おおわしとの合流までの時間、うみどりは潜水艦を曳航しながら、いつも通りの自由時間を過ごしている。
深雪達純粋種の面々は、日々のトレーニングに勤しもうとしたのだが、まず深雪が精神的に鬱のような状態になっており、その場で見学となった。そして、真逆の状態の電はというと。
「電、無理は良くない。本来のノルマからもう過ぎているぞ」
長門がそう言うのも無理はない。今、電が使っているのはランニングマシンで、一定の速度で決められた距離を走ることでスタミナをつけようという基礎トレーニングなのだが、決められた距離を越えても走り続けている上に、本来の速度よりも速く走っている。
どう見ても無理をしているとしか言えないのだが、電は一向に止めようとしなかった。いつもよりも息が上がっているのにもかかわらず。
「電、やめるんだ。次のトレーニングに移れない」
「……はっ」
ここでようやく長門の声が聞こえたか、少しずつ速度を落としていった。周りの音が聞こえないくらい集中していたようで、ノルマを達成していることすらも気付いていなかった模様。
「走りながらの考え事は控えた方がいい。集中しているのはいいことだが、トレーニングに集中しているならまだしも、君は今、別のことを考えていただろう」
「はぁ……はぁ……わ、わかったのです……」
一応返事はしたものの、視線は長門には向いていなかった。変に集中していたせいで、返事したこともハッキリわかっていないように見える。長門にとってはそれも怖い要素。
「白雲は順調なようだな」
「ふぅ……ふぅ……はい、これが人間の知恵から生まれた鍛錬の設備なのですね。はぁ、なかなかどうして勝手がよろしい。基礎鍛錬として、これで体力をつけることが出来るならば、ふぅ、しばらくは使わせてもらいたいと思う所存です」
「監督官がいるときなら、申請さえしてくれればいくらでも使ってくれて構わない。一応だが、ここの管轄は私だ。それだけ知っておいてくれればいい」
電と同じくらいやる気満々な白雲だが、鍛錬という行為そのものが初めてであるからか、そこまで危険性は感じなかった。とはいえ、一度うみどりの人間のことを信用出来るようになったとはいえ、ここまで前のめりになっているのは危うい状態一歩手前というところ。
電も白雲も、前回の戦いでこっ酷くやられている。そしてその翌日からコレだ。長門だってその心持ちの変化には気付いているし、なるべくおかしくならないように持っていこうとしている。
白雲はまだギリギリ。しかし、電は最初のランニングマシンでのスタミナトレーニングから飛ばしすぎと言える。これでは後のトレーニングに身体がついていかなくなるだろう。それでもやろうとしたら、最悪身体が壊れる。
長門は出来る限りそこを制御しているつもりだが、電自身がその制御を聞かずに無理をしようとするならば、長門も強引に止めざるを得なくなるだろう。
その後も電は酷いものだった。筋トレは錘を限界よりも多く載せようとするし、柔軟では限界以上に伸ばそうとする。身体を壊しに行こうとしているようにすら見えてしまう。
白雲は見様見真似のような行動であったため、まだ自分の限界を知らないこともあり、そこまでの無理はしていないのだが、それでもやる気だけは充分見えており、かなりハードなトレーニングになっている。
「電、無理をするなと言ったが」
「……はぁ、はぁ、でも、まだまだなのです」
この一点張り。どれだけやってもまだまだ足りないと、休憩時間も惜しんで身体を鍛えようとする。白雲も同様だ。
息を切らして疲労が溜まっていることがわかっていても、これでは足りないとよりハードにしようとする。その度に長門に止められるのだが、話を聞こうとしない。
「どうしたんだい君は。どちらかといえば、深雪よりも視野が広いことが君の強みじゃないか。そんな君が箍を外してどうするんだい」
これには時雨も苦言。見ていて気分が良いものではないと、いつもの調子で伝えるものの、電は聞く耳を持たない。
「深雪、君からも何か言ってあげてくれないかい。あれじゃあ、電は壊れてしまうよ」
時雨から振られた深雪であったが、深雪は深雪で心ここに在らずという感じでぼんやりと考え事をしている。
スキャンプに言われた、『敵の命を天秤に載せている時点で何も出来ない』という言葉をずっと反芻していた。
命を狙ってくる相手、しかも、正々堂々ではなく精神攻撃まで織り交ぜて追い詰めてくる外道であっても、元々は人間だった存在だ。敵だとしてもそれは変わりなく、その時点で深雪は天秤に載せてしまう。
しかし、あちらはそれすらも利用してくるだろう。
そうなってしまっては、この戦いには参加出来るわけがない。言ってしまえば
「深雪」
「えっ、あ、ああ……悪い、考え事してた」
「君にはそういう湿っぽいことは合わないと思うけど。電が大変なことになってるよ」
時雨に改めて言われたことで、ようやく今の電の危うさに気付いた。
「電、どうしたよ。身体壊しちまうぞ」
「深雪ちゃん……でも、まだまだ、まだまだなのです」
ようやく口に出したとしても、電は鍛錬を止めるつもりはないようである。身体を壊してもいいとすら考えていそうなくらいに、無茶を止めない。
ここまで来ると、誰も電を止められないのではとすら感じる。やる気があるのは良いことだが、やる気がありすぎるのはよろしくない。
「無理はしないでくれよ。電が倒れちまったら、あたしも嫌だぜ」
「でも、あの時は電もやられてしまったのです」
電が珍しく悔しそうな顔を隠そうともせずに言う。トレーニングによる疲れよりも、あの時の悔しさが表に出てしまっているようだった。
「やっぱり、電は足手纏いだったのです」
「んなわけ無ぇだろ。電は1人であたしの治療中の攻撃を食い止めてくれたじゃねぇか」
「でも、その後は結局手も足も出なかったのです。足は失くなっちゃったくらいなのです!」
食い止めることが出来ていたのは、深海千島棲姫が
深雪を守れなかった。白雲を傷つけてしまった。その全ては、自分に力が足りないから。そう思い込んでしまっている。
「電はもっと、もっと強くならなくちゃいけないのです。深雪ちゃんの隣に立てるように、白雲ちゃんがもう傷つかないように、電が強くなるのです」
もう、電の瞳は
「深雪ちゃんは改二になってすごく強くなったのです。白雲ちゃんは最初から特別な力を持っているのです。でも、電には何も、何も無いのです。改二にもなれない。何か特別なことが出来るわけでもない。だったら、もっともっと鍛えるしかないのです!」
もう涙声が交じっていた。脚を失って、治療を受けている間に電に芽生えたのは、『
これまでは対等だった深雪にも大きく離され、新たに現れた白雲には最初から差がある。その上で、深海千島棲姫との戦闘で起きたダメージが尾を引き、立ち直れないくらいの傷になりつつあった。
「電……あたしはお前のことそんな風に思ったことは一度も無いぞ。電はあたしよりも強いところがいっぱいあるじゃねぇか。時雨が言ってた通り、あたしよりも視野は広いし、間違いなく頭もいい。あたしよりも冷静だ。あたしが暴走した時、止めてくれるのは電だろ」
「でも、それだけじゃ、それだけじゃもう足りないのです……。戦場に一緒にいても、深雪ちゃんには追いつけない。もう止めることも出来ないのです。電が弱いから……」
完全に拗らせてしまっている。無理をしてでも強くならなくては、深雪の隣になんて立てないという思い込みまで入ってしまっているため、今の考え方から脱却が出来ない。
「……あたしも強くねぇよ」
深雪とボソリと呟く。電がキョトンとした顔をする。
「あたしは今、前を向けねぇんだ。強くなりたいとか、そういうことも考えられない。本当に戦っていいかまで考えちまってる」
「……どういう……ことなのです?」
「昨日……あの妹もどきを始末しただろ。あたしの手で。でもアイツ、あんな姿をしてるけど、元々は人間だったんだよな。あたしは、人間をこの手にかけちまったんだ。人間を守るための艦娘が、人間をぶっ殺しちまった。怒り任せにだぞ」
深雪の悩みはさらに根深いモノ。割り切れそうで割り切れないモノ。故に、ここでぶち撒けた。
「いろいろ話をしたよ。みんなが口を揃えて、割り切れって言ってきた。スキャンプはまだしも、神風と丹陽もだ。アイツは元々人間だったかもしれないけど、ああなっちまったら人間でもなんでもないバケモノなんだってよ。それに、放置してたら他の奴らまで不幸になるから、ここで終わらせるってな」
それを理解出来ていても、まだ納得出来ていないのが深雪である。野放しにしていたら好き勝手やり続けるだろう。それを止めるためには、もう息の根を止めるしか手段がない。
わかっている。わかってはいるのだが、それが人間であるというだけで抵抗が出る。深海千島棲姫の時は、いわば怒り狂い理性が無かった状態だ。相手が元人間であることも忘れて、これまでの報いを受けさせるために力任せに命を奪った。しかし、理性を持っている今では、あの深海千島棲姫ですら始末することに躊躇ってしまうかもしれない。
「まだあたしは割り切ることが出来ねぇんだ。あんな奴らの命なのに、天秤に載せちまってる。人間ってだけでな」
悔しそうに思いを吐露した。それに対して電は何も言えなかった。自分も同じ局面に立たされた時、容赦なく相手を殺すことが出来るだろうか。いや、出来ない。知ってしまったからには、もう手も出せないかもしれない。
「君達の悩みはよくわかった。白雲も同じ悩みを持っているのか?」
長門に聞かれ、白雲は少し考えた後、小さく頷く。しかし、この2人よりはまだマシなレベルであることはわかる。深雪の隣に立つために、今よりも強くならねばという気持ちは強いものの、電ほどの劣等感には苛まれておらず、ただひたすらに深雪のためにという気持ちが先行しているに過ぎない。
「ふむ、では君達のトレーニングはこれで終わりだ」
「えっ……!?」
「そんな心持ちでは、鍛えても身に付かない。むしろ怪我をするのがオチだ。今の電を見たらわかるだろう。無理をして、限界もわからなくなってしまっている。そんなもの、トレーニングとは言わない」
長門は淡々と、叱っているわけでもなく、事実を伝えている。だからこそ、深雪にも電にも突き刺さった。
「君達がやらねばならないことは、心を休めることだ。今日はトレーニング禁止。提督にもそう伝えておくから、何処に行っても何も出来ないと思ってくれ」
それだけで何かが変わるとは思えないが、しかし、休まなければ先にも進めない。
深雪も電も気負いすぎなんですよ。でもそれも仕方ないことなんでしょうね。