食堂でのセレスの直感から検査を受けることとなった島で救助された者達。まず最も怪しまれていた杏が検査を受けることになったのだが、明石の予想では、眠ることで最後のトリガーが引かれ、施された暗示が表に出てくると予想されている。
何も無いならばそれでいい。だが、何かあった時に困る。そのため、念入りに準備をして、誰にも被害が出ないようにしていた。
そして、杏を入渠ドックと同様なシステムですぐに寝かし、それから少ししたところで、杏に突如異変が起きだす。
その異変が起きたのは脳波。外見上では変わっていないように見えるが、内部で何か起きていることがすぐにわかる。
「……杏は大丈夫なのか」
心配そうに眺めている母、紫苑。苦しんでいる様子は無いのだが、何か変わってきているのではとわかるような反応に、どうしても不安がある。
眠っているだけの杏は、呼吸が乱れることもなければ、身体を変に動かすこともない。ただ今のまま、
「何かあったら私達がどうにかしますから、今は落ち着いていてくださいね」
そんな紫苑に、丹陽が優しく語りかける。老朽化はしていても艦娘であることには変わりない。戦うことが出来なくても、これまでの経験から、ただの人間くらいならば簡単に制圧出来てしまうだろう。
「……彼女の中がどう変えられているかは、脳波を見ているだけではわかりません。中途半端に目を覚まさせるのも危険です。なので、脳波が落ち着くまではそのままにします」
明石がそう説明している間に、主任を筆頭とした妖精さん達が、杏の周囲でせかせかと動き回る。何かあった時のために、押さえ付けられるような機材を用意していた。
既に手枷と足枷を着けている状態ではあるのだが、それでも何か出来てしまう可能性はある。生身の人間であったとしても、暗示のせいで何かを変えられている可能性、危険性もあるのだから。
「脳波、安定してきました。身体には何も変化はありません。血圧が上がっていることくらいですね。息遣いも何も変わっていない。もし誰かが一緒にいたとしても、違和感を覚えることもないでしょう。変化しているのは脳波だけです」
「悪夢を見ているわけでもないということですね。むしろ幸せな夢を見せられているのかも」
「ですね。夢を知ることは出来ませんが。で、その中で暗示が強固になっていき、最終的にはさっきまでとは違う考え方に変えられている、というのが考えられます」
丹陽も警戒しつつ杏に近付く。暴れるわけでもない、本当にただ眠っているだけ。しかし、先程の脳波の乱れで、杏が何か変わってしまっている可能性を考えると、起こした途端に暴れだすということも無いとは言えない。
「完全に安定しました。何かあるなら、これで変化は完了しているかと思います」
「では、起こしてみましょうか。よろしくお願いします」
入眠をドックと同様にしたので、覚醒もドックと同様。妖精さんの手引きで杏に機材を使うと、まるで何も無かったかのようにスッと目が覚める。
「ん、んんぅ〜……寝ちゃってた?」
「はい、こちらで眠らせましたからね。何か変調はありますか?」
「変わったところは無いかなぁ……うん、何も無いよ」
この言葉を信じていいかどうか。中身が変わり果てているのならば、何も無いというのは完全な演技になる。
「まぁそんなものでしょう。我々がここにいるときにボロを出すように暗示はかけられないでしょうから。眠っている時に暗示がかかるということは、周りに警戒しているということに他なりません。仲間達が全員眠っているわけですから、単独行動もしやすくなる。その間に目的を達成しようとするでしょうね。なので、今は何も無いことを装うでしょう」
杏はそんなこと言われてもという表情。
「さて、では何か起きている可能性を考えて、おばあちゃんと少しお話ししましょう」
「え、ああ、うん」
身体を起こした杏と話すため、丹陽は寝かされていたベッドの横に腰掛ける。脳波の測定などは続行中。手枷と足枷はそのまま。
「杏さん、とりあえず今は落ち着いていますね。何か夢を見ましたか?」
「夢……うーん、多分見てないと思う。全然覚えてない」
「見ていたけれど忘れてしまったということは普通ですね。覚えていたとしても、
穏やかな笑みを浮かべながら、丹陽の話は続く。体調的にはどうか、周囲がどう見えるか、今この状況をどう思うか、など。話をしながら脳波の乱れなどを確認し、質問に対してどのような反応をしているかを確認する。
その反応は正常としか言えない。何も変わっておらず、ただ受け答えをするのみ。異常な脳波なども見せず、疲れたようにも見えない。
「ふむ、暗示はかけられていないのか、それとも暗示を乗り越えているのか。杏さん、島で救われた時、グレカーレさんの力を受けたりしています?」
「えっと……それって、深雪と一緒に煙をかけられるヤツ? いろいろある煙って言われてかけられてるけど……」
「もしかしたら『羅針盤』が効いているのかもしれません。本来の道から違えることがないようにする力ですから」
杏には丹陽が話していることがさっぱりだが、ともかく疑われる要素が少しでも減るのならばそれでいいかと納得だけはしておいた。
とはいえ、丹陽はまだ疑って入る。話に聞いたのみではあるが、『舵』は羅針盤すら効かない強固な洗脳。そういうことが出来ているのならば、深層心理にかける暗示は、同様に強固なモノであろうと考えられる。何をしたところで、本心をそのように書き換えてしまっているというのならば、『羅針盤』で道を示そうと関係ない。その道を、本来の道として認識してしまっているのだから。
「では杏さん、少しだけ待っていてください」
丹陽は明石に少しだけ指示を出した。明石もそれは必要かもとすぐに動く。杏が寝かされている部屋から出ていくと、何やら外に連絡を始めた。
「明石さんはトリガーが2つと話していましたが、もしかしたら3つ目もあるかもしれません。それに、やはり暗示を隠している可能性も否定出来ません。なので、少し強硬策に出ます」
外に連絡を取って少ししたところで、この部屋に来客。
「暗示がかかっているか、確認しているのよね。アタシの助けが必要になったと聞いたけれど」
と言いながら入ってきたのは、伊豆提督である。その後ろにはイリスの姿もあった。
暗殺をするのならば、そのターゲットの姿を見ることで何かが起きるだろう。そう考えて、丹陽は
今ならば枷もあるため、いきなり殺しにかかるなんてことは出来ない。伊豆提督の顔を見たことで突如暴れるなんてことがあっても、これを突破することは出来ないだろう。
杏の前に伊豆提督がやってくると、その場に膝をついて視線を合わせる。
「どうかしら、具合が悪かったりする? 阿手のヤツにおかしなことをされているかもしれないのよね。大丈夫?」
親身な態度で杏のことを心配する伊豆提督。対する杏は、少し焦ったような表情を見せながら、大丈夫ですと笑顔を見せる。
たが、見た目ではどうとでも出来る。心がどうなっているかは、脳波を見ればわかる。
「反応、出ました。ハルカちゃんがここに来たことで、やはり大きく乱れましたね。どういう感情かはわかりませんが、この乱れ方は少し普通ではありません」
杏に聞こえないように、丹陽にだけ話す。伊豆提督の顔を見たことで、杏の中で何か変わったことを如実に表していると。丹陽もやっぱりと頷く。
ターゲットに先制された時、少し動揺しながらも冷静さを保ち、怪しさをなるべく出さないように振る舞おうとする。
しかし、内心の殺意は隠せない。
目の前にターゲットがいるのに、普段を装わなければならないというのは、それ相応にストレスがかかる。それが脳波に出るのは必然。
「やはり、寝て起きたらハルカちゃんや特異点に対して強い嫌悪感を持つようにされていると考えられますね。私達には普通でいられるけれど」
「ですが、まだ確証は持てません。もう少し探りますか」
「はい、もしかしたら、本当に暗示がかかっていないかもしれませんし、何かの弾みで暗示が解けている可能性もありますから」
伊豆提督と話をする杏の脳波は、やはり少し乱れているところがある。明石はそれを暗示による殺意を抑え込むためのストレスと判断しているが、そうではなく、ただ単純に緊張しているというのも考えられるため、まだ何が正しいのかはわからない。
ここでこの検査の真意を察した伊豆提督は、少しだけ賭けに出ることにした。
「明石ちゃん、この子の拘束を解いてもいいかしら。多分大丈夫よ」
「いいんですか?」
「ええ、まずは手枷を解いてあげて」
そう言いながら、伊豆提督は杏の腕に軽く触れ、持ち上げることで、妖精さんに手枷を外しやすくしてやった。
杏は少しだけピクッと反応したが、枷を外してくれるのならと至って冷静である。
「……大きくブレました。なるほど、ハルカちゃんはそれがしたかったと」
「触れられることでのストレス、ですか。別に工作艦である明石さんに触れられるくらいなら何とも思いませんが、それが殺意の対象だった場合は話が変わりますよね」
伊豆提督はここで身を張ってその事実を明石に伝えた。隠し武器とか、そういったモノがないのはわかっているが、それでも触れ合うというのは危険なことだ。
やはり今の杏は暗示によって暗殺者に仕立て上げられていると、ここで確信した。あくまでも平静を装い、隙を見て殺す。そして、相手が人間だから反撃もしにくい。
今でこそ、そんな機会は訪れないだろうが、そのような者が艦内に潜伏することになることが厄介である。そのため、この暗示はどうにかしてでも解かねばならない。
今は特異点の力も借りることは出来ないだろう。ならば、どうしていくか。