「いてて……よ、ようやく落ち着いてきた……」
ようやく鳩尾に入ったダメージから戻ってこれた深雪。むせたり摩ったりしてどうにか痛みは引いてきたものの、少し休んだ方がいいかもとトレーニングルームの端に移動した。
やらかした睦月は深雪にごめんなさいごめんなさいと平謝り。深雪は大丈夫だと笑って答えるものの、少々青い顔をしている。もう一度訓練に戻るには、もう少しだけ時間は必要だろう。
「これでも、あたしは生きてんだ。ちょっと怖くなくなったよ。言ってた通り、痛いだけだな」
痛みは被ったものの、それで何事もなっていないということが、深雪にとっては大きな進歩になり得る。
今回の睦月とのぶつかり合いは、まさに衝突。殆ど不意打ちみたいなもの。事実、深雪のトラウマはただの衝突もそうだが、
それでも沈むことなく、今ここに生きている。折れているわけでもない。怪我も全くしていない。ただ痛いだけなら時間経過で治る。それなら、衝突に対する恐怖心が少しだけ薄れたような感じた。
「なんか違うカタチになっちまったけど、ありがとな。克服までいけるかはわからないけど、心構えってのが出来そうだ」
「そ、そうかにゃあ。睦月としては大事故だった気が」
「大丈夫だって。見ての通り、あたしピンピンしてんだぜ」
睦月を落ち込ませないように笑いながら話す深雪。手をひらひら振りながら、自分はこれだけ平気だと示した。大事故だったのはあるが、深雪が気にしていないのだから、それはもう問題ないことである。
「っし、じゃあ続きやろうぜ。でも、今度はもう少しゆっくり頼む。突っ込むんじゃなくて、歩きながらとかで。それだと相撲じゃなくなるか」
「ううん、大丈夫にゃしぃ。相撲がやりたいんじゃなくて、深雪ちゃんに慣れてもらうためだもんね」
「そうそう。ちょっと飛ばしすぎちゃったよ」
トラウマを乗り越えるのは難しいことだ。だからこそ、ゆっくり確実に一歩ずつ進んでいきたいところである。
この後、深雪が回復したところでトラウマ克服のための訓練を再開。ゆっくりと進んで抱き合ったり、少しだけ駆け足になりつつぶつかってみたりと、接触から段階を踏んだ。
午後からはまた別のトレーニングをしていこうと思った深雪だったが、伊豆提督に1つだけ忠告された。
「トラウマ克服の訓練の後は、しっかり心を休めなさい」
午前中に、深雪にとって最も心にダメージを与えることを立て続けにやっているのだから、それを自分から望んだとしても、精神的な疲労は蓄積されているはずである。
その状態で別のトレーニングをしたところで、100%の効率は出せない。それに、心の疲労に引っ張られて、身体の疲労も早くなる。そうなれば、余計な怪我をしたりすることすらあり得るのだ。
だから、やるのはいいけどちゃんと休めと、伊豆提督が釘を刺した。それに加えて、その訓練は毎日するのはやめろとも。
毎日のように訓練や仕事を続けていては、心身共に休まる時がなくなる。風呂に入ることで疲労は取れるかもしれないが、それだけではいずれ身体を
「いきなり暇になっちまった……どうすっかな……」
しばらくは訓練尽くしで生活しようと考えていた深雪としては、この突然の空白の時間はどうしたものかと悩むレベル。
うみどりは現在航行中であるため、工廠から外に出ることも出来ず、トレーニング禁止となると行動範囲も減る。別に仲間達が何かやっているところに行くことが悪いことではないのだが、それで心が休まるかはわからない。
「そういう時は、やっぱデッキかな」
暇を潰す手段を持ち合わせていないため、行くところがデッキくらいになる。レクリエーションルームもあるのだが、深雪の心境的に、今は室内というよりは外に出たいという気持ちだった。元々活発な深雪には、室内で閉じこもるという考えは出てこないようである。
そして、うみどりのデッキ。前に来た時は、伊203に強引に引っ張られつつ、ここで夕陽を見ることになった。今は真っ昼間。太陽も高く、海も青く照り返していた。
前とは違う景色を見ることが出来たことで、無意識に疲弊していた心が澄んでいくような感覚。息を吸って吐くだけでも、体内に溜まっているネガティブなモノが外に出て行くように感じた。
「んぅいいい……風が気持ちいいぜ」
背筋を伸ばしながら空を仰ぎ見る。今日はまた特別いい天気。雲一つない青空。視覚からも、心を澄み渡らせてくれる。
先程までは自分のトラウマと向かい合い続けていたため、どうしても心に
どこかモヤモヤする。テンションが上がらない。空元気になる。強がりで周りを心配させないようにする。こんな気持ちに負けて堪るかと意地になって前を向かおうとし、より澱みを心に溜め込む。深雪は見事にその悪循環に入ろうとしていた。
伊豆提督はそこにいち早く気付き、深雪が無意識のうちにパンクしに向かうのを防ぐために、先んじて策を講じたのだ。何かやったら休息を取る。当たり前のことではあるが、艦娘である深雪にはそこもわからないことである。それを覚えてもらうために。
「ふぁあ……なんか眠くなっちまうなぁ」
こんなにお日柄がいいと、眠気もやってくるもの。昼食後で腹も膨らみ、風呂に入っているとはいえ、午前中はトラウマ克服訓練をやり通しているため、精神的な疲労も溜まっている。それに加えて何もしなくていい休息の時間というのもあるため、眠たくなるのは必然とも言えた。
そしてデッキは都合よく、燦々と照る太陽の光を思い切り浴びることが出来る場所。日向ぼっこには最適。そのまま昼寝に興じる者もいるという話である。
「……寝るか、うん、たまにはそういうのもいいだろ」
デッキの端にはおあつらえ向きの場所、少々硬めではあるが横になれるようなベンチが用意されていた。ここでオヤツを食べる者もいるということで、デッキは憩いの場という認識にもなっていた。
うみどりの中で唯一、陽の光を浴びることが出来る場所ということもあり、哨戒機を飛ばす以外にも今の深雪のようにただここにいるという者はそれなりにいる。
ベンチに腰掛けて、そのままコロンと横になると、視界一面が真っ青な空になる。温度も気持ち良く、それだけでもそのまま眠気が膨れ上がり、瞼が重くなっていった。
「昼寝なんて初めてだな……でも、なんかすごく、気持ちいいな……」
その眠気に抗うことなく、深雪は意識を深く沈めていった。
深雪は夢を見ていた。覚えているようで、何処か覚えていない、掘り起こし続けたトラウマの夢。衝突したときのこと。
濃霧の中で煙幕も焚いた状態の演習。他の艦すらも視認が出来なくなるような状況下で、それが起こった。煙幕の中から突然現れた演習相手が深雪に衝突。そして、それが致命傷となり、深雪は沈むことになる。
トラウマと向き合うことで、ハッキリとそれを思い出してしまった。
しかし、夢というものは何処かおかしく再現されるものである。衝突されたのは、
衝突相手の顔はまるでモザイクがかかっているようになっていた。だが、その表情だけはわかった。なんてことをしてしまったのだという愕然と後悔に染まったモノ。
当たり前だが、あちら側だって意図的にそれを引き起こしたわけではない。やるべきことをやろうとして、その結果がこうなってしまっただけ。
艦としてではなく、艦娘としての死を夢の中で経験してしまい、その恐ろしさを知ってしまった。息が出来ない。手を伸ばしても海面は遠のく。徐々に光も無くなっていく。それが恐ろしくて堪らなかった。
もがき、苦しみ、しかし届かず。それが起こり得る戦いに、ただただ恐怖を感じた。
ここで深雪は目を覚ます。魘されていたからか、酷く汗をかいていた。だが、それ以上に違う感触があった。昼寝に興じた時には無かった柔らかな感触。
「あ、目を覚ましましたね。イランカラㇷ゚テ、深雪さん」
少し硬いベンチではなく、神威の膝枕。魘されていたのを見越して、起こさないようにこうしてくれていたらしい。思わず深雪は飛び起きる。
「か、神威さん、ビックリした……」
「酷く魘されていましたから、落ち着けるようにとこうしていました。大丈夫ですか?」
「大丈夫、じゃ、ないかも……」
夢の内容はハッキリ覚えている。思い出すだけで動悸が激しくなるかのようだった。何せ、
「一応起こそうとしたのですが、深く眠っていたようですので。はい、タオルです。汗を拭いてくださいね」
「あ、ありがとう……」
差し出されたタオルで顔の汗を拭き取る。カラッと乾いたそれに、じっとりと汗が染み込んだ。魘されたことでここまでになっていたとは、深雪は思ってもみなかった。
「悪夢、ですか?」
「……うん。あたしが死ぬ時の夢を見た」
「そう、ですか。それはまた……」
神威もそれには困った顔である。
「多分、トラウマ克服の訓練をやったからだろうな……。夢とか見るの初めてだから、かなり焦っちまった」
「なるほど……。でしたら、落ち着くまでゆっくりしていますか?」
自分の膝をパンパンと叩き、もう一度膝枕をしようかと訴えてくる神威。どうしようかと迷うものの、今は精神状態が少し不安定であるため、今頼れるのは神威だけなのでそのまま膝枕をしてもらうことに。
「深雪さんもご存知の通り、私達は元々人間ですから、艦の記憶というものはわかりません。ですが、深雪さんの過去のことは、私達も知っているつもりです。それを体験しているのですから、さぞ辛いことでしょう」
「……そうかも」
「私の持論ですが、弱音は吐ける時に吐いた方がいいと思います。溜め込む方が壊れてしまいます。定期的に吐き出してしまいましょう。神威は何でも聞きますよ」
にこやかに深雪を受け入れる神威に、夢のせいで荒みかけていた深雪の心は解きほぐされるかのようだった。
「……ん、ありがとう神威さん。正直、大丈夫とは言えないかも。夢の中とはいえ、死ぬなんてすげぇ怖いよ」
「そうですね……。私も死ぬ夢というのは見たことがあります。この仕事に携わるようになってから、死と隣り合わせになりますから。初めて戦いに参加した時の後は、そういう夢を見ました」
深雪の頭を撫でながら神威も語る。後始末屋という仕事柄、戦闘より片付けの方が多くなるものの、戦わないわけではない。ドロップ艦だけでなく、たまたま現れた深海棲艦との戦闘だってあり得るのだ。
その中でも神威は補助艦艇。他の者よりも戦闘に向いていない艦種であるため、戦闘ではより恐怖を感じやすい立ち位置にいる。そのせいか、死ぬ悪夢を見たという。
「私達の死は予想ですが、深雪さんは
うみどりにいれば、守ってくれる仲間も沢山いるし、みんなで力を合わせて事を成し遂げることが出来る。独りでいるわけではないのだから、頼れる仲間達は好きなだけ頼ればいい。
「みんなを頼りましょう。誰も深雪さんを否定することはありません。ドロップ艦だからとか、カテゴリーWとか、そういうことは関係ありません。仲間ですから。私も同じように考えています。好きなだけ頼ってくださいね」
優しく語りかける神威の言葉に、自然と落ち着いていく。また眠れそうになっていき、神威もそれを促すように頭を撫で続けた。
次の昼寝は、夢を見ることなく気持ちよく眠ることが出来た。やはり、仲間に頼ることは必要だと実感した。
この世界の艦娘は人間。艦の力は使えても、艦の記憶は持っていません。知っているのは、記憶ではなく記録。