翌朝、本来ならばもううみどりの修復も終わり、溜まりに溜まった後始末をこなすために海に戻っている頃。だが今は、うみどりがさらに破壊されてしまったことにより、軍港都市での休息はより長引くことになった。
その1日目。量産化を受けていた者達の治療は全員完了。まだ力が入らない者は残っているものの、ひとまずは敵対の意思を持つ者はいなくなったと報告が入った。
「とりあえず……みんな元には戻ったんだな……よかった」
「なのです……ずっとあんなだったとしたら……」
朝の食堂でその話を聞き、ほっと胸を撫で下ろす深雪と電。ちなみにその話を伝えたのは、治療を続けており徹夜明けの白雪と響である。朝食後はそのまま休むとのこと。
調査隊は、丁型海防艦を除いて大浴場での治療作業に従事していたため、その全容を把握している。誰がどのようにされ、治療が終わった後はどうなったのかまで。
「その……やっぱりあたし達はまだ会わない方がいいか」
深雪が尋ねるのも無理はない。存在そのものが刺激が強すぎると言われ、普段も気を遣って行動させられている今、まだ自由に仲間達と交流出来ないかとどうしても考えてしまう。
「厳しいことを言うことになるけれど、私はもう少し時間を置いた方がいいと思うよ」
返したのは響。表情も態度もいつものように飄々としているものの、やはり疲れが溜まっているのがわかる。顔色が悪いというわけでは無くとも、雰囲気にそれが見えているからだ。隣の白雪も似たようなもの。
「彼女達は今は消耗しているんだ。身も心もね」
「……そう、だよな。昨日の今日だしな」
わかっていたけれど、これは聞いておきたかった。今すぐにでも安否を確認したいという気持ちはあれど、そうすることで仲間が苦しむのならば我慢せざるを得ない。
「皆さん酷く落ち込んでいました。あの記憶が残ってしまっているのがどうしても辛いようで」
「だよなぁ……でも、記憶はどうにも出来ねぇよ」
「はい。それに、それは出来たとしても
辛さを取るためとはいえ、記憶を弄って都合のいいように変えるというのは、それはそれで出洲一派とやっていることは同じようなものだと、白雪は考えていた。
催眠療法なんてものもあるが、記憶操作なんて伴わない。それに、いくらここに何人もいるとはいえ、催眠術が使える者は流石にいない。響は、噂には聞いたことがあるがとチラつかせるが。
「根気強く、立ち直るまで待つしかないかと思います。何かのきっかけがあれば早そうですが……何とも難しい話です」
「だな……ただでさえ米のこともあるってのに」
深雪達はまだ、米駆逐棲姫に対してどういう処分を下すかは正しく知らない。しかし、懲罰房で那珂と対話した彼女のことを見ていたため、極刑で本当にいいのかという疑問はある。
ただしこれは、深雪達が量産化を受けていないから言えること。実際にそれを喰らっている面々が、米駆逐棲姫を生かすことに賛同するか。事情を知ったとしても、怒りが上回る方が率が高いだろう。
「深雪、あまり居心地が悪くなりそうなら、おおわしに来ないかい?」
ここで響は1つ提案をする。うみどりの面々は、そのほとんどが量産化を受けてしまっているため、深雪に引け目がある。そして、そちらの方が人数が多いために起きていることは、一番の被害者で何もしていない深雪が、他の者達に気を遣ってやりたいことも出来ない状況に置かれているということだ。
その存在そのものが刺激が強いという理由があるとはいえ、本来ならば最も苦しい思いをさせられているであろう特異点がこうなってしまっているのは、最初から最後まで正気を保ったままでいられた響達から見ても、とても可哀想だと思える。
「おおわしなら君の存在に引け目を感じる者はいない。ここにいることで苦しいなら、司令官に頼んで転籍も考えてもらうように話をしよう」
「それも1つの案ではありますね。悪くない選択肢だとは思います」
白雪も響の案には比較的賛成のようである。ただし、最後に決めるのは深雪だがと付け加えるが。
あくまでもこれは非常手段だ。あまりにもどうにもならないようならば、調査隊として改めて艦娘としての道を歩き直すということも出来るという
「……いや、あたしは後始末屋だ。その申し出は嬉しいけどさ、出来ればあの仲間達と一緒に海の掃除をしていきたい。あたしとしては、そちらに行くって気持ちは無いんだ。悪い」
だが、それを深雪は少し考えた後、すぐに蹴った。自分が生まれ、あの状況でも殺すことなく拾ってくれたのは後始末屋だ。それに、生まれてから最も長く共に生きてきた仲間達から離れることも深雪には辛い。
電も同じ気持ちだったようで、深雪の言葉に同意するようにうんうんと頷く。しかし、その表情は重い。
「謝らなくてもいいよ。私としては、君に選択肢を与えたに過ぎないんだ。それを自分の意思で拒めるってことは、君はまだ折れていないってことだね。なら私は、その行く末を応援するよ。何かあったら力になろう」
「勿論私も。ここで知り合えたのも大きな縁ですから。手伝えることがあれば何でも言ってください」
響も白雪も、2人の特異点にはこれ以上なく優しい。艤装姉妹というのが大きいようだが、それ以上に、ここまでどう生きてきたかを知っているからこそ、心の底から信頼出来る。この特異点が悪なわけがない。悪に下ることもない。そう確信出来る。
「あ、でも1つだけ」
最後に白雪が言葉を残した。
「
「……ああ、肝に銘じておく」
その白雪の言葉に、深雪は苦笑を漏らした。
治療を受けた者達は、各々療養中。すぐに鎮守府内を出歩けるほど精神的に回復しておらず、真っ先に動き出した那珂や時雨、スキャンプの心が他よりも強かったということの証明となる。
医務室は流石に使えないため、自室に送ろうとしていたが、それだけでは危険性があるということで、今は軍港鎮守府の中でも比較的大きめの部屋に何人かをグループ分けして休んでもらっている状態。そこをカテゴリーYの面々が巡回して話をしていく。
一般市民は朝イチに保前提督から説明を受けて解散となった。家族の者達が迎えにきた事で感動的な再会のようにはなっていたものの、そこで被害者達から出たのは、やはり鎮守府並びに保前提督への非難の声である。何でこんな目に遭わなければならないのだという憤りの言葉から始まり、鎮守府の守りはどうなっているのだ、事前に対策が出来なかったのかと被害を受けたことに対する文句、そして水没させるような治療法はおかしいという保護されてからの扱いに対しても。
元々覚悟はしていたものの、それが実現してしまうと苦しい。だとしても、保前提督は真正面からそれを受け、そして説明責任を果たすために嘘偽りなく全ての情報を開示した。前例の無い手段を使う敵、その治療方法を見つけ出すための苦心、ああしないと抵抗するのだから優しくやっていられないという少々強気な発言もありつつ、その後のケアに至るまで、ありとあらゆる返答を既に考えていた。
これに関しても、息抜きと言いながら昨晩の呑み会で提督一同が額を集めて考えた苦肉の策。鎮守府が損をするくらいならそれでいい。市民の安全が破られたことは、自分の落ち度だと保前提督も納得している。
とはいえ、文句を言っていた被害者達も、姿が見えない敵、姿を変えて潜入してくる敵が存在していると言われたら、何も文句が言えなかった。そもそも被害者となったことで、米駆逐棲姫の能力の一部をその時だけ手に入れていたのだ。自分の姿を変え、他者を陥れるために行動していたのは知っている。そして、それが簡単に対処出来ないことも自覚出来ている。何せ
故に、文句だけは言ったが、保前提督がそのことを隠そうともしていないし、誠心誠意対応していたことも知っているため、最後は納得して文句を言うのをやめた。どう考えても今回の敵のやり方は回避が出来ないことくらいわかっている。それは被害を受けていても受けていなくてもわかることだ。
「……能代、胃薬」
「はい、携帯しています」
市民が去っていった後、すかさず胃薬を飲む保前提督。心労が凄まじく、二日酔いになるような呑み方をしていないのに顔色が悪い。
とはいえ、市民から一応の納得を勝ち取れたため、安堵の息を漏らしていた。中には攻撃的な市民もいたが、そういう者に対してはハッキリと断言する口調で状況を説明し、しかも一度たりとも詰まらずに話し続けるという偉業まで達成しているのだ。
「お疲れ様、トシちゃん。手伝えなくてごめんなさいね」
「いや、ここは俺の街で俺の鎮守府だ。責任を取るのは俺の仕事だからな。ありがたいことに大本営は寄り添ってくれてるんだ。それもしっかり使わせてもらうさ」
これだけの大事件となったが、大本営は軍港都市に非が無いという認識である。文句はあったとしても、あんな攻撃を事前に予測して対処することは不可能。歴戦の勇士であればあるほど、どうにか出来る手段は限られてくる。そんな状況を、誰一人として被害者に怪我人を出さなかったというのは奇跡のようなモノだ。被害者からは当たり前だという声もありそうだが、あの状況でそれが出来たことに意味がある。
その功績も考慮されて、今回は一切のお咎めなし。前回の地下施設の件よりも、大本営は同情の方向に進んでいる。瀬石元帥からの説得があったからというのもあるのだが。
情に流されずとも、今回の件は誰もが対処出来なかったと口を揃えた程だ。むしろこの状況で保前提督をこき下ろすような輩がいた場合、逆に出洲一派との関連性を疑ってしまう。
「出費に関しては何も心配していない。俺の給料が減っても構わん。まずは市民のケアと、破壊された地区の修繕が最優先だ」
「調査隊も手伝いますぜ。どうせ出港は延びちまったんだし、やれる事はやるっス」
「おう、悪いな。正直今は猫の手も忠犬の手も借りたい。妖精さんの力があるとはいえ、壊された建物を直すのにはどうしても時間がかかる」
「うす。指示くれりゃあ、そのように動くんでヨロシク」
昼目提督も手伝うことには乗り気である。どうせまだ軍港都市から出て行くことは出来ないのだから、身体が鈍らないような手伝うと胸を張った。
「イリス、全員視ることは出来たかしら」
「ええ、市民は全員カテゴリーG、純粋な人間に戻っているわ。それに、その家族にもいなかった。見えている限りでは、もう痕跡は残っていないと言えるわね」
「なら安心ね。隠れている人もいなかったみたいだし、これでもう事件は再発するような事はないわけね」
巻き込まれた一般市民も一応の納得を示してくれたおかげで、ひとまずの安堵。保前提督は緊張感が抜けた途端に胃がキリキリと痛み出したようだった。
残すところは、被害者、特に艦娘達のメンタルケアと、米駆逐棲姫の処遇のみ。実際、それが一番の厄介事なのだが。
後始末屋の特異点が、調査隊の特異点になることは回避。