純粋種として生まれ変わった米駆逐棲姫ことフレッチャー。彼女は身体としては深海棲艦どころか人間の要素すら失ってしまっており、それを本来の少女の命を食い潰して生まれてしまったのだと悲観的。しかも、少女の持っていた記憶、そしてそこから来る罪悪感も何もかもを持っている状態で、悲観を加速させる。
そんなフレッチャーを、特異点である深雪と電が宥め、人間を食い潰したわけではなく、引き継いだのだとして、前を向くように語った。その結果、フレッチャーは涙ながらにそれを受け入れ、前に進むことを決意した。
「そんな心境じゃないかもしれねぇけど、もう少し質問させてもらっていいか」
深雪が聞くと、フレッチャーは首を縦に振る。涙を袖で拭い、改めて面と向かった。
「とりあえず、お前がどういうことになってるのかはわかったよ。
「……はい、どうぞ。話せることならば何でも話します」
従順、かつ真面目。フレッチャーの本来の性格として、そこにおっとりしたものが含まれるのだが、今はそれ以上に生まれ持った罪悪感が性格を少し歪めてしまっている。
どうしても少し俯き気味になってしまうし、笑顔なんて以ての外。声量も小さく、声色にも負の感情が乗ることの方が多いほど。
前を向くと決意したところで、すぐに出来たら苦労はしない。艦娘であってもそれは普通なこと。
だから、深雪はまず親身になって話すことにした。無言で面と向かっていても緊張感が負の感情を増幅するだけ。どんなことでもいいから話すだけでも多少は変わるというもの。
「やっぱり、みんなこれは気になると思うから、わかれば話してほしい。
それは勿論、『量産』の曲解。爪で刺されただけで、相手を自分の量産型に変えてしまう恐ろしい能力。
あの力の源は穢れであり、深海棲艦の身体だからこそ可能な力と言ってもいい。そのため、今備わっているとしても、何でどうするかは見当がつかない。
これは新たにカテゴリーWとなった神威と近しいことになるのではとは考えられる。穢れを毒ガスに変換して排煙とする力が、穢れを失ったことで癒しの煙へと変化したのだ。フレッチャーにも同じような変化があってもおかしくはない。
「……すみません、自分では何とも。ですが、爪だけは刺さないように気をつけています」
流石に自分の力がどう変わったかは実感がない。そのせいで、誰かに触れることすら恐ろしくなっている。先程深雪と電の手を取る時も、細心の注意を払っていた。
もし万が一ここで量産化の力が完全な据え置きだったとしたら、ここで刺した時点でこの戦いそのものが終わりかねない。特異点の片方、もしくは両方が妹となってしまったら、ひっくり返すことも出来なくなり治療が不可能となってしまう。切り札が失われてしまうのと同義。
フレッチャーもそこは自覚しているため、余計に人と触れることが恐ろしくなっている。
「いや、こちらこそ悪い。そりゃあそうだよな。自分でわかってたら、すぐに話してくれるはずだ」
「冬月ちゃん達が調査をしてくれると思うのです。だから、それまでは慎重に行くのです」
特異点達の気遣いに、フレッチャーはシュンとしてしまう。やはりこの変化によって性格にも影響があり、本来なら穏やかでおっとりとした性格であるフレッチャーも、今は非常に内向的で後ろ向き。人の前に出ることも怖がり、そもそも顔を上げることすら勇気がいる。
人に触れられないというトラウマはあまりにも大きい。またあんなことになったらと考えると、人に近付くことすら控えかねない。
「でも、お前はみんなと交流してもらうからな。爪のことに関しては、きっとどうにかしてもらえる。最悪、手袋でどうとでもなるだろ」
「なのです。ゴムで跳ね返せるのですから、ゴムの手袋をつければ大丈夫なのです」
対策はいくらでもあるのだと伝えるものの、フレッチャーの表情は暗い。せっかく生まれたのに、引き継いだ記憶がどうしても邪魔をしてしまう。
「そういえば、あの姿変えられるのはどうなんだ? あれも出来そうになかったりするのか?」
「……あちらは……すぐにやれそうです」
目を瞑り、少しだけ力を込めた。すると、フレッチャーの姿がスゥーっと変化していき、検査着から艤装を装備した制服姿になっていた。
しかしこれはあくまでも偽装。そう見えているだけなので、艤装もニセモノ。砲撃も出来なければ、むしろ触れることすら出来ない幻のようなものである。あくまでも、フレッチャーの姿を見ている者に対してこのように見えるというだけ。
つまり、このフレッチャーも例に漏れず、与えられた曲解能力は失われていないということになる。これが『量産』の曲解が未だに残っている裏付けとなっている。
「ちょっと触ってもいいですか?」
「えっ、あ、は、はい……」
電が許可を貰ってからフレッチャーの艤装に触れようとすると、スカッと手が通り抜ける。あくまでも偽装というのがよくわかる。
「すげぇな……最初からそういう風だったとしか見えねぇよ」
「これは便利なのです。他にも出来るのです?」
「えっ……た、多分出来ます。私のこれはただの偽装ですから……あの時はあくまでも市民にしかなりませんでしたが……それなりに自由です」
すると、フレッチャーは何を思ったか、米駆逐棲姫の姿にすら変化が出来ることを見せた。深雪と電は流石にこれには驚かされたが、フレッチャー自身に縁がある姿ならば割と自由に変化出来るということのようである。
軍港都市で見た一般市民の姿は、フレッチャー……ではなく、米駆逐棲姫がああなる前の、本来の姿であると思われた。しかし、今のフレッチャーにはその姿にはなれなそうである。記憶以外の人間の要素が失われたから、そして無意識にあの姿を怖がっているからであろう。
米駆逐棲姫の姿は流石に申し訳なさもあるからか、すぐに元の検査着姿に戻った。
「マジかよ……いや、本当にすげぇ。使いようによっては、これ滅茶苦茶便利だよな」
「なのです。使う機会もありそうなのです」
「そ、そうでしょうか……姿を変えるだけですし……」
「いやいや、自信持てって。ここに無い艤装も幻とはいえ見せられるんだから、充分すぎるっての」
深雪と電は1つ考えた。フレッチャーではなく、その引き継いだ記憶を持っていた少女の願いを叶えることが、フレッチャーの自信に繋がるのではないかと。
懲罰房で彼女は言った。『
その
だから、褒める。実際上辺だけで無く褒めているので、フレッチャーはその言葉を疑いようがない。
「あ、ありがとう、ございます……」
フレッチャーとしても満更ではないようで、少し恥ずかしそうに俯きつつ、口角はほんの少し上がっていた。認められたという認識のようで、少し気分がいいようである。
だが、深雪と電が褒めるだけではおそらく足らない。当然フレッチャー自身の努力も必要だが、その努力が報われる展開になれば、フレッチャーは自然と自信がついていくだろう。
「あとは……あたし達がやったから身体がそうなっちまっただろ。何つーか、不具合みたいなのはないか? 何処かが動かないだとか、感覚がおかしいとか」
「いえ……そういうものは、今のところ。五体満足です……」
それこそ即戦力と言われるだけあり、身体自体には一切の不具合はなく、艤装さえあれば戦えるくらいなのだから、完全な艦娘とも言える。全ては心の問題。感情だけはどうにもならない。
「……ここからあたし達以外の奴らにも会うことになる。それは避けて通れない。大丈夫か?」
この質問に対しては、すぐに答えが返せなかった。罪悪感がどうしても上回り、謝罪しなくてはいけないという気持ちも強くあるのだが、顔を合わせるのが怖いという気持ちも出てくる。
前を向かなくてはと思っても、それがすぐに出来るかどうかは別。フレッチャーではあるものの、思考の半分は人間なのだ。そちらの負の感情の方がどうしても強く表れてしまう。
その感情は、絶対に忘れてはいけないもの。
「大丈夫、です。私は私の罪と向き合わなくてはいけませんから。この街の方々から後ろ指を指されても、艦娘の方々に罵られようとも、私は……前に進みたいと、思います」
今はそうとしか言えない。挫けそうになるかもしれないけれど、始まる前から弱音は言えない。
これはフレッチャーとしての考え方だ。人間の記憶ではない、艦娘としての記憶がそうさせている。
「わかった。あたし達はそれを全力でサポートする。司令とかを頼りづらいなら、あたし達を頼ってくれ」
「なのです! 電達と一緒に頑張りましょう!」
「……はい、よろしく、お願いします」
深々と頭を下げるフレッチャーに、深雪と電は笑顔を見せた。
そんなフレッチャーの進退を決めるのは、提督陣である。深雪と電によるフレッチャーとの対話を、ここまで一部始終見続けていた。
「うみどりで引き取るわ。彼女は今、特異点との接点だけが前を向ける要素だもの」
「ああ、そうしてくれるとありがたい。軍港都市では手に余る」
「調査隊でもいいんスけどね。ある意味、一番居心地は良くなるとは思ったんスけど」
「何とも言えないけれど、フレッチャーちゃん自身が深雪ちゃんと電ちゃんを頼ることになりそうだもの」
フレッチャーの所属はうみどりとなる方向。純粋種との接点が強い場所が一番良さそうというのが大きい。
「問題はうちの市民だが……ここはどうにか説得してみせる。それに、お前達の休息場所を無くすようなことにもならないように手を回してやるさ」
保前提督は鎮守府だけでなく街のことも考えなければならない。ただでさえ米駆逐棲姫を処刑する派閥の方が多いのが市民なのだから、これで納得させるのは骨が折れそうである。
その上、特異点である深雪と電が、このような終わらせ方をしているというのを伝えた場合、どう反応するかは未知数である。深雪と電のことすらバケモノ扱いしかねない。
ここまでやってきたことが、先を考えた結果の善行であるにもかかわらず、他の者からは気味悪がられるというのは、あまりにも酷。
「まぁ、説得にもいろいろ切り札があるんでね。俺はここまで、全部素直に嘘偽りなく隠し事すらせずに来たんだ。本心は隠さない。俺のやり方でここまで長く管理させてもらえたんだ。今回も真正面からぶち当たって、市民を納得させてやるさ」
「ごめんなさいね、こればっかりはアタシ達は手伝えないものね」
「俺も頼まない。お前達は自分の仕事で手一杯だろ。特にハルカ、他の後始末屋に恩が溜まりまくってるんだから、そっちの心配をしとけ」
「そうね……肝に銘じておく」
街の復興も前途多難ではあるものの、しっかり前を向いている。もう、あそこまで酷いことにはならないだろう。
うみどり出港まであと僅か。それまでに、纏められるところは纏めていきたい。
保前提督の切り札は、切り札と言えるかわからない正論パンチなんですが、それで市民を黙らせるくらいに信用を勝ち取っているというのが強み。