昨晩の駆逐艦会議でいろいろ意見を貰い、深雪はこれからの自分のことを考えることとなった。
スタミナや筋力のトレーニングも必要であり、主砲や魚雷などの艦娘的な訓練も必要なのだが、深雪にとって最も大事なのは、心に刻みつけられているトラウマである。これがある限り、深海棲艦相手ならともかく、敵性艦娘の説得なんて夢のまた夢。やりたいことがやれない。ならば、苦痛かもしれないがここである程度は乗り越えたい。
刻まれたモノが失われるわけがない。特に深雪のそれは、普通のトラウマとは違う、
「……うし、怖がってらんねぇよな」
乗り越えると決めたのだから、前に進むために力を振り絞る。絶対に沈まないことが分かっていても、
軍港鎮守府で見ているだけでもハラハラしてしまったくらいなのに、それを自分がやるとなったら、ハラハラどころかビクビクしてしまいそう。
だが、深雪は折れないと決めたのだ。深呼吸して、気持ちを落ち着けることで、震えそうな手足に血を送り込む。大丈夫、大丈夫と言い聞かせるように呟き、最後に自分の頬を思い切り張った。
「大丈夫だ。こんなところで、あたしの物語は終わらねぇ」
ささっと制服に着替えて部屋の外へ。すると、先日と同じように睦月と子日が扉の前に立っていた。
「おはよう深雪ちゃん。なんかほっぺた赤いにゃ?」
「ああ、ちょっと気合入れてた。今日は頼むぜ」
「まっかせてー! 言い出しっぺは子日達だしね!」
まずは軽い者とぶつかり合う方が深雪のため。ということで、睦月と子日がトレーニングに付き合うと決めた。
まだ伊豆提督には伝えていないが、事情を話せば許可を出してくれる。深雪のトラウマに関しての話であることを知ると許可を出さなそうではあるが、張本人である深雪が願い出るのなら大丈夫だろう。
「あと、子日思ったんだけどね」
「ん?」
「深雪ちゃん、もう少し人間のことを知った方がいいと思うんだよね」
子日は、まだ生まれて間もないため、人間の身体というのをしっかり理解出来ていないから、ぶつかったら沈んでしまうと思ってしまうのではないかと考えたらしい。
深雪としては大分わかってきたつもりだったのだが、子日の目からしてみれば、まだまだぎこちないという。睦月もうんうんと首を縦に振った。
「モノを食べたり、寝たり、身体を動かすだけが人間じゃあないんだよ。こうやって、触れ合うことが出来るのが人間なんだからね」
そう言いながら、子日は深雪の手を握った。睦月も逆側に移動して空いている手を握る。
仲間との接触なんて、これまでもいくらでもやってきている。それこそ自主的に触れようとする追いかけっこや、スタミナトレーニングの振り付け、休暇中なんてもっとだ。
だが、今は訓練を意識した状態で触れられたため、一瞬心臓が強く脈打った。ただこれだけでも、仲間との接触、イコール衝突に繋がりかけた。
「この程度じゃ、壊れることも無いのね」
「艦だと壊れちゃうかもだけど、人間だとあったかいだけだよ」
「ほれほれ、気持ちいいにゃしぃ」
握った手をニギニギとしながら、温もりを与えていく。何処か落ち着くような、温かさと柔らかさ。意識すると、これが人間なのだと理解出来る。
人間の身体はすごいと思うことは多いが、こういう時が一番驚く。柔らかい感触は、艦では感じることが出来ないのだ。むしろ、鉄塊といえる艦に柔らかさなんて殆ど無いようなもの。それを知ることが出来たのが、特に人間を感じる瞬間である。
「……だな、触れ合うのっていいな」
「でしょでしょ? これから毎日誰かとこうやって触りっこした方がいいと思うよ。人間の身体をちゃんと知るためにね」
「ああ、考えておく。いい案だよコレ」
ぶつかり合うのもいいが、こうやって人間に慣れていくのも良さそうと言われ、深雪は何の疑問も持たずに肯定した。決して悪いことでは無い。むしろ、率先してやった方がいいくらいに思えた。
朝食後に伊豆提督に相談したところ、少しだけ考えた後に許可を出してくれた。ただしと条件をつけて。
「いきなり艤装をつけてやるのは危ないでしょう? だから、段階を踏んでやりましょ。まずはトレーニングルームで。それと、監督をつけること。今日もうみどりを動かすから、自由な子は多いはずよ」
本来のトラウマは
そのため、まずは陸で、艤装無しで。いわゆる本当の相撲をとる感覚で。トレーニングルームならそれが出来る空間もあるため、やるならそこで、トレーニングも兼ねて。
相撲というよりはレスリングのようになるだろうが、それは全身運動のようなモノだ。それも踏まえて、安全に楽しく取り組んでほしいと。
「無理してトラウマを克服することは無いけれど、深雪ちゃんがそれを望むのなら、アタシは全力で応援するわ。場所も時間も用意してあげる。本当にダメだと思ったら、投げ出してもいいっていうことは覚えていてちょうだいね。身体の前に心を壊すことが一番ダメだから」
あくまでも、深雪にとっての最善を考えて。身体も大事だが心も大事。嫌だと思ったことをやらせ続けるほど過酷な訓練は、伊豆提督としてもあまり推奨したくなかった。本人がそれを望んでいるから、許可を出すのみである。
もしここで深雪が無茶をするようならば、容赦なく止める。それが出来る監督をつけることで、今回の訓練──トラウマ克服訓練を許可した。
そのまま動きやすい服装に着替えてからトレーニングルームに向かうと、そこには監督役として潜水艦の二人が待っていた。深雪としては長門か加賀あたりがいるのではと思っていたため、少々驚いてしまう。
「大丈夫大丈夫! 何かあったらニム達に任せて!」
「ダメだと思ったら魚雷タックルで突っ込む」
伊203の発言は少々物騒ではあったが、睦月と子日も二人なら任せられると言い切ったので、深雪もそうかと納得する。
「よーし、それじゃあ深雪ちゃん、まずは睦月と子日ちゃんがやるところを見てるのね」
「近くでぶつかり合うところを見てみることも大事だからね。次は自分がやるって思いながら見てみよう」
いきなり自分が実践するのは、心を抉られる可能性が高い。そのため、まずは他の者が同じことをする様子を見て、視覚から慣れていく。
軍港鎮守府の演習はかなり遠い位置から見ていたものの、それでも少し震えがあった。それを間近、手が届く範囲で行なわれた場合どうなるか。まずはそれをクリアしなくては、自分自身でぶつかり合うことなんて出来やしない。
「何度でも言うけど、子日達はぶつかり合っても沈むとか死ぬとかしないからね。痛いだけだからね」
言いながら、二人は向かい合って立つ。深雪としてはこの時点で若干ハラハラしてしまう。
そんな深雪を察したか、伊26と伊203が深雪の両サイドに立って、ここに来るまでのように深雪の手を握った。今の深雪には接触に慣れることが必要。心持ちが訓練、戦闘に寄せている状態で、艦娘同士の触れ合いをしておくことで、トラウマを少しだけでも緩和していく流れ。
「それじゃあ……行くにゃしぃ!」
「ばっちこーい!」
先に動いたのは睦月。子日が待ち構えるところに、真正面から突撃。そして、子日は避けることなくそれを受けた。文字通りのがっぷり四つ、ギリギリと力比べが始まる。
伊203には、この瞬間に深雪が息を呑んだのがわかった。ぶつかる少し前から握っている手の力が強くなり、直接ぶつかったところでビクンと震える。自分をそのぶつかり合いに投影してしまっているのかもしれない。
「深雪、大丈夫。二人は壊れていない」
「お、おう」
伊203の言葉も、深雪にはまだ恐怖心を取り払うには足りない。
「んぎぎぎぎぎ! 子日ちゃん、パワー上がってるのね……!」
「ぐぬぬぬぬぬ! 睦月ちゃんも、踏ん張りが凄いよ……!」
二人は深雪のことは一旦視界の端に置いておいて、取り組みの方に専念する。体格としては睦月の方が小柄ではあるのだが、このうみどりに所属した順では睦月の方が早い。つまり、
知らない者が見れば、これは子供同士の遊びに見えるかもしれない。しかし、艤装を装備していないとはいえ、艦娘同士のそれは、実際並の人間よりは力強かったりする。
「……あんなに押し合っても、何も無いんだな」
軍港鎮守府の時と同じような感想が漏れ出た。人間同士のぶつかり合いなんてこんなもの。それが味方であろうが
対話をするのならここまでしないといけないかもしれないと深雪は考える。しかし、そもそもあそこまで近付くのが怖い。
「無理はダメダメだよ。でも、多少体当たりするくらいなら戦術として使う人もいるから、覚えておいた方がいいかもしれないね」
伊26としては、体当たりも間違いでは無い戦術の内と語る。潜水艦は稀にそういうこともせざるを得ない時があるらしい。そのため、海上艦とはそもそもの考え方が違うようだ。
「んぬぬぬぅ! どりゃあ!」
「にゃあああっ!?」
競り合いもついに終わり、子日が睦月を投げて、この取り組みは終了。押し倒す時もやんわりとして、痛みをほとんど与えず。
これだけやっても傷ひとつなく、むしろ睦月も子日も楽しんでいたような雰囲気を見せる。痛みすら無いといった感じで、深雪に笑顔を向けた。
「こんな感じにゃしぃ!」
「次は深雪ちゃんだよ!」
手を差し出され、深雪はまたもや息を呑む。自分もアレをやれと言われると、どうしても勇気が必要だった。
だが、ここまで仲間が、
「よ、よし、やってみるぜ。相手はどっちがしてくれるんだ?」
「睦月がやるぞよ!」
「頼んだ、ぜ」
潜水艦から手を離され、おそるおそるだが睦月の前へ。対する睦月はニコニコしながら構える。先程の子日との取り組みと同じように来るなら、睦月側から動き出すだろう。だから深雪はそれを待ち構えるカタチに。
いや、実際は違う。正面に睦月が立ち、今から突っ込むぞと言われているにもかかわらず、どうしても足がすぐに動かなかった。
「それじゃあ」
「っし、来いやぁ!」
「行くぞよぉ!」
ダンと踏み込んで深雪に突撃する睦月。体勢を少し落としており、かつ小柄であるために、睦月の頭は深雪の腹の辺りまで下がる。
対する深雪は、こういう取り組みをすること自体が初めて。知識としても殆どないようなものなので、どうやって受ければいいのかがわからなかった。子日の受けを見ていても、身体が動かなかったというのもある。
結果、睦月の頭が
「お゛」
深雪の鈍い声を聞き、見ていた子日と潜水艦達は、明らかにうわぁという顔をした。受け方を教えていなかったことを後悔しつつも、すぐに駆け寄る。睦月もやっちまったという顔で深雪をゆする。
「ちょ、だ、大丈夫!?」
「ちょっとちょっと、凄い声出てたよ!?」
「だ、だい、じょうぶ、じゃねぇけど……大丈夫、だ……」
ビクンビクンと悶絶する深雪。痛みがすぐには逃げないようで、鳩尾を押さえながら蹲っていた。
だが、衝突しても沈んでいない、死んでいないことを自覚出来たことで、トラウマが少しだけ払拭出来た。別のトラウマが刻まれかけているが。
こうして深雪は仲間達の力を借りて前に進んでいく。トラウマは拭い去れないが、みんなの力で軽くすることは出来るだろう。
体操着ですが、睦月はブルマ(+タイツ)、子日はスパッツ、深雪は短パンです。伊26と伊203はジャージ。