洗浄液に漬け込むという大胆な治療法により、米駆逐棲姫の量産化が取り除けることが判明した。その人柱となったのが、時雨。あの状況でも減らず口を叩き続けたことによって、昼目提督が一番
そのおかげで時雨からは量産化の影響が完全に取り除かれ、本来の姿を取り戻すことが出来ている。また、本来の反骨心も取り戻しているため、梅や秋月のような強いショックを受けて壊れているようなこともなく、いつもの調子を取り戻すに至っている。
その時雨の姿が、深雪にとっては大きな希望にもなっていた。全員が全員、あの時のことを悔やんでボロボロになっているわけでは無い。極少数かもしれないが、そこを起点にまた元の関係に戻れるはずだと思わせるには充分である。
「そういや、丹陽は人柱を
丹陽に工廠に向かうように促された際に聞いたこと。被害者を救うための人柱は、1人ではなく何人かいるはずである。そのうちの1人が時雨ということになるのだが、他は誰なのか。
「ん? ああ、もう治ってんだけどな、落ち着くまでに時間がかかるから、すぐにこっちに来れねぇだけだ。一番手は時雨ってだけだぜ」
選出理由は相変わらず、『この処置をしても心が痛まない者』。つまり、あちら側の時にその言動が敵を鼓舞するようなことになる者。時雨のようにこうなっても減らず口を叩き続けるような気概を持つ者。
そう考えると、誰が該当するかは何となく予想がついた。深雪でもスッと思い浮かんだのは、あの潜水艦。
「スキャンプか?」
「察しがいいじゃねぇか。ああ、アイツだよ。ウチのガキ共が煩くてな。スキャンプを早く治してやってほしいって言われちゃあ、やってやるしかねぇ」
時雨と同じように文句を言い続けそうなのは、やはりスキャンプ。どういう状況にあっても、その反骨心は失われない。味方ならば頼もしいが、敵だと本当に厄介だった。綾波が滅茶苦茶にして戦意を失わせているかと思っていても、綾波の姿が無ければ口汚く昼目提督などを罵ったらしい。
しかし、丁型海防艦達にはそんなスキャンプは見ていたくないと訴えられていた。ならばどうであれやるしかないなと、昼目提督は時雨の次に選出。時雨相手にするくらいに少々荒っぽく治療を施したとのこと。最後まで噛みついてきたために、
「スキャンプなら今頃着替えてるよ。あのやり方、すぐには治らない上に、身体が動くようになるまでも少し時間がかかるんだ」
「そうなのか?」
「実際に受けた僕が言うんだから間違いないよ。そもそも治療を受けたのは今日の朝だからね。それでこの時間なんだから察してほしいよ」
ただ漬け込むだけでも少々時間がかかり、そのあと浸透するまでに時間がかかり、元に戻れたとしても身体に力が入るまでにまた時間がかかる。1人につき、それがおおよそ1時間強かかるとなれば、確実とはいえ時間がかかり過ぎとも思えた。
とはいえ、人柱のおかげでこの辺りはいろいろと分析が進んでおり、もう少し効率がいい方法が見つかるのも時間の問題だと思われる。
「1つわかってんのは、あの現場で涼月がやったことも正しかったってこった」
「涼月が?」
「ああ、オレは又聞きなんだけどな。夕立、テメェは知ってんだろ」
「ぽい。涼月、那珂ちゃんの顔面に水鉄砲をゼロ距離でぶち込んだっぽい。洗浄液飲ませるって」
「それが実は一番効率的だったんだよ。だからオレは時雨もスキャンプも顔面から洗浄液に押し付けたんだ」
否が応でも洗浄液を飲むことになり、体内の洗浄が一気に進む。体外は漬け込むことでどうとでもなるが、そこから体内に浸透させるにはどうしても時間がかかるため、後からどうなってもいいから飲ませるというのが最適解であった。
とはいえ、飲めと言われてはいそうですかと飲んでくれるような者ではない。故に、かなり強引な手段で飲まざるを得ない状況を作り上げた。昼目提督ならやりそうというのもあって、あまり褒められたやり方ではないものの、最善とされて認可も下りている。
「涼月は、那珂ちゃんがお腹下すかもって言ってたっぽい」
「あー……いや、そんなことは無かったんだが、具合は悪そうではあったな。それも時間がかかる原因だ」
「堪ったものじゃないよ。がぶ飲みさせられて気持ち悪いし、それなのに力が入らないから何も出来ないし。最後どうなったと思う? 全部上から吐き出す羽目になったんだよ。あの忌々しい奴に注がれた穢れをさ」
心底嫌そうに話す時雨に、夕立はニコニコである。知ってる時雨が帰ってきたと大喜び。こうでなくちゃと背中をバンバン叩いていた。
「つまり……その治療をすると、力が抜ける上に、その、いっぱい吐いてしまう、ということなのです?」
電の質問に昼目提督はそうだと頷いた。あまり喜べるものではないのだが、体内に注入された穢れをそういうカタチでも体外に放出出来るのならば、深雪達からすれば可哀想ではあるがどんどん実践してもらいたい手段。
と、ここまで聞いて少しだけ引っかかることがあった。
「昼目提督様、一つ尋ねさせていただいても」
「そんなに改まらなくてもいいぜ。どうしたよ白雲」
「時雨様やスキャンプ様に飲ませる方針で処置を施したということは、
時雨を顔面から浴槽にぶち込むという手段は、多少は昼目提督の苛立ちもあったかもしれないが、
昼目提督もご名答だとニヤリと笑みを浮かべた。つまり、一番初めに治療が完了したのは時雨でも無ければスキャンプでもない。
「最初に正気を取り戻したのは那珂だ。涼月が顔面砲撃で洗浄液をがぶ飲みさせている上に、無力化のために身体が乾く間もないくらいに濡らし続けていたからだろうな。風呂に漬けるより時間はかかっちまったが、効果がしっかり浸透して、いきなり穢れを吐いたんだよ」
「うわぁ……アイドルなのに」
「そう言ってやんな。アイツが一番傷付くぞ。でもまぁ、そのおかげで那珂はもう正気に戻ってる。今はオレ達の手伝いをしてくれてんだよ」
姿を見せないのは、今は正気に戻ったスキャンプの介抱をしているから。無力化の影響がどうしても出てしまっているため、1人では動けなくなってしまい、風呂でそんなことが起きたら潜水艦とて艤装を装備していないのだから溺死してしまう。それをサポートしているらしい。
「んなら、那珂ちゃんはもしかして……その、今回の件、そこまで気にしてないってことか?」
「そいつは本人に会って確かめな。そろそろスキャンプを連れてこっちに来るだろうからな」
そう話しているうちに、昼目提督が話していた通り、苛立ちを一切隠していないスキャンプと、常日頃からの笑顔をそのままにしている那珂が奥からやってきた。
「スキャンプちゃん、スマイルスマイル♪ 気持ちはわかるけどぉ、イライラしてたら幸せも逃げちゃうよ?」
「うるせぇよ。この状況で笑っていられるか!」
2人ともいつもの調子だと安心出来るものの、スキャンプは時雨と同じように、敵にいいように使われていたことが相当気に入らないようで、那珂にすらも当たり散らすくらいに苛立っていた。時雨のような冷静さはなく、ただただむしゃくしゃすると、その感情を隠そうともしない。
「よう、スキャンプ。元に戻ったみたいだな」
「あぁん? ……チッ、ミユキかよ」
そして、深雪には申し訳なさがあるのか、舌打ちをしながら目を逸らした。特異点をこき下ろしていたこともあり、その思考誘導から解き放たれた今、そこに複雑な感情が綯交ぜになってしまっている。
素直に謝ることも出来ず、いつものように喧嘩を売ることも出来ず、悶々としているのが一目瞭然。事情が事情だけに、深雪もそこまで深掘り出来ず。
しかし、そんなスキャンプを横目に、もう1人の復帰者、那珂がキラキラした笑顔で深雪の前に躍り出る。
「じゃーん、那珂ちゃん復活です! ちょっと路線変更されかけちゃったけど、悪徳企業のプロデューサーはポイして、ちゃんと後始末屋に戻ってきましたー!」
舌を出しながら横ピースまで決めて、もう何も気にしていませんと言わんばかりの明るさを見せつける。それが逆に怖いくらいに。
「あ、あのさ、那珂ちゃん、その……大丈夫か?」
「あ、深雪ちゃん、あの時はゴメンね。那珂ちゃん勝手に方針転換されてアングラ系アイドルにされかかっちゃったけど、もう大丈夫! あれもまた経験ってことで、過去の自分を反面教師にしてこれからもアイドル活動していくから、応援よろしくね♪」
過去のことを忘れたわけではない。むしろ、それを覚えているからこそ、逆境を跳ね返すんだという気持ちで、ムンと力を入れた。その際もやはりアイドルらしい明るい笑顔。何も変わっていない。
那珂は何も心が壊れているわけではない。本心から全てを受け入れ、しかし悲観することなく笑顔を振り撒き続ける。真のアイドルとして、周りを悲しませることは決してしない。だから自分でも悲しまない。
どのような状況に置かれても、笑顔を忘れることはない。これまでも、これからも。
「……すげぇよ那珂ちゃん、アイドルの鑑だ」
「いやーん、そんなに褒められると恥ずかしいー♪ でもね、やっぱり誰かが辛い目に遭ってるのは、那珂ちゃんも嫌なんだよ。だから、いっちばん初めに那珂ちゃんが元に戻れてよかったと思ってる。みんなを那珂ちゃんの歌で笑顔にしていくからね♪」
そう言いながら、那珂はスキップしながら外へと向かっていった。丁型海防艦の手伝いをするため、そして次の治療者の選出をするため。
鼻歌を口ずさみながら進む那珂は、とても眩しく、そしてとても温かい。
「……那珂ちゃんさん、無理していないのですか?」
電がボソリと呟くが、それにすかさず返すのは時雨である。
「あの人、多分本気でああ考えてるよ。あの時の苦しい記憶を持っているのに、周りを笑顔にするために自分も笑顔でいるんだ。僕も最初は本当に驚いた。なんで笑っていられるんだって、むしろ正面から聞いたよ」
「そうしたら……なんて言われたのです?」
「みんなを笑顔にするのがアイドルだからって、誰も悲しい思いをしないために、まずは自分が悲しまない……だってさ」
割り切り、開き直り、アイドルをやり直す。過去を振り返りながらも、過去を思わせないように活動を続ける。それが那珂の他に無い強さ。
誰もに笑顔を届けるために、まずは自分が笑顔になる。常に、どんな心境でも。
事実、那珂は人間を超越するほどのメンタルを持っていると言えた。神風や伊203のように肉体を極限にまで鍛え上げて人間を辞めている者がいるように、那珂は何かがきっかけで人間を辞めていると思える程の精神性を手に入れてしまっていた。
那珂はいわゆる、
一切ブレないアイドルの中のアイドル。それが那珂ちゃん。