夜、夕食の時間。伊豆提督には神威の方から深雪が悪夢を見たことが報告されていたようで、食事前にとても心配そうに駆け寄った。
「深雪ちゃん、大丈夫? ドロップ艦ってそういう面があるって聞いていたけれど本当だったのね。辛かったら真っ先に言うのよ。神威ちゃんからも聞いてると思うけれど、いくらでも頼ってちょうだいね。弱音だっていくらでも吐いてもいいし、休みたかったら休んでもいいわ。深雪ちゃんの身体と心が一番大事なんだから」
手を握り締めながら訴えかけるような言葉。勢いが凄まじかったが、心配してくれていることがこれでもかというほど伝わってくるため、深雪は素直に笑顔で応える。
「わかってる。あたしはまだまだ始まったばっかりだからさ、みんなに頼らせてもらうよ。わからないことが多すぎるし、こんな言い方良くないかもしれないけど、人間ってのがまだよくわかってないと思うんだ。だから、もっといろいろ教えてほしい」
伊豆提督だけでなく、食堂にいる仲間達全員に聞こえるように言った。トラウマと向き合い、悪夢を見て、弱音を吐いたことで、自分の弱さを理解することが出来た深雪は、まず心が強くなっただろう。
ただし、それだけでは戦うことは出来ない。心だけでは戦場に立つことなんて到底無理。そのため、身体もしっかり鍛えていかなければならない。
「深雪、話していた筋トレのプランを作っておいた。寝る前や起きてからの少しの時間でも、確実に身体に効くタイプだ。欠かさずやってみてくれ」
「うす。ありがとう長門さん。毎日続けるよ」
そんな深雪にまず話しかけたのは長門。ここまで来たらもう監視も何も必要は無い。警戒も無くなった今、まずは依頼されていた筋トレのプランを提供した。部屋でも出来る簡単なモノではあるが、今の深雪には必要な地道な鍛錬。
「深雪ちゃん、この前は無理させちゃったけど、次もスタミナトレーニング待ってるよ♪」
「次は倒れるなんてことはしねぇ。ちゃんと踊り切るぜ」
続いて那珂。筋力も必要だがスタミナがなければついていけない。そのトレーニングで深雪はリタイアという悔しい経験をしている。初心者にやらせる量では無かったというのもあるが、負けず嫌いが発動していた。
「身体が出来てきたら艦娘としての訓練も必要よ。それは、私達
「おう、頼んだぜ神風。みんなも、その時になったらよろしく頼む」
そして神風を筆頭とした駆逐艦達。同じ艦種というのは最も仲が良くなるもの。教えられることも多い。深雪も頼りやすいため、気軽にやれる。
「さ、深雪ちゃんも上手く行きそうだし、冷めないうちに御飯を食べちゃいましょ。流石に豪勢にというわけにはいかないけれど、美味しく食べてちょうだいね」
これではキリが無さそうだと、伊豆提督がこの辺りで切り上げさせ、ここにいる本来の理由である夕食を勧めた。
悪夢を見た時のネガティブな感情は、仲間達と共に過ごすことで、簡単に薄れる。だからこそ、深雪はここで暮らしていける。
食事も終え、風呂も終え、自室で今日の最後の自由時間。早速、長門からもらったプランを見ながら筋トレをしていく。軽くでも効果的ということで何があるのかと思ったら、半分以上がストレッチの類。身体を柔らかくしつつ筋肉をより良好な状態にすることで、次の筋トレに備えるのだ。
「うぉぉ……い、意外とキツいな」
身体があまり柔らかくないのか、それともまだ全身の筋力が程よく付いていないのか、足を大きく開いたりすると筋がピシリと悲鳴をあげる。
だが、これを長く続ければそこが鍛えられていくのだろうと察することが出来た。
「んぐ、ぐぐぐ……」
少しだけ無理をして身体を伸ばすと、どうしても悲鳴を上げ始めるが、心地よい痛み。筋肉が解れ、伸びていることがわかる。その痛みと心地よさが、自分をより強くしているのだと思うと、さらにやる気が出てくるというもの。ネガティブが失われれば、次はポジティブに向かっていくだけだ。
「んで、なるほど、この後に腕立てと腹筋か。あ、プランクもある。時間としては30分もやってないんだな」
プラン通りに身体を動かしていくと、初めてやっているからか、少しだけ汗ばんでしまっていた。風呂に入った後にやるものではないと苦笑しつつ、このまま寝るのも気持ち悪そうだと思い、もう一度入るかと深雪は自室から出た。
今日は昨日と違って駆逐艦達の突撃はなく、自室の外の廊下も静かなもので、各々が部屋で自由な時間を満喫している。わかりやすいところで言えば、梅は先日購入した本に深く読み入っているだろうし、秋月も同じように購入した新たな手芸道具を使い込んでいるだろう。もしかしたら、もう眠っている者もいるかもしれない。
「あれ、誰か入ってんのか?」
風呂に来るまでに誰ともすれ違わなかったが、風呂場には誰かがいるような気配。駆逐艦達との裸の付き合いは毎日のようにしているが、他の者とは一緒に入ったことは殆ど無い。
むしろ、この時間から風呂に入っている者を深雪は知らなかった。この時間に部屋の外に出たこと自体が初めて。
「お邪魔しまーす……」
手早く服を脱いでそろりと風呂に入ると、湯気で見づらかったものの湯船に浸かっている者がいることがわかった。
「あら、深雪。こんな時間に来るなんて珍しいわね」
そこにいたのは加賀。他には誰もおらず、ポツンと大浴場の真ん中でまったりと風呂を楽しんでいるように見える。
「長門さんから貰った筋トレのプランをさっきやっちゃって、何も考えてなかったから汗ばんじゃったんだよね」
「そう……次はお風呂の前にするべきね」
クスリと笑みを浮かべる加賀に、深雪は
うみどりに所属することになって仲間達との交流を続けているが、加賀とこうして面と向かって話をすることは今までに無かった。むしろ、仲間達の中では最後の交流となる。だからだろうか、深雪は少しだけ緊張を感じた。加賀が持つクールな雰囲気がそれを助長している。
しかし、深雪は緊張しても怖気付くことはない。そんな加賀相手でも、ズカズカと踏み込んでいく。
「加賀さんはなんでこんな時間に?」
「私も貴女と似たようなものよ。お風呂は1回目だけれど」
つまり、風呂に入る前にトレーニングをしていたということ。
「へぇ、加賀さんも筋トレとかやってるんだ」
「貴女達とは少し違うけれど、鍛錬するに越したことはないもの」
「そっか。加賀さん空母だから、あたしらとはちょっと違うのか」
砲撃も雷撃もない空母であるため、深雪達とは鍛え方が少々変わってくる。しかし、全身を鍛えなくてはならないのは誰だって同じ。
よく見れば、加賀の身体は女性らしさが全面にありつつも、何処か引き締まっていることがわかる。ある意味、深雪が目指さなくてはならないような身体。特に両腕の筋肉は見てわかるほどに鍛えられている。
「空母ってどうやって戦ってるんだ? 艦載機を飛ばすってのは知ってるんだけど、あたしの記憶だと……ねぇ」
深雪の記憶──艦であった時の記憶では、その活躍をわからなかったりする。毎日うみどりのデッキから哨戒機を飛ばしているということはわかるが、それだけ。空母の有用性が自分とはズレた場所にあるため、簡単に理解出来ないようである。
なるほど、と加賀は一息吐いて、空母が何たるかを説明して行った。風呂に入りながらということなので、端的に。それを聞いた深雪は、目を丸くしながらもすげぇすげぇと声を上げ続ける。
「……ということよ。空母がいなければ、これからの戦いに勝利するのは難しいわ」
「上から戦場が見れるとかすげぇ。じゃあ、加賀さんが司令塔みたいなものになるのか」
「……司令塔とまではいかないけれど、少なくともある程度の指示は出すことになるわ。それに、貴女達を守ることも出来る」
こちらに空母がいるということは、あちらにも空母がいるということに他ならない。それこそ、空から爆弾が降り注ぐ海域だって作り上げられる。深海棲艦だけならまだしも、カテゴリーM、敵性艦娘にだって空母はいるのだから尚更。
それからうみどりを守るのが、加賀をはじめとする航空戦隊である。加賀、三隈、神威の3人がそこに属しており、毎日の哨戒機発艦がメイン。万が一敵に襲われるようなことがあれば、いち早くそれに気付き、先制攻撃を入れる。それ以外でも、敵艦載機の処理もしてくれるのだから、有用性は屈指。
「私は、空母加賀という
ここで深雪は気付いた。自分のように生まれながらの艦娘ではなく、元々人間で今は艦娘というタイプは、適性を得たことでここに立っていられるということに。
加賀はおそらく、たまたま加賀という艦娘の適性を得られたのだろう。そもそも適性がなければ艦娘にもなれない。そして、その艦種、艦名も選べるわけではない。ある意味、艦娘とは選ばれし者。なりたくてもなれない者だっていそうである。
「……そっか。加賀さんは元々人間なんだもんな。最初から加賀だったわけじゃない」
「ええ、ここにいる子達は全員がそうなるわ。そして、全員が自らこの艦に乗ることを選んだ」
「後始末屋になるってことをか」
加賀は首を縦に振る。ただし、すぐに少々ネガティブな言葉が続く。
「この艦を選んだのは私達の意志だけれど、
深雪もそのうち気になるのではないかと考えて、加賀が伊豆提督よりも先に釘を刺しておいた。
艦娘が元人間であることを知った深雪は、次に『何故仲間達が艦娘という道を選んだのか』と疑問に思う時が来る可能性がある。その時に、何の躊躇もなくそれを質問した場合に相手を傷つける可能性もあるのだ。
それが自分の意志ではなく、何か違うきっかけの者もいるかもしれないことを考え、艦娘である理由は聞かないというのが、艦娘間でも暗黙の了解となっている。
「わかった。誰にだって聞かれたら嫌なことってあるもんな。あたしだって艦の時のこと聞かれたら話しづらいし」
「記録としてなら、貴女のことはよく知ってるわ。でも、それに踏み込むようなことはしないし、冷やかすようなことは絶対にしない。『やられて嫌なことはやらない』というのが、人間のわかりやすい教えなの。深雪も知っておいて」
「うす、仲間を傷付けるのは違うもんな。疑問に思っても何も言わないことにするぜ」
それでいいと、加賀がまた少し微笑む。クールではあるが、内に熱いものを秘めているのが加賀であることを、こうやって話したことで深雪は理解出来た。
「でも疑問は多いと思うから、私だけは教えてあげる。艦娘になった理由」
「え、いいのか?」
「言って恥ずかしい経緯じゃないもの。私は恩返しのために艦娘になったの」
恩返しと言われてもピンと来なかった深雪だが、続いて出てくる加賀の言葉で納得出来る。
「私の母方の祖父が、第二次の深海戦争で艦娘に救われたと聞いていたの。だから、その恩を返すために、この道を選んだのよ。幸いにも私には艦娘の適性があったから。そうでなくても、艦娘に関係する仕事に携わるつもりだったわ」
「そう、なんだ。その、家族って感覚があたしにはよくわからないけど、自分の知り合いが艦娘に救われたってなら、同じとこに行きたくなるのはわかる気がする」
「今はそれでいいわ。深く知らなくてもいいから。ただ、艦娘みんなに理由があるということだけは知っておいてちょうだい。私の理由は、平均より陽の気質が強いだけ。陰の気質の理由も沢山あるから」
そう言われると、怖くて聞けなかった。加賀はこうやって話してくれたが、実は明るさの裏側にとんでもない闇を抱えている可能性があると思うと、それは覗いてはいけない深淵なのだろうと感じる。
「大丈夫。気にしないことにした。みんな自分でここにいるってことはわかったから」
「ええ、それだけでいいわ。さぁ、そろそろ出ましょうか。長話になってしまったし、逆上せたら困るわ」
艦娘になるにも理由がいる。生まれながらの艦娘である深雪には理解しづらいことではあるものの、それが簡単には触れてはいけないことであることは理解した。
人間のことを知るというのは、そういう
元人間ということは、勿論人間だった時の生活があるということになります。加賀には恩返しという理由がありましたが、さらに闇の深い理由を持つ者がいるかもしれません。