翌朝、うみどりが航行を開始。こだかからの定期報告で、朝イチに現場に到着し作業を開始したとあったため、まずは安堵しつつ昼過ぎに追いつくということを再度認識合わせ。予定通りに進み始めて、順調に3つ目の現場へと向かうことが出来ていた。
次も中規模であり、先んじてこだかが作業を開始しているため、うみどり合流後、夜になる前後で作業終了と考えられる。今回よりは終わりが少し遅めに設定されており、規模も中規模の中では大規模に近いくらいのモノ。
「わかっていると思うけれど、午前中は自由時間よ。到着はお昼過ぎの予定だから、お昼ご飯もしっかり食べてから作業をしてもらうわね」
朝食時の伊豆提督からの説明も、3つ目の現場ともなれば端的なモノである。やってることは変わらないし、初心者であったら尚更。まずは慣れてもらうというのが主体だ。
同じことばかりの繰り返しにはなるため、そろそろ身体的よりも精神的に疲労が溜まってくる時期。自由時間がそれなりに長く取れるのは、メンタルケアにも使えるのが素晴らしい。
限られた時間とはいえ、好き勝手に過ごしてもいい時間ということで、各々適当に散らばる。
深雪もこの時間はどうしようかと考えていたところ、意を決したような表情のフレッチャーが前に立った。
「深雪さん、お願いがあります」
「お、おう、どうしたよ。改まって」
「私を、鍛えていただけませんか」
昨晩のデッキでの一幕。後始末屋としての成果を見ることが出来たことで、自分のやっていることに自信を持てたフレッチャーは、前を向くことで次の目標が出来ていた。それが、うみどりのために戦えるようになること。
深雪を始め、自分のような存在を肯定し、仲間として認めてくれて、自分の在り方を教えてくれた恩人達ばかりのうみどり。それを心の底から守りたいと思い、身体的にも強くなりたいと願った。
鍛えてほしいと懇願するフレッチャーは真剣そのもの。つい先日まで自信無く俯いていたのが嘘のようである。そもそも自分から話しかけてくるということ自体が初めてくらいだ。
「急にどうしたよ。思うところがあったか?」
「後始末屋として、海を綺麗にすることの達成感……本当に素晴らしいと思いました。ですが、私の記憶にもある敵の存在が、それを乱そうとしていると思うと、居ても立っても居られなくなりました。丹陽さんにも話をして、それなら身体も鍛えようという話になりまして」
なるほど丹陽がと、深雪は妙な納得をした。丹陽ならこういう時に乗じて、上手いことフレッチャーにより仲間意識を芽生えさせるための手段を考慮するだろう。それが、みんなと一緒に鍛えること。
そもそも、昨晩の綺麗な海を見たことで、ここまで心境に変化があったかと思うと、驚きつつも見てもらった甲斐があったと内心喜んだ。前を向くことが出来るのなら、何がきっかけでも構わない。その前の向き方にネガティブな要素が含まれていないのだから尚更だ。
だから深雪は、フレッチャーのこの申し出を快く受けることにする。そもそも深雪だって今より強くなりたいという気持ちは人一倍あるつもりだ。なら、一緒に前に進んでいく方が効率がいい。
「いいぜ、でもあたしも誰かに教えるってことが出来るほど
「はい、大丈夫です」
ふんすとやる気を見せるフレッチャーに、少し楽しくなってきた深雪は、ここからの自由時間はフレッチャーと共にトレーニングに励むことに決める。
とはいえ、午後からは後始末があるのだから、動けなくなる程に自分を痛めつけるのはよろしくないとちゃんと説明し、フレッチャーもそれに同意。後始末作業そのモノがトレーニングに繋がっていることも理解出来ているようである。
「フレッチャーさん、今日はイリスさんの格好じゃないのですね」
電が言ったことで、深雪は今更ながら気付いた。今のフレッチャーはイリスの量産型では無くなっていることに。イリスのスーツ姿を見慣れていたはずなのに、今はフレッチャー自身の制服姿であることに違和感を覚えなかった。
「寝て起きても量産は切れないのですが、鍛えるということで、一度自分自身に戻る方がいいのではと言われまして。イリスさんにもそうしなさいと言われたので、今は
「ふーん、なんか意味あるんだよな多分」
「地力を鍛えるなら素の状態がいいと、ハルカさんや丹陽さんは仰っていました。量産が私の身体に何処まで影響を与えるかはわかりませんが、フレッチャーが強くなって初めて、それを素体にした量産も強くなる……みたいなことを」
伊豆提督も丹陽も、土台を強くすることで量産された後も強くなると考えていた。量産された後で強くなっても、その力が常に使えるわけではないかもしれない。ならば、まずは基礎の部分を強化するべきと。
そのため、まずはフレッチャーはフレッチャーとして強くなる。鍛える時には量産は使わない。後始末の際にはまたイリスの量産型になるとのこと。
ということで、まずはトレーニングウェアに着替えてからトレーニングルームへ。そこでは既に神風を師事する白雲とグレカーレがせっせと身体を動かしていた。
神風の教えは、徹底した基礎の反復。基本が完璧で無ければ応用なんて出来ないというのが根幹にあるため、白雲もグレカーレも一切文句を言わずにただ只管に研鑽を積む。
「わ、割と走ったよ、走ったけど、もうちょいやる……?」
「持久力は基礎の中でも特に大切よ。長期の戦闘で息切れしていたら意味がないし、手段が尽きても逃げるためには体力を残しておかなくちゃいけないもの」
「うわーお、理に適ってるぅ。そんじゃあ、ちょっと休憩したらやるよー」
ランニングマシンで走り続けていたグレカーレが、息を切らせながら一旦休憩。用意してあったタオルで汗を拭きながら、やってきた深雪達に手を上げた。
「やってんな」
「頑張ってるよー。ほら、白雲も見てみなよ」
グレカーレに促されて白雲を見ると、レッグカールという設備で、下半身強化中。神風の技を使わせてもらうということで、強い踏み込みからの素早い行動を可能にするための筋トレをしているところ。
深雪にすらわかるくらい、白雲の身体は既に引き締まり始めていた。うっすらと筋肉が見えるくらいには鍛えられており、それでいて少女らしさも失われていない、ある意味完璧な肉体へと向かっている。
「ふぅ……お姉様も鍛えるために参られたのですか?」
「ああ。というか、あたしもそうだけどフレッチャーがな」
「よろしくお願いします。私、うみどりのためにもつよくなりたいと思ったのです」
「……なるほど、良い心掛けかと。白雲が言えた話ではありませぬが」
誰が見てもわかるほどのやる気。焚き付けられたとかではなく、自分からそうしたいと思っているのは一目瞭然。
白雲もほうと息を吐き、フレッチャーの気持ちを汲んだ。今のフレッチャーは後ろを向いていない。常に前を向いている。まだ心の余裕があるかは何とも言えないものの、少なくとも俯くことはやめている。
「確かこの前基礎だけはやったわよね。ならその延長線上で行きましょうか」
神風は何の疑問を持たずにフレッチャーにもトレーニング方法を教え始めた。やる気ある者の気持ちを折ることなどせず、まずはこちらでも成功体験をさせることで、身体と共に精神も鍛える方針。
楽々出来てしまっても意味はない。しかし、全く出来ないのはもっと意味がない。出来るギリギリを見極める。そのおかげで、達成感がまるで違った。
「お、結構持ち上げられるわね。見た目は華奢に見えるけど、意外と筋力もあるじゃない。あとこの前見た時に柔軟性もあったわよね。伸び代凄いわよ」
「そ、そう、ですか?」
「ええ。みんなの量産型になれるなら、全部鍛えた方がいいわ。やる気があるなら、毎日何かしらのトレーニングをしましょ。部屋で簡単にやれる筋トレとかもオススメ。その辺は長門さんに聞いた方がいいわね」
次から次へと進み、フレッチャーを鍛えるプランが出来上がってくる。少し戸惑いつつも、フレッチャーは前に進めることを喜び、全てを受け入れていく。鍛えることで自分を痛めつけることも辞さない姿勢は、神風の気持ちも
「深雪と電、あとそろそろ来ると思うけど時雨は、ハルカちゃんから直々に教えてもらっているところがあるわ。私は代理になっちゃうけど、同じことをやってもらうのも良さそうね」
「だな。ありゃあかなり鍛えられるしな。あたしも短期間でかなり強くなれた」
「電もなのです。おかげですっごく動けるようになったのですよ」
格闘技を取り入れているため、フレッチャーの身に合うかはわからないものの、やらないよりはやった方が良さそうである。
「あと、持久力のトレーニングだったら打ってつけのがあるわ」
「どのようなものでしょう」
「那珂ちゃんに聞いてみなさいな」
この言葉に、深雪や電はうわっと声を上げた。那珂が絡むと言えば、勿論アイドル活動。強くなりたいのなら避けては通れない過酷なトレーニング。しかし、そのおかげでステップなどは身に刻まれ、戦闘中でもその動きを使うことで回避力が飛躍的に向上するというおまけ付き。
その全容は知らずとも、那珂ちゃんの存在は米駆逐棲姫の記憶の中にも深く刻まれているため、フレッチャーは少しだけ表情を硬くした。
「あー、那珂ちゃんはまだちょっと思うところあるか」
「その……はい。私に刻まれている記憶が、どうしても……那珂さんのことを
軍港都市での面会が、記憶にこびりついてしまっているのだろう。しかし、そのおかげで米駆逐棲姫という存在は大きく道を変えたとも言える。
「那珂さんは……私の中にある記憶の持ち主と、友達になれると仰っていました。私にも笑顔を向けてくれます。ですが、見透かされたことに対しては怖いと感じていたようなんです。その感情が、私にも少し残ってしまっていて……」
「那珂ちゃんは怖くも何ともねぇよ。つーか、すげぇヒトだよ」
「なのです。那珂ちゃんさんは凄いヒトなのです。精神的に、見習いたいところが沢山あるのです」
2人からも絶賛される那珂という存在に、フレッチャーは畏怖の感情よりも興味も出てきている。
あの強さの秘訣はなんなのかは知りたい。そして、自分もああなりたいと思わせる大きすぎる存在。
「……わかりました。ここでのトレーニングが終わったら、一度話してみることにします」
「ええ、そうしてみなさいな。それで、一度過労で倒れてみなさい」
「えっ」
「それはやめとけ。マジでキツいから」
神風の冗談はさておき、今日のうちはここで基礎訓練を続け、時間が出来た時に那珂と話をするという方向で進めることにした。
前向きになったフレッチャーは、ここで交流を深めていく。深雪達を経由するかもしれないが、人と人との繋がりを拡げることで、より楽しくこの世界を享受することが出来るようになるだろう。
イリスの能力を一旦切りましたが、後始末の時、また戦場に出ざるを得なくなった時に、また誰かしらの能力を借り受けます。基本はイリスだけど、戦場の状況次第では、艦種を変えたりします。でもトレーニングの時には基本はフレッチャー自身を鍛える方向になりました。