伊203の過去を知り、もう悔しい思いをさせたくないと思ったのも束の間、屋根の上に忍び寄っていた子日の手によって、スキャンプも犠牲になってしまった。
悔しさを背に空き家を後にする深雪達だが、その表情は険しい。先陣を切る伊203は、もう隠すことなく悔しそうな顔をしていた。
「くそっ……スキャンプまで……!」
「振り返っちゃダメだよ。あんなの、予想出来なかったもん」
悔しがる深雪に、グレカーレも声を震わせた。グレカーレからしたら、潜水艦時代から問題児と括られて共につるんでいた、いわば友人。あんな恐ろしいタイミングで現れ、目の前で変化させられる姿を見たら、いくらグレカーレでも悔しい気持ちでいっぱいになる。
だが、気丈に振る舞い、今を打破するために思考を巡らせる。誰が何をすれば一番上手く行くか。
「神風、ついてこれてる?」
「時間稼ぎはしたわ。そのまま駆け抜けるわよ」
空き家で一押しした神風は、その名の通り神風の如く駆け抜け、先に撤退している深雪達に追いついていた。勿論背後にも気を配り、今はもう上からの奇襲にも対応するために警戒を強めている。
伊203が屋根の上に登れたのだから、他の者も出来ると考えなければいけなかった。特に子日は非常に身軽。これからも道ではなく屋根の上を伝ってくると考えた方がいい。
こうなると、空き家に入ることも安全とは言い切れなくなった。何処も隠れようがないと言える。ならばやらねばならないのは、もう1択。
「鎮守府に戻るよ」
選択肢としては、このまま敵の本拠地に向かうというのもあるのだが、米駆逐棲姫を直接叩くにしても、今の状況なら間違いなく誰かしらを隣に置いている。一般市民だけでなく、うみどりの面々を複数人。それこそ、最初に量産化された梅と秋月は戻っていてもおかしくない。それを、艤装も対策も無しに向かうのは、リスクが大きすぎる。
ならば鎮守府に戻る方がリスクは低いだろう。その行動自体はあちら側でも考えることであり、全ての道を誰かしらが封じていると考えられるし、1人で全員を止められるわけがないのだから、それこそ複数人がそこに配置される。そして、道を封じるために、まだ未知の何者かが既に量産化を受けている可能性がある。
どちらを選択するかと言われたら、答えは明白ではある。今後のために力を手に入れること。それが出来るのは鎮守府だ。あちらはあちらで準備をしてくれているため、辿り着ければ状況は変えられる。量産化された者達を跳ね飛ばす力も手に入るし、米駆逐棲姫を斃す手段も手に入る。
「確かに、隠れられないならそこしかないか」
「蛇行するかもしれないけど、確実に近付く」
真っ直ぐ最短距離を突き進むのはかなり危険であろう。なら、路地裏をいくつも経由しながら、確実に鎮守府に近付くべき。流石に鎮守府の真正面で待ち構えているなんてことはないだろう。何せ、未だに伊豆提督やイリスがそこにいるはずなのだから。
ただし、路地裏に入るということは、奇襲に遭う可能性も高くなるということ。子日のようなことが出来る者が他にもあちら側に行ってしまっている場合、何処もかしこも危険。特に上から来られた場合、事前に知らなければ間違いなく1人やられる。
だからこそ、神風はこうして走っている間も360度全てに神経を研ぎ澄ましていた。先程のような不意打ちを喰らうわけにはもう行かない。スキャンプのような犠牲はもう出せない。
「深雪、走りながらだけど、ハルカちゃんに連絡して」
「わ、わかった!」
神風の指示を受け、すぐさま端末を操作。すぐに連絡を入れる。
『深雪ちゃんね。何があった?』
「悪い、今走ってる! スキャンプもやられた!」
端末の向こう側で息を呑む音が聞こえた。伊豆提督も度重なる仲間の被害に怒り心頭の様子。
そこから連絡されたことで伊豆提督は即座に今しなければならないことを割り出した。鎮守府はまだ安全。あちらでもいろいろと調査をしているが、それ以上に深雪の安全を確保するために動く必要がある。それも現在行動中。
『深雪ちゃん、今どうしようとしてる?』
「鎮守府に向かいたい! でも、場所はなんとも言えない! 真っ直ぐ向かってるとも言えない!」
『わかった。じゃあ、危ないかもしれないけれど、なるべく
あくまでも冷静に、深雪達の行動を指示する。隠れ潜むことなく、大きな道を突っ切るようにしているのは、あちらにも何か策があるからということだろう。
「っし、なるべく大通り! 目立つかもしれねぇけど、何か策があるみたいだ! 行くぞ!」
まだ望みがある。ならば、それを確実に掴む。鎮守府側でも何かしらの準備をしてくれているのだから、それに縋る。
「あれ、鎮守府に戻るのかい?」
だが、路地裏に入らないようにするということは、それなりに大きな、見晴らしのいい道を走ることになる。つまりは目立つ。
そこを狙われないわけがないのだが、案の定妨害が入る。
「……お前はまだ正気か? 時雨」
目の前に現れたのは時雨。梅と秋月の捜索には出ていたようだが、深雪達とは最初から別行動を取っていた。誰と行動していたかは詳しくは知らず、単独で動いていたかもしれない。
そのため、
「正気ってどういうことなのかな。とりあえずだけど、僕は梅も秋月もまだ見つけていないんだけどさ、そっちは? 見つからないから一度報告に行くとか?」
その素振りは、今この街の中で何が起きているか知らないというもの。話し方的には本当に知らないように見える。
深雪達はさんざん追われているものの、まだ街中で騒ぎになるほどの規模ではない。それに、歓楽街周辺まで捜索に出ていなかったなら、まだ現状について知らない者もいるかもしれない。
しかし、この時雨は信用出来なかった。タイミング的にも、現れた場所としても。明らかな進行を妨害するようにしか見えなかった。
「シグレ、ちょっと白々しすぎるよ。もう少し
グレカーレが嘲るように笑みを浮かべながら指摘する。これが一番信用出来ない理由。
いつも通りに話しているように見せても、深雪に対する敵意が誰の目から見ても明らかだったのだ。表情は変わらずとも、瞳の奥に秘める感情は筒抜け。青く輝いていないようだが、いつ輝き始めてもおかしくないくらいだ。
「……周りにもいるわね。待ち構えられたかしら」
周囲に意識を向け続けている神風は、時雨以外にもこちらの様子を窺っている者がいることに気付いた。
明らかにこちらの行動を読んでいるような行動。そんなことが出来る者をうみどりや潜水艦勢から考えると、誰がこの策を立てたかは見当がついてしまう。
「貴女に指示を出したの、妙高さんでしょ」
神風の口から出たその名前で、深雪は目を見開いた。自分達の知らない間に量産化を施されている者はいるとは思っていたが、その中でもかなり厄介なところ、妙高があちら側に行っているのはかなりの痛手である。
元々、言動を先読みするようなことをよくやるのが妙高だ。面と向かえば次の手が読まれる。元々将棋を嗜んでいたというところもあり、相手の行動を読んで次の行動を作戦立てるのは得意であろう。
今のこの戦いは、深雪と米駆逐棲姫を王として置いた将棋みたいなモノだ。奪った駒が自分のモノとして扱えるところまで見ても、それそのものと言ってもいい。ならば、既に妙高の掌の上と言ってもいいかもしれない。
「さっきの子日も、妙高さんの指示よね。私達を追い詰めて、深雪を確実にやるための」
言いながらも神風は棒を構えている。いつ周囲から何者かが飛び出してきてもおかしくない状態。何をされても対応出来るように。
「なるほど、そこまでわかっているんだね。自分達が追い詰められているということも理解して、ここにいるわけだ」
時雨が隠さなくなった。瞳が青く輝き、より強い敵意を深雪に向ける。
ここまで長く付き合い、紆余曲折はあったが仲良くなれたと思っている時雨が、まるで出会った当初の呪いに支配された視線で見てくるのは、深雪としても辛かった。
「そうさ、僕は妙高さんの指示でここで君達を待っていた。子日を嗾ければ、路地裏にコソコソ隠れることもなく、なるべく早く大きな道を通るだろうってね」
話しながらも、恍惚とした表情を浮かべ始める時雨。そして、震えたかと思うと姿が変化した。梅も秋月もそうだったが、隠しているものを曝け出し、本来の姿に戻ることは、震えるほどに心地良いモノのようである。
量産化が施されていることを見せつけるようにし、絶望感を味わわせることに酔っているかのようにも見えた。
「っふぅうう……やっぱりこっちの方がいいね。姉さんの妹という感じがして実にいい」
「時雨……お前もやられちまってたか」
深雪の声には鼻で笑い、拳を握って構える。深雪と戦うため、ストライカースタイルの得意な構え。
「わかってるなら話は早いだろう。僕は特異点を始末するためにここにいるんだ。ここから先には行かせないし、死んでもらうよ」
「お前、あたしに負け越してるだろうがよ。お前は傷付けることに躊躇ねぇんだよ」
構えた時雨に合わせて、深雪も構える。オールラウンダーとしてあらゆる手段を使いたいところだが、組み付いた場合、深雪すら量産化の餌食に遭ってしまいかねない。それは何よりも詰みになる。
あちらは深雪が始末出来れば手段を選ばない。それこそ、殺したいなら深雪を妹にして自害しろでおしまいだ。そうでなくても好きに扱えるなら出洲に引き渡して実験材料である。それが一番避けなければならない。
「まぁ、わかっていると思うけれど」
「ここにいるのは時雨だけじゃない」
伊203も路地裏に目を向けた。その瞬間、時雨をサポートするように飛び出してきたのは──
「長門さん……!?」
既に量産化を受けていた長門である。明らかに戦力として量産化を受けた即戦力。
生身でも戦闘力がある長門であっても、現状を知らず不意打ち気味に爪を打ち込まれては量産化を免れることは出来ない。
そして、打ち込んだのはおそらく駆逐艦。それこそ睦月のような少々幼いイメージの仲間。優しい長門は不信感を持つことなく近付き、そして
「特異点はこの世界にいらん。潔く散れ」
うみどりでは深雪達に筋トレや格闘術などを教えてくれた大先輩。頼れる戦艦が、今やその膂力と技を自分を殺すために使ってくる。
その敵意はホンモノ。長門ですら、姿形が米駆逐棲姫と同じになっているのだが、本来の制服とそこまで変わらないため違和感は殆どない。だからこそ、長門の艦娘としての本心で殴りかかってきているように見えてしまう。
深雪はギリッと歯軋りをしながら、その攻撃を素早く避けた。動揺はしていても攻撃を見極め、少しでも触れさせないように。紙一重で避けるのはまずいということは、既に認識済み。爪も当たらないように大きく。
「やらせるもんですか。長門さんにそんなこと」
その間に入るかのように、神風が棒を振るいながら突撃していた。長門が生身であってもお構いなし。骨を折るどころか、棒で両断するくらいのレベルの薙ぎ払いを繰り出していた。
しかし、量産化をされたことで身体能力が上がっており、その一撃をヒラリと躱した。
「っと、神風、貴様……」
「頑丈なんだからコレくらいで充分でしょう、貴女の相手は私がしてあげる」
「特異点に与するのならば、貴様もここで始末してやろう。簡単にやられはせんよ」
長門は神風が引き付けることに。だがそれだけでは終わらない。
「っ……深雪、引いて」
今度は伊203が深雪を少し押して下がらせた。その瞬間、路地の逆側なら飛び込んで来ていた次の敵──量産化済みのタシュケントを、伊203が捉えていた。爪に当たらないように手首を掴み、強引に投げ飛ばす。
こちらは普段が厚着であるため、違和感が凄まじい。やられてしまっていると見るからにわかってしまう。
「おっとと、流石はフーミィだ。どうだい、
「冗談は嫌い。遅いから」
投げ飛ばされても華麗に着地したタシュケントは、伊203と相対する。スピード勝負なら負けないと言わんばかりに構え、標的を定めたかのように。
「深雪、ごめん、自分の身は自分で守って。多分、時間を稼げればいいから」
「フーミィの言う通りよ。私達が時間を稼ぐ。だから、貴女は時雨をどうにかして」
「……わかった。電、白雲、グレカーレ、周りを警戒しておいてくれ」
「了解です。まだ伏兵が隠れているやもしれません。充分に警戒をいたします」
「なのです……深雪ちゃん、気をつけて。電達も、頑張るのです!」
「あんなシグレ、ぶっ飛ばしちゃえ。全部終わった時に泣きじゃくるくらいにさ!」
神風は長門を、伊203はタシュケントを抑え込むと決め、深雪は時雨に立ち向かうとしたことで、残る3人は周囲の警戒を徹底する。ここからまた乱入されたら、どうにか抑え込まねばならないのだが、3人がかりでギリギリかもしれない。
しかし、この状況でも全員前を向いていた。こんなことで崩れて堪るかと。
本当なら、電達は先行して鎮守府に向かうべきなのかもしれないが、ここで深雪を守らねば戦いそのものが詰みになる可能性がある。ならば、ここにいる仲間達は全員で鎮守府に戻らねばならない。
だからこそ、誰もこの場から離れない。電も、白雲も、グレカーレも、深雪達と共にここで戦う決意をした。
「……時雨、かかってこいよ。お前にやられるあたしじゃあねぇぞ」
「どうだか。君はここで無様に死ぬんだ。この世界には必要ないと、君がいるからみんなが不幸になるんだと思い知ってね」