トレーニングをするつもりではあったものの、神威の父との対談によって心労が溜まってしまった深雪は、午前中も休息に使うことにした。この日の夜には後始末の現場で仕事をすることになるので、それまでには万全の状態に持っていきたい。
それを支えるのは勿論電。今回は見ているだけだった分、深雪のことをより想って、メンタルケアが出来るようにと常に傍に立ち続ける。
「っし、それじゃあどうすっか」
イリスから貰った大人の姿のための服は一旦自室に全て運び、クローゼットの中に詰め込んだ。突発的に着替えなくてはならないことなんておそらく無いため、自室にあればそれでいい。
今日は疲労を取るということもあり、艦娘の姿で過ごす予定。まだまだ深海棲艦の姿は負荷が大きく、後始末前に心労と共に疲労まで蓄積させるのはナンセンス。
「心を休めるなら、やっぱりデッキだと思うのです。今はうみどりも現場に向かっている最中ですし、風と景色で癒されるのはどうですか?」
「いいな、それ。じゃあ、午前中はデッキでゆっくりするか。もしかしたら誰かいるかもしれないしな」
「なのです。みんなとお喋りするのもいいことだと思うのです」
まったりとした時間を送るのが、一番のメンタルケア。デッキで何をするでもなく、のんびり陽の光を浴びつつうたた寝をするくらいが丁度いい。
デッキに入ると、強めの風に一瞬煽られるものの、心地よい風。今日も天気が非常によく、煌めく海は相変わらず心を落ち着かせてくれる。
深雪は大きく伸びをし、電も傍に寄り添いながら深呼吸。心を落ち着かせるためにはまずは呼吸を整えるところから。
「やっぱ、ここが一番落ち着く気がするなぁ」
「なのです。何もないからこそ、何もしないでまったり出来るのです」
辺りを見回すと、同じように心を落ち着けるためにここを使っている者は数人見受けられた。相変わらず定位置には伊203がおり、珍しくうたた寝をしているところ。スピードに命を懸ける伊203がゆっくりとしている姿はここでしか見えないが、うたた寝まで行っているのはなかなかレア。
また、哨戒を終えた空母の3人が次の哨戒までの時間をここで過ごしているようだった。艤装は既に置いてきた後のようだが。
深雪と電の姿が目に入ったか、加賀が小さく手を振ってくれる。それを見て翔鶴と祥鳳も手を振っていた。深雪と電はそれに返すように会釈。
「貴女達は休憩?」
「ああ、ちょっといろいろあって、まったりしたいなって思って」
「そう。ならまた膝枕でもしてあげましょうか? 前は電にしてあげたわよね。今回は深雪にしてあげるわ」
「マジかぁ、じゃあお願いしていいかな。多分今ならグッスリ寝られる気がする」
加賀の申し出を断ることなく、よろしくお願いしたなと頭を下げる。電も深雪がそうやって癒されるなら万々歳だと、是非やってもらってほしいと深雪の背中を押した。
膝枕と聞いて翔鶴と祥鳳は目を見開くほどに驚いていた。そして、少しだけ羨望の眼差しまで向けた。ここの加賀とは非常に仲が良いが、流石にそこまでしてもらったことは無いようである。そこは大人か子供かの差があるようだが。
「貴女は特異点として精神を擦り減らすことが多いでしょう。いろいろあったというのも、それに関連するところなのかしら。でも詳しくは聞かないわ。話すことでスッキリすることもあるけれど、話すことでより辛くなることもあるもの。貴女がやりたいようにやればいいわ」
早速加賀の膝に頭を乗せた深雪。その頭をやんわりと撫でる加賀。まるで親が子を慈しむような手つき。
「悪いことをしたら叱ってあげる。でも、そうでないなら、好きにするのが一番よ。うみどりは、そのやり方を推奨しているもの。こうしてここに眠りに来たことも、誰も咎めないんだもの。さ、今はゆっくりおやすみ」
「……ああ……ありがとな、加賀さん……」
そこからすぐに深雪は眠りについてしまった。朝起きてそこまで時間が経っていないのに、疲れ果てたかのように。
それには少し驚いていたようだが、加賀はゆっくり眠れるようにと、髪を手櫛で整えながらも安眠を促すように撫で続けた。
「加賀さん、ありがとうなのです。深雪ちゃん、やっぱり心が疲れてるみたいで」
「これくらい構わないわ。この子はまだ生まれて間も無いんだもの。貴女はそれに輪をかけてでしょう。貴女は大丈夫? 今は埋まってしまっているけれど」
「はい、電はまだ大丈夫なのです」
無理をしているわけではなさそうなので、加賀もそれ以上は追求しない。そんな電は、なるべく深雪の近くにいられるようにと、ベンチでは無く床に腰掛け、加賀の脚にもたれかかるようにしながら深雪の寝顔を見る。
「深雪の手前ああ言ったけれど、何があったのかしら。勿論、話したくなければ話さなくてもいいわ」
「……愛してるからこそ、迷惑をかけちゃうっていうのを、見てしまったのです」
翔鶴と祥鳳は首を傾げるが、加賀は少し考えてから何かを察した。
「人間というのは面倒臭い生き物でしょう」
「……ごめんなさい、否定出来ないのです」
「そういうものなのよ。好きになればなるほど、視界が狭まるの。恋は盲目って言葉があるくらいだもの。それは恋愛だけじゃないわ。親子愛にも当てはまる」
加賀にはそれに該当する事柄があったわけではないが、そういうことがあってもおかしくないとは理解しているようだ。故に、そういう行動を起こした者に対しても強く言及することはない。
とはいえ、迷惑をかけていることは確かなので、度が過ぎれば注意もするし、それでもダメなら実力行使にも出るとまで言い切った。
「電は、それで人間のことが嫌になってしまったかしら」
「そんなことはないのです。深雪ちゃんはそれで疲れちゃったから、嫌な気持ちにはなったのです。でもそれは、子供のことを思う親だからってわかっているつもりなのです」
だから電もあの場では何も言わなかった。深雪が苦しそうにしているのが辛かったけれど、話が終わるまでは口出しもしなかった。そうしたら余計に話が拗れそうだったから。
結果はそれが大正解で、あの場は一旦丸くとは言わずとも収まり、事態は落ち着いたと言える。神威の父の愛情が招き寄せた厄介事という認識にはなってしまったものの、今は深雪も疲れがあるだけで気にしていないのだから、電もそれをずっと気に病むことはしないことにしている。
「わかってもらえているなら、人間として嬉しいわ。私達は貴女達に嫌われたくないもの」
「そんな、私達が加賀さんを嫌うなんてことありませんよ!」
「そうです! 加賀さんは人間ですが、私達のことをとても気にかけてくれますし!」
翔鶴と祥鳳が口を揃えて加賀を持ち上げるような発言。だが、声を荒げるような声量になりつつあったため、加賀はシーッと人差し指を立てて、深雪が寝ていると顎で示す。2人ともあっと口に手を置いて、ごめんなさいと頭を下げた。
「艦娘でもコレだもの」
加賀が苦笑し、翔鶴と祥鳳は顔を真っ赤にした。
「周りが見えなくなるなんてことは、知性があれば誰にだって起きること。深雪も最初はそうだったでしょう?」
「……なのです。電達は、
「そうね。考える力の弊害みたいなものよ。だから、こうやって心が疲れてしまうというのもあるのよ。私はそう思ってるわ」
身動ぎする深雪の頭をまた撫でる。すると自然に寝息が落ち着いていく。
「みんな同じようには出来ないけれど、うみどりにいるならこうやって癒されることが出来るわ。貴女達だけの特権、好きに使ってちょうだい。私だけじゃなく、みんなが支え合うために協力してくれるわ」
「……ありがとうなのです、加賀さん。電も加賀さんのように誰かを癒せるように頑張るのです」
「貴女はまず深雪を癒してあげなさい。私には出来ない方法で、貴女は何か出来るわ。むしろ、そこにいるだけで深雪は癒されているわよ」
深雪ではなく電の頭を撫でた加賀。何処か安心する温もりに、電は恥ずかしそうに顔を赤らめながらも、とても心が落ち着いた。
深雪と同じように電も心が疲れていたか、そのままうつらうつらとし始めて、最終的には眠りに落ちてしまった。そういうところも補助装置として深雪と深い繋がりがあるのだろう。深雪が疲れれば、電も疲れる。精神的なところは尚更。
「……2人とも、私のことを好いてくれるのはありがたいけど、時と場合があるから気をつけるように」
「す、すみません、勢い余りました……」
「私達の時代の加賀さんは、こんなことを大っぴらにやるようなヒトではなかったですから、つい……」
「私、貴女達の後輩なのだけど」
こんなことになっていても、空母3人は非常に仲が良い。いい関係を築き、そしてそれを維持することが出来ている。
時間にして小一時間程度。短時間だが心身ともに休むことが出来た深雪は、大きく欠伸をしながらも、スッキリした表情で身体を起こした。
「ふぁぁ……加賀さん、ありがとな。マジでスッキリ出来たよ」
「どういたしまして。貴女はまだまだ仲間を頼っていいのよ」
「そうさせてもらう。すげぇ気持ちよかった。また頼んでいいかな」
「ええ、私達がここにいる時ならいつでも」
深雪が目を覚ましたことで、電もうたた寝から覚醒。小さく伸びをした後、深雪が目を覚ましているのを見て笑顔を向けた。
「深雪ちゃん、ゆっくり休めましたか?」
「ああ、電もありがとな。ここに来たのは大正解だったぜ」
ベンチから立ち上がり、軽くストレッチ。身体がゴキリと音を立てたものの、快調であることはすぐにわかった。さっきまでの疲れた心も癒され、今の深雪は絶好調である。
電も電で、加賀に凭れかかってのうたた寝はとても気持ちよかったようで、非常に清々しい表情をしていた。執務室であったことを忘れているわけではないが、あの時のことを話すことが出来たことでスッキリしている。
「加賀さん、お昼の哨戒の準備をしましょう」
「そうね。この子達も丁度いい時間に起きてくれたわ」
翔鶴に言われて、加賀も軽く伸びをした。長く膝枕をしていたことで脚が少し張ってしまっていたようだが、それも少し動かせばすぐどうにかなる。
「2人とも、これからも心が疲れる時があるでしょう。その時は、誰でもいいから頼りなさい。遠慮も躊躇もいらないわ。忙しい相手にわざわざ頼むようなことをしない限り、みんな相談にも乗ってくれるし何か手伝ってくれるから」
「うす、覚えとくよ。よっぽどのことじゃなけりゃ、誰かを頼る」
「なのです。電達だけでやれることにも限度がありますから」
「それが自覚出来ていれば充分よ」
微笑む加賀に見送られ、深雪と電はデッキを出て行った。入ってくる時とはまるで違う、清々しい表情で。
心も休まれば、あとはもう前に進むだけ。2人の前進は、これまで以上に軽やかだ。
翔鶴と祥鳳は今後、どうすれば加賀に膝枕をしてもらえるかを考えるようになります。