深雪に対する劣等感と羨望、そして嫉妬によって、一方的に当たり散らしてしまった電は、その場にいられなくなって泣きながら逃げ出してしまった。
本当はそんなことをしたいわけではなかった。だが、これ以上深雪と話していたら、もっと酷いことを言ってしまいそうだったから、顔を見ていられなかった。
電はそれだけ追い詰められていた。自分の弱さを知るまでは良かったのだが、それを深雪と比べてしまったのがまずかった。ネガティブ思考には、それが強い劣等感となってしまう。
「ううっ、うぅぅっ」
泣きながら艦内を走る。特にあてもなく、行くにしても自分の部屋くらいしか思い浮かばない。グシグシと目を袖で拭いながら、前も見ることなく走った。
だが、それがよろしくなかった。艦内には今、それなりに仲間がいる。全員がひとところに留まっているわけもなく、あらゆる場所に誰かがいる状態だ。勿論、廊下にも。
「うわぁっ!?」
それもあってか、廊下の曲がり角で思い切り誰かにぶつかってしまった。前を見ていない電の体当たりは、躊躇いすらなかったために大事故に繋がってしまう。
電自身もその衝撃で吹っ飛んでしまった。勢いは電の方があったのだが、小柄であるためか。
「ちょっ、電ちゃん!?」
声からして、それが睦月のモノであることはわかった。だが、睦月がぶつかったわけではない。電の方に駆け寄ってくるのがすぐにわかる。
「だ、大丈夫ですか酒匂さん!?」
そして、慌てふためく梅の声。ここで電は初めて状況がわかる。前を見ずに走ったせいで、廊下の曲がり角で酒匂に衝突。避ける余裕すら与えず、渾身の力で吹っ飛ばしてしまったらしい。
酒匂も少し小柄とはいえ軽巡洋艦。駆逐艦よりは身体が出来ているため、電もその衝撃で相打ちになったようである。
「ふぇ……さ、酒匂……さん……?」
止まらない涙をどうにか拭い、目の前の状況を確認した。
電と衝突した酒匂が壁にも激突し、思い切りひっくり返っていた。たまたま救護班としての活動で持っていたタオルで多少はショックが吸収されていたものの、なかなかに激しい衝突だったのを物語っているくらいに散乱しており、酒匂自身もあまりお見せ出来ないような姿勢で廊下に寝転がるカタチに。梅がさっとタオルで隠している辺りでお察しいただきたい。
「あいたたた……電ちゃんは大丈夫……?」
身体を強くぶつけたくらいで終わっており、血も流していなければ、傷めているような場所もない。すぐに立ち上がり、電に駆け寄る。そして、その泣きじゃくっていた顔を見たことで何が起きたのかと心配そうな表情に。
「何かあった? 酒匂とぶつかったところが痛い? 怪我とかしてない?」
「睦月がざっくり確認したけど、怪我は無いみたいにゃし」
「そっか、よかった」
自分のことよりも相手の方を心配する酒匂を見て、電はまた一気に罪悪感が湧き上がり、一時的に止まっていた涙がまた溢れ出してきた。
「ご、ごめんなさい、ごめんなさい……」
「酒匂は大丈夫だからね。それより、何かあったの? 深雪ちゃん達は?」
やはり深雪と一緒に行動しているというイメージが強いからか、二言目には深雪の名前。今の電には、それもダメージになる。
今のような状況、深雪だったらヒラリと避けていたのでは。前を向かずにはしるだなんてことはしないのでは。そんな思いまで溢れ出してきて、余計にドツボにハマっていく。
「う、うぅぅぅ……」
「うーん、よし、ちょっと落ち着くために食堂行こうか。酒匂達のお仕事はまだ後に回せるようなことだからね」
泣きじゃくる電の肩を抱いて、酒匂は支えながら立たせた。酒匂だけでは厳しいかと梅も一緒に支え、手の空いた睦月は散らばったタオルを掻き集めた。
ここから近い場所となると、手っ取り早いのは酒匂の部屋だったりするのだが、少し人数が多めではあったため、少し遠いが食堂へと行くことにした。今の時間ならば昼食の準備をするセレスがいるとは思うが、背に腹はかえられない。
「このタオルを先に置いてくるにゃし。後から追いつくから、先行っててほしいぞよ」
「うん、じゃあよろしくね。電ちゃん、行こっか」
涙が止まらない電をやんわりと連れて行く。電も酒匂に従った。
食堂ではどうしても人の目がある。今まではカテゴリーYの面々が食事の準備をするくらいしか無かったが、今は潜水艦のカテゴリーB達もちょくちょくとここに訪れたりするからだ。今も賑わっているわけではないが、これまでよりは人数が多い。
だが、酒匂達はそんなことを気にしないし、電も気に出来るほどの余裕が無かった。場所が無いというわけではないので、ひとまず座らせる。
泣きじゃくる電が入ると、どうしたどうしたと騒ついた。潜水艦の面々は電とは面識があるようなモノ。あの問題児グレカーレをグラップリングで瞬殺したとあれば、どうしても話題に上がる。
だが、梅が先んじて行動し、少し訳アリみたいなので騒ぎにしないようにと頭を下げていた。そのため、チラチラ見られているものの、そこまでの注目を浴びずに済んでいる。
「話しにくいかもしれないけど、何があったか教えてもらえるかな」
酒匂は終始表情を変えず、落ち着かせるようにやんわりとした口調で聞く。その時も、机を挟んで対面に座るのではなく、いつでも触れられるくらいの隣。
「……そ、その……」
「大丈夫、落ち着いて、時間をかけてもいいからね。話したくなかったら話さなくてもいいからね。まずはゆっくり深呼吸してみよっか」
言われた通りに呼吸を整えていくと、ようやく涙が引っ込んでいく。昂りすぎて何も話せなかった状態から、少しずつ落ち着いて行く。まだしゃくりあげるような息が詰まるものの、何とか話せるくらいには落ち着いた。
そこからは電が事情を説明する。嘘偽りなく、その時にあったことをただ話すのみ。だがそこに、酒匂が少しずつ合いの手を入れつつも本心を引き出すように促し、その時の心情などを表に出させて行く。
そのおかげか、酒匂だけでなく梅も、後から来た睦月も、電の心の闇を垣間見ることが出来た。
「そっか……電ちゃんは、深雪ちゃんに置いていかれたって思っちゃったんだね」
「……なのです」
「そういう気持ち、酒匂達も少しはわかるよ」
その心に寄り添うように、酒匂達も語る。
「酒匂も改二がまだ無いからね。同じ軽巡洋艦だとどうしても離されちゃう。ここにはとっても強い那珂ちゃんもいるでしょ? だから、酒匂もやっぱり考えちゃった。このうみどりでやっていけるのかなぁって」
酒匂はそもそもが重度の鬱病だった経歴を持っている。艦娘酒匂となったことでそれが払拭されているものの、やはり何処かにはその気質は残ってしまっており、ふとした弾みでそれが表に出てきてしまうことがあるらしい。
電の話を聞いてすぐに思い浮かんだのが、同じ軽巡洋艦の那珂が改二へと改装され、元々の実力も相まってエースのエースのように扱われるようになった時。どうしても自分と比べてしまって、夜に独りで酷く落ち込んだものだという。
「睦月ちゃんや梅ちゃんも、ちょっとあったんだよね、同じようなこと」
「にゃしぃ。睦月は改二になれたけど、参っちゃった時があったにゃあ」
「はい、梅も酷く落ち込んだことがありますねぇ。今はもう大丈夫なんですけど、どうしても」
睦月と梅も悩みがあった。それが、この2人の艦娘の特徴である。
睦月がネームシップを務める睦月型駆逐艦、そして梅が属する松型駆逐艦の特徴は、『燃費が非常にいい代わりに、戦闘能力が低い』という非常にシンプルなものだった。中には一芸に特化した個体もいるらしいが、睦月と梅はそこには含まれていない。
そのため、
総じて、ここにいる3人は、電と同じような劣等感に苛まれたことがあるということ。
しかし、今はこうやって笑顔でうみどりで活動出来ているのだから、後始末屋として何か転機があったのだろう。
「……皆さんは、どうやって立ち直ったのです……?」
まだ涙声ではあるものの、素直な疑問をぶつける。すると、酒匂があっけらかんとした声で言った。
「
至極単純なことだった。確かに戦場に立つには戦闘力が必要である。しかし、戦場にはやらねばならないことが他にもある。侵略者との戦いだけが、艦娘の仕事では無い。後始末屋は特にそれをわからせてくれる仕事である。
勿論、緊急時には戦える力が必要だ。だからこそ、酒匂を筆頭とした救護班は戦闘訓練を欠かさず行なっている。そんじょそこらの新兵では並び立つことも難しいくらいに練度が高く、睦月や梅に関してはその特徴を覆すくらいに戦える。火力が足りないのは変えられないのだから、創意工夫でひっくり返す。
だからといって、救護班は基本戦いに赴くようなことはない。本当の戦場は、そこには無いのだから。
「適材適所なんだよ。酒匂達は、それに気付けた。戦うことが苦手で、みんなと並び立てないかもしれないけど、みんなが傷付いた時にすぐに動けるのは酒匂達だけ」
「うんうん、睦月達はそっちに命を懸けることにしたのね」
「
後始末屋をやっているのだから、電だってすぐに気付けることなのだ。この戦争には、戦うこと以外に世界の平和に繋がることがあることくらい。劣等感によって視野が狭まっていたことで、それすらも見えなくなっていた。
「今でこそ大発使えるけど、睦月は改二になってからだったからにゃあ。最初は本当に誰にも追いつけなくて困ったもんにゃしぃ」
「梅も最初はヒイヒイ言ってましたねぇ。誰にも追いつけない、自分なんかがここにいていいのかって」
そんな過去を笑って話せることが、電にとっては驚きでしか無かった。
「酒匂はね、多分ここにいるみんなよりも戦う力は下だと思う。でも、
終始笑顔で、ここまで言い切った。
今の電には、あまりにも眩しすぎた。
「……電は……そんな簡単に割り切れなかったのです……。深雪ちゃんと一緒に強くなって、一緒に並んで戦って、平和を取り戻すために力を尽くすんだって思っていたけれど……もう一緒になんて戦えないのです」
「本当にそうかな」
電の言葉に、酒匂は即座に反論する。
「一緒に戦うっていうのは、同じ力を持って隣に並ぶことだけを言うのかな」
少し真面目に、心を鷲掴みにするように話す。電は、その真っ直ぐな目を見ていられなかった。
「電ちゃんは、そもそも目指す場所が違ってると思うんだ」
「目指す……場所……?」
「電ちゃんが深雪ちゃんのことが大好きなのはわかるよ。この世界に2人しかいないカテゴリーWの相方だし、一緒にトラウマを乗り越えた仲だし。ここに来た時期も近いもんね」
大好きと言葉にされて、電の顔が真っ赤に染まる。しかし、酒匂は止まらない。
「でもね、好きだから同じことやれないといけないっていうのは違うよ。同じ力でないと並び立てないなんてことは無いんだ。さっきも言ったけど、適材適所って言葉があるんだから。深雪ちゃんに出来て、自分が出来ないことがあるってことは、今すっごくわかってるんだよね?」
深雪に当たり散らしてしまった言葉の通り、深雪は自分の持っていないモノを沢山持っていると理解している。戦う力は深雪の方が段違いに上になってしまっているのだから特にである。
「なら、
自分が持っていて、深雪が持っていないモノ。先程は深雪の方が多くのモノを持っていると言ってしまったが、深雪自身も言っていた通り、電にしか無いモノだってある。電には見えていないところも含めて。
深雪に出来ないことは、自分にも出来ない。そう思っている。だから、深雪の方が多く持っていると思い込んでしまう。
「じゃあ、深雪ちゃんに出来ないこと、やれるようになってみればいいと思うよ。今は電ちゃんも出来ないけど、頑張れば出来るようになるよ。酒匂達がそうだったんだもん」
「そうにゃしそうにゃし。深雪ちゃんには戦うことってなるなら、電ちゃんはそれをサポートする力を持てばいいと思うぞよ」
「ですねぇ。例えば、索敵をすごくするとか、あと足下……潜水艦に注力するとか。深雪ちゃんの力を引き出すことに特化するっていう道もありますね」
次々と案が出てくる酒匂達に、電はポカンとするしかなかった。
「ほら、電ちゃんに出来ること、こんなにもある。深雪ちゃんと並ぶことが出来る方法は、いくらでも出てくる」
ニッコリと笑って、酒匂が電の手を取った。
「電ちゃんは焦って努力の方向を間違えちゃっただけ。まだ取り返しがつくよ。だから、もう少し一緒に考えていこっか」
もう、その手を振り払うことは無かった。
電の心境は、ここから少しずつ変わっていくのか。まだ燻っているものはあるが、それをどうにかすることが出来るのは、電次第である。
この酒匂との会話が、電に深く突き刺さることになるでしょう。これまでの言葉は、電にとっての金言となり得るか。