イリスの目による『迷彩』の曲解を貫く作戦を実行するため、護衛の遊撃部隊と共にデッキへ。その目には最初は何も映らなかったが、少ししてからその彩が目に入った。
「本当に見えたわ。黄の彩……カテゴリーYよ」
想定通りのカテゴリーY。それが、ゆっくりとだが遠くからこちらに向かってきているように見えると、イリスは護衛艦隊に話す。
イリスの彩の判断が出来る範囲は、その視界に入っていれば全てだ。水平線の向こうは流石に無理だが、そこに何者かがいると知覚出来る範囲にあるのなら、全ての妨害を突き抜けて彩を判断する。『迷彩』の曲解により視覚を欺く敵の力であっても関係ない。
ある意味、最強の矛と最強の盾のぶつかり合いになってしまったが、矛──つまりイリスの目が勝利を収めた。
「……私達には見えないわね」
「ああ、どれだけ目を凝らしても無理だ」
神風と長門がイリスが言う方向を見つめるのだが、やはり姿はおろか航跡すら見当たらない。本当にこちらに向かってきているとしても、その要素は何もかもが目に映らないのだ。今は居場所が遠いため、音は一旦無視するとしても、動いているのにである。
機材を欺き、カメラにも映らなければ電探やソナー、サーモグラフィーにすら反応がないのに、裸眼でもその姿を確認出来ないというと、あまりにも酷い。
真正面からやってきて、気付かれぬままに接近して、暗殺を成功させるという、今まで出てきたカテゴリーYの中でも屈指の恐ろしい能力持ちである。
「少しずつだけれど近付いてきてる。流石に警戒しているみたいね」
「あっちは見えてないってのにか?」
「デッキに堂々と特異点がいたら多少は訝しんで当然じゃないかしらね」
真正面から意気揚々と突っ込んでくることはないようである。一度姿が消せることを見せ、不安を生み出して焦燥感を植え付けた状態にしているのに、ここで艦娘数人が特異点と共に待ち構えているとなれば、警戒するに越したことはない。
とはいえ、イリス以外は欺かれているために視点がその彩にあっていない。あちらには、『夜になったからより強く警戒している』という見え方をしていると思われる。
「あちらはどういう表情をしているのかしらね。私、彩は見えるけど表情までは見えないのよ」
他の者の目には、航跡も含めてその敵がそこにいると思える事象全てが見えていない。穢れはまだ残っているものの、探照灯の光で煌めいている穏やかな海であり、誰かがそこにいるというイメージは何処にもない。
だが、イリスにはそこに彩が見える。その姿も航跡も何も見えないが、彩だけは完全に見えている。それは輪郭こそ薄ぼんやりしているものの、しっかり人型をしており、今どのような格好をしているのかは見てわかるほど。
その光の輪郭は、一部の深海棲艦が持つ尻尾のカタチも見せていた。そして、もう一つわかりやすかったのは両手に鋭利な爪のような艤装をつけていること。
そういうところから、状態は予想通り、戦標船改装棲姫であることに間違いは無さそうである。
「敵は単体か?」
「ええ、今のところは。知っていると思うけど、私の目は海の中には通らないわ。視野に入っていないから」
長門の問いにイリスはすぐ答える。これで海中にも敵がいるというのならば話が変わってくるのだが、今のところ海上の敵は、『迷彩』の曲解を持つ戦標船改装棲姫だけ。暗殺者ならば単体で攻め込んでくるのはそこまで間違ってはいない。
だが、通常の戦闘を引き起こし、その隙を突いて透明である戦標船改装棲姫がうみどりの内部に忍び込むという可能性も捨てきれない。むしろ、戦闘中に後ろから刺すことだって出来る。
通常の深海棲艦を利用して道をこじ開け、そこを強引に通ろうとする算段ならば、こちらにもやり方はある。
「妖精さんから報告……海中には敵は無し。後から来るかもしれないけれど、今は本当に単体みたい」
うみどり艦内の妖精さんには、見えない敵以外を注視してもらっている。報告もイリスにはすぐに届くように最初から手配済み。
流石に戦標船改装棲姫以外に迷彩の効果は及ぼさないと思われるため、そちらは電探やソナーでどうとでもなる。そこから、今は何もいないと言うのならば何もいないと考えた。
「でも、前にステルスの潜水艦がいたわよね」
「……そうね。ソナーだけは完全に回避する潜水艦。こればっかりは、うみどりとしてはお手上げに近いわ」
あの時は伊203が始末したものの、今それが出てこられても厄介である。出撃を制限せざるを得ない状態でそれを出されると、無防備なうみどりが一方的に魚雷の餌食になりかねない、
「少し通信するわ。目は外に向けておくけど、いいわよね」
「そんなの、聞かなくてもイリスが自由にやってちょうだい。私達は貴女頼りだもの。いわば、
「私は艦娘じゃないのだけれどね。でも、ありがとう。ならいろいろ手を回すわ」
神風に旗艦と言われてしまったら、イリスもそのように立ち回るしかない。人間である自分が役に立てるのは、そういうところだ。
「ハルカ、念のため潜水艦の子達を出撃させてちょうだい。敵は戦標船改装棲姫だから、対潜はそこまで考えなくてもいいわ。むしろ、うみどりが直接狙われる可能性を潰した方がいい。前みたいなステルスの潜水艦を出されると、手も足も出ないわよ」
伊203ならば、ソナーで探知出来ない潜水棲姫も探し当ててしまう。そのため、いたとしたらそこを叩くべき。
今はじっとしていることを強要されているということもあり、一度ここで発散させるという意味でも、出撃させてもいいと考えた。
すると、デッキにいてもわかるくらいに工廠の門が開く音がした。いつものように全開にするわけではなく、艦娘が出撃出来るくらいに薄く。
そこから、うみどりにいる潜水艦達が全員出撃していく。伊203は、溜め込んだ鬱憤を晴らすかの如く、勢いよく。これでうみどり自体の危険性は少しは減る。
「カテゴリーYは少しずつ近付いてきてる。狙いはうみどり一本みたいね。おおわしにも、あっちの貨物船にも向かうことは考えていないみたいよ」
ここにいる者達から見えていないのならば、特異点一点狙いで行動するのもおかしくはない。周りを始末して焦らせるというのもあるかもしれないが、そちらはどちらかといえば目的外。
むしろ、うみどり以外を脅威と思っていないのかもしれない。貨物船は言うまでもなく、おおわしも特殊なカテゴリーの者が所属しているわけではない。無視して後から始末することも容易だと考えてもおかしくはない。
「海の真ん中からこちらを見ているわね。見えていないことをいいことに」
そう言われても、その姿が影もカタチも無いのだから、誰もピンと来ない。あちらはあちらで、やはり完全な迷彩を持っていることに自信があるのか、隠れ潜むようなことをしないでいた。海の真ん中で、しかも残骸もほとんど後始末した後の今、隠れるような場所はないのだが。
探照灯で照らされているはずなのだが、やはり影すら出来ていなかった。実際は出来ているのだろうが、迷彩により完全に欺かれている。イリスにも、彩は見えても姿と影は見えていないのだから、視覚にしっかりと作用しているのは間違いない。
誰もが見当違いの場所を見ていることをほくそ笑んでいるのか、それともそこに何人もいることを訝しんでいるのか、戦標船改装棲姫の動きは一時的にそこで止まっている。攻撃の様子は未だ無い。
しかし、ここで動き出した。
「艦載機を使おうとしているわ。顔の向きからして、狙いはこちらね。対空砲火の準備を」
「あいよ。それはあたし達の出番だ」
冷静に話すものの、ここで探照灯を破壊されるのは厄介だ。光というよりは、その熱量が失われることで、よりうみどりの近くまで来られるようになるということ。
そう見せかけてデッキを直接狙ってくる可能性もあるため、対空砲火は出来るようにする必要はある。これはしっかり小回りの利く駆逐艦達の仕事。深雪を筆頭に、イリスを守るためにそういった装備は欠かしていない。
「艦載機にも迷彩はあるのです?」
「発艦されてみないとわからないわ。でも、発艦されたら言うから。見えたらしっかり狙って、
「なのです!」
守るための戦いならば、電も躊躇なんてしない。キッと空を睨むように見つめ、いつでも来いと言わんばかりに対空砲を構える。
「来た。発艦した」
発艦した直後は何も見えない。恐ろしいことに音すら聞こえない。波すら立たなかった。
艦載機は目視出来ない。だが、淡くではあるが
「見えた……!」
ある境界を越えたところで艦載機が目に見えるようになった。急に出てきたと錯覚するそれは、普通ならば混乱を招く攻撃。発艦の音すら無いのだから、普通ならばそれだけで慌てふためく。
だが、その発艦のタイミングまでしっかり見えているのだから、対策は可能である。
「対空砲火、撃つのです!」
ここで真っ先に動いたのは電。イリスを守るため、深雪を守るため、艦載機からの攻撃は絶対にやらせないという意気込みで、一斉射撃を開始。それに合わせて、深雪と暁も対空砲火を開始した。やる気満々の電に驚きつつも、その意気を汲んで。
その対空砲火は完璧と言ってもいいほどに正確。爆撃や射撃をさせる間も無く、上から降ってくる残骸すらもデッキに落ちないように考慮され、そのことごとくを綺麗に片付けていく。
しかし、それを陽動として使っていたか、デッキは無傷ではあったが、うみどりの探照灯が次々と破壊されていく。衝撃はそこそこではあるのだが、暗い海を照らす光が一つ、また一つと消されていき、最終的には暗闇へと変貌。
ただでさえ裸眼でも見えない敵が、暗闇で余計に見えなくなる。夜目が利く者であっても、先程まで明るかった場所が暗くなったら、目が慣れるまでには少しは時間がかかるもの。
「探照灯を破壊された。だがこれは……」
「デッキに登ると言っているようなものでしょ」
長門は拳を握り締め、神風は刀に手をかける。いつ登ってこられてもいいように、いつでも攻撃が繰り出せるように。
探照灯が破壊された今、その側面は急速に冷やされようとしている。近付くことすら出来ない程の熱量は、あっという間に消えていく。
「川内さん、どうですぅ?」
「こりゃあちょっと怖いね。気配すら掴めないなんて」
綾波の問いに、川内は少々昂揚したような声色で答えた。互いにコンバットナイフとクナイをしっかりと握り、敵の接近を待ち構える。
「近付いてきてるわ。まだ警戒はしているみたいだけれど、ここが攻め時と判断したようね」
イリスが逐一その状況を伝える。頭上から艦載機の破片が降ってくるにもかかわらず、何も気にしていないかのように無視して。大きな破片は流石に当たらないようにしてくれているが、そうでなければ汚れることも厭わない。
これが戦場なのかと実感しながら、震える脚をどうにか止めて、敵の場所を常に見続けた。
そして──
「跳んだわ。デッキに登るつもりよ!」
その彩は、大きくしゃがんだかと思った瞬間に高く跳ぶ。よじ登るようなことすらせずにデッキへと侵入する気でいる。
「くそ、見えんのは厳しいな!」
「着地を狙いたいところだけれど、跳んだ瞬間が見えなかったわね……!」
長門や神風にも見えなかったそれは、イリスの目にしか映っていない。対空砲火で迎撃したくも、その場所がわからなければ乱射するしかない。それなのに、艦載機はまだ上空に
そうこうしている内に、戦標船改装棲姫はデッキの真ん中に降り立った。艤装を装備しているのだから、その時点で結構な音が立ってもおかしくないのに、さも当然のように無音で、振動すらさせず。
「入ってきたわ! 神風の右斜め後ろ!」
「っ!」
イリスの指示により瞬時に動いた神風は、一切の躊躇なく刀を抜き、居合の要領で振るった。
しかし、残念ながらその剣線は空を切る。見えていないのだから距離感は掴めず、如何に達人であっても簡単には対応出来ない。
ついに侵入してきた戦標船改装棲姫。イリスを守りながら戦わねばならない状況に、どう対処するか。