後始末作業が終わり、工廠に戻ってきた深雪の前に現れたのは、珍しく報告を執務室ではなく直接聞きに来た伊豆提督と、その伊豆提督と共にここまで来た電だった。
伊豆提督がここまで来たのは、電が深雪との対面に対して勇気を出して一歩踏み出したから。会って話したいという電自身の意志である。
「い、電……!?」
驚いたのはやはり深雪である。電がこのタイミングで自分の前に現れるのは、流石に予想していなかった。今回の作業を見てくれていることは知っているので、そのことを交換日記に書いたりして距離を近付けて、最終的には対面するというのが深雪の中で考えていたストーリー。
電は深雪のその熱心な姿を見て、また交換日記の文面を思い返して、ここで小さな勇気を振り絞った。一緒に生きたいと言ってくれた深雪の言葉に心を動かされたのだ。
しかし、ここまで来て電はどうしても尻込みしてしまう。いざそこに深雪がいる状態、しかも自分の存在を知ったことで声までかけてくれたことにより、心の中が乱される程になった。
結果、伊豆提督の陰に隠れるカタチで背後に回り、後ろを向いてしまった。いわば、伊豆提督を
「ここまで来れただけでも充分すぎるくらいに勇気を出したわ」
深雪には小さく待ったをかけ、電の方へと振り向く。電は後ろを向いているため、背後を取っているのと同じ状態ではあるが、そこから頭を撫でて落ち着かせる。
電は深雪本人と声を聞いたことにより精神的に一気に刺激されてしまったことで、許容量がこの瞬間だけで振り切れてしまったようだった。
深雪側にも大きな負担になっていた。ただでさえ今は後始末の後であるため、疲労が溜まっているところに電の姿を見ることになったのだ。
「……電……っ」
だが、こんなことで倒れるわけにはいかない。電と対面することは、深雪としても強い望みなのだから。交換日記でも本心から一緒に生きたいと書いたのだから。
トラウマを刺激されているのは自覚している。しかし、ここで後ろは絶対に向かない。まず自分が前を向いていることを示し、そしてここまで来るという勇気を出した電の手を取るために、その場に立ち続ける。
「あたしは、こうやってまた会えたことを、嬉しく思ってるんだ!」
そして、電にも聞こえるように強く言葉を放った。これは対話というより一方的な叫び。電が深雪の方を向いていないのだから、この声は一方通行。しかし、確実に電の耳には入っている。
勇気を振り絞り、ここまで来ることでその全てを使い切った電の心に響き渡るように、大きな声で心を伝える。
「ここまで来てくれただけでも、あたしは、すごく嬉しいぞ! こっちを向いてくれ!」
強要は良くないと思いつつも、渾身の
これで振り向いてくれなくても、別に構わない。ただ、思いをぶつけたかった。それが電の心に深く食い込み、交換日記すらも終わってしまうかもしれないと思いながらも、声が届くのなら直接、タイムラグも無く自分の感情をすぐさま伝えたいと。
電だって、せっかくここまで来たのだから、深雪と顔を合わせたい。言葉を交わしたい。そして、触れ合いたい。だが手が震えて、足が震えて、身体中が震えている。執務室で出した勇気は、ここで途切れてしまっていた。
もう振り絞るだけの勇気も無い。そう考えてしまった。でも、と、電はギュッと胸の前に拳を置いて、目を瞑って
『あたしは、電と一緒にこの世界を生きていきたい』
深雪のこの言葉が、トラウマよりも深く心に突き刺さった。不慮の事故だとしても、その死因たる電のことを全く恨むことなく受け入れてくれているどころか、一緒に生きることを望んでいるのだ。
だから、もう無いと思っていた勇気が、奥底から湧き出してくる。深雪と一緒に生きていくためにも、電はここで、渾身の一歩を踏み出す。
「電ちゃん……?」
「……ありがとう、ございます、ハルカちゃんさん……電は、もう、大丈夫なのです」
その様子を最も近くで見ている伊豆提督は、電の心境の変化をいち早く察知し、これならと電の背中を押し、壁となっていた立ち位置から数歩引いた。
後ろ向きとはいえ、深雪に対して露わになった電の姿。まだ震えているけれど、この一歩は2人の関係を一気に近づける一歩。
「深雪、ちゃん」
深雪と顔を合わせるために振り向いた電。トラウマを乗り越える苦難のために涙目ではあるが、その辛さを見せないようにしていた。
「電は、電も、深雪ちゃんと一緒に、生きていきたいです」
交換日記には書けなかった返答。友達になりたいと伝えることは出来たが、電の心に刺さったあの言葉への返答は出来ていなかった。こうして、直接顔を合わせて、トラウマを乗り越えたときに言おうと思っていた。
それが言えた。言えたからこそ、電は自分の感情が溢れ出すような感覚を得た。それは深雪への思いの丈。
「ごめんなさい、深雪ちゃん。電のせいで、すごく苦しんだと思うのです」
謝らなくていいんだと深雪が言おうとしたところを、電の隣にいた伊豆提督がダメと言わんばかりに指を口元に持っていってシーッと見せる。電の言葉を全て聞いてやってほしい。その気持ちの昂りを解放させてやってほしいと。
「でも、深雪ちゃんは、過去のことは気にしていないって、言ってくれました。悪いのは電なのに、全部水に流してくれました。過去は過去、今は今だって。電は恨まれてもおかしくないのに、全部、全部許してくれました」
自分の罪を独白するように、そして、それを全て許してくれた深雪への感謝を伝えるように、電は思いの丈を吐き出す。
立板に水のように話すことは出来ずとも、電のその思いは、深雪に全部伝わっている。深雪の言葉に本当に救われたこと。そんな深雪を苦しめている自分が嫌で仕方なかったこと。でも、深雪がそれすらも全て受け止めてくれること。その全てが嬉しくて堪らないこと。
「そんな深雪ちゃんに、電は感謝しかないのです。一緒に生きていきたいなんて言ってくれて、本当に、本当にありがとうなのです」
ペコリとお辞儀をする。それが電の全てを表していた。
小心者ではあるものの、とにかく優しく、戦いを好まない性格。人見知りの気質もあるのかもしれないが、感謝の気持ちを表に出すことには躊躇が無い。今の精神的な都合上、明るく元気というのは程遠いかもしれないが、それでも今の電は、自分の思いを深雪に伝えることが出来てスッキリとしていた。
「電……あたしの本心は、あの日記に書いた通りだよ。何も気にしなくていい。今と明日を見ようぜ。あたし達は、あの時のことを振り返る必要なんて無いんだ。艦娘になったんだから、艦娘として今を一緒に生きていこうぜ」
せっかくこうやって思いを伝え合える存在になれたのだから、辛い過去のことなんて端っこに置いておいて、今を楽しもうと深雪は提案する。
「あたしが楽しく生きていくには、電、お前の存在は絶対に必要なんだ。だからさ、電が大丈夫なら、隣にいてくれよ。交換日記も続けていけばいい。それに、一緒にご飯とか食べてさ、一緒に訓練とかしてさ、あたしと同じ物語を歩いてくれよな」
今のこの生きていく道は、深雪自身が選び取って紡いでいく物語。主人公は深雪だが、その周りに何があるとハッピーエンドに向かえるかは全て深雪の選択。
その深雪が、隣に電がいれば明るい道を歩めると確信して選択した。だから、それを電にも伝えただけだ。それが幸せな選択となると信じて。
「……いいのですか。こんな電でも」
電の最後の勇気。ここまで来て、本当に自分を受け入れてくれるのかを問う。
「いいに決まってるだろ。そんな電だから」
間髪容れずに答える。この電だから自分の隣にいてもらえるのだと確信している。お互いに同じ傷を持っているからこそ、互いに支え合えるのだと。
優しすぎる電を自分が支えたい。無鉄砲な自分を電に支えてもらいたい。
事実、これが深雪の本心。電に対しては気心が知れていようが知れていなかろうが、他の艦娘達と同様に仲間、友達として付き合っていきたいと、心の底から望んでいる。艦娘やカテゴリーWとか、そんな区別すら必要ない。
「……本当に、なのですか?」
「当たり前だろ。何も心配することは無ぇよ。だから、ほら!」
手を差し出す深雪。そして、あっと気付いたようにゴソゴソと手を拭いた後、もう一度手を差し出した。
後始末を終わらせた後なので、身体中が潮風で汚れているし、清浄化の作業後なので穢れも付いている可能性がある。そんな手で電の手を取るわけにはいかない。
何処で拭いても何も変わらないのだが、気持ちの問題か。
「あたしと一緒に、行こうぜ!」
満面の笑みを電に向けた。その時にはもう、トラウマなんて何処かに行ってしまっていた。
そんな深雪の笑顔に、電の奥底にある勇気が、さらに湧き上がってきた。
勇気が小さく少ないわけではない。一度に出せる
「ありがとう、なのです。電は……電はっ」
涙を拭い、一歩、また一歩と前に歩み出る。伊豆提督もそれを止めることは無い。やりたいようにやらせることが、この場を丸く収める最高の手段。
「電もっ、深雪ちゃんと一緒に行くのです!」
そして、飛びつくように深雪に抱き着いた。手だけじゃ足りないと言わんばかりに。
これはもう殆ど
「うおっ、とととと、危ないぞ電」
「……あ、ああ、ご、ごめんなさいなのですぅ! また電が深雪ちゃんを……っ」
「ほら、見てみろよ。電にぶつかられても、あたしはびくともしねぇよ。だから、いくらでも突っ込んでこい! なんなら相撲もいいぞ!」
トラウマを刺激されそうな行為を自ら繰り出してしまったものの、深雪が何も起きていないこと、それ以上に受け入れてくれたことで、あのショックは薄れていく。
「あたし達はさ、もうこうやって触れ合えるんだよ。だから、全部無かったことにしようぜ。実感出来ただろ?」
「……なのです。もう、深雪ちゃんを傷付けることは無いのですね」
「ああ。まぁそりゃあ主砲で撃たれたらダメだけどさ、衝突
そしてそのまま電の頭を撫でた。こんなに触れられる、こんなことをしても何も起きない。それが一番の薬になった。
深雪と電の仲は、ここから急速に進展していくことになる。仲間として、友達として、さらに
急速進展。深雪と電はここからようやくスタートですが、いきなり猛ダッシュ。