神風の悩みは深刻で、丹陽がかなり強めに忠告しても、決断が出来ずにいた。
その言葉で自分が選ぶべき道は理解しているつもりだ。しかし、神風に根付く信念が、絆を断ち切るような行為を選択するべきかを揺らがせている。
「……神風」
そんな神風に、深雪が声をかける。その言葉が神風のためになるかはわからないが、自分が思ったことを知っておいてもらうために。
対する神風は、至って自然に深雪の方に視線を向ける。迷いはあれど、決断が出来ずとも、深雪には心配をかけないようにと考えているのか、今までと同じくらいに冷静な表情。怒りも悲しみも焦りすらも感じない、普段の神風がそこにいる。
「あたしもさ、滅茶苦茶悩んでた時あったろ。神風よりは浅いかもしれないけど、ほら、相手が人間だったら殺してもいいのかってヤツ」
「ええ、勿論覚えてるわ。つい昨日までその悩みを持っていたんだもの」
「でも、今はとりあえず覚悟を決めた。そいつの命も背負ってやるって気持ちで、戦いに向かうことにした」
深雪の言葉に、神風はそうと慈しみも含まれた笑みを浮かべる。深雪が自分で悩みを乗り越えたことに安堵し、今ここで後始末屋として正しい行いをしてくれていることを喜んでいた。
もうその思いを隠そうともしていない。ここにいる者は全員が、神風の素性から深雪に向けている思いまで知っているのだから、隠す必要がない。
「割り切れたのね。それを喜んでいいのかはわからないけれど」
「まぁ……少なくとも仲間を守るために動けるようになったことは、喜んでくれて構わないよ」
ここからが本題。
「あたしさ、その覚悟が決められたの、時雨が死にかけたからなんだ」
出来損ないの自爆に巻き込まれ、腐食性の体液をモロに被ってしまったせいで、四肢が腐り落ちようとしていた時雨。その姿と、その時の本音を聞いたことで、深雪は覚悟を決めている。
時雨の本音、このうみどりは自分の居場所であり、そこを守るのだという強い意志を見たことは非常に大きかった。
だがもう一つ、深雪を動かすことがある。それが、
深雪が動いていたら、その戦いはまた違ったカタチになっていたかもしれない。時雨の重傷は無かったかもしれない。自分の中で燻る悩みで動かなかったせいで、仲間が傷つくところを目の当たりにしてしまった。
仲間を死なせたくない。その気持ちが、深雪を燃え上がらせた。悩みが完全に吹き飛んだわけではないが、悩みながらでも前に進もうとするための原動力になった。
「もう仲間にあんな目に遭ってほしくないって気持ちも、覚悟を決めるきっかけになったんだ。あたしの中で優先順位が出来たっつーか……仲間を最優先にすることにしたっつーか。敵が人間だったとしても、それが仲間を傷付けるのなら、あたしは絶対許せねぇって思えたんだよ」
仲間達を理不尽に奪われることが耐えられない。だから、覚悟を決めた。そんな後悔をしたくないから。
神風とは似て非なるモノかもしれないが、深雪は自分が前を向くことが出来たきっかけを伝えた。自分のことを娘と思ってくれている神風には、そういうところも知ってほしかったから。
「取り返しのつかないことになりかけたから前を向けたって、発破かけられたにしても大概だろ。あたしじゃない、そうなったヤツの運が良かっただけなんだ。あたしが手を伸ばせたかもしれないのに、そいつの運に頼ってんだぜ」
自嘲するように笑みを浮かべる。
「だからさ、あたしは仲間の力も借りながら、あたし自身の力を仲間に貸して、みんなで今を乗り越えてやるって決めたんだ。後悔、したくないからな」
だが、そんな笑みの中でも、その目に秘める光は、とても力強いモノだった。今の神風には眩しく感じるほどに。
「だからさ、神風も……うん、
神風は娘と思っている深雪にそれを言われたことで、また考えることになる。自分の行く末、本当にせねばならないことを。
深雪とグレカーレは当初の目的通り、丹陽に許可を貰って後始末の疲れを癒させてもらうことにした。弱みが見せられる場所で心を落ち着かせて眠ることで、悪夢からも逃げられると思って。
その逃避に関しては、誰も咎めない。生きるための逃げは恥では無い。丹陽もそう語った。
結果、ベッドを借りた途端に吸い込まれるように眠りについていた。夜通しの後始末の疲労はそれほどである。深雪はすぐさまグッスリ。グレカーレも小さく声を上げて身体を震わせていたがそのまま意識を失うように眠った。
「後始末というのは、本当に消耗が激しいんですね」
「ええ、艦娘であっても消耗は避けられないわ。戦いじゃなくても、心を消耗させる作業だから」
2人の寝顔を眺めて、丹陽も神風も穏やかな表情を浮かべる。自らをお婆ちゃんと称する丹陽と、現実に母である神風。今だけはその呼称通りの、子供を見る目をしていた。
寝たばかりだというのもあるが、悪夢のことを話していた深雪が今はそれを感じさせずに眠っているところを見られたのは良かったこと。ここから短時間ではあるが睡眠をとり、その間に何事もないことを祈る。
「この子達にも知ってもらいたいというのもあって、少しキツめに言ってしまいましたけど、私が神風さんに伝えたいことは概ねさっきの通りです」
「ええ、大丈夫。貴女の言葉も、私には響いているから」
神風の視線は深雪に向いたまま。だが、丹陽にも意識は向けている。感情としては、説教されたとしても感謝の気持ちが大きい。
このまま燻り続け、結果的に深雪を失ったら、神風はバケモノになる。それは神風自身も理解はしていたのだが、目を背けていた。
それを言葉にしてもらえたことで、嫌でもそこに目を向けることになった。今のままでは、その道に向かってしまう可能性があるのだから。
「でも、やっぱり私は大概かもしれない。貴女の言葉だって響いたけれど、最後の深雪の言葉の方が強く心に残ってるわ」
「あはは、そういうものですよ。私よりも深雪さんの方が、神風さんの心に占める割合が大きいんですから」
だとしても、神風の心に一番響いているのは、最後の深雪の言葉だった。
「私、今だとどう転がっても後悔する気がするわ。敵の絆を壊しても、
「でしょうねぇ。神風さんの悩みはそういうものですから。悩んだ時点でゴールは後悔だと思います」
「でも、多分一番後悔するのは、何が起きても動けなかったことだと思う。その後悔が、他の後悔を凌駕してるわ」
選択肢全てが後悔に塗り潰されているが、選択しないという選択が一番の後悔に繋がるだろう。おそらく全ての後悔が押し寄せてくるほど。
ならば、苦しくてもどちらかを選択するしかない。ならどちらを取るかなんて、考えずともわかる。
「私は深雪が奪われる方が辛いわ。もう二度と、
目を伏せる神風。過去の事故、家庭を失った時のことを思い出したのだろう。
愛すべき夫、そして深雪にそっくりだという愛娘が、本当に運悪く深海棲艦の放った流れ弾に巻き込まれて命を落としたときのこと。神風が壊れるきっかけとなった出来事。
その時は災害によって命を落としたという事故とされているため、仕方ないという論調すらあったのが、神風を壊した原因とも言える。
だが、今回は事故でも災害でもない人為的な悪意によって奪われる可能性があった。それは事故よりも許せない。そして、間違いなく深すぎる後悔をする。
「同じ後悔をするならば、敵の絆を断ち切る方がダメージは少ないとは思う。それでも、まだ私は踏ん切りがつかないだろうけど」
「踏ん切りをつけないと、深雪さんのように、誰かが傷ついてから選択することになりますよ。それはあまり褒められたことではありませんね」
丹陽は苦笑しているが、言っていることはやはりまだキツめ。相手が神風──誰よりも大人だから、そういうことが言える。
「母親なら、傷つく前に掬い上げないといけないわよね」
「そう思いますよ。私はお婆ちゃんですけど、母という感覚がわからないので、的確なアドバイスが出来ませんけどね」
「貴女のやってること、母親みたいなものよ。自分より歳下の子の面倒を見てるんだもの」
「そういう意味では、歳が離れ過ぎてますし、本当にお婆ちゃんですね。神風さんくらいがギリギリ子供ってくらいですか」
「あー……そうね、大体それくらいかしらね。私の母も、生きていたら貴女と同じくらいの歳かも」
世間話のようになっているが、神風の表情は神妙である。それこそ、今の選択を母に叱られているような感覚になっているようだ。見た目は神風よりも幼く見えるくらいなのだが。
「守りたいものがあるのなら、それを最優先にするべきだと思います。それこそ、信念を曲げることは必ずしも間違いではありませんから」
本当に守らねばならないものが見つかったならば、これまでの信念がその障害となるなら違えてもいいというのが丹陽の考え方である。極端に違う道に行こうとするのなら間違っているのではと疑問を持つが。
「そう言ってもらえると助かるわ」
神風はそうとしか言えなかった。
神風が丹陽の部屋から去り、残ったのは眠っている2人と、この部屋の主だけ。丹陽は改めてお茶を啜った後、小さく息を吐く。
「こうやって悩んでいる仲間達を見ると、戦えないことが本当に悔しいですねぇ……」
自分の身体のことは自分が一番わかっている。明石には艤装を装備させろとちょくちょく言ったりしているが、それが無理なことも理解している。
艤装を装備するだけで丹陽の身体は激しく消耗させられ、命をゴリゴリと削るだろう。今こうして元気に生きているだけでも、艦娘としては奇跡に近い。それもこれも、明石のメンテナンスと丹陽自身の強靭な身体のおかげではあるのだが、だとしても、奇跡には限界がある。
「でも、私がやるべきことはわかりましたね。悩める仲間達を、こうして導くことも、なかなかにやり甲斐のある仕事じゃないですか。私が救えているかはわかりませんけどね」
独りごちる丹陽の言葉は、誰にも届かなかった。深雪もグレカーレも熟睡中で、その耳には入っていない。
「……私も、後悔のない選択が出来ているでしょうか……しれぇ」
少しだけ、ほんの少しだけ憂いを帯びた表情になるが、これではいけないと軽く咳払いをした後、頬を叩いてシャンとする。
「よし、それじゃあ2人にはゆっくり眠ってもらって、私は私で出来ることをしますかね」
小さく伸びをした後、丹陽は振る舞ったお茶を片付けるために部屋を出た。
誰もが後悔しない選択をしながら生きていくしかない。それは、生きてきた年月など関係ない。
前を向けても、その燻りが取れているわけではありません。神風は完全に解決したわけではないです。