対話をする力を手に入れるため、深雪と電に提示された方法。それは、二人には全く聞きなれない言葉だった。
「VRよ」
「ぶい、あーる?」
艦としては非常に古い時代の存在である深雪と電。人間のカタチとなったことである程度の知識を手に入れているモノの、今の時代の知識というものは持っていない。なので、ただVRと言われても何のことか全くピンと来なかった。深雪も電も、そんなことを言われてただ首を傾げることしか出来ない。
「いわゆる仮想現実というモノよ。表現は難しいから、トレーニングとかではなく、実際に体験してみましょうか」
「すぐに体験出来るモノなのか」
「ええ。先にイリスに準備してもらっているわ。最大で6人同時に出来るんだけれど、今回は二人だけでいいかしらね」
今日は休息の時間としているため、トレーニング開始は明日から。ただし、今日から慣れてもらっておけば、明日からスムーズにトレーニングに入ることが出来る。そのため、体験だけは今からということになった。
「でも、そんな便利なモノがあるなら、なんですぐに使わないんだ?」
これは素直な疑問だろう。海に出ることなく、砲撃や雷撃の訓練が出来るというそのシステムがあるのなら、何も考えるまでもなくすぐにでも使えばいいはず。なのに、ここまで引っ張ったのには訳があるのだろう。
ある程度身体を鍛えておかないと意味が無いとまで言っているが、それがどういうことか、深雪も電も理解が出来ない。
「やってみればわかるわ。ちなみに、深雪ちゃんと電ちゃん以外はちょくちょく使ってるの。二人がトレーニングをしている間、割と姿が見えない子達がいたでしょ。そういうことよ」
「ああ、なるほどな。自分のことで手一杯だったけど、みんなはそのぶいあーるとかいうので訓練してたんだな」
深雪と電は知らなかったが、それ以外は全員知っている訓練項目だったようである。そのことを公表しなかったのは、深雪だとまずそれをやりたいと言いだすから。ある程度のトレーニングをした後でなければ少々危険だということで、存在そのものを隠していたようである。そもそも立ち入り禁止区域に置いているのも、他の者達に介入させないようにするため。
「あ、あの、電はあまりトレーニングも出来ていないと思うのですが……」
深雪でも少ないというのなら、電はもっと少ないのが訓練時間である。しかし、伊豆提督としては大丈夫な域に入っていると断言された。
昨晩の後始末を休息したとはいえ最後まで粘ることが出来たのだから、もうVRによる訓練を実施する資格は持っていると考えられる。
逆に、それくらいキツイものなのかと電は若干怖気付きそうになっていた。大規模な後始末でもあれだけ消耗したのだから、そのトレーニングは相応の疲労を知ることになりそうである。
とはいえ、トレーニングというものは基本的に疲労するもの。それを風呂で回復して、艦娘は強くなる。疲れずに強くなるなんて出来る訳がないのである。
「電、とりあえず体験してから考えようぜ。それで厳しいってなったら、使わないでやる訓練で地道に強くなっていくしかねぇよ」
「……ですね。やらずに怖がるのは間違っているのです」
そこは納得して、ひとまずVR体験へと向かうことにした。やってみなくてはわからない。やってみたら思ったよりも楽しく出来るかもしれない。やる前からウダウダ言うのは、強くなろうとする意志がブレているようなもの。
「大丈夫そうなら、行きましょうか」
二人がやる気を見せたため、伊豆提督は早速その設備の元へと連れて行くことにした。知るなら早いに越したことはない。
立ち入り禁止区域は複数個あるが、そのうちの一つ、トレーニングルームから少し奥まったところにある扉。そこは基本的には鍵が掛かっているのだが、今はイリスが先行して入っているので、扉が開いている。そこからは下に続く階段。窓もなく、外が見えないような空間へと向かうことになる。場所としてはおそらく、うみどりの喫水線より下だろう。
薄暗いわけではないのだが、いつもの廊下より重厚な雰囲気が漂っているイメージ。これまで活動していた空間とは少しだけ雰囲気が違うため、向かうだけでも少しだけ緊張してしまう深雪と電。
「さ、ここよ」
連れてこられた部屋には、ドックのような設備が六つ並んでいた。そのおかげでそこそこ広めに造られているのだが、その設備から伸びる配線が部屋の端に向かっているためか、少々散らかっているようにも見えた。
配線はこの部屋の隣にある別室に繋がっており、そこには既にイリスが待機している。設備を正常運転させるための機材がそちらにあるのだろう。
「こりゃあまた、凄いことになってんな」
「なのです。工廠の奥みたいになっているのです」
「モノ自体は近いわよ。形としてはドックの流用だからね。艦娘が横になるには、あのカタチが一番適しているんだと思うわ」
その設備のうちの二つの蓋が音を立てて開いた。深雪と電にそこに入れということだろう。しかしその前にと、イリスが待機する部屋とは逆方向の更衣室で着替えてくるようにと促された。
これは、自分の身体的な状態をVR空間に反映させるために必要なことである。着ることにより、妖精さんがそこから身長体重は勿論、体脂肪率や筋力など、事細かな身体情報を読み取ってくれるのだ。
ここでの訓練は、今の自分の出来ることをそのまま出来るようにしておかなくてはならない。仮想現実だからといって、筋力が強化されたり速力が上がったりすることはないのである。
出来ないことはないのだが、それでは訓練にならないというのもある。本来出来ないことがここで出来てしまった場合、現実で勘違いする。
「あい、着替えたぜ。なんつーか、後始末のときのと近いか?」
「そうね。全身の情報を読み取らなくちゃいけないから、そうなっちゃうわ」
「ちょっとだけ硬い気がするのです。動けないわけではないのですが」
更衣室から出てきた深雪と電は、後始末の時とほぼ同じで、首から下を特殊なインナーで覆っていた。後始末の時には穢れが素肌に付着しないようにという理由だったが、今回は全身のデータを取るためである。このインナーを身につけたことで、設備内に入ればあらゆる情報が反映される。
「それじゃあ、この中に入ってちょうだい。中に入ってからいろいろやらなくちゃいけないことがあるのよ」
伊豆提督に言われた通りに設備の中に腰を下ろす。頭に被る大きめなヘッドセットが鎮座していることがわかったが、それ以外はただ周囲を囲まれるベッドのような感覚。
まだ二人はドックに入ったことがないので、その心地が同じものかどうかはわからないが、割と落ち着ける空間であることはわかった。
「ヘッドセットを被って横になってちょうだい。そうしたら、あとはこちらで全部やれるから」
「うす」
「わかったのです」
言われた通りにヘッドセットを被ると、視界は完全に遮断。耳も覆い隠されて、外部の音が聞こえなくなる。
『聞こえるかしら』
すると、今度はイリスの声が聞こえてきた。ヘッドセットに備え付けられたスピーカーから、直接話しかけている様子。今ならば、この状態で話すことで外部との会話が可能。
「大丈夫だぜ」
設備内に入ったことで、他の設備内の者の声はもう聞こえない。今深雪に聞こえているのは、イリスの声のみとなる。
『なら、そのまま楽にしていて。今からVR空間に
「だいぶ?」
『仮想空間にその意識を移し、さも自分が動いているかのように振る舞えるようにすることよ。眠るように移行するから、そうね、
そう言っているうちに、設備外では二人を仮想空間に送る準備が進められている。伊豆提督もイリスの隣に座り、最初期の設定をこなしており、あっという間に準備完了。
初めてこの訓練をする者は、どうしても戸惑うことになる。さらに言えば、深雪と電はVRという言葉自体を初めて聞くくらいに知識に差がある存在。すぐに受け入れられるかもわからない。
そのため、伊豆提督とイリスは必ず同伴する。二回目以降は他の者達でもいいかもしれないが、基本的には機材の作動はイリスが管理するようにしている。ここまで徹底しないと、頭や身体に影響が出るかもしれないからだ。安全性は保証されているが、絶対は無い。
『それじゃあ行くわよ。目を瞑って心を落ち着かせて。眠る時のように』
イリスの声に従って、目を瞑って力を抜く。すると、自然に眠りの姿勢になっていき、一気に眠気に襲われる。
これも設備に待機している妖精さんの仕事。入渠ドックでも同じようにされているが、中に入った当事者はその処置──今回は仮想空間への没入に対して余計な抵抗が起きないように、深い睡眠状態へと持っていかれる。入渠の場合は麻酔まで注入されるが、今回はそこまででは無いため睡眠のみ。
『3……2……1……スタート』
イリスによるカウントダウンが終わった瞬間、深雪と電の前には
「……えっ!?」
「な、なんなのです!?」
先程まで設備に入っていたのに、今はいつもの生活をしているかのような感覚。海の上で風すら感じる。
そもそも、艤装を装備していること自体がおかしな話である。設備に入る際に何かを装備していたら入ることすら出来ないのだから、急に現れたそれに驚きが隠せない。
「い、電、さっき別々に入ったよな」
「なのです。なのに、こうやって話せてるし、何より……」
電が手を伸ばすと、深雪にも触れられているという感覚が正しく伝わっている。
「ちゃんと触れてるのです」
「うお、マジだ。これがぶいあーるってやつなのか?」
『うまく入れたみたいね』
互いに触れ合ったりして感覚を確かめていたところに、伊豆提督の声が響く。周囲には何もないのに、ここにいない者の声が響くというのが、少しおかしな感覚。ここが外であって外でないようなことを表している。
『仮想空間というのはそういうこと。屋内だけど、屋外と同じような空間を提供出来るの。海を疾っている感覚も体感出来るわよね?』
「ああ、確かに。ちゃんと感じるよ」
「外にいるみたいなのです!」
ここで伊豆提督からこの空間の説明が入った。注意しなくてはいけないことはそれなりにあるようで、それを守らなければ正しい訓練にはならない。
『まず大前提として、ここでは五感のうち触覚、視覚、聴覚だけを使える状態。あと、痛覚は遮断しているわ。つまり、もしこの中で攻撃をうけたとしても、痛くないの』
「へぇ……じゃあ、この中だけは無茶が出来るってわけだ」
『そうなるわね。でも、無茶だけは絶対にしないでちょうだい。現実でも同じことをやりかねないから』
それを聞いてゾクリとしたのは深雪ではなく電。この中では痛くないからと好き勝手やって、その感覚を現実に持ち越してしまったら、余計な怪我もしてしまう。
あくまでもこの空間は仮想。現実ではない。それを念頭に置けというのが一つ目の説明。
『ここでどれだけ鍛えても、現実には反映されないわ。ここで出来ることは、
「だから、ここに来る前に、ある程度は鍛えておかなくちゃいけないということなのですね」
『そういうこと。ここはあくまでも
ここも仮想であって現実ではないことを裏付けるところ。得られるのはメンタルの部分だけ。フィジカルには全く影響を与えない。この中で筋トレをしたところで筋力がつくわけではないということ。
『最後に。ここで無理しすぎると、現実以上に
「それじゃあ、やりすぎたら起きれなくなるかもしれないのか」
『ええ。だから、訓練はあくまでも程々。半日が限界だと思ってちょうだい』
身体を酷使するより、頭を酷使する方がキツイことがある。こうしている間も、深雪と電はゆっくり消耗しているのだ。
何もやらずとも疲労に繋がるのがVR訓練。勿論、鍛えれば鍛えるほど長くこの空間で訓練が出来るようになるが、素人の二人にはそんなことは無理だ。
そのため、半日はここ、半日は筋トレやスタミナトレーニングと、しっかりプランを立てて進めるべきだと伊豆提督は説いた。
「よし、何がしたいのかはよくわかった。本番は明日からだとして、今はとりあえずこれくらい?」
『そうね。実際にここでやることは、明日以降でいいでしょ。今はその空間に慣れてちょうだい』
「うす。じゃあ電、適当に」
「なのです。駆け回ってみるのです」
何もない海のど真ん中を、ただただ駆け回る。それだけでも、充分この空間が何なのかを知ることが出来た。
この仮想空間での訓練で、深雪と電は技術を鍛えることとなった。そして、この空間での訓練の真骨頂を翌日に知る事になる。
ちなみに、仮想空間ですから深雪と電はアバターのような状態です。衣服も思うがまま。