「今ごろ、皆さんは島に向かうためにトレーニング中なんですよね」
「はい、特にトレーニングルームで行なわれているのは、ハルカちゃん直々のモノですよ」
などと話しながらうみどり艦内を歩いているのは、丹陽と神威。神威は簡易的な艤装を装備することで『排煙』の曲解をその場で扱えるようにしており、その上で常に共に行動をすることで、丹陽の怒りを常に抑え込んでいる状態。
丹陽はそこまでしなくてもと苦言を呈したモノの、今の丹陽は伊豆提督から見ても冷静さが足りていないと判断されているため、ここまでされている。
丹陽自身も、阿手が絡むと頭に血が上るのは自覚しているのだが、どうも抑えが利かない。どうしても大好きだった姉である初風が理不尽にも餌食になったことが気に入らなくて仕方ない。
だからこそ、今はメンタルを癒す排煙を定期的に浴びせかけられるくらいになっているのも納得はしていた。神威の排煙を浴びれば、興奮した頭が少しは冷える。
悪いクスリをやっているのではと苦笑したモノだが、神威の大丈夫だという言葉を今は信じることにした。
「神威さんは、こういうことをよくやっているようですね」
「はい、補給艦ですから、トレーニングのサポートとかもよくやっています。今日みたいな時だと、飲み物やタオルを用意したりですね。桜ちゃんもよく手伝ってくれました」
今はトレーニングルームで特訓中の伊豆提督達に、差し入れを運んでいる最中である。全員がスグにでも汗が拭けるようにと沢山のタオルと、水分不足に陥っていたら困るため沢山の水分を、カートに載せて迅速に。
丹陽もなんだかんだでフリーであるため、神威の手伝いをしている。どちらかといえば
まだ阿手を直接始末するための手段は諦めてはいないのだが、周りからいい加減にしろと言われ続けているだけでなく、本気で心配されているため、老朽化を悔しく思いながらも一歩引いたところから見ていた。
神威の『排煙』のおかげでその考えに至ることが出来ている可能性も否めないため、冷静さをなるべく維持するためにも神威が隣にいることになった。大半は明石からのお願いだったりするのだが。
「今日はお手伝いさせてもらいますよ。神威さんから離れるなという話ですので」
「はい、よろしくお願いしますね。癒しの『排煙』で落ち着いてもらいつつ、皆さんの努力を見ていてください。丹陽さんも、この人達なら任せられると思えるはずですから」
「最初からそう思ってますけど……」
「でも、自分の手で決着をつけたいと思っているのでしょう? その身体で」
神威は丹陽のことを心配してそう言っている。その気持ちはある程度把握し、しかしそれをやったら丹陽は死ぬであろうことも理解しているため。
丹陽の身体が問題ないのならば、こんなことは言わない。むしろ共に特訓して、確実に終わらせられるくらいの力を身につけて挑む。誰もがその思いを後押ししてくれるだろう。
だが、今の丹陽はこうやって生きているだけで精一杯の身体なのだ。艤装を装備しなければ、明石のメンテナンスでまだ長生きは出来そうではあるのだが、それでも85年という年月は艦娘の限界を超えている。
そんな身体で戦場に向かおうだなんて、自殺行為。命を賭してでも姉の仇を取ると考えていても、それを仲間達が許すわけがない。命あっての物種。死んだら何も残らないだろうと。
「貴女の苦しみは貴女にしかわからないことでしょう。託すことの出来ない重い思いを持っていることでしょう。だとしても、ここにいる皆さんは、死にに行くことを許しません。だから、その思いを託してください。自分でお婆ちゃんと言っているくらいなんですから。そんなに若人が信用出来ませんか?」
丹陽は口を開こうとして言い淀んでしまった。言ってはいけないことを言いそうだったが、それはどうにか止めることが出来た。
信用出来る出来ないではない。自分のこの思いをどうにか出来るのは自分だけなのだから、自分が動かねばいつまでも発散出来ないというだけ。もし自分の知らないところで阿手が始末されたとしても、せいせいするかもしれないが、悶々とすることにもなる。
「……長い年月を生きてきたことの弊害ですね。自分の力で見つけられれば良かったんですけど」
「そう、ですね。でも、何も出来ないままに終わるわけではなくなったんですから、やはり丹陽さんは運がいいんだと思いますよ。だって、本来なら敵は潜伏したまま表舞台に出てくることはなかったわけですから。その終わりを知ることが出来るだけでも」
「……そうかもしれませんね。最後までそれを知らずに逝ったとしたら、すごく悔しかったと思います。でも今なら、少しは気が楽になれそうです」
悲しい笑みを浮かべる。丹陽も被害者なのだと、嫌というほど理解させられる。
それを見たことで、神威は少し『排煙』をした。気が立ってきかねないので、丹陽を落ち着かせようと。
「ありがとうございます。また頭に血が上りそうだったので助かりますね」
「心が疲れている人を癒すことが出来るのは、この力のいいところです。その発端は許されないことですが……今ではこの力を持ってよかったと思いますよ」
丹陽は少しだけ忘れていたことがあった。こうして自分の心を癒してくれる神威も直接的な被害を受けている者なのだと。
丹陽のように姉妹を奪われた挙句、その命まで利用されるなんてことは無いにしても、
「……アレのことを思い出すと、どうしてもダメですね。恨みがあまりにも大きすぎる」
「長い年月をかけて熟成してしまっていますから、仕方ないことです。本当なら出会うことすらなかったのでしょうから。悔しい気持ちは理解しているつもりですが、それで死んでしまっては、今度はこちらも苦しいです。それで丹陽さん1人にその気持ちを押し付けるのも心苦しいんですけどね」
この話はネガティブにしかなれないとわかり、これでやめましょうと神威から切り出す。丹陽には申し訳ないが、この件はおそらく堂々巡り。丹陽が出撃を諦めてくれるまで続く。
今はそれよりも島の襲撃を無事成功させることが重要。恨み辛みも重要な部分にあるかもしれないが、あちらはそれすらも利用してくるかもしれない。常に冷静に、常に十全の力を発揮出来るように、何を言われても感情が揺さぶられないようにしたい。そういう意味では、丹陽は最も次の戦場に合わない者とも言えるか。
「さ、トレーニングルームにつきました。皆さん頑張っていると思いますから、労ってあげてくださいね」
「そうですね。私の思いを託すことになるわけですし」
一度息を吐いて落ち着いた後、神威と丹陽はトレーニングルームの中に入った。
「キッツい! これ滅茶苦茶キッツい!」
「危ないのですぅ!」
トレーニングルームに入ってすぐに聞こえてきた声は、特訓とは思えない戦々恐々な声である。ただ身体を鍛えるわけではなかったことをやっていた伊豆提督のそれで、深雪達がやっているのは、見た目だけで言えば普通のことである。
ランニングマシンやスクワットのような運動で脚力を強化しようとしているのがわかった。
だが、ここまで声が出るのには理由がある。それが、
「危ないと思ったら転んじゃいなさいね。変に耐えようとすると、足首捻っちゃうから」
「ぽいぽい。慣れれば簡単っぽい」
「夕立ちゃんはそういうところ器用ねぇ」
深雪を筆頭に履いているのは、一本歯の下駄。そのバランスの悪さから体幹などを鍛えることが出来ること、そしてそれを履いたままで脚力トレーニングをしてより効果を上げようという算段である。
普通のスケートやローラーブレードのようなモノでは、やっていることは海上歩行と似たようなモノ。しかし、一本歯の下駄はそれとはまた違ったバランスが必要になる。縦では無く横に歯が備えられているのも、海上歩行とは違ったバランスを必要とされる。
脚に力を入れることになるため、自然と脚力増強にも繋がり、下半身強化に役立つと、伊豆提督も手本を見せていた。
「これでバレエだって踊れるわよぉ。ほーらほらほら」
一本の歯を器用に使って、その場でクルクル回り出す伊豆提督。歯の部分はゴム質で作られている特製の下駄であるため、トレーニングルームの床を傷つけることもない。
準備に時間がかかっていたのは、これを全員分用意するためだった。妖精さんにお願いして、ちょちょいと作ってもらってはいるのだが、それでも今ここにいる6人分はどうしても時間が必要。
「や、ヤベェな……あのオッサン」
「スキャンプちゃん、聞こえてるわよ」
「なっ!?」
スキャンプの失言を聞いた瞬間、その下駄を履いているにもかかわらず、瞬時に距離を詰めてきた伊豆提督。まだ慣れていないスキャンプは、そうされたことによってバランスを崩しかけたが、伊豆提督がそれを華麗にキャッチ。
同じ条件なのに、ここまで動きに差があるとなると、それはもう実力差以外の何モノでもない。
「オッサンはやめなさい。せめてオバサンにしなさい」
「そっちかよ!?」
相変わらずの伊豆提督だが、そういう雰囲気を無くさないからこそ、こんな特訓でも和やかな風景になっていた。
夕立は既に慣れ始めているが、他の5人はまだ与えられた運動がゆっくりになっている。海上歩行は出来るのに、これが簡単に出来ないとは思いもよらなかった。
深雪と電はスクワットをしようとしているのだが、しゃがむのにも一苦労。そこから立ち上がるのはもっと苦労。嫌でも時間がかかり、その分さらに脚に負担がかかる。
グレカーレと白雲はランニングマシンでウォーキング中。ただ歩くだけでもかなりの負荷。グレカーレは既に太腿辺りに疲れが溜まってきているのを実感しているほど。
「しんどいけど、すげぇ力になってんのがわかるぜ。まだやれるからよぉ!」
「なのです! 電も、まだまだ大丈夫なのです!」
そして、そんな状況でも誰もやめようとはしない。休憩くらいしてもいいのだが、それも誰もしようとしない。鍛えるために、この負荷を楽しんでいる。
「……凄いですね、皆さん」
それを見て、丹陽はクスリと笑う。深雪達だけならまだしも、問題児と言われていた3人すら、こうやって楽しみつつも必死に鍛えている。それを素直に感心した。
「託すことが出来ると思いませんか?」
「……そうですね。この人達なら……悲願を成就してくれると思います」
まだ恨み辛みは渦巻いているが、深雪達なら任せられると、丹陽は思うことが出来た。
一本歯下駄トレーニングってどちらかといえば体幹とかに繋がるらしいんですが、ハルカちゃんは、というかそのお母さんはそれすら利用した。