空き家で待機していた深雪達は、戻ってきた伊203から軍港都市内で起きていることを全て聞いた。
周囲を見て回っているだけでも、伊26、子日、Z1が犠牲になっており、既に姿形は元に戻っているが量産化済み。敵対状態となっている。おそらくはここからまた数を増やし、ここにいる者以外は全員が敵対する可能性すらある。
それを聞いた深雪は、歯を食いしばるような表情を見せた。電も泣きそうな表情になるが、気を落ち着かせるために深雪の握った拳に手を置く。
仲間達が次々と餌食になっていくのは聞いているだけでも辛い。睦月と酒匂に至っては、変貌する一部始終を目の前で見せつけられている。余計に悔しさに襲われる。
「梅と秋月を探している仲間達を、あちらも総出で奪ってきてる。……私は、ただ見ていることしか……出来なかった」
伊203が珍しい表情を見せた。いつも淡々と事をこなすのに、今だけは人間らしい感情も表に出している。落ち着ける場所に戻ってきたからか、いつもの力強さが鳴りを潜め、手が震えているほどだった。
トラウマを刺激されてしまっているかのような反応。そのためか、事情を知る神風が伊203を抱き締め、背中を撫でながら温もりを与えていた。それこそ、子供をあやす母のように。
何も出来なかった自分を悔いるように震える伊203の気持ちを考えると、深雪達は何も声をかけることが出来なかった。
最速最善を選んだ結果、既にその犠牲になろうとしている者は、
心を殺して伊203はその場を後にしたのだ。だから、それを責めるなんてことは絶対に出来ない。ここにいる者のために、伊203はたった一人、悪を演じたに過ぎない。
「ハルカちゃんに追加で連絡する。敵の手に堕ちている子達が次々と増えてること、ここにいる子達以外は……
そんな言葉を使うことも苦しい。だが、事実だから仕方ない。隠していても話が進まないなら、嫌な言葉でも正しく発言して、全員と共有する。
信用出来ない。その言葉は、ここにいる者全ての心を深く抉る。仕方ないとはいえ、一番信用出来る者を信用してはならないというのは、辛く厳しい。顔を見たとしてもまず警戒。絶対に隙は作れない。もしまだ量産化を施されていないにしても、その証拠が無い以上、それを信じ切ることは不可能だ。
敵のやり方のあくどさを嫌というほど痛感する。こうしている間にも、仲間は次々と量産化されているかもしれないと思うと、心が張り裂けそうだった。
鎮守府への連絡は神風がしており、その間もここからどう出て鎮守府に向かうかを相談している。この時間を伊203は落ち着きを取り戻すことに使い、連絡が終わった辺りでようやくいつもの通りに戻ることが出来た。
周囲の確認の際に見てきたことは、伊203にとっては本当に辛いこと。心が抉られた感覚から立ち直るためには、如何に伊203といえど時間はかかってしまった。
「ごめん、待たせた」
「いや、構わねぇよ……嫌なモン見てきたんだもんな」
「……遅いのは嫌いだけど……間に合わないのが一番嫌い。
口にしてから、伊203がハッとした表情を浮かべた。本来ならこんなことを言うことはないのに、疲弊した心の中では、その歯止めが利かなくなってしまっていたらしい。言わなくてもいいことを言ってしまって、少し表情が濁る。泣き言を言ってしまったと後悔し、しかし吐いた言葉は呑み込めない。
「……フーミィ、あたし達は聞かなかったことにする」
たった一言、深雪がそれだけ伝えた。意味深な発言ではあったが、それについて深く聞くようなことはしない。それが暗黙の了解だからである。
艦娘になった理由を聞くのはやめた方がいいと言われ、深雪はそれを忠実に守り続けている。人には聞かれたくないことは沢山あるだろう。自分にだってあるのだから。聞かれたくないことを聞かれないのだから、自分も同じようにしているだけ。
「いい、話す。変に気になって遅くなっても困る」
だが、伊203は自分でもスッキリするために、ここで話すことを選択した。今はそんな時間があるとは到底思えないのだが、お互いにモヤモヤした状態で動くと、最終的に遅くなると思ったから。
とはいえ、詳細まで完璧に話すつもりはないようで、そこも速さを求めている。あくまでも知ってもらうというだけ。
「私は昔、救命医療チームの1人だったの」
見た目はこれでも、伊203もそれなりに歳を取っている者。神風ほどではなくても、うみどりの面々は大体が歳下。
伊203が人としてその仕事を務めていたのは、今から10年前。まさに第三次深海戦争の初頭。それまでも海難事故扱いだった深海棲艦が、突如増加し、人間を襲い始めた頃。救命医療チームの仕事は急激に増え、手が回らないほどになってしまっていた。
その頃の彼女は、今ほどスピード狂では無かったものの、救える命を救うため、迅速に行動することを心掛けていた、新進気鋭のチームの一員だった。しかし、現実は非情かな、戦争ともなると被害者は増える一方。救いたくても救えない者も多くおり、その都度苦しい思いをすることになる。
特に当時は、第三次深海戦争の黎明期。カテゴリーCのみでの海戦を余儀なくされたことで、苦戦も強いられることが多くあった。そうなるとどうなるか──一般市民が害を被る。沿岸の都市は悲惨な状態になり、死傷者は増える一方。その時に助かったとしても、救うことが出来なかった者も沢山いる。
「私はその時から、ずっと心を擦り減らしていた。でも、出来ることをやるんだって、躍起になってた。そのためにその職についてたんだから」
「……すげぇよフーミィ」
「すごくない。だって、結局私はそれで
だが、悪い意味での転機が来てしまった。それが、また間に合わずに救えなかった者の中に、自分の知っている顔を見てしまったから。
「……もし間に合っていたら、命が救えていたかもしれない中に、私の……
「彼……って、まさか」
「当時、私には
それがきっかけで、完全に心が壊れた。本人はそう語る。そして、一番許せないのは深海棲艦ではなく自分と考えてしまったことによって、自分を痛めつけるように鍛えてしまった。
ここからは神風と殆ど同じになる。救えないものを無くすために鍛えて鍛えて鍛え続けた。出来ることは全てやった。そこで生まれた間に合わせるという一念から生まれた速さ至上主義。それを全て出来てしまうくらいの人智を超えた力。
心は壊れ、尚も擦り潰し、しかし前に進むことを諦めない。それによって伊203は、素早く、力強く、全てを踏破する力を手に入れた。邪魔なモノはその手で薙ぎ倒し、救えるモノには手を差し伸べる、優しくも厳しい力を。
深雪達は言葉も無かった。スキャンプですら何も言えなかった。伊203の壮絶な過去を知り、どんな顔をしたらいいのかわからなくなった。
神風は伊203の気持ちを最も理解出来る者。愛する者を失い、心を壊した者として、その苦しみを思い出していた。
「艦娘になれば、もっと間に合う、命を落とす前に、それを対処出来る。そんなに速いことはないでしょ。しかも、後始末屋はその対処すらも事前に対処する。
速さ至上主義ならば、後始末屋の重要性は理解出来た。市民の被害を事前に対処するのが海戦による深海棲艦の殲滅ならば、後始末屋はその海戦そのものを今後引き起こさなくする最速の仕事。
「だから、もう犠牲者を出したくない。出したくないけど、こうしてる間にも、みんながあんなことになってるかもしれないと思うと……すごく悔しい」
いつも淡々としている伊203にしては珍しく、明らかに感情を出している顔。今回の事件は、伊203にとって苦痛でしかない。救えるはずなのに、それを見ているしかなかったことが、吐き気がするほど苦しい。
だが、神風のおかげで落ち着きを取り戻し、自分のことを知ってもらったことで幾分かスッキリした。これならまだ戦える。
「聞いてくれてありがとう。私から話し始めたことだから、私が言えた話じゃないけど、あまりジッとしていられない。時間をかければかけるほど、あっちが有利になる。私達はまず、鎮守府に戻った方がいい」
「んなら、もう一度外を見ておくか。誰もいなかったらここから出るんだろ」
珍しくスキャンプが動いた。伊203の話を聞いたことで同情心が湧いたか、今ここで外で誰かが量産化を受けている風景が繰り広げられていたらまたショックを受けるだろうと自分が外を見る役を引き受ける。
「テメェにまたさっきみたいになられても困るからな。今は落ち着いとけ」
うみどりでの生活、そして苦手だったはずの海防艦との行動で、最初よりも相当落ち着きを取り戻しているスキャンプは、こういう時にも気遣いが出来るくらいにはなっていた。
荒んでいても、スキャンプは艦娘。人類を守るために生まれた純粋種だ。心にゆとりが出来れば、伊203のことを考えて行動に移すことが出来る。同じ艦種として、共に海中を泳いで仕事をした仲というのもあり、他の艦娘よりは仲もいい。
窓にゆっくりと近付き、こそっと外を見る。先程伊203が見かけた一般市民の女性はその場から離れており、今目の前の路地には誰もいないことがわかった。
「よし、今は誰もいねぇ。ここから出るなら、今──」
窓から目を離し、状況を話すために振り向いたその時だった。
「見ぃつけた」
窓ガラスを叩き割り、何者かの手が伸びてきたかと思いきや、その爪がスキャンプの首を捉えていた。
「なっ!?」
「屋根の上からこんばんはー。子日だよ♪」
確かに路地にはいなかった。しかし、先程伊203が登った屋根の上に、既に子日が上がっていたのである。量産を受けたことによって、元々あった身体能力が向上したか、伊203と同様にアクロバティックな行動で深雪達を探し出していたのだ。今は上半身だけが逆さまに窓の外に見えている状態。
「くっ、あ、あぁあっ……っ」
子日の爪はしっかりとスキャンプの首に突き刺さっている。つまり、目の前で量産化が行われているということに他ならない。
険しかったスキャンプの表情が、徐々に恍惚に染まっていく。ビクンビクンと震えているのもわかる。
「っ……逃げるよ」
こうなってしまったら助けられない。伊203が主導となって、ここから全員が脱出するために空家の一階へ向かう。どうしても狭いため、一気に離れることは出来ない。今回も神風が
「っおぉお……おっ」
大きく震えると同時にのけぞるように身体を強ばらせたスキャンプは、そのまま姿を変えていく。
水着ではなく私服に近い制服だったスキャンプも、米駆逐棲姫と同様の黒のトップスとビキニショーツ姿に。そして、オーバーニーソックスが出来上がったことで、力が抜けた。叩き割った窓から中に入った子日がそれをしっかり支える。
その時には、窓を突き破った際に傷付いていた腕も何も無かったように綺麗になっていた。量産化を施されたことで、自己修復の能力も引き継いでいるようである。
「量産化完了。スキャンプちゃん、お疲れ様」
「っくふぅ……んだよ、気分いいじゃねぇか。姉貴のおかげってかぁ?」
目を開くと、やはりその瞳は青く輝いている。最後に残った神風を見ると、舌なめずりをしながら鼻で笑った。
「カミカゼ、テメェもこっち来いよ。あんなクソを救ったところでどうにもなんねぇぞ」
そんな言葉は聞く耳持たず、神風は既に構えた後。相手が仲間だった子日やスキャンプであろうが関係ない。今はみんなを逃がすためにも、殺さない程度に一撃をぶつける。
「黙ってここから出て行きなさい」
ダンと強烈な踏み込みと同時に、鉄の棒を思い切り振るった。道でも突風が吹き荒れるその居合を室内で繰り出したのだから、その威力はより強くなる。
壁が吹き飛ぶのではないかと思えるくらいの風に、子日もスキャンプも壁に叩きつけられる程の衝撃を受ける。
「っがっ!?」
「痛たた……流石神風ちゃんだなぁ」
体勢を整えるうちに神風は撤退完了。空き家からは全員が抜け出すことが出来た。
「ネノヒ、アイツら逃がしちまったぞ。どうすんだよ」
「んー、まぁ多分大丈夫。子日もここにいるんじゃないかって教えてもらったタイプだし、逃げられることも想定済み。確実に1人こちらに来てもらうのが目的みたいなものだからね」
「抜け目ねぇなぁ。で、妹になれたのがあたいってことか。Thanks」
「うん、じゃあ、お姉ちゃんのために頑張ろうね」
「ああ、姉貴のためにな」