誰にも負けないほどであった。
まだ煙幕は失くならない。そのおかげか、神風を乗せた大発動艇は、無事にうみどりにまで到着出来たのだった。