翌朝、軍港鎮守府に滞在する最後の日。この日は朝から少し慌ただしかった。
「持って帰る荷物なんてそんなに持ってきてないけど、それで全部纏まったか?」
「なのです。電達は鞄一つで充分なのです」
「白雲も準備は終わっております。この街で購入したものも忘れずに」
「もっちろん。昨日のうちにしっかり準備してたからねぇ」
深雪達は部屋に置いていた荷物は全て鞄に収納。あとはもう帰るだけという状態である。
朝食の後、ある程度のことを済ませたら、全員でうみどりへと帰投。そのまま念のため内部の点検を行なってから出港という流れとなる。
「フレッチャーもうみどりに来るんだよな」
「だねぇ。あたし達が寝てる間に、工廠で舐め回すように調査されてたんだろうねぇ」
「それであの力がどうなったかわかってりゃいいんだけどな」
話題は専らフレッチャーのことになる。こうやって熟睡していた間も調査を受け続け、身体の隅々まで調査されており、うみどりで生活するにしても厄介事があるならばその全てが知れていることを前提としたいということにも繋がっている。
身体的特徴を全て網羅しておけば、フレッチャー自身でも、仲間として付き合っていく艦娘達でも、そこに気をつける事が出来るだろう。何故気を遣わなければならないと考えるものもいるかもしれないが。
「どうであれ、ここからは仲間として付き合っていくさ。仲良くなれるならなっておきたいだろ」
「勿論なのです。これまで辛かった分を、電達が取り戻してあげるのです」
にこやかに宣言して、部屋から出ようとした矢先──
「あ、お、おはようございます……」
扉の前にフレッチャーが立っていた。電は酷い悲鳴をあげかけたが、深雪がやんわりと口を押さえて大声を上げることだけは止めた。そうした深雪であっても、いきなりそこにいたことには驚きを隠さず、白雲やグレカーレだってビクッと震えていた。
以前とは違い、フレッチャーは与えられた制服に身を包んでいた。検査着では無くなったおかげで客観視しても病的な感じは失われているものの、どうしても前を向くのが難しいか、表情は浮かない。
「び、ビックリした……おはようさんフレッチャー。ずっと調査されてたんだろ? 少しくらいは寝れたか?」
「……いえ、あまり……。寝かせていただけたのもとても遅い時間だったのですが……私の中にある記憶をきっかけに、あまり見たくない夢を見ることになりまして……」
「あー……わかる、めっちゃわかる」
深雪は勿論のこと、電も同じように悪夢に苛まれた経験があるため、フレッチャーのそれに激しく同意していた。
「ここに来たのは、やっぱりミユキとイナヅマが恋しくなっちゃったからかなぁ?」
グレカーレが冷やかすように言うが、フレッチャーは一切否定せず、首を縦に振った。工作艦の面々との交流もかなり長く行なわれたものの、それはあくまでも調査、
「丹陽、隠れてんだろ」
部屋から顔を出し、周囲を見回す深雪。すると案の定、ニコニコ笑顔な丹陽が少し離れた位置からフレッチャーの様子を見ていた。
深雪にここにいることを言い当てられたのが嬉しいのか、笑顔はそのままにスキップでもするかのような軽やかな足取りでフレッチャーの隣に立つ。
「隠れてませんよ。見守っていたんですよ」
「どっちでもいいんだけどさ、フレッチャーをここにやったのは」
「勿論私です。フレッチャーさんはまだ皆さんの前に一人で行けるほど世界に慣れていません。それなら、慣れた深雪さん達と一緒にいた方がいいかと思いまして」
言っていることは間違ってはいないため、深雪達もそれを否定することはない。フレッチャー自身、グレカーレからの冷やかしを肯定したように、特異点が恋しくなったというのもある。
今この環境の中、フレッチャーが心を許せる相手は、特異点か丹陽しかいないと言っても過言では無い。周りへの申し訳なさが非常に強く、そもそもが洗脳を受けていない者としかうまく話せないくらい。その中でも、綾波や夕立のような非常に好戦的な者にも恐れがあり、罪悪感と一緒に前を向くことが出来なくなる。
ならば、まずは心が落ち着けるかどうかは一旦置いておいて、誰かと一緒にいるというところから始めるべきだと丹陽は考えた。それに適しているのはやはり特異点である。
「フレッチャーさんには深雪さんを接点にうみどりの皆さんと仲良くなってもらいたいと思っていまして」
「あたしを接点にねぇ……」
「私もうみどりに乗せてもらいますが、常にフレッチャーさんの傍にいられるわけじゃありません。こんなでも潜水艦のボスですから。なので、常に一緒にいられるのは深雪さんじゃないかなと」
そうとは限らないぞと言いたいところではあるのだが、今ここにいる4人は、軍港都市でも共に行動していた、一種の駆逐隊である。そこにフレッチャーが加わるくらい、全く問題がない。
深雪ならば、うみどりの他の面々とも話すことが多いだろう。強くなるため。学ぶために、誰かの力を借りることに抵抗がないのだから。
「わかった、あたしで出来ることならやってやるさ。みんなにも力を借りるけどな」
「勿論なのです。電もフレッチャーさんとは仲良くなりたいのです」
「お姉様の御心のままに。白雲も、フレッチャー様の思うところは多少理解出来るところがあります故」
「同じ奴に恨み持ってるってのもあるしね。フレ子もあたしの仲間だよ」
四者四様にフレッチャーを受け入れている様を見せたことで、フレッチャーが少しだけ涙目になる。悲しいのではなく、感涙が溢れようとしていた。
「お、おいおい」
「も、申し訳ありません……私、誰にも受け入れられないと思っているので……そう言ってもらえると……」
「湿っぽいのはよろしくないよ。泣くくらいなら笑ってようね」
泣きそうなフレッチャーに対して、グレカーレが肩をぽんぽんと叩きつつ頭を撫でていた。見た目だけで言えば立場が逆転しているようにすら見えた。
丹陽も含めて6人で食堂に入ると、やはりフレッチャーの姿を見て少々騒つく。しかし、昨晩の時雨の言葉を思い出したか、静まり返るようなこともなく、フレッチャーに対して敵意などもない。
「まずはちゃんと腹に入れておかないとな。お前も昨日、セレスの甘いモン食っていい気分になれたろ?」
「は、はい……とても美味しくて……」
「美味いモン食って、そういう気持ちで一日が始められるのがいいと思うぜ。好きなモン食えばいいからさ」
空いている席に腰掛けると、何が欲しいかわかっているかの如くセレスが用意されていた朝食を運んでくる。
今日の朝食はパンケーキ。流石にホイップクリームたっぷりとかそういうのではなく、朝食らしくベーコンエッグなどを添えた朝食仕様。
「甘イモノバカリガ食デハナイワ。デモ、美味シイモノガ幸セヲ呼ブノ。間宮ト伊良湖カラモ、学ブコトガ多クテ楽シメタワ」
クスリと微笑みながら、セレスは足取り軽やかに朝食を提供していく。軍港都市で得た学びは、有意義に使えるものであると体現しているようなものだった。
実際、この朝食はとても美味しく、俯いていたフレッチャーも舌鼓を打つほどの出来栄え。やはり食は万人を笑顔に出来るモノであるとセレスはうんうんと頷いていた。それに貢献出来た間宮と伊良湖も満足げである。
「お前は今日からうみどりの仲間なんだからさ、三食これと同じようなものが食えるんだぜ」
「そう、なのですか……。それは、とても素晴らしいこと、ですね」
そこでフレッチャーは突然シュンと俯いてしまう。腹でも痛いのかと心配する深雪だが、フレッチャーがそうなったのは全く別のこと。
「……私は……ここで幸せになってもいいのでしょうか」
罪悪感がどうしても付き纏うため、少しでも幸せを感じると、それが本当にいいことなのかを疑問に思ってしまう。本来のフレッチャーの優しさも、今は足を引っ張る要因となってしまっており、他者への幸福を心から望むからこそ、自らの幸福で他者が不幸になるのではないかと考えてしまう。
「君は実はかなりのバカなんじゃないかい?」
そんなフレッチャーの発言が聞こえたか、深雪達ではなく時雨が反応した。頭を軽くチョップしたことで、フレッチャーは驚いて振り向く。
「君の中に罪悪感があるのはわかるけれど、それとこれとは話が違う。君は君であって、僕らが憎む米駆逐棲姫はもう死んだんだ。君を憎むのは筋違いなんだよ」
これ見よがしに溜息を吐いた後、そうだろうと深雪に目配せ。勿論だと頷く。
「僕が被害者代表になるのは烏滸がましいかもしれないから、ここはあえて妙高さんにでも振らせてもらおうか」
「おや、私ですか」
今回の事件で言えば、数少ない明確な
「そうですね、では私の本音を言わせてもらいます。後付けカテゴリーWである4人の総意ではないのであしからず」
そんな妙高は、別にフレッチャーに対して怒りも憎しみも持っていない。ただ
「私は、貴女には前を向いてもらいたい。そこで、私達が言われたことを貴女にも言っておこうと思います」
「……なん、でしょうか……」
「
それは、深雪から伝えられた我儘。自分がそんな姿を見ているのが辛いから、謝らないでほしい、以前と同じ接し方をしてほしいという、強い願い。それをフレッチャーにも伝えた。
「これは私の我儘かもしれませんが、これからを過ごしやすくするためにも、重い気持ちは取り払いましょう。幸せになってはいけない理由はありません。貴女は、アレとは別の存在なのですから」
「……ですが……」
「今の貴女には心の余裕が全くありません。ですので、まずは心に余裕を持ちましょう。夕立さんはそれがもうわかっているようですけれど」
次に振られたので、胸を張る夕立がフレッチャーに近付き肩を抱く。
「夕立も余裕が無かったから弱くなってたっぽい。だから、フレ子もここで遊んで余裕を持つのがいいっぽい!」
「あ、遊んで……?」
「そう! カードゲームとか、ボードゲームとか!」
そういうゲームは1人では出来ない。仲間としかやれず、仲間とやるからこそ楽しい。
「だーかーらっ、うみどりに戻ったらフレ子はみんなと遊ぶんだよ。罪滅ぼしっていうなら、観念して言うこと聞くっぽい!」
ニンマリ笑って強要した。ここまで言われたら回避する手段は与えられていない。フレッチャーはもう頷くしかなかった。
少しずつでも距離を縮めていく仲間達に、フレッチャーは困惑しつつも、少しだけ居心地の良さを感じていた。
フレッチャーにはここから心の余裕を持ちながら幸せになってもらいたい。