深雪が目を覚ましたことで、伊豆提督は執務室へと戻った。深雪の時とおなじように、電のことを大本営に伝えなくてはならないということで、朝になるまで待っていたらしい。
深雪自身は、やはりトラウマを激しく刺激された影響で体調があまり良くなくなってきており、言われた通り今日は一日休息にあてることとなった。駆逐艦の仲間達もそうした方がいいと無理矢理にでもベッドに寝かせ、朝食も運んできてくれると看病にノリノリである。
艦娘というのは人間とは身体の造りが違うため、風邪というものを引くことはない。だが、精神的なダメージで体調を崩すことはある。深雪はまさに今、それを体験しているというわけだ。
深雪としては普通に活動出来ると思っているが、気を失うということは、それ相応のダメージがあるということ。しかも、肉体的なダメージとは違って入渠では治らないのだから、素直に休息をとった方がいい。
「丸一日寝て過ごすことになんのか……?」
「その方が身体は休まるぞよ」
「今はゆっくりしといた方がいいよ」
食堂から朝食を運んできた睦月と子日が、深雪に安静にするように話す。食事だけだと置く場所が難しそうだったため、サイドテーブルまで持ってきていた。そういうところも準備万端なのもうみどりらしいところ。
「体調は良くないかもだけど、食欲はありそうだったから、普通に朝ご飯持ってきたにゃしぃ。食べれる?」
「ああ、腹はちゃんと減ってんだよ。気怠いって感じがするだけ」
「自分の手で食べられなそうなら、子日があーんしてあげるよ?」
「そこまでは大丈夫だって。ハルカちゃんも食べやすいようにしてくれてるみたいじゃんか」
言いながら普通に箸を持てるところを見せつけた。これなら大丈夫と、睦月と子日も安心。とはいえ、片付けのこともあるため、部屋から離れることもしない。食べている様子を見ていることになる。
だが、深雪には今もずっと気になることがあった。食欲が無くなるなんてことは無く、食事が喉を通らないなんてこともないのだが、それが気になって箸の運びが遅くなる。
「深雪ちゃん、やっぱり気になる?」
子日に尋ねられ、深雪は箸を止めて無言で頷く。
「まだ電は目を覚ましてないのか?」
やはり気になるのは電のこと。顔を思い出すだけで悪夢が蘇ってくるのだが、泳ぎを覚えたことで悪夢を回避しようとする心を手に入れているため、トラウマは抉られるとしても後ろを向くことは無くなってきている。代わりに体調を悪くしていたら意味が無いのだが。
深雪の質問に対して、睦月も子日も解答を持ち合わせていなかった。電の寝かされている部屋──深雪の部屋の隣──は、今のところ面会謝絶状態。そこに出入り出来るのは、今のところイリスだけとなっている。
「イリスちゃんが出てきてないし、まだ起きてないんじゃないかな」
「うんうん、睦月もそう思うぞよ。隣の音も聞こえないしにゃあ」
そもそも自室は防音にされているため、もし電が目を覚ましてイリスが話を始めたとしても、深雪の部屋にその内容が届くことはない。プライベートな空間を作るために施された処置であるものの、深雪にとっては今だけは煩わしく思えてしまう。
とはいえ、隣の部屋の音が聞こえて、電の声が耳に入ったとしたら、深雪は正常でいられるだろうか。そこは深雪にもわからない。冷静でいることを伊豆提督にも教え込まれているため、この場で暴れ出すようなことは無さそうではあるが。
「……あいつは……電は、あたしより根深いと思うんだ。だから、電のことも気にかけてやってくれよな」
第一次、第二次の深海戦争の時の資料を読んでいるわけではないので、深雪はまだ純粋な艦娘としての電がどんな人間性を獲得したかは知らない。
顔を見ただけではあるが、見た目は自分よりも幼く、
だから、自分よりも気にかけてほしいと仲間に願う。自分はまだ大丈夫な方だから、電の方を強めにと。
「うん、その辺は大丈夫なのね。深雪ちゃんのことでいろいろわかったこともあるから、それを参考に進めていくって」
ここまで深雪が仲間として活動してきた実績を踏まえて、電への対応を考えるというのが、今のところのうみとりの総意。
ただし、それでもどうしても問題点がいくつも出てくる。特に大きいのが、
「どのタイミングで教えるかは難しいよねぇ。特にカテゴリーMのことなんて」
子日が話すそれは、誰もがどうしたものかと悩む一番の問題。この世界の在り方の中でも、最大級の秘密。
うみどりに所属することになれば、先日の深雪のように、いつかカテゴリーMとの戦いを見ることになるだろう。どれだけ隠しても、最終的には間違いなく知る羽目になる。
電がそれを知った時、この世界に対してどういう感想を持つかは想像出来ない。ほんの一部の人類のせいで呪いを撒き散らし狂ってしまった艦娘達をどうしたいか。深雪のように説得したいと考えるか、それとも他の選択をするか。
「あたしは……あたしの時みたいに、人間の良さを知ってから知るべきだと思う。いきなり教えるのは絶対にまずい」
自分の時のことを思い出しながら深雪は語る。休暇を一度体験して、この世界の守るべき人間がどれほど素晴らしいのかをしっかり知っていたから、その一部の人類という唾棄すべき存在
電が真実を知りたいというのならば、包み隠さず伝えるという方針がいいのではと考えた。最終的な判断は伊豆提督とイリスがすることになるのだが、カテゴリーWとしての意見ということで耳に挟んでおいてもらいたいと。
「ハルカちゃんにも伝えておくのね。多分今、すっごく悩んでると思うから」
「ああ、頼んだ。好き勝手言える立場じゃないけどさ、やっぱり電にはこの世界のこと嫌いになってほしくないから」
人類の危機を救うために生まれた艦娘として、この世界に対して一部嫌悪感があったとしても、それを超える好感があれば、楽しく生きていける。だから、まずはこの世界のいいところを知ってもらいたい。うみどりならば、好きになれる要素は沢山あるのだから。
午前中は本当にベッドから出ることが無かった深雪。眠気に任せて眠ってみたり、お見舞いと称して勧められた梅の蔵書を読んでみたりと、のんびりとした半日を過ごす。
何もしなくても腹は減るもので、お昼時になったらしっかり食べたくなるのは、人間としての身体の在り方をヒシヒシと感じる。
「昼飯も持ってきてくれるのかな。流石に自分の足で行った方がいい気がするな」
読んでいた本を閉じて身体を伸ばす。深雪の性格的に、動かないでいる方が気疲れするようだった。
それ以上に、何をしていても隣の部屋が気になっていた。防音ではあるものの、何も感じないくらいに静か。まだ電が目を覚ましていないということであろう。
ちょくちょく誰かが顔を出してくれるおかげで暇な時間は少なめではあるのだが、電のことを尋ねても首を横に振られるだけ。
「電……大丈夫かな……」
ベッドから降り、隣の部屋に繋がる壁に手をつく。それでわかるわけでは無いのだが、無事でいてほしいという思いが伝わるように念じた。
すると、扉の向こう側からバタバタと音が聞こえるようになる。
「電……起きたのか!?」
感情に任せて部屋を出ていきそうになり、扉に手をかけたところで思い止まった。伊豆提督の言葉を思い出し、まずは深呼吸し、頭に酸素を送り込む。落ち着いて、今の状況を頭に入れる。
電が起きたのだとしたら、自分の顔を見せるのはまずい。ただでさえトラウマを刺激されて気を失っているのに、その理由となり得る深雪と対面しようものなら、最悪また気を失うことになる。そんな無限ループを深雪は望んでいない。
電のことを考えるのならば、深雪は今、この部屋に留まっておくべき。ここまでやって、ようやく扉から手が離れた。
「……まだだ。電には顔を合わせられねぇ。あちらから会いたいって言われるまでは」
それに、外のバタバタも電が目を覚ましたから起きたことでは無いかもしれない。イリスの艦内放送が無いので、いきなり敵襲だとかそういうことはないにしろ、時間的に昼時。午前中に行なっていたトレーニングなどが終わったことで、近くを誰かが動いているだけの可能性もある。
などと考えているうちに、今度は深雪の部屋の扉にノックの音。扉の前にいるところにそれをされたため、深雪はビクッと震えてしまった。
「深雪、入るわよ」
神風の声。あのバタバタの原因では無いにしろ、神風が深雪に用があるという時点で、いろいろと察する。
「電が、起きたのか」
「ええ。だからそれだけを伝えにきたの。わかってると思うけど」
「今はまだ顔を合わせる気は無いよ。電のためにも」
すぐに扉から離れて、ベッドの方へと戻る。神風も部屋の中に入り、今後のことを深雪に伝える。
「ハルカちゃんとも話をしたんだけれど、電にはまず、うみどりのことを知ってもらうわ」
「あたしの時みたいにってことか」
「ええ。あと、貴女のことも……一応伝えるつもり」
それを聞いて、深雪が驚く。自分の時でも、電のことを知った途端に悪夢を見始めるようになった。電がそれに耐えられるかはわからないが、こんな生まれてすぐの状態でそれを知って大丈夫かどうかと疑問を抱く。
確かに、いずれは知ることになるのだから、早いうちに知っておいた方がいいのはわかる。うみどりに深く関わった後に知ると、それはそれで裏切られたとか、何故早く教えてくれなかったんだという、あまり良くない感情が湧きかねない。
ただ、心が弱いのならここで知ってしまうと、それはそれで壊れてしまいかねない。カテゴリーWだからといって、精神が安定しているとも限らないのだから。
「大丈夫なのか?」
「状況を見ながら臨機応変に対応するらしいわ。聞いたらまずいようなら、すぐには話さないみたい。でも、私は今話した方がいいと思うけれど」
そもそも気を失った理由が深雪を見たからだ。ここに深雪がいるということも、落ち着けばわかることだろう。
「……ひとまず、あたしは電とは顔を合わせないようにしておく。電のためだ。あちらが会いたいって言うまでは、ここに籠るか何かしておくよ」
「そうならないように貴女の事を話しておくみたい。いるってことがわかれば、お互いに覚悟が決まるでしょ 」
確かにと深雪は納得した。少なくとも、深雪は電と顔を合わせようという覚悟はあった。
「貴女は電の顔を見ても正気でいられる? 貴女、あの子を見て暴走しかけたのよ?」
そう言われると、何も言えなかった。想像は出来るし、悪夢でもまだ耐えられるが、本人がそこにいるというのはレベルが違う。手が届くところにいるということは、
「……会ってみなくちゃわからない。でも、あの時みたいにはならないようにする。そう決めた」
力強く答える深雪。覚悟が決まった顔に、神風は小さく溜息を漏らした。
「誰かが近くにいてくれると嬉しいけどな。正直なところ、一対一で顔を合わせるのはまだ怖い。お互いに何をしちまうかわかんねぇもんな」
「こっちもそんなつもりは無いわよ」
「だよな。一発撃っちまってるわけだし。まずは艤装も何も無い状態で話すよ」
当たり前だと神風がツッコむ。艦内で話すにしても、艤装を装備する理由が無いのだから。
「今は待ってて。まずは電の意思を知るところからだから」
「ああ、今日は休息の日だからな。まずは一日待つことにする。あいつのことは、なるべく教えてほしい」
「ええ、わかってる。ちゃんと報告するから安心して」
電は目を覚ましたが、まだ深雪と顔を合わせるのは難しいかもしれない。だが、深雪は覚悟を決めた。
トラウマを抉られることになったとしても、前に進むためには、この因縁に決着をつけなくてはならない。
電が目を覚ましたため、ここから話が動き始めます。果たして、深雪は電と友達になれるのか。