島の岸に埋められていた環礁空母泊地棲姫は、『舵』が張り付けられていたため、深雪と電がそれを対処。正気を取り戻させ、杏のことを聞いたところ、表情が一変。
「杏……
なんとこの環礁空母泊地棲姫が杏の母親その人であった。杏の名前に強く反応した。
「よかった、アンタが杏の母ちゃんか。杏は無事に保護してる。さっき通信でも話したぜ」
「今からでも話せるのです。通信しましょうか」
電がすぐに通信設備の準備をする。声を聞いてもらった方が早いだろうと。
しかし、母の方は改造されてしまっているため、声も違うモノになってしまっていると考えられる。姿形すらも変わっているので、お母さんだよと言われても信じられるかどうかわからない。
杏自体は変わり果てた母を知っているため、一応は姿を見ればそこは多少補完出来る。しかし、深海棲艦は同じ姿で別人な個体が何体もいるような種族だ。ただでさえ阿手が同じ個体を量産して島民を改造しているようなことをしていたのだから、本当にこの環礁空母泊地棲姫が杏の母かどうかは判断がつかない。
深雪も電もたった一言を信じて通信の準備を始めたモノの、本当に母なのかという疑問はどうしてもあったりする。
名前を聞いて娘と答えた反応の速度からして大丈夫だとは思うが、まだ何かを仕込まれているような気がしてならない。
「ハルカちゃんさん、聞こえますか。電なのです」
『ええ、聞こえているわ。何かあった?』
「杏ちゃんのお母さんという方がいたのです。話が出来たらなと」
そうこうしている内に通信の準備が完了。伊豆提督と二、三話して、また杏を通信の先に出してもらう。今は母がどのカタチに変えられたかを調べているところだったため、伊豆提督の近くにいたらしく、すぐに通信先に現れる。
『お母さんいたの!?』
慌てたような声色。その声を聞いたことで、環礁空母泊地棲姫はハッとした表情になったと思えば、すぐに柔らかい表情を見せる。しかし、それは笑顔とは言いづらい複雑な表情。
「杏……よかった、無事だったみたいだな」
『え、お母さん声高くない……?』
「改造、されてしまったからな……。信じられないかもしれないが、私はちゃんと杏のお母さんだよ。そうだな……名前は藍田
『OKわかった絶対にお母さんだ間違いない』
通信の向こう側で顔を真っ赤にしている杏が目に見えるようだったが、本人しか知り得ない話題がスラスラ出てくるのならば、それはもう母と言ってもいいだろう。
『よかった……無事だったんだ……』
「無事……とは言い難いな。理不尽な改造で人間を辞めさせられてしまった。今の私は……バケモノと言っても過言ではない」
『でも、こうやって生きて話が出来るならよかったよ! 私、保護されて船に乗せてもらってるの。お母さんもこっちに来るんだよね?』
環礁空母泊地棲姫がチラリと深雪達に目配せする。すると、全員が小さく頷いた。『舵』を張り付けられて洗脳されていた者は、その全てが阿手への反発を強制的に封じ込められていた経緯がある。逆を言えば、『舵』さえ無ければ、これまでやらされていたことが間違っていると判断出来る者である。うみどりに収容されるのは、そういう更生不要の者達。
「ああ、今そうだと教えてもらった。すぐには行けないが、必ずそちらに向かう」
『本当によかった……もう会えないかと思ったよ……』
「私もだ。でも、救ってもらえた。特異点とその仲間達には感謝だな」
環礁空母泊地棲姫はようやく一息吐けたように力を抜いた。身体は改造されてしまっているモノの、この島に共にやってきた愛娘と離れることなくまた会えることを、素直に喜んでいるようにも見えた。
「しかし、少し妙なことはあります」
杏の母と潜水鰆水鬼を掘り返している間に、妙高がボソリと呟く。
「何かあったか? あたし的には、杏の母ちゃんってことがわかっただけでも充分だと思うんだけど」
「『舵』の話をちゃんと聞くと、どうしても引っ掛かることがあります。それを張り付けられて洗脳された場合、
これは地下施設で電が看破した『舵』とシステム。阿手は洗脳を施したとしても自分より強いモノでなければ制御が出来ない。そのため、どれだけの実力者であっても、その力は全盛期よりも確実に劣化し、頭も悪くなる。策士の策が杜撰になったり、戦術が単調になったりと、わかりやすい弱体化が確定で引き起こされる。
しかし、環礁空母泊地棲姫はそれを以てしても、非常に強力な敵だった。妙高の『ジャミング』の特性を見抜き、自身の弱点も理解し、どのような戦況でも冷静に対処しようとしている。阿手の洗脳を受けているならそんなことは普通しない。もっと感情的に、自分の力を誇示するように戦いそうなモノである。
「この方は明らかに強かった。あの判断能力、戦術、間違いなくこれまでの中では上位に位置します。洗脳を受けたのはつい先日……下手をしたら昨日とかですよね?」
杏の母に問う妙高。対する杏の母は、そうだと小さく頷く。施術を受けた時のことも覚えているようで、証言は大体黒井母と近しいモノ。身体を改造され、文句を言う前に首筋に『舵』を張り付けられた。ただそれだけでおしまい。
「もしかして、こうなる前に何かされていました?」
「……床に伏せている時は、パズルや詰将棋をしていたくらいだ。動けずとも、頭だけは動かしたかったからな」
「なるほど、頭は使っていたわけですね。でも、それだけでは言い表せません。戦術家すら、その取り柄を失うのが阿手の洗脳です。本人の無能さを曝け出しているようなモノなんですが、貴女にはそれを感じられなかった」
妙高はそれくらい杏の母を買っている。それほどの強敵だったと断言出来る。確かに『ジャミング』は雑に使っても凶悪な曲解だ。しかし、その特性を正しく活かして戦うとなれば、
「……わからない」
「もしかして……特異体質か何かでしょうか。それとも、叛逆出来ないと確信していたから、そのままで使っていた……とかですかね」
これだけ頭がいいなら、阿手の正体──集積地棲姫改の身体がニセモノで、本当はPT小鬼群だったこと──には気付いてしまってもおかしくない。だとしてもそのままにしたのは、叛逆しないと確信を持てたからと言えるだろう。
それに、妙高が少し思いついた『特異体質』も一考の余地があるだろう。阿手でも想定出来ていなかった、『舵』を張り付けられても劣化しない体質。身体や脳に何かしら特異な部分があることで、それが引き起こされたのだとしたら、そこもしっかり調べたいところ。
ただでさえ杏の母は病気を治すためにここに来ている。その病気が、想定外のことを引き起こしている可能性も無くはない。その病気と洗脳の力がかち合って、劣化の部分が相殺されたとかになる。
「こうして埋めている間に、『舵』の話を聞いた後、私の方で特機を使って体内は調べさせてもらっています。何かおかしな機械とかは埋め込まれていないことは確認済みです」
「さすが妙高さんだ。仕事が早ぇ」
「それまでに調べていなかったので、むしろ遅い方ですがね」
洗脳装置の存在を知ってから、他に何かされていないかどうかは確認済み。阿手のように体内に何か仕込んでいるというわけでもなく、『舵』以外は至って普通な深海棲艦の身体であった。
「あとは……脳ですね。催眠とか感情制御とかを意図的に施している可能性は無くはないです。紫苑さん、でしたか。何か思い当たるところはありませんか」
「……申し訳ない、すぐにピンと来ないな。眠らされている内に仕込まれているという可能性はあるが……」
「ですよね。なら、少しでもそうなってから意識を失うことはありましたか」
「『舵』、だったか。それを仕込まれた時に、少しあった。その間にされているというのなら、私の与り知らぬところで何かされていてもおかしくはない」
これは杏の方にも言えること。眠っている時間があったため、その間に催眠などを仕込まれている可能性は言うまでもない。
それが何かわからなければ、特異点の煙幕による『阿手の完全否定』は働かないだろう。どれを否定すればいいのかわからないのだから。
「まぁ、そもそもその処置を施すなら、全員にやっているとは思いますが」
「……だとしたら、『舵』をぶっ壊した奴ら全員に何かされているかもしれないってことか」
「ええ。基本は『舵』で劣化している。でも、阿手は自分が一番になるためにはありとあらゆる手を使うようじゃないですか。なら、保険として、自分に絶対に逆らえないようにする『スイッチ』を入れているとかはありそうじゃないですか?」
例えば、阿手に攻撃しようとしたら
物事には例外が付き物である。それは海賊船の戦いでグレカーレによって学ばされた。そこから、幾つもの保険をかけるようになったとしたならば、何とわかりやすいことか。
「同じように、いろいろな『スイッチ』を仕込んでいるかもしれません。救われたら救われたで、何かしでかすように」
「例えば……?」
「ハルカちゃんを攻撃する、うみどりを破壊する、身投げする、いろいろ考えられますよ」
どれもこれもが起きてほしくないことばかり。今のところは、うみどりに保護された者達は何も起こしていないようだが、催眠で深層心理に何か刻まれていたら、今後突然何かを引き起こす可能性もある。
「ひとまずは、全員を要観察ですね。縛りつけることはなくても、うみどりの中で何かされたら困りますから」
「だな……可哀想だけど、そこは理解してもらうしかねぇや」
環礁空母泊地棲姫が杏の母であることは確定したが、まだ不安要素は尽きない。うみどりはまだ、緊張を取り払うことが出来ないでいた。
杏のお母さんである藍田 紫苑さん。紫苑は杏の元ネタであるアンドロメダの母であるカシオペアから。