被害者の治療は苛烈を極め、深雪達が夕食の後、シャワーを浴びた後でも終わりはまだ見えない。最終的に丸一晩かかるのではと予想されている。特異点の存在はどうしても刺激が強すぎるということで、深雪達は手伝うことも出来ずに眠ることとなった。
深雪は仕方ないと思いつつも悔しさを滲ませながら部屋へ。電も今だけは無理だと理解しながらも手が出せないことを悲しんでいる。寝ないといけないとわかっていても、簡単に眠れそうにない。
「気になるのはわかるけど、今寝ておかないと明日しっかり動けないよ。ちゃんと寝ときなー」
軽い口調のグレカーレが、隣のベッドから忠告。相変わらずの敏感肌のせいで1人だけ別のベッドではあるものの、その視線は深雪達にしっかり向いている。
「……んなこと言ってもよぉ」
「なのです……今もまだまだ作業中ですよね」
「そうだねぇ。市民は終わったんだから、今頃あたし達の仲間達が治されてるだろうねぇ。まぁ、多少はヘルプにも行ってるみたいだから、心配しなさんなって」
シャワーの後に冬月や涼月からその話は聞いていた。現在進行形で続く治療は、優先順位の高い軍港都市の市民が全員終わったことで、艦娘への治療が始まっていること。そして、その順序に関してはそこまで考えているわけではなく、それこそ近くにいる者から次々に運んでは洗浄液の湯船に突っ込んでいく感じて進めている。
速さ重視の伊203はそれの手伝いにも加わっている。伊豆提督達上位陣は、今くらいは休息が必要であると今は外に呑みに行っているため、艦娘達が力を合わせて続けていた。
また、意外にもスキャンプもそこの手伝いに参加しているらしい。時雨と夕立の演習に付き合っていた時に、子供に群がられるスキャンプからそうすると直に聞いているから知っているとのこと。
「あのスキャンプが……ねぇ」
「でも、強引にやれる人材って結構重要だよ。あたしも艤装使って無理矢理押し込むとかしてもいいんだけどさ、流石に深海艤装は危ないから、気持ちだけ受け取っとくって言われちゃった。艤装ないと貧弱なお子ちゃまだしねあたし」
そういう意味では、潜水艦はこういう作業には都合がいいのかもしれない。艤装を装備してもそこまで大きくなく、しなくても膂力はそれなりにある。海中で鍛えられた身体で、水仕事も得意と来た。
特にスキャンプは喧嘩っ早さもそうだが、生身でもそれなりに戦えるくらいには強い。こういう
とはいえ、性格的にこういう場で動くようには思っていなかった。子供に泣きつかれたというわけでもないらしく、それこそ自らの意思で手伝うと言ったとのこと。
「いや、でもやってくれるのならありがてぇよな、うん」
「なのです。電達が出来ない分、託すのです」
「だな。あたし達にはそうすることしか出来ねぇ」
今はそれがみんなにとっての最善。深雪はそう割り切って眠ることにした。精神的な疲労もあってか、すぐに眠りに落ちることも出来た。
大浴場は本来張られている湯船が全て失われ、その全てが洗浄液で満たされていた。そこに漬け込み、時には顔面から叩き込み、そうでなくても無理矢理飲ませて体内まで洗浄し、最終的に全てを吐かせる。
当初はそれをやるのは昼目提督だったのだが、今は息抜きのために外出しているため、秘書艦である鳥海が主に受け持っていた。また響や白雪、神通など調査隊が昼目提督の意思を継ぎ、情もなくしっかり作業を続けている。
風呂という場所はそれに適しており、吐き出した穢れをすぐに洗い流せるというのは大きな利点。それにも洗浄液を使えば、大浴場に穢れが蔓延するようなこともない。
鎮守府なだけあって、洗浄液の在庫はかなり多くある。仕入れることも容易。今はあるだけの洗浄液を、文字通り湯水の如く使って全員の治療を終わらせる。
唯一の癒しは、せめて心が落ち着けられるようにと、那珂がアイドルらしく歌を歌っていることくらい。それでもその那珂が歌いながら治療を施しているため、見るに堪えない状況ではあるのだが。
「珍しい」
そんな歌に耳を傾けながら、仲間であろうと関係なく速く終わるために頭を掴んで湯船に突っ込む伊203は、同じように手伝いに来たスキャンプの姿を見て一言。
無力化していても妹達の能力は健在であるため、爪対策にウェットスーツを着用。これだけ洗浄液に漬け込んでいるため、急に腕が動いて肌が出ている顔を引っ掻いたりすることは無い。勿論、万が一のことを考えてそこは気をつけているが。
「悪かったな」
「思うところでもある?」
「……ああ」
手短に、しかし確固たる意志を持ったスキャンプが、ズカズカと大浴場を歩く。だれを治療するかを最初から決めているかのようだった。
「あたいも一応救護班の一員だ。嫌々だったけどな」
「そう。乗りかかった船だから?」
「そんな感じだ」
スキャンプが見据えるのは、その救護班のリーダー。今は洗浄液に漬けられて話すことも出来ない程に無力化されている酒匂である。その周りには睦月や子日など、救護班が集められているようだった。
「よう、サカワ。それにムツキとネノヒも。あたいは先に戻ったぜ。こんなクソみたいな状況からよ」
苛立ちはどうしても見える。だが、これだけは自分がやると決意してここにいた。救護班を、ただしく救護班に戻すために、自分が
ここでの行為は、明らかに度が過ぎているところもある。一歩間違えたら溺死まであり得るかなり無茶苦茶な治療法だ。しかし、そうでもしないと洗浄液を飲むなんてことはしないだろう。故に、ここにいる者は心を鬼にして無理矢理にでも飲ませている。
その甲斐あって、市民は元に戻ることが出来ているのだ。その手段に対して文句が出るかもしれないが、それに関しては許容範囲内。
「……アンタはそういう目をするような奴じゃねぇだろうが」
優しく頭に手を添えたかと思うと、力いっぱい水面に顔面を押し付けた。こうしないと治療が出来ないとはいえ、
もっと優しく出来るかもしれないが、嫌でも飲ませるにはこれが一番早かったりする。息を止められたり、飲まずに耐えるということもされたりする可能性があるからである。多少強引な方が水を飲む可能性は高くなると言えるだろう。
案の定、酒匂もこれによって洗浄液を飲むことになる。少量でも効果はあるが、酒匂の場合は相当量を飲んだようで、ゲホゲホと咽せながら洗浄液を既に吐き出していた。
「悪ぃな。飲めと言われて飲まねぇだろ。だからこうした。仕方ねぇよな、あたいもそうだったんだ。テメェらはそう思わされてるんだ。嫌って程わかってる」
続いて、子日に同じことをするスキャンプ。無力化されていても抵抗しようとしているらしく、少々身体が強張った。しかし、十全の力が使える上に、こういう時のために艤装まで装備しているスキャンプの前では無力。
それでも飲むのを耐えようとしたため、スキャンプは機転を利かせて脇腹を突いた。その瞬間息が抜けてしまい、思い切り洗浄液を飲み込む羽目に。
当然ながら睦月も放っておくわけがない。怯えた目をしたものの、一切の容赦なくその顔面を水面に叩きつける。一瞬抵抗したように力が入ったが、洗浄液の効果は大きく、身体が震える程度で何の抵抗にもならなかった。
「……テメェらの恨みは、あたいが全部買ってやるよ。元に戻ったとしても、あたいには嫌な気分が残るだろうさ。でも、それで構わねぇ。そもそもあたいはテメェらの仲間でもなんでもねぇんだからな」
涙目でスキャンプを睨み付ける3人。そんな表情もスキャンプには通用しない。足りないようだなと、もう一度洗浄液に頭を突っ込ませた。
「もう充分だろ。少ししたら嫌でも吐くことになるから覚悟しとけ。あたいがここで吐くまで待っててやるよ。ちゃんと掃除くらいはしてやる」
いくら睨みつけても、それ以上の怒りと憎しみの篭った目で睨み返されることで、3人とも少し怯んでしまっていた。スキャンプの複雑な感情が目から察することが出来るのだが、妹にされたことで劣化した思考では、その真意には気付けない。
「あたいもテメェらみたいだったぜ。Admiralにガン垂れてよ。巫山戯んじゃねぇって思ったもんだ。でも、それもすぐに後悔することになる。あたいは後悔も何もしてねぇけどな」
そして、体内まで洗浄されるまでその場で待つ。腕を組んで、見下すように睨みつけて。その怒りも憎しみも、目の前にいる3人ではなく、その向こう側にいる米駆逐棲姫に向けられたモノ。
その時間はスキャンプも知っているそこそこ長い時間。その間に他の者の治療をするべきではあるのだが、伊203はスキャンプの気持ちも察していたため、あえて何も言わなかった。
スキャンプが酒匂に対して好意を抱いていることを知っている者は多い。伊203はそういうところも鋭い。後のことを考えると、スキャンプの好きにさせた方が速いと判断した。
「ゲホッ!?」
そして、その時が訪れる。酒匂が顔を青くし、咳き込み始めたのだ。それを見たスキャンプは、かなり強引ではあるが無理矢理洗浄液の湯船から引き摺り出した。流石に湯船の中で吐かせるわけにはいかない。
吐いてなるものかと我慢しているようだが、洗浄液による無力化のせいで力むこともままならないため、吐きそうと思った時にはすぐさま込み上げてくるものがあった。
「我慢せずに吐けよ。むしろ、思い切り吐いておけ。誰も咎めねぇ。どうせみんな同じになる」
スキャンプが酒匂に下を向かせた瞬間、それが呼水となって思い切り穢れを吐き出し始めた。人間の吐瀉物とは思えない、黒く澱んだ液体。それこそ、後始末の現場で海に浮かんでいるのを見たことがあるそれ。
こんなものが身体の中に入っていたのかと嫌な気分になるが、吐いている酒匂はそれどころではない。次から次へと溢れ出してくる穢れを、体内に一滴も残らないように吐き出していく様は、悲痛にも見えた。
「カハッ……ケホッ……」
「
吐き終わった酒匂の背中をさすってやりながら、吐いた穢れを洗浄液で浄化させつつ洗い流す。
吐けば吐くほど酒匂の中から量産の影響は抜けていき、米駆逐棲姫に対しての感情は反転していく。
「っへっ……はぁ……す、スキャンプちゃん……」
「おう、どうしたサカワ」
「スキャンプちゃん……ど、どうしよう、酒匂、酒匂とんでもないこと……」
正気に戻ったことで、今度やってくるのは罪悪感。やらされていたことだが、その時は自分の意思であったことが非常に厄介であり、全てが終わった後も尾を引き続ける。
「いいかサカワ、あたいもそうだが、これは全部やらされたことだ。だから、気にすんな。アンタにはそう言っても難しいかもしれねぇけど、思い詰める必要は無ぇ」
肩を掴んで、正面から言い放つスキャンプ。しかし、酒匂は目が泳ぎ、苦しみしかない表情に。
元々重度の鬱病を患っていた酒匂には、この現状がとても辛く、忘れたくても忘れられない。誰も辛い思いをしないようにと思っていたのに、自分が発端で辛い思いをさせてしまっているのだから。
「……時間はかかるかもしれねぇけど、大丈夫だってのはすぐにわかる。なんなら、あたいが傍にいてやる。あたいもアンタみたいにされた口だからな。気持ちもわかる」
「スキャンプ……ちゃん……」
酒匂は泣き出してしまった。子供のように、感情を露わにして、大きな声で泣き叫んだ。
治療される者は、みんなこうなるだろう。それを思うと、スキャンプはどうしても怒りが抑えきれなかった。
大浴場で行なわれる壮絶な治療風景。これが一般市民も込みで丸一日行われることになります。