街中だというのに繰り出される水風船による爆撃。水鉄砲に、水をぶちまける爆雷。それを何度も何度も繰り返すことで、ついに異変が起き始める。
「あ、あれ……力が入らない……」
今この戦場で最も水を被っていた舞風が、立ち上がろうとしても力が入らないと言い出した。
よく見れば、手も足も震え始めている。別に寒いわけでは無い。本当に力が入らず、まるで生まれたての子鹿のように自分の身体も支えられなくなっていた。
舞風だけではない。同じように爆撃を受けていた者達、水飛沫を何度も受けているような者達が、次々と力が抜けてその場から動けなくなっている。舞風の次くらいに水浸しになっていた清霜もへたりこみ、子日とスキャンプも涼月の砲撃の余波を受けていたことで足から力が抜けてきていた。
「な、んだ……これ……」
「力が、抜けていくよ……」
もう、量産化を施されて者達は総崩れになろうとしている。まるで想定していない脱力感。目の前に斃すべき、侵蝕すべき艦娘達がいるのに、身体が動かなくなっていく。
動けても鈍く、モノによってはその場でへたり込んでしまって立ち上がれない者まで。特に動けなくなったのは、やはり舞風。そしてもう1人、暁からモロに顔面に水鉄砲の一撃を貰っているタシュケントである。
それを遠目に見ていたほぼ無傷の三隈は思案する。この水が原因なのはわかっているが、水だけでこうなる理由が何か。
色付きの水なのだなら、何かが混ぜられている。それはわかる。だが、それが何かはわからない。しかし、三隈はこの色の水を
それは、後始末屋ならば何度も何度も見ているモノ。そして、何度も何度も
「……っ!」
ここで見当がついた。周り一帯を濡らしていくこの水の正体を。こんなモノが自分達に通用するだなんて、思ってもいなかった。
量産化を施され、米駆逐棲姫の妹となり、自らも『量産』の曲解を手に入れ、未だ妹では無い艦娘達に量産化を施している身となったにもかかわらず、その原理を正しく知らない。爪を刺すだけで妹に出来る。ただそれしか知らなかった。
軍師として立っている三隈は、まず真っ先にそれを知っておかねばならなかったのだ。
ここで知らなかったということは、米駆逐棲姫自身もそれについては知らない可能性がある。
「全員、この水に触れてはいけません!」
最早遅い叫びである。三隈と那珂以外は全員が何かしらの理由でこの水に触れてしまっている。神風と戦う長門も、綾波に追い回される時雨も。
「バレちゃったっぽい」
「でも、効果的であることがわかっただけでも充分です。これならば、もう少しで撤退が可能でしょうし、これからいくらでも対策が出来ます」
この叫びによって、夕立も涼月も三隈が気付いたとわかる。この水が、『量産』の曲解に対して最も効果的であることに。
「……
三隈が忌々しそうに呟いた。洗浄液、それがこの水の正体である。
水鉄砲や水風船の爆撃に含まれているこの色付きの水は、後始末屋がその仕事の後に浴びる、穢れを取り払うための洗浄液。空母隊が黒ずんだ海を綺麗にするために艦載機から散布している洗浄液の原液そのものである。うみどりでは、この原液を薄めたモノで身体にへばりついてしまう穢れを洗い流すために使っている。
その性質が利用出来ないかと思い付いたのは、冬月でも涼月でもない、ましてや伊豆提督達でもない。鎮守府で待機していた唯一のカテゴリーR、セレスである。
外で待っている伊豆提督とイリスに少しでも腹に食べ物を入れておけと軽食を持っていった際に、都市内で起きている惨状を聞いた。そのときに、
それを聞いて、やってみる価値はあると思った伊豆提督が、保前提督協力の下、今回の作戦に出ることになった。うみどりやおおわしから引き揚げてきた洗浄液と、軍港鎮守府にも常備されている洗浄液を全て使い、今の作戦が出来上がっている。
つまり、米駆逐棲姫の『量産』の曲解は、
量産化そのものを解除するまでは行かないかもしれないが、少なくとも弱体化、量が多ければ無効化まで行ける手段が見つかったということになる。もしかしたら、これ以上に洗浄液に漬け込んでおけば、量産化そのものも解除出来るかもしれない。
「それじゃあ、もうちょっと行くっぽい!」
「これ以上はさせないよ!」
あちらが動けなくなりつつある状況で、夕立はさらに爆雷を投擲する。狙いは勿論、それを避ける那珂。しかし、周りを見て直撃が致命的であることを理解すると、それを止めるためにむしろ前に出て夕立を始末する方向に転換。アイドルという肩書きを捨てるかの如く、一転猛攻に打って出た。
避けながらの突撃で爆雷をしっかり避けているのは恐ろしいの一言に尽きるのだが、夕立はそれを見て、また気付く。
「那珂ちゃん、そうなる前の方が強かったっぽい。仲間だった時だと、夕立も勝てるかわからなかったし」
艤装も持たず、爪が立てられず、その強化されたフィジカルだけで、艤装を装備したフルスペックの夕立をどうにか出来るかと言われたら、答えは否だ。武器も何も持たないアイドルは、徒手空拳でそれをどうにかしようと目論んだが、夕立はこと戦闘に関しては天才的な才能を発揮する。一度見ただけで、仲間の技を模倣することが出来るのだ。
それは、初めて潜水艦で時雨と出会い、姉妹喧嘩をした際に繰り出されたチョップ。地面に叩きつけるように振り下ろされ、タイミングよく直撃を狙った結果、那珂はギリギリで回避するものの、その瞬間チョップをキャンセルし、その肩を掴んでいた。動けないように、親指を食い込ませるほどに強く掴む。
「っあっ!?」
「夕立は避けれたけど、那珂ちゃんには避けさせない」
もう逃がさないともう片方の肩も掴んだことで、完全に身体の正面同士が向かい合った。こうなったらやることは一つ。
那珂も一か八かとその爪を食い込ませるために夕立の腕を掴むが、いくら鋭利になっているとはいえ、ラバースーツを貫通することは最後まで出来なかった。貫く前にグニャリと爪側が曲がってしまう。
「傷は治るかもだけど、気を失っちゃえばこっちのモノっぽい!」
無理矢理引き寄せてからの、胸に向けて凶悪な膝蹴り。艤装装備のパワーアシストもあり、肋骨が数本折れるレベルの衝撃が那珂を駆け抜け、内臓まで破壊され、ゲホッと血を咳き込む。その血は、やはり赤である。
「涼月!」
「ええ、こんなに近くに来てくれましたからね、そのまま押さえつけておいてください」
夕立はいいが、涼月は顔だけは肌を出したまま。迂闊に近付いて顔に爪を立てられたらアウト。そのため、多少距離を取ったまま、長10cm砲による水鉄砲の砲撃を、超至近距離で那珂に直撃させた。
狙いやすいように夕立が瞬時に羽交締めにしたこともあって、それはまともに顔面に直撃した。いくら水鉄砲とはいえ、その衝撃は並ではない。
「がぼっ!?」
「うわぁ、顔面はえげつないっぽい。でも、これが一番効果的なんだよね?」
「はい、おそらく。身体にはあまり良くないかもしれませんが、
「尊厳破壊っぽい?」
「既に破壊されているようなものなので、微々たるモノですよ」
自己修復によって既に折れた肋骨が治っていそうではある那珂だが、ここぞとばかりに直撃させられた顔面への砲撃によって発生した激しい衝撃で脳が揺さぶられ、洗浄液を飲まされつつも、白目を剥いて気絶させられた。
那珂はうみどり所属の中でも特に強力な力を持ち、駆逐水鬼には高次の存在へと至っているのではとまで称された、トップクラスに入る実力者。艦娘のままならば、夕立はここまで容易に勝利を収めることは出来なかっただろう。
しかし、今の那珂は量産化を施されて、艤装も持たない状態。そこから相手の情に訴えかける姑息な手段を基本としているというのなら、これで敗北するのは必然とも言える。
「ねぇくまりんこ、まだやるぅ?」
これ見よがしに夕立が三隈に問う。
今やまともに立っていられるのは三隈のみ。他の者は洗浄液を浴びせられ続けて、十全の力が出せなくなっている。戦う力が残っている者など、もう存在していなかった。
「……くっ……」
「お馬鹿なお姉ちゃんにこのこと報告するっぽい? でも夕立達は、くまりんこのことを逃がすつもりはないっぽい」
もう邪魔すら入らない状況となり、涼月は容赦なく三隈に砲撃を放つ。他に狙うべき場所はない。ならば、集中砲火で問題ない。今やスキャンプも子日も、立ち上がれないくらいにまで消耗しているのだ。壁になりそうな位置にいた舞風と清霜も、肩で息をするほどに。
三隈も自分が万事休すな状態であることは重々承知していた。ここから米駆逐棲姫の元へと帰ることが出来るかと言われたら、かなり厳しい。聡明な三隈だからこそ、今の不利を理解出来ないわけがない。ここまで読みきれなかった自分の落ち度だと悟った。
だが、撤退だけは意地でもしてやろうと画策する。どれだけ足掻いても、見窄らしくても、この情報だけは持ち帰るのだと。
「逃がしません。これ以上、この街を穢させませんから」
しかし、夕立以上に容赦が無かったのは涼月である。三隈を逃さないように、砲撃を何度も繰り出し、回避してもわざと壁にぶつかるように撃っているおかげで水飛沫が肌に付着し続ける。
米駆逐棲姫の衣装の特性、妙に高めの露出度すら利用して、洗浄剤の付着と吸収を誘発させた。
夕立もそれに乗じて接近。涼月から爆雷をいくつか貰い、砲撃を避けようとしたところを狙って爆雷を投擲、その爆発によって拡がる洗浄液をモロにかかるようにし、弱体化を図る。当然、直撃させられるなら直撃させて。
「っあ……」
そして、三隈にも洗浄液の効果が発揮し始めた。膝からカクンと力が抜けて、逃げようにも逃げられない状態に。崩れ落ちて地に手をつき、向かってくる夕立を睨むことしか出来なかった。
「これで、おしまいっぽい」
もう手が届く場所まで来た夕立が、それでも爪を立てられないように警戒して、爆雷を叩き込んで爆発させた。
超至近距離での爆発は、三隈の意識を持っていくのには充分すぎた。鼓膜も破れていただろうが、自己修復ですぐさま治り、しかし失った意識を取り戻すことは無かった。
軍勢の鎮圧はこれで完了。立っているのは、長門と時雨のみ。だが、そちらも時間の問題だろう。そもそも、相手が悪い。