はぐれ深海棲艦との戦いの最中に紛れ込んできた新たなカテゴリーW。それは、深雪と因縁深い艦娘である電だった。
他の者がなるべく深雪に見せないようにしていたのはこのため。結果的に、顔を知る前に対面することになってしまった。
「……い……電……か……」
顔を知らないはずなのに、その姿を見た瞬間、それが電であることを理解出来た。先に教えてもらっていなくても、直感的に、運命的に、トラウマを抉る、いや、
先日に見た悪夢のモザイクが、頭の中で剥がれた。あの向こう側にあった顔は、この電の顔だ。深雪が沈む瞬間に、この顔が愕然とし、後悔に歪んでいた。悪夢の全てが補完された瞬間だった。
「っく、あ……」
そのせいか、途端に過呼吸気味になる。深雪の中では一番のトラウマ。最も強く刺激を与える存在が目の前にいるのだ。電のことはゆっくりと覚悟を決めて知っていこうと考えていたところに、突発的に現れた本人は、あまりにも想定外。
せめてここにいるのが電であることさえ先に知っていれば、心構えが出来ただろう。だが、深雪のことを思ってこうなるまで隠してしまったことが、完全に悪手になっていた。
2人目のカテゴリーWの登場自体が完全な予想外だったわけで、それは当事者である深雪も考えていなかったこと。それによって、ここまでの焦りに繋がった。今までの考え方が真っ白になってしまうくらいに冷静さを失ってしまった。
「妙高、深雪を取り押さえてくれ」
「そうですね。倒れてしまうかもしれません」
すぐさま妙高が深雪の支えになる。そして、万が一のために主砲を握る手を掴んだ。砲の先は誰にも向いていない海面へ。錯乱していると不意にトリガーを引いてしまいかねない。誰に向けるにしても問題が大有りである。
「深雪、冷静になってくれ。確かに今ここにいるのは電だ。だからこそ、君にはすぐに見せるわけにはいかなかった。顔も知らないとはいえ、直接対面したら混乱するのは目に見えていた。我々も判断を失敗したところがいくつもある。それについては本当にすまない」
長門が心から謝罪する。判断ミスは明確で、先んじて工廠に戻らせた那珂に、ここにいるのが電であることを伝えさせなかったこと。他にもいろいろな要素はあるが、これが出来ていれば深雪がここまで突っ込んでくることも無かっただろうし、そもそも工廠内で対処が出来た。
しかし、対面させてはならないという気持ちが先行してしまったことで、名前すら出さなかったのはよろしくない。深雪なら落ち着いて工廠にいると思い込んでしまった結果である。
誰だってこの事態は初めてだ。何が正しい判断かなんてわかりっこなかった。
「ふぅ……ふぅ……」
そんな長門の話を聞いているのかいないのか、焦点の合わない目で電を見つめる深雪。トラウマを刺激され続け、身体の動きは妙高に止められ、身動きひとつ出来ない状況であっても、その視線は変えることは無かった。
艦の頃に自分の死の原因となった相手。悪夢として、艦娘の姿でそれを再現させられた相手。やる側の辛さとやられる側の辛さを両方知っているからこそ、思いやるべき相手。これまでの経験が頭を掻き乱し、どうしていいかわからなくなる。冷静になんてなれない。だが、考えは勝手に駆け巡る。
ここから逃げる──それは嫌だ。向かい合うと決めた。
話しかける──出来ない。口がまともに動いてくれない。
怒りを持つ──そうはいかない。やる側の辛さは知っているつもりだ。
涙を流す──電だって辛い。せめて自分は弱い部分を見せてはいけない。
深雪はそういう考えを持っているからこそ、錯乱が止まらない。優しさも焦りと共に暴走してしまっているようなモノ。
そもそも、深雪は電のことを考えていても、
深雪の見ている電は、悪夢の中にいた電。つまり、
「ぅ……」
そんな深雪にあてられたか、電が小さく呻く。朦朧としながらも、その視線が荒い息を吐く深雪の方へと向いた。
目と目が合ったその瞬間、深雪はビクンと大きく震えた。そして、その反動で握り締めていた主砲を撃ってしまった。それだけ深雪は切羽詰まっている。指が震えて、砲撃を放ってしまうほどに。
妙高が下に向けてくれていたからその砲撃は海面に直撃し、大きな水飛沫を作り出す。大雨の中であるため、気になるほどでは無いにしろ、ここにいる全員にその飛沫はかかることになる。
「ぁ、ご、ごめん……あたし……」
奇しくも自分の砲撃の音で少しだけ正気に戻った深雪。しかし、自分がやったことで今度は顔が青くなりつつあった。
「ぅ……ぁぁ……」
虚な目で深雪を見据える内に、電の瞳にも光が灯る。深雪の砲撃の音と、雨では無い水飛沫がかかったことで、朦朧としていた意識がハッキリとしていく。
だがそれは、電のトラウマも抉ることに他ならない。深雪が電にトラウマを持つように、電も深雪にトラウマを持っている。深雪と同様、その顔を見ただけで深雪が
「う、うぁ、うぁああああっ……!?」
トラウマで頭の中を掻き乱されて、深雪と同様に錯乱し始める電。神風は身体を支えるのではなく押さえ込むように抱き締める。艤装が邪魔で羽交い締めにすることは出来ないが、妙高と同じように主砲だけは誰にも当たらないように、強引に肩を上に向けさせる。
電の艤装、特に主砲は少々特殊であり、深雪のように手に持ってトリガーを引くタイプではなく、艤装に直接接続して
だからこそ、錯乱したら間違って撃ってしまいかねない。それを即座に察した神風が、そこを押さえ込んだのである。
「貴女も冷静になりなさい。生まれたばかりでそれを言うのは酷かもしれないけど、もう傷付けたくないのなら、心を落ち着けるの」
神風が優しく、しかし厳しく囁く。電は本来、優しく戦いを好まないような性格の艦娘であることは調べがついている。錯乱しているからと言っても本質を忘れているとは思えない。
だが、この電はトラウマに支配されている。自ら手をかけてしまった深雪がそこにいるとなれば、いくつもの選択肢が出てきてしまう。そのうちの一つが、
武器を持つ者が錯乱したときに起こす行動は、その武器を振り回すことだ。それは純粋な艦娘であっても例外では無い。むしろ、戦うために生まれた艦娘であるからこそ、本質が優しくても持っている武器を使ってしまうのはしかたないこと。
「っあああっ!?」
錯乱した電は、無意識にトリガーを引いてしまっていた。肩の主砲は爆音を放つが、神風が向きを変えていたおかげで、あらぬ方向へと砲弾は飛んでいく。誰にも被害は無い。身体的には。
しかし、精神的には大きなダメージを受けた者はいる。深雪がそれだ。電の砲撃により自分が拒絶されたと感じ取り、冷静になりつつあった頭がまた錯乱に傾き始めた。
「いいですか、深雪さん。あれは錯乱から放たれただけです。貴女を拒絶したわけじゃない」
それを先読みした妙高が、深雪を落ち着かせるために教える。
「貴女だって錯乱して砲撃を放ちましたよね。それと同じです。電さんも貴女と同じということです。私が押さえていなかったら、貴女も電さんに向けて撃っていたかもしれないでしょう」
妙高の言葉で、ほんの少しだけ冷静さを取り戻した。まだ息が荒く、頭の中が熱い。そのくせ、雨と風と水飛沫で、身体はやたらと冷える。
「今は互いに冷静に話すことは出来ないでしょう。一度うみどりに戻ります。いいですね?」
「……う、うぅ」
「いいですね?」
お前の意見は聞いていないと言わんばかりの強い言葉に、深雪は無言で首を縦に振るしかなかった。
妙高に支えられてフラフラと戻ってきた深雪は、工廠に到着した途端に白目を剥いて気を失った。もう頭がパンクしてしまっていた。情報量に思考が追いつかなくなってしまった。
「……いろいろと反省しなくてはならないことばかりだ。自身の選択がこうも悪い方に進んだのは初めてかもしれない」
長門が後悔を隠さずに呟く。
「初めてばかりのことでしたから、誰だって失敗します。私だって、進言出来ることはあったはずなのに、何も言えなかった。深雪さんを最善の方向に導く道を、その瞬間では読むことが出来ませんでした。人の心は将棋とは違いますよ」
「そうだな……。この失敗を糧にしたい」
「ですね。後ろを向く暇なんて、私達にはありませんから」
気を失った深雪を妖精さんに任せて、うみどりは事後処理に入る。誰もが深雪のことを心配したが、だからといって作業を止めるわけにはいかない。今ここで殲滅した深海棲艦が穢れをばら撒く前に、この海を綺麗にしなくてはならないのだから。
深雪は夢を見ていた。知っている夢。一度見た夢。艦の頃の記憶。ハッキリと思い出した、トラウマ。
濃霧の中で煙幕も焚いた状態での演習。その中で、不意に出てくる電との衝突の瞬間。
もう深雪にはその顔はモザイクに見えていない。先程見た電の顔がハッキリと見えている。ぶつかるとわかった瞬間、驚愕に顔が歪んでいた。深雪も同じである。互いに、そこにいるだなんて思っていなかった。
わざとぶつかろうだなんて思うわけが無く、声を出す間も無く衝突した。その時、電の悲鳴が聞こえた気がした。深雪には声を出す余裕すらなく、突然足下に穴が空いたのではと思うほどに、浮力が失われる。
沈む自分を見て、電の表情は後悔に染まっていた。なんでここでこうやって動いてしまったのだろう。もっと周りは見えなかったのか。どうして避けようとすら出来なかったのか。そんな思いが顔から瞬時に読み取れた。
錯乱から、深雪は身体が動かせなかった。沈むことを受け入れてしまっているかのように。だが、ヒトのカタチを活かすように、助けを請うようにその手を電に伸ばしてしまう。
しかし、電はその手を掴もうとすることが出来なかった。錯乱しているのは電も同じ。もっと冷静にしていれば手を伸ばせたのかもしれないのに、動くことが出来ない。
深雪はまだ電のことを正しく理解出来ていない。だから、夢の中では過去をなぞるしか出来ない。
「こんなのは……違う……!」
先に命を得ていた深雪は、ヒトのカタチを知っている。このために積んだトレーニングだ。沈むのを受け入れるなんて、艦娘の身体ならあり得ない。
故に、
ここで深雪は目を覚ました。夢を覆すことが出来ずに、現実の世界へと戻ってきた。
そこは前と同じように自室。寝間着に着替えさせられており、まるで朝に普通に目覚めたかのようになっていた。
「おはよう深雪ちゃん。もう朝よ」
そして、ベッドの横には伊豆提督が座っていた。