深雪と電の案内によるフレッチャーの艦内散歩は続く。黒井兄妹と話したことで、少しだけでも心持ちが変化したか、フレッチャーはあまり俯かないようになっていた。いや、俯かないように努力するようになった。
透が話していた、許してくれているのにウジウジしているのは失礼だという言葉に感銘を受けたからである。仲間に嫌な思いをさせないためにも、俯かないことを決意した。
そんなフレッチャーを見ながら、深雪も電も少し嬉しそうである。やはり、うみどりに所属しているのなら、あまり気持ちが沈んでいるところを見たくはないところ。こうやって前を向いてくれるならば、それをサポートしたいと思っていた。
先々で顔を合わせる仲間達は、少なからずフレッチャーに好意──仲間意識を示してくれている。これから共に、艦という
ある者はフレッチャーのメンタルを心配し、ある者は友人のように笑顔で応じる。どうしても最初はよそよそしくなることもあるが、おおよそフレッチャーのことを受け入れている言葉をかけてくれた。
「……テメェはFletcherでいいんだろ。だったら、胸を張れよ」
その中でも、スキャンプは苛立ちを見せつつも、フレッチャーにアドバイスを送っている。俯くな、胸を張れと。
黒井兄妹との対話でフレッチャーは物理的に前を向くようになれてきたが、このスキャンプの言葉によってさらに前を向けるようになる。
そんな話が繰り広げられているのは、うみどり艦内の医務室。救護班の面々が出港の際に補充された医療物資などを整理しているところに、深雪達がお邪魔したカタチである。
艦娘とはいえ、軽傷程度でドックを使うことはなく、応急処置で済ませることから、この場所の存在はちゃんと覚えておかねばならないという気遣い。それに、戦闘に巻き込まれてドックだけでは足りない時でも、ここにあるもので救命処置をすることが出来るのだから、とても大切な場所。
「心の問題は救護班では解決するのが難しいけれど、酒匂でよかったら相談にも乗るからね。せっかく仲間になれたんだもん。酒匂は、フレッチャーちゃんと仲良くなりたいから」
最後の方まで部屋から出られなかった酒匂ではあったが、持ち前の慈悲深さによって、フレッチャーのことをしっかり受け入れている。それもあるためか、スキャンプもフレッチャーに対しては気にかけていた。同郷というなかなか無い共通点を持っているというのもあった。
「謝んじゃねぇぞ。テメェはまずあたい達と正面切って話せるようになれ。ウジウジされたら気分が悪いんだよ」
「スキャンプちゃん、こんな言い方だけど、落ち込んでるフレッチャーちゃんが気になって仕方ないんだよ。酒匂もそうだけど、やっぱりうみどりで俯いてる子がいると力になってあげたくなるからね」
「……サカワ、あたいはそうじゃねぇぞ。空気を悪くされたら居心地が悪くなる。それが
そう言うスキャンプはほんの少し顔を赤らめているように見えた。酒匂には筒抜けであった本心を暴露されたのが少々恥ずかしかった様子。
深雪が冷やかしかけたが、先んじてスキャンプに威嚇されたため、ニヤニヤするだけで止まっている。
「フレッチャーちゃんのことを嫌がるような仲間はいないから、スキャンプちゃんが言うように、胸を張って生きてね。生きてることに意味があるんだからね。大丈夫、ここは絶対に居心地がいいから」
ニッコリ笑って酒匂が握手を促す。フレッチャーは戸惑いつつも、前を向こうとその手を取った。
デッキには相変わらず伊203の姿が。また、彼女がそこにいるからか、伊26と桜の姿もそこにあった。
風はそれなりにあるのだが、この風を受けるのも久しぶりのこと。伊203も動く前に確認しに来た時以上に落ち着いており、伊26と桜も慣れたもので、風を受けて気持ちよさそうにしている。
「1つ、聞いていいかな」
伊26がフレッチャーの前に出る。ビクッと震えるものの、前を向くことをやめないフレッチャーは小さく頷く。
「フレちゃんの中に収まったヒトは、ちゃんと悪いことは悪いことと理解していたのかな」
あまり思い出したくないことかもしれないけれど、そこは聞いておかねばならないと、伊26も心を鬼にして尋ねた。
伊26のスタンスとして、悪いことであると理解していないのなら、正しく叱ることが大切だと考えている。今でこそフレッチャーだが、あの米駆逐棲姫は何処までそれを理解してその命をフレッチャーに還元したのかを知りたかった。
「……私が言っていいものかはわかりませんが、これまでの行いが多くの人々に迷惑をかける行為だったこと、それが悪いことであることは、理解していた、と思います。私は、それを悪いことであると理解しているので……おそらくは」
今いない者のその時の思考を完全に伝えることはなかなか難しい。フレッチャーも、米駆逐棲姫に残されているモノが記憶だけであるため、そこから読み取った結果が今の答え。
理解しているから土下座までして謝罪した。死んでもいいと思えるほどに後悔し、反省した。罪悪感がフレッチャーに残るほどに、その行為を、そしてそれを促した
「そっか。じゃあ、改めて叱らなくてもいいよね。もう叱られたようなものだしね」
納得したように伊26はパンと手を打ち、そこからは笑顔も見せる。
「悪いことをしたら叱られなくちゃいけないと思ってたけど、それだけしっかり考えていたなら、叱らなくても大丈夫。フレちゃんも、ちゃんとそれが悪いことであると理解してるなら尚更だね。わざわざ
悪いことを悪いこととわかっているなら、その気持ちを違えなければそれでヨシ。伊26はそういうカタチで納得した。
伊26の傍から離れない桜も、フレッチャーの本質を見抜いているのか、人見知りをしつつも小さく頷いている。悪いことをしたら叱られるというのをちゃんと知っており、フレッチャーはもうその必要がないとわかったため、おずおずと手を出す。
「え、と……」
「桜ちゃんも、フレちゃんとお友達になりたいってことだね。フレちゃん、握手」
「は、はい」
そんな桜の手を優しく握るフレッチャー。返してくれたフレッチャーに対して、ほんわかした笑みを浮かべた桜。温かく、心落ち着く空気に、フレッチャーも張り詰めていた気持ちが少しでも緩むのを感じた。
一通り歩き回り、何処に何があるか、何処に誰がいるかなどを知ったフレッチャーは、最初と比べると随分と心持ちが変わっている。
「私は……いえ、私の中にいる
「そう……だな。でも、もうしっかり反省したんだ。自分の何が悪いかをちゃんと知った。なら、今はもうそれでいいと思う」
「なのです。ずっとあのまま……敵の時の考え方のままだったら、今も叱られて仕方ないと思うのです。でも、それももうありませんから」
そっと自分の胸に手を置くフレッチャー。フレッチャーの中にその記憶しか残っていない米駆逐棲姫に思いを馳せ、キュッと手を握る。
「私の中に収まった彼女の分まで、私が生きてもいいのでしょうか。本当なら、彼女が知らなくてはならない世界の明るい部分を私が享受してもいいのか……」
「アイツのためにも、お前が前を向いてやってくれ。お前は託されたんだ」
彼女の最後の思いを託されて、今のフレッチャーがいる。ならば、その思いを汲み取って、フレッチャーが強く生きることが、彼女のためになる。そう伝えた。
すぐに割り切ることは難しいかもしれないが、その記憶を引き継いだフレッチャーにしか出来ないこと。彼女がついぞ見ることが出来なかった光を、その魂に刻みつけるようにする。
フレッチャーはこうなりたくて生まれたわけでは無いのだ。幸せを享受することに、何の罪があるのか。そんなものは無い。
「……わかりました。私は私として、前を向きます。でも、もう少し時間が経って、振り返る時間が出来たら……彼女に思いを馳せたいと思います。私は彼女でもある。それは変えようの無い事実なのですから」
これまでとは違う、心の底からの笑顔を見せたフレッチャー。明るい未来に歩き出そうという気持ちが、表に出てきているようだった。
深雪も電も、ようやくフレッチャーのその表情が見えたことに喜んだ。これまでは反省や贖罪という気持ちが強く、前向きな感情とは言えなかったが、今は違う。彼女の為にという気持ちはあるけれど、この眩しい世界に歩き出そうという意欲が見える。
獣道を振り返ることはしないが、そこにその道があることを意識する。今はそれでいい。
「そのためには、ちょっとは強くならないとな。訓練とかして、戦場にも立てるようにならねぇと。それに」
「後始末屋のお仕事もあるのです。フレッチャーさんも、お手伝いしてくれるのです?」
「そうですね、後始末……海の清掃は、私も是非ともやらせてください。これまでの罪滅ぼし……というのは今は違いますね。この明るい世界をより明るくするため、お手伝いをしたいと思います」
一度前を向いてしまえば、あとは進むだけ。フレッチャーにとっての前進は、後始末屋として海を綺麗にすること。穢れを撒き散らして迷惑をかけていた記憶から、その穢れを無くすことは自分の使命なのではとすら思えるほどだった。
それを実行するには、艤装がちゃんと使えるかどうかを確認する必要があるだろう。そのため、艦内散歩の最後の地点は工廠。艤装の取り扱いをここで知ることとした。
工廠にも何人かおり、その中には新規カテゴリーWである梅や神威の姿も見える。
この2人にはどうしても負い目を感じてしまうものの、フレッチャーは前を向く為に俯くこともしない。
「あ、ちょうどよかった。フレッチャーさん来ましたよ」
「これならいろいろと試すことが出来そうですね」
その梅と神威がフレッチャーを見て少し盛り上がっていた。他にもここにいる面々はフレッチャーの登場に、何処かソワソワしているように見える。
それは顔を合わせにくいとかそういうのではなく、今後のことを考えるといろいろとやりたいことがあるという欲が見えるもの。
「んん? どうかしたのか?」
「フレッチャーさんの能力がどのように変わったか聞いていますか?」
神威に言われて、2人とも首を傾げた。それは、『量産』の曲解の変質。『偽装』の曲解は実演されたので知っているが、量産はまだ知らない。フレッチャー自身はそれを知っているのだが、言う必要も無かったので言っていなかった。万が一ということで手袋もつけているというのもあり、そのまま据え置きになってしまったのかとも思っているほど。
「まだお話ししていませんでしたね。私の力は、他人を私と同じにする力では無くなっています。私が、仲間と同じになる力になりました」
「な、なんだそりゃ!」
「すごいのです!」
深雪も電もその力には驚きを隠せない。ハッキリ言ってしまえば、今のフレッチャーは
「なので、いろんなヒトの力を量産してもらって確認してみようという話になっているんです。私の排煙や、梅さんの解体が何処まで出来るかは、一度見ておいた方がいいでしょうとなって」
「あー、確かにな、それは知っておいた方がいいかも。フレッチャー、どうだ?」
深雪に振られて、フレッチャーはやりましょうと頷いた。しかし、少しだけ顔を赤らめていたのには、深雪は気づいていなかった。
フレッチャーがうみどりの仲間となるため、次にやるのは艤装と力の確認。これがわかれば、翌日の後始末からその力を振るうことが出来そうである。
つまり、次回フレッチャーがえらいことになる。