その日の夜。夕食も終わりというところで、深雪が大きく溜息を吐いた。もう今日という日が終わると思った途端、気が抜けたのかドッと疲れが来たように感じたからだ。
この1日、午後だけでもいろいろなことが起きすぎた深雪は、誰が見ても精神的に疲弊していた。初めての後始末の時よりも疲れた顔をしている。知ったことがあまりにも多すぎた。こういうこともあるため、伊豆提督は順を追ってゆっくりと理解してもらうつもりだった。
「深雪、大分疲れてるわね。ハルカちゃんから全部聞いたからかしら」
「……だろうなぁ。まだ正直混乱してるくらいだし。ドロップ艦はあたしだけで、みんなは元々人間だったってだけでも驚いたってのに」
神風からの問いに、深雪は素直に答えた。
伊豆提督が想定していたのは、ここまで伝えることだった。これはイリスだけでなく、うみどりの者達なら大体知っている。神風も例外ではない。
それでも深雪にとっては驚きであり、自分以外のドロップ艦はどうなってるんだと間違いなく聞いていただろう。その答えを伊豆提督は何と言おうとしていたかはわからない。嘘をついていたのか、上手く誤魔化していたか。
「当たり前だけどさ、神風達も全部知ってたんだよな。ドロップ艦は全員呪いがかかってて、人間に恨みを持ってるって」
「ええ、みんな知ってる。一般の人達は知らないかもだけど、艦娘なら誰でも知ってることよ」
「じゃあ、神風は何であたしを保護してくれたんだ。イリスがカテゴリーMじゃないって言っただけでか?」
そこは深雪にも疑問だった。今回のように事前にカテゴリーMとわかった状態でも最初は説得から始まるため、深雪が目を覚ますのを待っていたのか、それとも何か別のことを考えてなのか。
「カテゴリーWなんて本当に知らない、私達も初めて見るタイプのドロップ艦だったから、カテゴリーMみたいに目があったら即戦闘みたいなことにはならないって思ってたわ。というか、正直なところ、Mじゃないなら仲良くしたいのよ」
軽く言っているが、神風からも別の疲労を感じた。深海棲艦と戦うのならまだマシなのだが、艦娘と戦うというのはそれだけで精神的に辛い。
なるべくなら戦いたくないというのが本心だ。戦うというだけで死が背後に立つことになるため、それだけでも恐怖や苛立ちなどを感じるというのに、その相手が過去の人間の被害者であり、その言い分に完全な正当性がついて回る襲撃者となると、逆に自分の方が罪人では無いかと心を抉られていく。
「だから、深雪にはドロップ艦の友達第一号になってもらいたかったの。可能性があるのなら、私は普通に保護を選ぶわ」
「……そっか。じゃあ、前にも言ったかもしれないけど、本当に神風があたしの命の恩人なんだな」
「恩人よりも友人になってほしいわね。私はもうなってるつもりだけど」
「違い無い。あたしも神風のことは仲間以上に友達だって思ってるぜ。何かと気にかけてくれるし」
休暇の時は特に顕著だった、神風の深雪に対する優しさ。軍港に繰り出した時の目的を、深雪に世界の美しさを知ってもらうことと言ってしまうくらいには気にかけている。
「友達が、間違った道に向かうのが耐えられないだけよ」
「充分ありがたいぜ。あたしの物語は、神風のおかげで始められてんだからさ」
深雪の中では、神風は特に強い友人、親友と言っても過言では無い存在だと思っている。物語の1ページ目には、伊豆提督とイリス、そして神風が書き記されることになるだろう。
風呂も終わってあとは寝るだけ。しかし就寝時間まではまだ時間があるという夜の最後の自由時間。その時間、深雪は明日何をするかを悩む時間となる。
翌日からは、後始末以上にドロップ艦との対話が出来るくらいに強くならねばならない。ならばやることは決まっている。多種多様なトレーニングを繰り返すことだ。
説得する以前に、戦場に出るためには、ある程度戦えるだけの力と、トラウマに打ち勝つ覚悟が必要。心身共に強くなければ、後始末はさておきドロップ艦との戦いには参加出来ない。参加すると言っても、今の練度だと伊豆提督がそれを許さないだろう。
「はい、それじゃあ明日以降の深雪の
パジャマパーティーの時のように神風を筆頭にズカズカと入ってきつつ、前回と同じような場所を陣取って会議を始めた駆逐艦達。事実、就寝時間前ということで全員寝間着。前回と同様と考えてもよかった。
深雪としては驚く暇もなく、突然始まったそれにキョトンとするしかなかった。とはいえ、自分の今後のことについて考えてくれていることはわかっているため、文句を言うわけでもなく受け入れる。
始まった会議は、このうみどりの内情を知った上で、ドロップ艦への説得役を申し出た深雪のために、まず何処から鍛えていくかを考えるモノ。
深雪はどのように自分を鍛えていくのかがわかっていないため、ここで方針を決めてもらえるのは割とありがたかった。コレまでやってきたスタミナと筋力以外にもトレーニングすべき場所があるのなら、むしろ教えてもらいたい。
「梅の時は、真っ先に続けたのがスタミナトレーニングですね。那珂ちゃんと酒匂さんのアレです」
「あたしアレでぶっ倒れたんだよなぁ。次こそは耐えてやる」
「その意気です。梅はアレで苦戦しましたから。スタミナが元々足りてなかったのは自覚していたので、逆に率先して進めたんです。スタミナ、大事大事、です」
スタミナは何をするにも必要な部分。戦う以前に、後始末屋としての本業、戦場の後片付けでもスタミナがモノを言う。
前回は艤装片と肉片集めで終わった深雪だが、状況次第では大物を運んだりすることもあるだろう。中規模では何とかなったが、大規模となると片付ける量もとんでもない。スタミナが足りなければ、作業中に動けなくなってしまう可能性もある。
「筋トレも大切ですよね。全身隈なく鍛えておかないと、いざ重たい物を持ち上げたりするときに、腰をやってしまうこともありますから。かくいう私もやらかしてしまって……」
「それを聞くとちょっと怖くなるな」
「身体の使い方をちゃんと知っておかないと、そうやって身体を壊してしまいますからね」
筋力も無ければ進められないところがある。大物を運ぶときにスタミナが必要となるが、最初は筋力がなければ持ち上げることすら出来ない。艤装のパワーアシストがあるにしても、例えば深海棲艦のカタチがまともに残った亡骸だったりを運ぼうとすると、海上を引き摺るにしてもそれなりにパワーが必要だし、それを
それに、戦うとなったら余計に必要になってくるだろう。適性のある兵装ならば重さを感じなくなるのだが、それでもそれを振り回すためには筋力が無ければ長く続かない。身体を安定して動かす体幹は、その中でもさらに重要。
「睦月は深雪ちゃんの
「うんうん、子日もそれは思ったよ」
「
アレとは勿論、トラウマである。振り切ることが出来たとしても、実戦でそれがちゃんと発揮出来るかどうかはわからない。
だが、うみどりの中でそれを克服するというのはどうすればいいのか。深雪にはトラウマがあるため、克服したいと思っていても、克服する手段までは思いつかない。
「前にプールで追いかけっこしたでしょ? アレと同じ感じで、今度はぶつかり合ってみようよ。痛いだけで死なないことがわかれば、怖くなくなっていくでしょ?」
子日の提案はごもっとも。実際やってみて、実際
後始末は言わずもがな、睦月と子日相手に追いかけっこは出来たのだから、海上で動き回ることに関しては全く問題ない。いざ戦場に立つことになっても、動くことに苦労するみたいなことはもう無い。
しかし、直接ぶつかり合うというのはまだ未経験だ。軍港鎮守府でそういう場を見ることは出来たし、そこでは見ることに対するトラウマは克服出来ているものの、いざ自分がやるとなるとどうしても引っかかるところがある。
「でも、ぶつかり合うなんて」
「それは痛いだけにゃしぃ。だから、まずはお相撲を取るぞよ!」
実戦でそういう状況になることはまず無いだろう。そこまで接近することは難しすぎる。互いに主砲を持っているのに撃たないなんてことはまずあり得ない。互いに弾切れを起こすような状況が発生すれば、また話は変わってくるかもしれないが。
深雪のトラウマは艦との衝突。相撲ならば、ぶつかり合っても痛くはないし、むしろ抱き合うようなモノなので艦娘同士の衝突に深雪の思っている危険性が無いことを知ることが出来る。それでいて、スタミナや筋力も重要になってくるため、トレーニングの成果を感じることも出来るだろう。
「あとは砲撃や雷撃の訓練よね。いざという時はそういうカタチで身を守らなくちゃいけないし」
「艦内ではやれないだろ?」
「当然。だから、依頼が無くて何処かで停泊している時にやるか、デッキから撃つだけ撃ってみるかのどちらかになるわね。勿論実弾なんて使わない。海を汚すわけにもいかないから、撃つのは純水の水鉄砲よ」
そもそも演習で実弾なんて使うわけがない。当たりどころが悪ければ命を落とすような訓練は、何処の鎮守府でも禁止している。それ故に基本は海を汚さない成分で作られたペイント弾を取り扱う。
うみどりでは、そういうカタチの演習をすることがなかなか出来ないものの、普通の鎮守府にあるシステムは全て搭載されているため、水鉄砲くらいならすぐに扱える。
しかし、魚雷に関してはすぐには出来ないだろう。こればっかりは運次第。後始末の依頼が無いことを前提としているのは、少々荷が重い。
「とにかく、明日からはまず艦内で出来ることから進めていくといいと思うわ。今日はドロップ艦の件があったけれど、また沖までは移動すると思うから」
「ん、それまでに何をするか決めておかないとな。あたしとしては、早くこのトラウマを克服したい」
「じゃあ決まったようなモノじゃない。明日ハルカちゃんに話しましょ」
深雪の方針はこれで決定した。まずはトラウマの克服。そのあとは身体をとにかく鍛える。これがこれからの深雪の道。
「みんな、マジでありがとな。いろいろ事情があるとは思うけどさ、人間じゃないあたしと、仲良くしてほしいぜ」
全員と違うことを理解しているため、改めてここで礼を言った。少々後ろ向きな発言も交じっているが、今の深雪の本心がそのまま言葉に表れていた。
「そんなの当たり前にゃし!」
「そうそう、元は違っても、深雪ちゃんも子日達も同じ艦娘なんだからね!」
「私達はもう仲間ですよ」
「はい、気兼ねなく頼ることも、大事大事、です!」
誰も深雪のことを特別視していないし、人間では無いことに対して何も思っていない。仲間であるという部分だけで何も問題ないと認めてくれている。
「深雪、そういうところは気にしなくていいわよ。貴女は私達と同じなんだから」
「同じ、か」
「ええ。貴女はドロップ艦かもしれないけど、周りに合わせることも出来れば、一緒に楽しむことも出来る。カテゴリーが違うとか、関係ないのよ。何度でも言えるわ。貴女は、私達と同じよ」
なんだかグッと来てしまったか、深雪は少しだけ涙目になりそうになった。だが、そんなところを見せないようにどうにか我慢した。
深雪の道は、一人で作るわけではない。仲間と協力して、最善を選択していく。最後に選び取るのは深雪の力かもしれないが、その道を舗装してもらうことは悪いことではないのだ。
深雪の道は、うみどりの仲間達と共に作ります。歩くのは深雪だから、選択するのは最後は深雪の力になりますが、示すことは悪いことではありません。