うみどりでは、その凄惨な状況を見たことで、艦内に残っていた者が慌ただしく動き出していた。
今の段階では戦力にはなれない深雪達も、命を奪う行為で無ければ手伝うことが出来る。簡易的な救護班として、応急処置は出来なくても道具を運ぶことなどは出来た。
「なんなのです……酷すぎるのです……」
救護班の一員となっている電も、この体液にやられた潜水艦勢の傷を見て顔を顰めながら、しかし的確に応急処置をしていった。酒匂に教わった技術が早速役に立つだなんて思ってもいなかった。
体液がまともに付着したわけではなく、それこそ飛沫が少しかかった程度でも、その傷は普通ではない痛みを与え、焼け爛れたように皮膚を溶かす。幸いにも戦場が水だらけの場所であるため、痛みを堪えて洗い流せば効果が消えるようだが、だとしても切り傷などとは雲泥の差。むしろ、放っておいたらゆっくりでもじわじわ範囲を拡げていくおまけつき。
酷いのは、それが付着した量に比例して傷が酷くなるというところにもある。ただ一滴二滴付着しただけでも手のひらほどの範囲が爛れてしまうのに、増えれば増えるほど範囲が拡がっていた。まるでバイオ兵器である。
「電ちゃん、今回は
酒匂が手渡したのは、どう見ても霧吹き。しかし、その中に入っているのは、うみどりの風呂にも使われている修復材の原液である。
傷口に吹きかければ、完全に治るというわけではなくても痛みは和らぎ、それ以上の致命的なダメージには繋がらなくなるのだ。液体であれば腐食体液を中和出来るというのもある。
これですらかなりの効能を持っているのに、それ以上の効能がある高速修復材は、効果が強すぎるために入渠ドックの中でしか使われない。妖精さんですら慎重に使うくらいなのだから、傷薬だなんて言っていられない。
「少し痛いかもしれないですけど、我慢してほしいのです」
爛れた皮膚に修復材を吹きかけると、やられたものは一瞬悲鳴をあげる。だが、そのあとすぐさま痛みが薄れていった。
傷が塞がっていくわけではないにしても、広範囲に爛れていた肌がマシに思えるくらいにはなる。動かせば当然痛みはあるが、これまでよりは動かせる。
「軽傷ならすぐに治すよ! まだ出撃出来る体力と気力があるなら補給を受けていって!」
酒匂が声を上げると、妖精さんもさぁ来いと言わんばかりに補給の準備を整えていた。勿論、補給艦である神威も準備万端。
怪我をしたから再出撃しないなんて考える者は誰一人としていなかった。いろいろ思うところはあったとしても、うみどりを失うわけにはいかないという気持ちは全員が同じだった。
「クソが……これで平和だなんてよくぬかすな……」
勿論、深雪だってその気持ちは強い。このうみどりを守るために、何としてでも勝利を収めたい。
だが、迷いを振り払うには最後の一手が足りなかった。怪我人のために行動することは出来るのだが、戦うことにはまだ何かが足りない。それが何かわからない深雪は、そんな不甲斐ない自分が気に入らなかった。
「自分を責めちゃダメよ。お昼にも言ったけれど、アナタの悩みはアタシ達でもぶち当たる壁。無理して戦う必要は無いわ。吹っ切れることが出来る理由は人それぞれだけれど、それを悩む過程が大切なんだもの」
同じように救護の手伝いをしている伊豆提督が深雪に語る。相変わらず軍服を血と油で汚しながら、しかしそれを嫌がることなど絶対にしない。率先して汚れに行っているまである。
命を奪う行為を是とするのは、本当に辛いこと。うみどりだって、本来は奪わなくてもいいはずのカテゴリーMの命を奪い続けてきたのだ。それに至るまでにいくつもの葛藤があっただろう。むしろ、今でも苦痛に感じているまである。
深雪の悩みはそれと同じ。向ける方向が若干広いという程度。だからこそ、こんな状況で申し訳ないがと、伊豆提督は深雪とちゃんと向かい合って話す。
「どうしても私情を挟んじゃうけど、アタシはそれでいいと思ってるわ。アタシは、アタシの手が届く範囲の仲間達が傷付く方が許せない。だから、傷付ける者は容赦なく叩く。直接手を汚さないアタシが何を言っても説得力は無いと思うけれどね」
代わりに、全ての責任は自分が背負うと、艦娘には出来ないカタチでこの戦いに挑んでいる。艦娘達が何をやっても、その長である伊豆提督が全責任を負うのだ。
間違ったことには間違いだと断ずる。深雪に対してそれをしていないということは、こうやって悩み続けることは悪いことではないということに他ならない。
そんな工廠に、猛烈な勢いで大発動艇が飛び込んできた。妨害する改造深海棲艦を薙ぎ倒し、ただ一点を突き抜けてきたことで、本当に最短距離を突き進んだ。
「来てくれたのね、榛名ちゃん!」
それにすぐさま反応したのは伊豆提督。榛名が属する鎮守府に連絡を入れていたのは、他ならぬ伊豆提督。
ここまでいいタイミングで来てもらえるとは思っておらず、思わず声が大きくなった。近くにいた深雪や白雲がそれに驚いてしまうくらいに。
「怪我人を搬送しました! すぐにでも治療を!」
「任せてちょうだい!」
満潮のコントロールする大発動艇が、工廠に乗り上げんばかりの勢いで突っ込んできた。流石に大事故に繋がるような無茶はしないものの、緊急停止じみた動きによってドリフトまでしてしまっている。
乗っている怪我人は大丈夫かと心配してしまうものの、そこは子日も一緒に乗っているおかげでどうとでもなっていた。
「ハルカちゃん! 時雨ちゃんがまずいんだよぉ!」
時雨の名前が聞こえたことで、深雪も電も顔を向ける。今の作業をほっぽり出してでも、その様子を見なくてはと駆け出した。
「時雨!」
「時雨ちゃん!?」
顔を合わせることすら憚られていた深雪と電が、この場ではそんなことも忘れて大発動艇へと駆け寄った。そして、その中にいた時雨の状態を見て、言葉を失った。
腐食性の体液が付着したままとなっているため、徐々に爛れは拡がってきていた。大発動艇内でも応急処置として海水を汲み上げて洗浄することはしたのだが、如何せん時雨は体液を浴びた範囲が広すぎた。
侵蝕は簡単には抑えることが出来ず、四肢は腐り落ちようとしており、骨が見えているところも黒ずんでえげつないことになっている。艤装も殆ど機能しておらず、所々が錆なのか腐食なのかわからないくらいにボロボロ。
後始末屋だからこそこの光景でもまだ耐えられたが、慣れていない者が見たら間違いなく吐いていた。深雪や電であっても、その凄惨な状態に何も言えない。
「すぐに治療するわ! 我慢してちょうだい!」
「……待ってくれ……僕に必要なのは……治療じゃあ……ないんだ」
まだ意識を保っている時雨は、息も絶え絶えだが、伊豆提督に訴える。今こそ自分がどうされるべきかを。
治療じゃないとしたら何なのか。まさか痛みに耐えられないから殺してくれと言わないだろうなと、深雪は次の言葉を緊張しながら待つ。
「……改装……出来るんだろう……僕は」
「……ええ、練度も足りていると思うわ。駆逐艦時雨の、
「改装なら……傷も何もかも治る……深雪を見ていたから……それはわかってる。入渠よりも……その方が早い」
今の時雨は改二改装済み。だが、駆逐艦時雨にのみ許された、もう一つ向こう側の改装。『改三』の境地。
入渠だと今の傷を治すにはかなりの時間を要する。それこそ、丸一日かけても治るかわからない重傷。高速修復材を使っても、まともに戻るかもわからない腐食というダメージ。
だが改装ならば、その時間をまるまるカット出来る。どれだけ酷い傷を負っていても、その身体は新たな姿へと変えられる。
傷を治すのではなく、
「……わかったわ。今は緊急事態だもの。でも、アナタはまたあの戦いに戻ると言うのね。充分やったでしょう。休んでいてもいいのよ」
伊豆提督のそんな言葉に対して、時雨はフッと笑顔を見せた。今でも激痛が身体中を駆け抜けているというのに。
「僕は……戦わなくちゃいけない……この居場所を……うみどりを守るために……ね」
いつもの捻くれた物言いではなく、心の底から溢れた素直な言葉。それは、深雪にも電にもわかった。
「せっかく手に入れた……僕の居場所だ……こんなことで失って……堪るものか……。だから……すぐに戻れるように……改装をしてもらえるかい……
それは、時雨の覚悟。このうみどりを守るため、命を擲ってでも戦う。それだけの決意が、今の時雨からは見えた。
頼むと手を伸ばそうとして、しかし腐食によりもう自重すら支えられず、膝から先が崩れ落ちる。それも泣きたいほどの激痛だろう。しかし、時雨の決意は固い。
「わかったわ。でもその前に洗浄だけはするから、それは耐えてちょうだい」
「ああ……大丈夫だよ……ここまで来たら、何をされても変わらないさ」
「深雪ちゃん、高速修復材を貰ってきて! 電ちゃん、アナタはストレッチャーをすぐに準備!」
返事もせずに言われた通りに動き出す深雪と電。それだけ急がないと時雨はまずいということがわかるのだろう。ここで高速修復材を持ち出すというだけでも、その緊急性が理解出来る。
「レーベちゃんは洗浄して入渠させるよ!」
「ええ、お願い子日ちゃん! レーベちゃん、アナタももう心配はいらないわ。すぐに入渠してちょうだいね」
「だ…… Danke……」
Z1も時雨ほどでは無いがかなり重傷。死にはまだ遠いかもしれないが、すぐにでも入渠する必要があるくらいにはダメージが大きい。そのため、Z1はここで退場となる。
「シグレ……ごめん、ごめんね……」
「謝るのは違うさ……君がああなるのも……無理はないからね……。だったら……彼女の……マックスの分まで生きないといけないだろう……」
「……うん、そうする。シグレに救ってもらったこの命……大切に使うよ……」
Z1も痛みを堪えながら笑顔を見せた。深い拗らせはここで晴れ、時雨のお陰で元の心に戻ったと言える。
しかし、傷のせいでここで退場は否めない。こればっかりはどうにもならない。
「ハルカちゃん、高速修復材持ってきた!」
「ありがとう深雪ちゃん。時雨ちゃん、我慢してちょうだい!」
深雪から高速修復材を渡された伊豆提督は、Z1と子日を下がらせた後、洗浄するかのように大発動艇にぶち撒けた。
強引ではあるものの、最も的確な処置。少なくとも付着した体液は中和され、これ以上の腐食を抑えることが出来る。
「よし、電ちゃん!」
「な、なのです! ストレッチャーあるのです!」
ここでストレッチャーを持ってきた電が見えたことで、時雨を抱き上げた伊豆提督が即座にストレッチャーに乗せる。
「もう少しよ! 頑張って!」
「ああ……死んで堪るか……だよ」
ニッと笑って時雨は工廠の奥へと連れて行かれた。
時雨の覚悟を見た深雪は、ドクンと胸が高鳴るように感じた。