昼目提督が原元元帥に対して仕掛けた罠。それは、煽るだけ煽り、自分を低脳のように見せかけつつ、出洲一派の真意をその口から語らせること。自分達以外、特に今使われている者は、その目的のために人生を壊されたことを肯定させること。
そして、その思惑通り、原元元帥は手駒の人生を壊し、平和の使者へと変えていることを否定しなかった。それを導き出したことで、昼目提督は種明かしをする。
昼目提督の後ろに控えていた秘書艦鳥海が、徐に容器の横に置かれた時計を手に取り、内側を弄る。すると、
『……まさか』
「洗脳教育の洗脳を解く方法って知ってるか? 洗脳をしてた連中からその真意を聞かされることだぜ」
通信の向こう側は、軍港鎮守府の懲罰房に繋がっている。ここまでの一部始終を全て、米駆逐棲姫は聞いていた。
細かいことを言うならば、嫌でも聞くことになっていた。懲罰房にこの通信をしっかり流しており、耳を塞ぐことが出来ない拘束状態ならば、どうしても耳に入ってしまう。
「テメェの部下ってわけじゃねぇだろうが、阿手とかいうクソアマに仕込まれたガキが、あの米野郎ってことだ。アイツも被害者で、テメェらの私利私欲のために利用されただけの憐れな被害者だったわけだ」
『……それを、私に言わせたかったわけ?』
「おう。テメェはオレみたいな
初めて、生首が明確な嫌悪感を表情に見せた。下等だと思っていた昼目提督に出し抜かれ、最も厄介な状況に持っていかれたことに今まで以上の不快感を覚える。
「おうおう、悔しそうな顔しちまってよぉ。オレみたいなアホにいいように使われたのがそんなに悔しいか? そりゃあそうだろうな。テメェは自分を誰よりも上だって思ってたようなヤツだもんな。しかも一度は元帥まで昇り詰めた、エリートで挫折も無いようなヤツだったんだろうよ。実際優秀だったんじゃねぇか? そうでもなきゃ、ここまでアホにはなれねぇ」
容器を軽く叩きながら、おちょくるような口調で煽る。
「どんだけ優秀でもな、他人をぶち壊して自分のために利用するようになっちゃ、その時点でもう誤魔化しようがないくらいにアホなんだよ。で? 今テメェがポロッと溢しちまったテメェの組織のやり方、テメェらのために働いてくれていた米野郎にも聞かれちまったが、何か弁解はあるかオラ」
昼目提督のそんな言葉が聞こえているのかいないのか、これからの振る舞いを考えているような素振りを見せる生首。
一度知られてしまったことを言い訳するのか。それはあまりにも無様すぎる。下等生物だと思っていた昼目提督に出し抜かれたこと自体が恥だというのに、ここから更に言い訳なんてしようものなら、余計に昼目提督を調子付かせることになる。
ならば無言を通すのか。それはそれで、これまでのことを全て肯定することになり、昼目提督を調子付かせることになる。とはいえ、この通信機の向こう側にいる米駆逐棲姫のことも放っておくことに繋がる。
「お、無言かよ。まぁそれが得策だろうな。余計なことを話さねぇ方が、テメェらのためになるだろうよ。でもな、米野郎を見捨てるってことでいいんだな? アイツはテメェらのことを信じてここまでやらかしたんだぞ。でも今、テメェはテメェの口から、アイツを手駒にするために全部ぶち壊してやったと証言したんだ。弁解が無いってことは、さっき言ったことは全部正しいですということでいいんだな?」
昼目提督はあえてここで言い訳させるための助け船を出した。無様に弁解する姿を見るためというわけではなく、ここで感情的にさせれば余計にボロが出ると判断したからだ。
原元元帥もそれは理解している。ここで弁解をしたら、何処かでおかしなことを口走りかねない。ついさっきも通信機があると思わずにポロリと溢してしまったのだ。これ以上喋ったら厄介なことになりかねない。
そのためには、米駆逐棲姫は
「そりゃあそうなるよな。出洲のクソ野郎を守っておいた方が、テメェらの言う平和には近付けるよな。米野郎みたいな
確実に抉る言葉選び。わざわざ相手をイラつかせるような言い方も含めて、煽りに特化している。自分の見た目なども加味して、そういう手段は一切躊躇なく選択する。それで情報を引き出せるなら、何も苦でもない。
特に今回は、本来の目的が原元元帥から情報を引き出すことではないのだ。無言を貫き通してくれて構わない。それによって、
「……もう、取り返しがつかねぇからな。テメェは
吐き捨てるように生首に言葉をぶつけた。
この通信の一部始終を聞くことになった懲罰房。時間も時間であるため、能代と川内がちょうど交代するタイミング。伊豆提督や保前提督、イリスや丹陽までもがここに集まり、全てを聞いていた。
通信の向こう側で繰り広げられた問答。原元元帥の言葉に、そうであろうとわかっていたとはいえ、あまりにも気の毒になってしまった。
「……わた、私は、作られた、落ちこぼれ……?」
真実を知ったことで、米駆逐棲姫は明らかに動揺していた。本来ならばこんな道を歩くことなどなかったのに、最初からこうなるように仕組まれ、そのように育てられたと聞いてしまったら、ここまでグラついてもおかしくない。
「うそ、嘘だ。私を救ってくれた、掬い取ってくれた先生は……」
「お前がそう思うように操っていただけ。人心掌握術に長けた、ただの悪人だ。それに最初からやられていたら、それが常識になってしまうだろうよ」
小さく溜息を吐きながら、保前提督がさらに現実を突きつけた。嘘だと言いたいのに、原という米駆逐棲姫の中では尊敬し目指すべき存在となっていた者の口からそれが語られた、いや、
そもそも通信によって遠方に声が届いていると思っていない時の言葉は、完全に取り繕うことのない、疑いようのない本音だった。それが米駆逐棲姫には深く突き刺さっていた。
「お前がやったことは、そういうことだ。あいつらが平和のためにとやっている人心掌握の片棒を担がされただけ。そして、その平和っていうのが、あいつらの自分勝手な妄想だ。今のお前ならもうわかるだろ」
心酔していた高次の存在からの裏切り。自分が手駒として作られた存在であり、こうなったら既に見捨てられているとすら感じる。
それが何を生み出すか。あまりにもわかりやすい感情だった。
「……許せない……私の人生を……弄んでいただなんて……」
ドロリと真っ黒な血涙を流し始める米駆逐棲姫。心が悲鳴を上げている。身体が怒りに震えている。そして、自分の情けなさで苦しくなる。
認められたいという感情そのものが、あちらの思うツボだったこと。認めてもらえたのも、それは自分の才能を認められたのではなく、あちらに有用だから手駒として認められたということに他ならない。
誰も、米駆逐棲姫の、元々の少女の才能なんて見ていなかった。
その洗脳が、洗脳をかけた者の言葉によって解けたことにより、生まれたのは出洲一派に対しての怒りと憎しみ。そして──
「私に、あんなことをさせて……私は……」
この軍港都市でやった、大きすぎる事件への後悔。ついさっきまでは、それが正しいこと、平和に向かうために必要なことと思っていたが、裏切られたことであちら側の思想そのものに怒りを持ち、それを否定する気持ちが芽生えた途端、それがどれ程愚かな行為であったかをハッキリと理解した。
何人も、何十人もが、自分の手で心を壊され、辛い思いをした。妙高達4人に関しては、自分の命令で人間すら辞めた。本当に取り返しのつかないことが、いくつもある。たった一人では背負えないほどの罪悪感が、一気に襲いかかる。
「私は……なんてことを……」
その思いに至れただけでも、反省が期待出来る心持ちになったのだと言えた。しかし、本当に怖いのはここからである。その心で、これから
そもそもが壊れた心のようなモノ。それがさらに別方向に壊れていく。そこから考えられる最悪の事態は、
「……私は……死罪ですよね……」
急にしおらしく、しかし黒く澱んだ目で保前提督を見つめる米駆逐棲姫。彼女の深海棲艦的な特徴として、白目が黒く染まるというホラーのような特徴があるのだが、今まさにそれが出ている。
それが現れるのは、壊──つまり死に瀕した状況。今回の場合は、身体ではなく心が壊れかけている状態。
「誰からも認められず……迷惑をかけた私に……生きている資格なんてない……殺して……もういい……死にたい……こんな世界で生きていたくない……殺して、もう、殺して、どうせ殺すつもりだったんでしょ、だったら、今すぐ私を、この苦しみから解放してよ……」
涙は流れ続ける。悔しくて、苦しくて、苛立って、米駆逐棲姫は自己の保持すら難しくなっていた。
認められたことすら嘘で、そもそも認めてもらえないことも仕組まれたことで、やらかしたことで周りには敵しかいない。ただこの世界から消えて無くなりたい。ただそれしか思うことがなかった。
「……お前の処遇はまだ考えている最中だ。だけどな、俺が思っていることは1つ教えておいてやる」
保前提督が複雑な表情で米駆逐棲姫に向かい合う。
「お前は死にたいかもしれないがな、そうしたら罪から逃げることになるんだぞ。お前にやられて罪悪感を持ってる奴が必死に立ちあがろうとしてるのに、その元凶のお前がそれから逃げるのか。謝りもせず、顔すら合わせず」
理不尽なのはわかっている。しかし、被害者かもしれないが、米駆逐棲姫は誰よりも加害者だ。それを死ぬことによって逃げるようなことを、保前提督は許しはしない。
死刑に処するとしても、謝罪だけはさせるつもりであった。被害者の前に突き出し、言わねばならないことは言わせてから、その命を終わらせたかった。罪の意識から逃がさないように。
「まずお前が言うことは、死にたいでも殺してくれでもない。お前がやらかした相手への謝罪だ。お前にやられた連中は全員謝ろうとしたぞ。それなのに、なんだお前の体たらくは。罪の意識が芽生えたなら、まず言うことはそれだろうが」
さらなる現実を突きつけられ、米駆逐棲姫は苦しそうに歯を食いしばる。もう前を向くのにも、相応の力が必要だった。
「……ごめん、なさい……ごめんなさい……ごめんなさい……」
ここまでして、ようやく謝罪の言葉が出た。それも、上っ面な言葉ではない、心の底からの謝罪だった。
先に進めるかどうかはわからない。しかし、米駆逐棲姫の心に変化が表れたのは間違いなかった。
米駆逐棲姫といえば、黒の血涙からのホラー演出。