深雪の煙幕によって『迷彩』の曲解を打破したことで、戦標船改装棲姫を撃破することに成功。上半身と下半身がお別れをした挙句、かち上げられた上半身は見事に深雪の砲撃によってカケラも残さず消滅した。
上半身──というよりは、命を司る心臓と、思考を司る脳が纏めて消えたことによって、『迷彩』の曲解は完全に解除され、これまでも見えなかった下半身が姿を現すことになる。しかし、未だ深雪の煙幕はデッキを包み込んでいる状態。そもそも姿が見えるようになっていても、煙のせいで視認は出来ない。でも何が何処にあるかは手に取るようにわかるという不思議な状態である。
「深雪、残ってる下半身の方、ちょっと注意して」
そんなことを言い出したのは暁。ここまでずっと集中し続けており、戦闘が終わったから気が抜けるというところではあったのだが、まだ集中力は途切れさせていなかった。
確かに命を奪うことはしたものの、下半身はまだ残っているのだ。それが何かしでかしたりしようモノなら、勝ちが負けに反転。先程立場を逆転させたのに、またもやあちらが有利になってしまう。
深海鶴棲姫のような前例があるからこそ、死んだと思っても最後まで気を抜くことは出来なかった。ただでさえバケモノの頭が尻尾の先端にはついているのだから、そこにも意思があるなんて言われてもそんなバカなとは言えない。
戦標船改装棲姫に深雪がトドメを刺すまで、暁は上半身の行方ではなく、下半身を注視していた。何せ、こちらにはあの尻尾が接続されたままなのだ。
これまで見えてはいなくとも、それがそこにあることがわかるようになったならば、その動向は見届けねばならない。それこそ、本当に息の根が止まるまでは何をしてきてもおかしくないのだから。
「今んところ、ただの下半身だよな。なんかこの煙幕のお陰で何処にあるかはわかんだけど」
「なのです。細かいモノもカタチまでわかるのです」
非常に不思議な感覚なのだが、これに関しては全員受け入れている。見えないモノが見えるようになったのは、この戦闘では非常に有用だった。
「これも上半身と同じように上に放り投げて、深雪に消し飛ばしてもらうのが手っ取り早いかな」
川内も尻尾の動向には細心の注意を払いながら近付く。神風と綾波も臨戦態勢は解かず、何をされても攻撃出来るように構えていた。
何もないのなら、このまま工廠まで運んでいつもの残骸と同じように処理をするだけ。だとしても、このままだと持ち運びに苦しいため、刻むなりなんなりしないといけないかもしれない。せめて尻尾だけは外しておいた方が良さそうではある。
「そうなってからは、今のところ動いてないし
暁が冷静に告げる。今一番怖いのは、尻尾の
戦標船改装棲姫の尻尾は、他にもよくいる深海棲艦と同様に、先端がバケモノの頭になっている。甲板を上顎として、その下に下顎が生えているような奇妙なデザイン。
同じようなデザインをした尻尾を持っている戦艦レ級は、口から魚雷や艦載機が吐き出されるなんてこともあったため、その奥は格納庫か何かになっている可能性がある。
そうだとして何を恐れているかと言えば、勿論、深海忌雷の存在。終わったと気が緩んだ状態で尻尾に近付いたところ、口から現れた忌雷に寄生されて次の戦いが開始、なんてことがあったら目も当てられない。
暁が注視し続けていたので、中から何か出てきた、みたいなことは今のところ起きていないようである。知らない間に既に出てきていて、うみどりの中を駆けずり回っているなんてことも起きてはいないことは確認済み。
「彩としてはもう見えなくなっているわ。息をしているわけではないと思う」
イリスが言うには、それ自体がもう命としてカウントされていないため、彩は見えなくなっているらしい。息をしている上半身と離れた時点で、下半身は生物ではなく物として扱われてしまっているようだ。
そこからわかることは、尻尾が自律行動をするようなことはないということ。下半身だけでズルズル動くなんてホラーなことにはならない。
しかし、それは表面上、見えている部分だけだ。イリスの目は、視界に入ることが前提条件。
「とりあえず脚側を持って放り投げる。何かあったらすぐに放すから言ってね」
慎重に慎重を重ねながら、川内が戦標船改装棲姫の下半身に近付いた。近くに何者かが接近したら反応するということもあり得る。少なくともグレカーレに寄生したタイプはそういうタイプだった。
戦標船改装棲姫が懐に隠し持っていたモノは、放り投げて初めて活性化するタイプだったようだが、こちらは何かがわからない。そもそもあるかもわからないのだが。
「よし、脚持ったよ」
川内が脚に触れたことで尻尾は動き出すということもなく、無事に掴むことが出来た。
しかしその瞬間、
「川内さん離れて!」
暁が叫んだことで川内はすぐさま脚を放してバックステップ。案の定、その尻尾の口から深海忌雷が現れたのだ。おそらく、脚に触れられたことに反応して表に出てきたと思われる。
数にして3体。戦闘中に戦標船改装棲姫が綾波に向けて投げつけたモノと同じ、パチンコ玉ほどのサイズ。今は深雪の煙幕が蔓延している状態であるため、その小さな侵略者の存在は誰もが手に取るようにわかった。むしろ、手に取っているかのような感覚まである。
「うわ、本当にいるじゃんさ。尻尾側近付いてたらアウトだったんじゃない?」
「とりあえず始末しますねぇ」
綾波がすぐに1体はコンバットナイフで両断。出てきたばかりで活性化しているわけでもなく、尻尾の口の辺りを彷徨いただけだったため、攻撃を避けるようなこともしていない。
残り2体も、そこで蠢いているのみ。近くに綾波がいるのに察知することが出来ておらず、だからといって別の場所に移動しようともしない。本能的に動くような、目も鼻も耳も無いような生物なのに、深雪の煙幕に翻弄されているかのようだった。
深雪が特に嫌っているのがこの忌雷だ。煙幕の効果が呪いによって攻撃的になっているのならば、それを持っているカテゴリーY以上に、この忌雷に対して効果的なのは明らかである。
結果として、煙幕によって忌雷はその機能を全く活かすことなく、始末されることとなった。綾波が1つずつ念入りに刻み、ご丁寧に尻尾の中に戻してやりつつ、その口を開かないように固定。二度と出てくるなと言わんばかりにした後、川内が改めて脚を持ち、上へと放り投げる。
「これで本当に終わりでいいんだよな」
その下半身も深雪の砲撃によって消し飛ばされる。これによって、戦標船改装棲姫は影すら残さずこの世界から消滅した。
戦闘が終了したと自覚出来たことで、深雪の放った煙幕は一気に晴れた。戦標船改装棲姫が暴れたことによって破壊されてしまったデッキが、夜の闇の中でも嫌というほどわかってしまう。尻尾の叩きつけによって大きく凹み、ヒビすら入っている床は、艦載機の爆発も相まって、煤だらけになっているところもある。
憩いの場でもあったこの場所すら破壊されたことで、深雪は大きく溜息を吐いた。
「やりたい放題しやがって……」
「なのです……滅茶苦茶にしたのに、片付けもしないなんて酷いのです」
後始末屋として一番気に入らないのはそこである。勝手に攻め込んできて、やりたい放題した後、この荒らされた現場を片付けることもしないこと。返り討ちにしているのはうみどり側かもしれないが、せっかく綺麗にしてあった場所をわざわざ汚しに来られることが気分が悪い。
これに関しては深雪だけでなく電も嫌な気分になっている。掃除した場所を汚すだけ汚して、悪びれることがない相手なんて、いくら優しい電であっても明確に嫌いと言えるタイプだ。
「深雪のおかげで穢れ自体はここにはないわ。デッキはすぐに修復も出来るから、今は気にしちゃダメよ」
イリスが宥めるように話す。壊れたデッキは軍港に向かえば割と簡単に直せるとのこと。それはホッとした。
「怪我人がいたらすぐにドックに入ってちょうだい。長門、貴女相当無茶したわよね」
「無茶かどうかはわからないが、暁は無傷だ。ならば問題ない」
今この場で最も傷を負っているのは、艦載機の爆破から暁を守り続けた長門である。飛び交う艦載機を拳で叩き落としては爆発させ、暁の視界をなるべく遮らないように、そして傷は絶対に負わさないようにと奮闘した結果、両腕共にボロボロ。身体にも火傷を負っているような有様だ。代わりに暁は全くの無傷であるため、長門としては名誉の傷だと誇らしげである。
とはいえ、これは間違いなく入渠が必要な傷。長門はここでドック入りが決定。
「ごめんなさいね、私もかなりキツいわ」
神風は傷こそ負っていないが消耗がかなり激しい。忌雷をどうにかするために放った神業のような技によって、ガタが来ていることを自覚している。見た目はピンピンしていそうなのだが、虚勢にも見えた。
「深雪、貴女も入渠はしておくこと。あの煙幕を出した後、すごく消耗するでしょう?」
「あ、ああ、確かにそうだな。自分ではまだ大丈夫だと思っていても、割と長いこと寝ちまうし」
煙幕こそ晴れたが、このデッキの上を包み込み、全員に対して見えないモノが見えるようになったことから、相当な力を消費していると考えられる。深雪自身は別に疲労もガタも感じないものの、精神的な部分は後から何が起きるかわからない。一眠りした後に起きられないなんてことだってあり得る。
「よし、それじゃあこの戦いはこれで終わりよ。すぐに休んでちょうだい」
イリスの最後の号令で、全員デッキから撤収。この場所の後始末は後日ということになる。
とはいえ、そのままにしておいて何かあっても困るため、この後は空母隊にデッキに満遍なく清浄化の薬剤を撒いてもらうつもりである。穢れが無いとは言ったものの、それは海上のようにわかりやすく目に見えているわけではないだけ。何が起きてもおかしくないために、やれることはやっておく。
「……これからは、私も裸眼で海を見ていかないとダメね」
今回の戦いで得た教訓は、敵の慢心があったこともあり、こうやって対策が出来ているだけということ。
見えない敵だなんて意味がわからないモノが出されてしまったため、これからの周辺警戒は映像だけではもう信用が出来ない。イリスが定期的にデッキに上がり、うみどりの周囲を確認するという仕事も必要になるだろう。
こればっかりは誰も手伝えない、妖精さんの力を宿してしまった一般人、イリスにしか出来ない仕事。
「こんなことでも、みんなの役に立つなら、喜んでやりましょうか。私も、うみどりの一員なんだから」
クスリと笑ってイリスもデッキから撤収した。
姿が見えない敵との戦いは、これで幕を下ろす。今回も勝つことは出来たのだが、敵の脅威はまだまだ衰えない。
深雪の煙幕は無意識に進化。敵味方区別化という最大の利点を手に入れたことで、より強力無比な力となりますが、相変わらず自らトリガーが引けません。