「私はっ、こんなことをするためにっ、艦娘になったわけじゃない!」
3つ目の鎮守府の工廠、唯一『羅針盤』が通用するのではと深雪達が考え、それを施した途端、怒りを露わにした『空冷』の擬似カテゴリーK。洗脳教育がしっかりとは行き届いていなかったおかげで、正気に戻ることが出来たが、記憶が失われるわけではないため、ここまでやらされていたことが激昂へと繋がった。
「落ち着け」
「落ち着いていられるか! くそっ……腹立たしいにも程がある……!」
怒りは全く収まらないようで、ガンガンと床を殴りつけてしまっていた。擬似カテゴリーKであるが故に、自己修復でその傷は瞬く間に治っていくものの、やっていることは自傷行為にすら感じられた。
「海の平和を取り戻すために艦娘となったのにっ、何故テロリストの片棒を担ぐことになったんだっ!」
自身に問うているようだが、その答えは誰にも答えられない。強いて言うならば、
この鎮守府に配属されなければ、望んだ通りの艦娘となれていただろう。だが、不運でこの鎮守府へと決まり、教育を受けて、挙げ句の果てには忌雷まで寄生させられた。
運が良かったから力を得るだけで済んでいるが、出来損ないとなって命を落としていた可能性もある。そんな仲間を何人も見てきた。そしてそれを肯定し、出来損ないとなった者を選ばれなかった力無き者と認識してしまっていた。
ここで起きたあらゆることが、彼女にとっては怒りに繋がる。自分の尊厳も仲間の尊厳もあったモノではない。
「……一度落ち着け。そう思うのも仕方ねぇよ。でもな、冷静にならねぇと周りが見えなくなるぞ」
この艦娘の怒りの理由は痛々しいほどにわかる。だが、だからといって怒りに呑まれ、話も通じないという現状は先に進めない。
しかし、これまでやらされてきたことを考えると、はらわたが煮えくり返るような気分になる。怒りは正常な思考を奪い取り、じっとしていられない程に熱を生み出す。
それをすぐに察したのが電。しかし、電の力でこの艦娘を止めるということは、
「……お前、名前は」
深雪はまず落ち着かせるために名前を聞く。その艦娘からしたら、怒りを発散しなくては落ち着けないところにそんなことを聞かれたものだから、さらに腹立たしく感じる。
「そんなことに何の意味が……っ」
「名前は」
深海棲艦化した深雪の威圧に、その艦娘は心臓を掴まれるような気分を味わった。
先程の戦闘ではあまり前に出てこず、煙幕も自分の力で押さえ込み、特異点としての力を発揮させずにこの戦いを終始有利に進めてきた。故に、この艦娘の中では、特異点に対してはそこまで脅威とは思っていなかったところもある。自分が特異点に対して強い対策が取れているからこそ、そう考えても仕方ないところはあった。慢心ではあったが。
だが今は違う。ここまで近付かれたら風も何もあったモノではない。掴まれたら確実に殺される。深雪がそういうことを考えていなくとも、深海棲艦がそれが出来る距離にいるという事実が、怒り以上の恐怖に繋がる。
そもそも艦娘は近接戦闘なんて考えない。籠城戦をここまで出来たこの鎮守府の艦娘は特にその傾向にあるだろう。結果、触れられる間合いに入った時点で敗北が確定していた。
「もう一度聞くぞ。名前は」
「……磯風だ」
その艦娘──磯風は、少しだけ怒りが鳴りを潜めたところで名乗る。しかし、この鎮守府でやらされていたことは何も変わらない。怒りは常に頭の中にある。
「磯風、お前が腹を立てるのは当然だ。誰も否定しないし、あたし達だって賛同する。背中を押してやってもいい。あたしだってここの連中……つーか、こんなことをしでかした司令官が気にいらねぇ。出来ることならぶん殴ってやりたいくらいだ」
少し近付く。磯風はそんな深雪の顔をじっと見つめた。深雪の表情は複雑だった。怒りを持ちながらも、現状を打破するために前を向き、本来ならば戦う必要のない艦娘を相手にすることを苦しみ、しかし救おうとその力を全力で振るう。
「でもな、腹立ててばかりで周りが見えてないのはダメだ。一回息を整えろ。深呼吸だ。クッソ寒いけど、その分頭も冷えるだろ」
息が白く見えるほどに冷え切った工廠ではあるが、それがあるからこそ頭に冷気が回り、熱くなった思考が冷えていく。
「……それとも、まだあたしはお前の敵でしかないか」
特異点である深雪は、ついさっきまでは大罪人という認識だった。生きているだけでこの世界に破壊を齎す存在。平和を守るためには、どのようなことをしてでも、それこそ仲間を切り捨ててでも始末しなくてはいけない、世界の敵。その考えが抜けていないから、他の捕えられた艦娘達は最後まで暴言を吐き続けていた。
だが、磯風は今はもう違う。『羅針盤』のおかげで本来の道を取り戻している。世界の平和のために艦娘となった信念を。テロのためになんて以ての外。特異点という特殊な存在にはどうすればいいかわからないものの、同じように平和を目指しているのならば敵ではない。
深呼吸を強要され、息を吸って吐いているうちに、頭が冷えてきた。見なくてはいけないものが見えてきた。目を逸らしてはいけないものがわかってきた。
「……敵じゃあ、ない」
「そう思ってもらえるならよかった。あたし達は、お前をただ救いたい。それだけだ。その1つ目が、正気に戻すことだった。それはもう達成出来てる、よな?」
何を以て正気というのかはわからない。今ももしかしたら狂わされているのかもしれない。磯風にそれを自覚しろという方が間違っている。
だが1つ言えることは、少なくともこれまでやってきたこと、やらされてきたことが間違っていたと認識出来ているということ。特異点が正しいとは断定出来ずとも、今の鎮守府が間違っているとは断言出来る。
「じゃあ、次だ。お前はここからどうする」
その質問には、すぐに答えが出た。
「私をこうしたあの司令が絶対に許せない。それ以上に……ここまでやってきた自分が、許せない」
やらされてきたのに、それが自分の罪になっているのが、敵のやり方の狡いところである。洗脳を施し、その後は自分の意思になってしまっているため、罪を罪とも思わずにやりたいようにやり、そこから解放されたらやっていたのはお前だからと放り出されるようなモノ。最後まで責任を持たないやり方。
「何をすれば、お前はお前を許せるよ。こんな言い方があってるかはわからねぇけど、どうすりゃ罪滅ぼしが出来る。死ぬだなんて言わせねぇぞ。そりゃあ逃げだ。死ぬのは償いにはならねぇぞ」
磯風は死んで詫びるという選択肢は無かったが、深雪に言われて改めてそれを思う。死んだら逃げ。苦しんだ者達に対して反省の機会を捨てて、何も考えなくてもいいように死を選ぶだなんて、磯風には出来ない。
積み重ねた罪を償うためには、それ相応の生き方を選ばねばならない。それこそ、強制労働でもいい。誰かに蔑まれても、後ろ指を指されても、そうしたのは自分なのだから受け入れて、少しでも前に進む。
「……死のうだなんて考えてはいない」
「安心したぜ。あたしとしても後味が悪いからな」
「ならばやることは1つだ……
これまでやらされてきたことを悪と、罪だと思うのならば、その逆をすることで償いとなる。磯風はそう考えた。
つまり──
「お前の……特異点に協力したい。お前が正しいかは、私にはわからないが、この間違った連中が排除しようとしているのなら、少なからず間違った存在ではないのだろう」
「そう思ってもらえるならありがてぇ。あたしは1人で何か出来るって奴じゃあ無いからな。これだけ仲間がいるから進むことが出来る。その中に、お前も入ってくれると助かる」
磯風もここからは協力者となると宣言した。『羅針盤』のおかげで、擬似カテゴリーKのままに、その力も持ったままに協力してもらえるというのは非常にありがたかった。
深雪が手を差し伸べると、磯風は小さく頷いてその手を取り、そして立ち上がる。
磯風には、これまでに斃されたこの鎮守府の艦娘の非難の視線が突き刺さった。特異点と与するとは何事だと、敵に寝返った恥知らずだと、そしてこの戦況を作り上げたのは全てお前の責任だと、口々に侮蔑の言葉が溢れ出してくる。
これは前にも見た光景。深雪達もこれには顔を顰めるが、それを制したのは張本人の磯風である。
「お前達に何かを言われる筋合いはない!」
ゴウと強い風が吹いた。擬似カテゴリーKであることは依然として変わらないのだから、『空冷』の曲解も据え置き。ただでさえ凍える程の寒気に包まれたこの工廠に、
「ついさっきまでの私がコレだったと思うと虫唾が走る! 何の理由もなく他者の命を奪い、それを肯定し、踏み躙るような輩に、そのような言葉を吐く資格なんぞ無いと思え!」
風は強くなり、余計に冷やしていく。凍死すらさせてしまうのではという勢いは、磯風の激しい感情を明確に表していた。
「磯風、その辺にしておけ」
「構うな。奴らはここまでされても曲がったままだ。ついさっきまで同じだった私が言うのだ。間違いない」
「でもだ。殺しちまったら意味がない。こいつらだって、更生出来る道くらい残ってる。大本営に連れていってもらうんだからな」
深雪に言われて、聞こえるくらいの大きな舌打ちを元仲間達に聞かせる。
風が止まったところで凍えながらも、未だに怨嗟の声を上げ続ける連中には苦笑しつつ、その近くに白雲が凍結による氷を発生させ、風が無くても温度を奪い続ける状況を作り始めたところで、逆に同情の念も生まれた。
「改めて、よろしく頼む。私は償いたい。これまでの
「あんまり重く考えないでほしいけどよ、ひとまずは仲間ってところから始めようぜ。な?」
「……ああ」
もう一度握手。これで磯風は仲間となった。
工廠の件はこれで一段落と言えるだろう。残すところは、ここの裏切り者のみ。