死にたいとまで言ってしまった秋月も僅かにだが落ち着き、梅もまだ辛そうではあるが最初よりはマシという状態になったため、深雪達は少しだけ安心することは出来た。
しかし、まだ割り切ることは出来やしない。あの時の記憶も感情も全て残っているのだ。深雪の顔を見るだけでもその時のことを思い出してしまうし、特異点に対しての憎しみは、本来の感情ではないのに覚えてしまっているせいで、常に罪悪感に付き纏われる。ここにはいないが、その手で量産化を施した者達とも、今後は顔を合わせることになるだろう。
考えるだけで辛くて悲しい、憂鬱になるのも仕方ない状況。自分のせいでもないのに悩まされるのが気分が悪い。
「妙高さんと神威さんはもう少しかかるかと思います。深雪さん、工廠に行ってみるのはどうでしょう」
ここで丹陽から次の行動を促された。梅と秋月の精神的な安定のために、一時的に医務室から離れた方がいいというのもあるが、もう一つ。
「工廠では、忌雷は受けていないけれど量産化を受けてしまった方々が、洗浄液で治療中です。なんでも、漬け込むことで効果が無くなったみたいですよ」
「ま、マジかよ。良かった……」
綾波の予想は大正解だったらしい。綾波も鼻高々である。
洗浄液が少し付着しただけでも無力化出来るのだから、しっかり全身に漬け込むことで体内外共に穢れがしっかりと取り除かれさえすれば、その穢れによって生み出されていた洗脳も失われる。
それを街中から掻き集められた被害者に施していくことになるのだが、流石に一般市民に対していきなりそれをやるわけにはいかない。そのため、
「じゃあ……丹陽、明石さん、透に蛍、みんなのこと、頼む」
「はい、お婆ちゃん達に任せてくださいね」
丹陽が代表となり、他の3人も手を振る。人数的にはマンツーマンになれるだけいるため、充分に任せられる。これなら大丈夫だと、深雪達は工廠へと向かった。
そして、深雪達がいなくなり、声も届かなくなったというタイミングで、丹陽がボソリと呟く。
「妙高さん、起きてますね?」
こうしている間に、妙高が目を覚ましていたらしい。それには、他の3人は全く気付いていなかった。
悪夢が続く状態で目を覚ましたら、梅のように泣きじゃくるか、秋月のように発狂するかのどちらかだと思っていたが、妙高は静かなものである。
「……なんでもお見通しですね、丹陽さんは」
「年の功がありますからね。あ、先に伝えておきます。
「そこまでお見通しとは……。おみそれしました」
静かに身体を起こす妙高。浮かない顔ではあるが、静かに布団を捲り、本当に脚があることを確認してから、また布団を戻した。
深海棲艦化によって下半身そのものが生体艤装へと変化してしまっていた妙高だが、特異点による治療でそこも元に戻っている。ハッキリとした下半身の感覚に安心しつつも、一度ああなってしまったことで足の存在をしっかり確認しておかないと不安にはなった。
「妙高さんは大人だから耐えられてるのかな」
蛍の素朴な疑問に、透はそういうことあまり言わない方がいいと困ったような表情を見せる。
だが、妙高は大丈夫と透を制した後、非常に重いものの、自分の過去のことを話した。
「私は
「経験者って、え?」
「正当防衛ですが、私は人を傷付けたことがある罪人ですので。当然、仲間を陥れたことは堪えていますよ」
電には語っている妙高の過去。それを伝えることで、今妙高が罪悪感に苛まれても発狂せずに済んでいる理由を知ってもらった。
丹陽は表情一つ崩していなかったが、他の者達は驚きを隠せなかった。自分の過去を隠している艦娘は非常に多いが、妙高のそれはこのようなカタチで公表するようなことではなかったから。
「え……っと、その、ごめんなさい」
「いえ、この場では知っておいてもらった方がいいでしょう」
素直に謝る蛍に薄く笑みを浮かべて返すものの、布団の中に隠した手はあらゆる負の感情で小さく震えている。表情に浮かべていないだけで、妙高もあの時の言動に怒りを覚えているのは間違いない。だが、それは今は見せないようにしていた。丹陽にはこれもお見通しなようだが。
工廠に辿り着いた深雪達は、その場の状況を見てあまりいい顔が出来なかった。
外に放置されていた者達も含め、量産化を施された者達がほぼ全員詰め込まれているという悲惨な状態。移動鎮守府であるうみどりの工廠よりそもそもの広さが違うとはいえ、被害者がこれだけいたというのを嫌でも見せつけられる。
しかも、ここにいる者達は未だに洗脳から解放されていないため、深雪の姿を目にした瞬間、憤りの感情を叩き付けられるような感覚に苛まれることになる。
「居心地悪ぃ……」
「なのです……」
「気にしちゃダメダメ。最後はみんな元通りになるんだから」
その視線に嫌な気分になっている深雪と電だが、グレカーレがそんな視線を受けてもむしろ逆にニヤニヤして見せるくらいのことをしていた。
少しでも解放したら、今この時でも特異点を始末しようと動き出すだろう。今は工廠にいるかもしれないが、誰も艤装を装備していないのだ。それに、量産化の爪も健在。この中の誰かに施せば、そのまま一転攻勢に出来る。そう考えていてもおかしくない。
だから、そういう視線を向けた者に対して、監視役をしていた丁型海防艦達が、まるで豆撒きのように爆雷を投げていた。
「鬼は外でっすー」
「睨んじゃうような人には、こうだ!」
「ごめんなさい、でも、こうしておかないとダメなので」
開き直る、使命を完遂する、謝罪しながらでも役目を全うする。三者三様、
「おう、来たかテメェら」
そんな状況を見ながら工廠の奥まで向かうと、そこにいたのは昼目提督。外に放置してきた者達を運び入れたのも、人柱を選出して試験的な処置を施したのも、全ておおわしの調査隊。秘書艦鳥海も、安全面を考慮したラバースーツ装備で昼目提督の隣で作業中。
「丹陽に聞いたんだけど、何人かは元に戻ったって」
「おう、綾波が言ってたアレでな。やるのが少し可哀想になるタイプの処置だから、
その処置、洗浄液への漬け込みだが、その人柱となった者も奥から現れる。当然ながら姿は元に戻っており、米駆逐棲姫の服装は絶対にしたくないと自分の制服をしっかり着込んでいた。
「あのさ、流石にあのやり方は酷いんじゃないかな」
「それまでの自分の言動を覚えてねぇのかテメェは。オレのことなんて言ったよ。特異点に与する野蛮な犬だったか? オレ、結構根に持つタイプなんでねぇ」
「だとしても、浴槽に顔面から叩き込むとか、人間の所業じゃないよ。これだから人間は……」
この最後の言葉で、深雪は誰だかすぐにわかる。
「時雨……元に戻れたのか」
「ん? ああ、ありがたいことに、首根っこ掴まれて洗浄液で満たされた浴槽に顔面から押し込まれてね。上から下から洗浄液塗れになったらこの通りさ。ありがたいことに、後遺症とかも無いみたいだ」
深雪の知っている、カテゴリーMの時雨。そこにいたのは、量産化を施される前の、皮肉屋の時雨だった。
人柱にされたのは、おそらく昼目提督への態度だろう。鎮守府外でもそうだったが、どういう状況でも減らず口が絶えず、綾波にボコボコにされても文句を止めない、口が達者すぎたことが、他の
「思い出すだけでも腹が立つよ。何なんだいあの時の僕は。君を陥れるならもう少し上手くやるさ。なのに、艤装を持っていないからって真っ向勝負とか、頭が悪いにも程がある。少し力を手に入れたからといい気になっているだなんて、僕じゃないね。ああ、アレは僕じゃないよ」
量産化を施されていなくても減らず口は止まらない。しかし、それでこそ時雨だと、深雪は少しだけ安心した。
今の時雨は、自分に対しての怒りを口にしているだけ。昼目提督に対してはやられたことがやられたことだけに文句の一つや二つは言ったものの、そのやり方そのものに対して否定はしていない。あの時の自分は自分ではないとして、それに対してやることなら非道であっても問題ないと割り切ろうとしているからである。
しかし、深雪の姿を目にしたことで、どうしても
むしろ、やたらと喋るのはそんな気持ちを隠すためとすら思えた。同じように、空気が悪くなりそうだと口数が増えるグレカーレはすぐにそれに気付き、ニンマリと悪い笑みを浮かべる。
「ねえねえシグレ、ちゃんと元に戻ってるんだよね?」
「当たり前じゃないか。何処からどう見ても、君達の知る駆逐艦時雨だろう。あんな巫山戯たことなんて二度としないさ。気分が悪い」
「じゃあさ、その証拠見たいなー。だって、アイツらって姿だけなら元の姿に戻せるんだもんねぇ。見た目は治ってても、中身は治ってないかもしれないからさぁ。ミユキのこと、どう思ってる? あの時は何だっけ? 特異点は世界の悪だったっけ?」
かなり痛いところを突くグレカーレの発言に、時雨は顔を顰める。ある意味心を抉るような発言なのだが、こんなことを突きつけることが出来るのは、グレカーレくらいしかいない。
恐ろしい
「綾波も聞きたいですねぇ。まだこの街の市民を傷付けるようなゴミクズさんですかぁ?」
こちらに対しては、どちらかと言えば恐怖心の方が強い。街を傷付ける者に対しての容赦の無さを身を以て知った時雨には、綾波という存在そのものがトラウマになりかけている。
だが、それに返答する前にまずはグレカーレの問いに対して。顔を赤らめながら手で顔を隠す。今の表情を見られたくないというのがわかりやすい。
「……もうそんなことは微塵も思っていないよ」
あの時の深雪の言葉も覚えているし、それに対してどう返したかも覚えている。そんな言動があまりにも恥ずかしく、時雨は何よりもそれが気分が悪かった。そこを突いてくるグレカーレには気分を悪くしつつも、ここでちゃんと言っておかないと本当に治療が完了したかを証明出来ないという、ある意味地獄のような状況。
「あたしは、時雨とは友達になれてると思ってる」
「君はよくもまぁ真っ直ぐそんなことが面と向かって言えるね。恥ずかしげもなく」
「本心言うのに何を恥ずかしがることがあるんだよ」
深雪はグレカーレのようにニヤつきながら言っているわけではない。ただ、時雨が本当に元に戻っているかを知るために、あの時──街での戦いの時に言ったことをもう一度伝えただけ。
そんな深雪に、時雨は大きく溜息を吐いて答える。
「……特異点という前に、深雪は僕の中でも結構大きな存在だよ。好敵手だしね」
「それは友達って意味でいいか」
「……ああ、もう、それでいいよ」
素直になれない時雨から、この言葉を引き出せただけでも充分だった。ずっと辛い思いをしていた深雪にも、少しだけ笑みが溢れた。
洗浄液に漬け込むという手段で、洗脳が解除されることがわかった今ならば、工廠に押し込まれている全員をどうにかすることが出来るだろう。時間はかかるものの、終わりには近付いた。
時雨は少しだけ素直に言いましたが、まだ心の中は完治したわけではありません。羞恥心はかなりのモノです。