「みんなを救うのです! 救って、そのあとは!」
「奴らを、ぶちのめす!」
深雪のその手から一気に煙幕が溢れ出た。それは怒りに震えながらも仲間を思う力が、これでもかと込められていた。その思いの強さ故か、煙幕はこれまでに見たこともない速さで吹き荒れ、あっという間にこの空間を埋め尽くしていく。
軽巡新棲姫2人の『拡張』で自らの曲解を空間中に拡げるのには、洗脳し改造した秘書艦達の尽力がなくてはならず、その上で時間がかかるためにこの空間全てを埋め尽くすには至らなかった。もう少し時間を与えていたらどうなっていたかはわからない。しかし、そうならなかったのだから考えても無駄だろう。
だが、特異点の煙幕はワケが違う。じっくり力を込める必要もない。ただその願いを──仲間達の無事を叶えるため、目に見える全てを覆う。
「くっ……特異点の煙幕が……っ」
「抵抗をするのならば、貴女の仲間を」
「もう、させないのです」
敵の言葉を遮る電。その目は冷たく、睨みつけるような色を浮かべていた。
「何のための『操縦』の煙幕だと思っているのですか。貴方達の『操縦』を、より強い『操縦』で上書きするためなのです」
煙幕に包まれた空間は、誰からも近くが見えないくらいになっていく。ほんの数m先すら見えず、仲間の所在までもがわからなくなるくらいに視界が埋め尽くされる。
だが、そこはやはり特異点の煙幕。肌感覚で仲間の位置も敵の位置も把握出来る、ここ最近の仕様は据え置きとなっていた。その上で『操縦』の力を拡張させている。
「っ……身体が……」
最初にそれに気付いたのは神風。自らの首を絞めようとしていた手が、自然と解かれていく。
神風だけではない。そこにいる仲間達全員が、敵の『操縦』を上書きされ、特異点の『操縦』によって危機を乗り越えていく。
しかし、自分の身体が自由に動かせるというわけではない。敵の『操縦』は依然としてそのままである。そのため、特異点の『操縦』によって、そちらに引っ張られないように新たな糸を接続しているにすぎない。今の仲間達は、操り人形にならないように、別の操り人形になっているようなものだ。
だが、そちらに抵抗はしない。それが特異点──深雪と電が引き起こしていることであるのならば、それを受け入れる以外の選択肢は無かった。
「深雪! 全員、貴女達の『操縦』に捕まったわ!」
「わかった! ならもう安心だな!」
自ら首を絞める行為を止めるだけでは終わらない。そこにいると『沈没』の力でそもそも身動きが取れない。
だが、それに関しては既に、敵が前例を見せてくれている。『操縦』ならば、この沼のような地帯でも移動が可能であると。神風を白雪の方へと向かわせているのだから。
「足は本当に沈んでいますけど、
「そういうことかよ。そりゃあ、普通なら足くらい動かせてもおかしくないもんな」
「なのです。沈ませることを目的としているのですから、浮かんでもらったら困るのです。でも、自分の意思では動かなくても、
深雪と電がそう願うと、神風達の身体は自然と動き出し、軽巡新棲姫の方へと向かう。あちらは煙幕に覆われていて、視界不良中。撤退しようにも、既に前後不覚に陥っており、まともに動くことすら出来ない。
味方の位置も、敵の位置も、全てを理解しているのは、今この場で特異点しかいない。
そして、もう一つ。深雪と電には思っていたことがあった。この『操縦』のついでと言うのは申し訳なかったが、ここで同時に事を起こすには充分すぎた。
「アンタも『操縦』させてもらうよ。そのままじゃ、嫌だろ」
そう言いながら、この煙幕を吸わせた者がいた。すると、その者──比叡の目が悲しくも確固たる意志を持つように輝いた。
ここまで仲間達が鈴谷、金剛、熊野と斃してきており、残りは比叡ただ一人という状況になって、軽巡新棲姫はこの空間に力を解き放った。仲間であり、いいようにこき使っている秘書艦だった比叡をも巻き込んで。
今の比叡は『沈没』と『操縦』でその場から一歩も動くことが出来ず、深海棲艦に改造されたことで自由意思すら奪われている。だが、特異点の煙幕の力は絶大であり、『操縦』によって行動の自由を与えた途端、それでもまともに動けない神風達とは違った反応を見せた。
身体は敵の『操縦』に縛られている。だが、心は縛られていない。深海棲艦化の影響だ。そこに自由を与えたのならば──
「えっ……な、何か、あの人だけ、比叡さんだけ、違う感じがするのです」
「だよな、あたしもそれは感じた。あたし達が心まで『操縦』しているわけじゃあないよな」
「勿論なのです。電達は、縛られたみんなを自由にしたいと願って……あっ!」
この願いが、比叡には違う意味でも叶っていたのだ。比叡だけではない。今は気を失い、『沈没』のせいで溺死の危険性すらある3人の秘書艦達にも、その効果は及んでいる。目を覚ましたらきっと、比叡と同じ反応をすることだろう。
「そっか、なら、アンタも腹が立つよな。じゃあさ、あたし達と一緒に行こうぜ……!」
感情は見せない。そのように改造されているから。言葉もない。そうされているから。だが、確固たる意志が蘇っていた。
深雪と電の願いによって自由を得た比叡は、その『操縦』によって沼から抜け出す。神風達よりも早く速く、今敵として認識している者の前へと駆ける。
「えっ、ちょ、マジで言ってんの!? ははっ、ミユキもイナヅマもやるねぇ!」
「ハラショー。たまにはこういうことだってやっていい。何も文句は言わせないさ」
金剛を足場にさせてもらっているグレカーレと響も、この状況を把握していた。何故なら、足場である金剛が目を覚まし、グレカーレと響をしっかり支え始めたのだから。流石にうつ伏せの状態では厳しいか、その辺りの体勢もちゃんと変えて。
鈴谷と熊野も同じである。特異点の『操縦』によりその場で立ち上がり、熊野は子日をキチンと支える。そして、『電探』の力まで使い始めた。その対象は、軽巡新棲姫ではない。
「うわっ、すっごい! この中の情報、全部わかる!?」
「『電探』の情報が勝手に通信されてきてるわ! 深雪の煙幕が無くても、ここにあるものの位置は全部わかる!」
自由意思を手に入れた熊野は、自分の仲間を軽巡新棲姫ではなく特異点とその仲間であると見定めた。故に、その力を
「くっ……我々の部下を操るだなんて。やってくれましたね特異点」
「人心掌握とは、悪のすることだぞ。自ら悪であることを証明し──」
「お前ら、鏡って知ってるか。それに、これをお前らと一緒にするんじゃねぇよ」
「なのです。人の心を縛り付ける貴方達と、人の心を自由にする深雪ちゃんを、一緒にしないでほしいのです」
深雪だけでなく電すらも、呆れたように言い放った。ここまで来ると、本当に提督だったのか疑問に思えてしまう。カテゴリーYとなると頭が悪くなる傾向がここ最近はあったが、この2人は阿手からの教育を受けているということもあり、最初からこれだったとすら考えられる。
この提督の元部下達──うみどりの中では磯風も該当する──を同情してしまった。あまりにも愚かであり、あまりにもお粗末。深雪は叢雲の義父にも当たるあの外道のことも思い出していた。阿手の部下は似たような奴らばかりだと。
「『操縦』はしてる。でもな、『操縦』は意思は変えられねぇ。それはお前もわかってんだろうがよ」
「その上で電達に協力してくれているのですから……皆さんの意思は、そういうことなのです」
既に軽巡新棲姫の目の前に、深海棲艦化したことも含めて冷酷な瞳を湛える比叡が立っていた。だが、煙幕のせいでその姿を認識することが出来ていない。
「わかるか、それだけお前らは嫌われてんだよ。やりたいことをやりたいようにやって、これだけ人様に迷惑かけやがった。この後も苦しむ奴もいる。なのに、お前らは全部特異点のせいだと責任転嫁だ。一から十までお前らの意思でやってるのにな」
「そんなこと、許されるはずがないのです。だから、もう、ここにいちゃダメなのです」
そして比叡は、拳を握り締め、全力で軽巡新棲姫の顔面を殴り飛ばした。
「ごほっ!?」
「なっ……!?」
その拳には『燃焼』の力が乗せられている。痛いと同時に熱い一撃に、軽巡新棲姫は悶絶した。
「あたしはその人にお前を殴れって命令したわけじゃないぞ。『操縦』はしたけど、お前らが作った沼から抜け出すまでだ。そこからは、その人の意思だ」
「縛り付けた意思も自由にしたのです。だから、自由にその行動を起こしているのです。つまり──」
「お前らは、元々の仲間からも見限られたってことだ」
比叡はさらに追撃する。それこそ、見た目通りの深海棲艦のように、少しも容赦などない。もう一発、もう一発と『燃焼』が込められた拳を叩き込んでいく。
避けようにも、煙幕による前後不覚で何処に動けばいいのかわからない。むしろ、比叡のいる位置すらまともに把握出来ていない。
ただ一方的に殴られる。これまで自分達がやろうとしていたことを、逆にやられているだけ。
完全なる自業自得。誰も擁護出来ない。電ですら、可哀想に思わない。
「深雪、全員抜け出すことが出来たわ! あいつら、自分達が動けるように、ある程度
「よっしゃ! 神風、まだ『操縦』は喰らってるか!?」
「それは終わってないわ! 特異点の『操縦』はそのままでお願い!」
仲間達が『沈没』の沼から抜け出せたことに安堵するものの、まだ戦いは終わっていない。
もう、逃げられるわけがない。軽巡新棲姫は、抗う手段すら奪い取られていた。