「叢雲、苦しいことは吐き出しちまえ。いくらでも聞いてやるよ」
深く落ち込み、心さえ壊れてしまいそうな叢雲の隣に腰掛け、頭を軽く撫でてやる深雪。
「溜め込んでるから辛いってこともあるもんだぜ? かくいうあたしもそういうことがあったんだよ。ここの仲間に、まぁ殴り合いのしやすいヤツがいるんだけど、そいつが鬱憤を晴らせっつって喧嘩売ってきてな。普通に泣き叫びながら殴り合っちまったよ」
それもまたいい思い出だと笑みを浮かべながら話す深雪だが、叢雲からの反応はない。
溜め込んだものを吐き出せと言われたところで、あまりに溜め込みすぎると、出せるものも出せなくなる。排出口より大きなモノが溜め込まれていたら取り出せないのと同じ。
叢雲が抱えている苦しみは、その小さな口からは取り出せないくらい膨大なモノ。何せ、あの鎮守府にいた出来損ない達を是とした経験があるのだから。
何人も何人も犠牲にして、それでも庇っていた提督は、実は本当の親を殺した者達の仲間だったなんて言われたら、そう簡単には癒されない。神威の排煙によって一時的に癒されたとしても、その記憶が無くなったわけではないのだから。
「ただまぁ……お前の場合は鬱憤だけじゃあないもんな」
一方的にやられる側だった深雪は、鬱憤が溜まり続けていた。だからこそ、なんでこんな目にという気持ちを強く激しく吐き出した。
だが、叢雲は違う。鬱憤も勿論あるのだが、それだけではない。
「悪いけど、それに関してはあたしは理解してやれない。お前が背負うことになる罪悪感は、どうしてもわからねぇ」
突き放すわけではなく、素直な気持ちを口にしているだけ。そんな立場になったことなどないのだから、その気持ちをわかるだなんて口が裂けても言えなかった。そんな同情もありがた迷惑だろう。
しかし、わからずとも寄り添うことは出来る。罪に押し潰されようとしている者がいるのならば、せめて少しでも軽くするために、温もりを与える。与えながら、楽になれるように言葉を導き出す。
「吹っ切れろとは言わねぇよ。忘れろとも言わねぇ。むしろ、そんなことをしちゃあいけねぇんだろうな。でもな、俯いてばかりだと、見なくちゃいけねぇモンも見えねぇぞ」
犯した罪を忘れて生きろとは流石に言えない。叢雲はそれを悪いことであるとわかっていても、恩を返すために肯定し続けてきた罪がある。強いて言うならば、叢雲の罪はそれが最も重いとさえ思えた。見て見ぬふりでもなく、見て尚それを是としたこと。
勿論やってきたことも相当なモノだが、それはあの裏切り者の提督が何もかも悪い。叢雲だって陥れられて加担していたようなモノなのだから、それに関してはまだマシと言える。だが、協力者としての罪は、あと鎮守府に所属していた艦娘の誰よりも重いと言えよう。
途中からは『羅針盤』によってその信念を曲げられなくなっていたというのはあるものの、最初にその道を見定めてしまったというのもある。それ自体が裏切り者の掌の上というのもあるのだが。
「あたし達は、誰もお前のことは恨んじゃいねぇよ。お前の事情はちゃんと理解してる。頭ン中はわからなくても、何があったかはお前自身が教えてくれたんだからな。それはどうやっても同情出来るモンだ。……同情もされたくなかったか?」
やんわりと撫でながら話す。今の叢雲の気持ちは知りようがない。塞ぎ込んでいる理由が、大きすぎる怒りと悲しみにあることくらいはわかるが、そこからどうしたいかはわからない。
ただ出来ることは、どんな選択をしようが隣にいてあげることくらい。それが間違った選択ならば諌めることが出来る。それが正しい選択ならば背中を押すことが出来る。
何が正しくて何が間違っているかは人それぞれだろうが、例えば命を捨てるような選択は間違っていると断言出来るため、それを踏みとどまらせることくらいはしよう。
だが、深雪の最後の言葉──
叢雲が本当に欲しいモノが、ここにいる者の中でも特に察しのいい者に気付かれた。
「……
電がそれを口にした。
違う理由がありそうだが入渠も拒み、今も身体は悲鳴を上げているだろうが、あえてそのままでいる叢雲。それを罪を償う行為だと思ってやっているのならば、むしろ優しくされることの方が苦痛だと思っている節も見える。
あの鎮守府を出てから、叢雲は誰からも大丈夫だ安心していいと優しくされ、神威の排煙を受けた時には大泣きすらしてしまったくらいである。
だが、叢雲自身はそんなことをされる価値もないと自分で自分を卑下していた。優しくされていい存在ではない。救われていい存在ではない。むしろ、あの時に死んでおけばよかったとすら思っている。
「ああ、そーゆーことね」
グレカーレも察した。今の叢雲が一番欲しがっていること。
「こーゆー時こそ、あたしの出番かな。シグレがいたらもっと流暢にやってくれそうだけど、まぁ叢雲がそれを欲しがってるってなら、あたしもやぶさかじゃあないからね。ミユキ、というかみんな、これからすることに何にも言わないでよね」
深雪は何をする気だと少し警戒したが、まあまあとグレカーレ自身が宥めるように手を振ると、叢雲の前にしゃがみ込む。
そして──
「みんな、
一番突き刺さる言葉を放った。今まで反応が無かった叢雲がビクンと震える。
「おいグレカーレ……!」
「お姉様、今はグレ様に委ねてくださいませ。白雲も理解いたしました。これが今本当に欲しがっているモノでございます。優しさだけでは解決いたしません。何卒、今だけはグレ様を見守ってくださいませ」
グレカーレに突っかかろうとした深雪を制したのは、意外にも白雲だった。このグレカーレの言葉は、どう聞いても良い言い方ではない。これをきっかけに喧嘩に発展してもおかしくないモノである。
だが、深雪はここで気付いた。白雲だけではない。電も、今部屋の外で待っていてくれている神風や丹陽ですら、このグレカーレの言葉に対して静観を貫いている。じっと見てはいるが、発言を止めることも咎めることもしない。つまり、今はこれが最善だと、深雪以外は察したということになる。
今の深雪は鈍感というわけではないが、苦しんでいる者には優しさが必要だと思っていた。なので、それと正反対の言動は思いつかなかったし、やりたいとも思わない。
だからこそ、グレカーレが進み出た。こういう時こそ自分の
「アンタがただ見ていただけだから、死ななくてもいい奴が死んだね。ああならなくてもいい奴が、人生滅茶苦茶にされたね。あんな奴を庇い立てしてたから、あたし達も大怪我することになった。ミユキに至っては、特機の力を借りないと両腕が上がらなくなるくらいの後遺症まで持っちゃったよ。アンタ、どう責任取ってくれるわけ?」
突き放すような、しかし、しっかり聞かせるような声色。
深雪はそんなグレカーレに対して、なんでそこまで言うんだという気持ちでいっぱいだった。だが、誰もそれを止めない。
「アンタさぁ、悪いことだとわかってたのに止めなかったんでしょ。親がそうだからって従順に。止めないってことはアンタも共犯、つまり、あの出来損ない達もアンタのせいで出来ちゃったってわけだ。人間の命を無駄に使った兵隊、気持ち悪いったらありゃしないのに、それをなんでヨシと出来ちゃったかなぁ。普通なら親でも止めるでしょ。むしろ親だからこそ止めるでしょ」
見下すような視線に、鼻で笑うような表情。冷ややかな嘲笑を携えるグレカーレ。
「恩があるなら、親を悪い道から引っ張りだしなよ。一緒についていくってのは、そりゃアンタの怠慢だ。あたし達は親ってのがわかんないけど、少なくとも娘ってのはほいほい言うこと聞いてるだけじゃなくて、親の悪いところを注意するモンじゃないの?」
その一言一言に、叢雲は小さく震える。
「そりゃあ元凶はあのクソ野郎だよ。人の命を何とも思ってない、自分が選ばれた者だと勘違いしてる、傲慢で自信過剰なクズだってのは、誰の目から見ても明らかだよ。でもね、それをわかっていても否定しなかったアンタはもっと酷いよ。止められる唯一の立場なのに、生かしてもらった恩だとか、生温いこと言ってんじゃないっつーの。親子喧嘩くらいしてもバチは当たんないって。それもわからないくらいの教育されてた?」
いやそれはないかとグレカーレは自嘲気味な笑みを浮かべた。幼い頃から物のように扱われていたのだろうが、それでもそれが悪だとわかっていたならば、そんなことはないだろう。
洗脳教育はあったかもしれないが、叢雲はどちらかと言えば賢い少女だ。悪とわかっているくらいなのだから、その洗脳は行き届いていない。本当にダメなら、ここまで落ち込まない。それこそ、麻袋と同じくらいギャーギャー喚き散らかすだろうし、そもそも罪悪感なんてわかない。
「今回の事件は、アンタの怠慢が起こしたモンだって思いなよ。で、今のアンタはそれからも目を背けてる。顔も上げず、ずっと蹲って、こうやって心配されても殻に閉じこもって外にも出てこない。苦しみたいなら苦しめばいいけど、苦しみ方がダメ。アンタ、まだ
そう言いながらグレカーレは叢雲の髪を掴もうとしたが、ギリギリで踏み止まった。それは違う、そこまでやってはダメだと自重出来た。
伸ばした手は行き場を失ったため、頭ではなく肩に置かれた。
「償う気が無いからここで閉じこもってるわけ? アンタだって、ただ泣いて同情してもらえれば終わりだなんて思ってないでしょ。わかってる、それなのに、ここで歩くのを止めちゃってる。だから同情されても、優しくされても、アンタの気持ちは晴れないし、どんどん沼に沈んでいくんだ。だからあたしがみんなの代わりにこういうこと言ってあげてんの」
最後は嘲笑も見下しも無くなった。真剣な表情で、少し睨み付けるような目で、しっかりと叢雲を見据えた。
「前に進む勇気が無いなら、あたし達がその手を引いてあげるよ。でも、手を掴んでほしいならアンタから手を伸ばすべきだ。そこに勇気が必要になるかもしれないけれど、歩いていくより、ずっと簡単だ。少し踏み出せばいいだけなんだから」
叢雲の震えはこれまでで特に酷かった。考えている、だからこそ、感情が昂っている。良くも悪くも。
「アンタの罪は軽くはならないけど、あたし達なら多少は支えてあげられる。だから、後はアンタの意思だけだ。それでも勇気が出ないなら、アンタはここで野垂れ死ね。ただし、自分から死ぬのは罪から逃げることと同じだよ。償い切れないからもう嫌だーって、癇癪起こしてこの世から逃げるだけ。反省も何もしてない、臆病者のやることだ。あたしはそんなこと許さない。死んだら弔ってもやらない。アイツは罪も償えないクズだって、死んでから罵ってやる。だから──」
肩を掴む手が強くなる。
「償いたいなら、歯ァ食いしばって生きなよ。何もやらずに逃げるんじゃないよ。そうするために必要なのは、一歩だけ踏み出す勇気だからね」
ここでようやく深雪も気付けた。今の叢雲に必要なのは、ただ優しく寄り添うだけではない。現実を突きつけ、優しくも厳しく叱ることだということを。