昼休みを終えた後、また海中へと潜るため水着に着替えた時、グレカーレから少々気になる情報を貰った深雪と電。
それは、こうして作業を続けている中で様子がおかしい者の話。特におかしいと話していたのは、作業に参加はしているが、これまでと違い忌雷を全く食べていないムーサのことだった。
「確かにそりゃあ心配だな……前はやめろっつってんのに食ってたくらいなのに」
「体調が悪いのでしょうか……」
チラリとムーサの方を見ると、やはり様子がおかしいように思える。忌雷を食べていないだけならまだいいが、あまり物事を考えていないような感じのムーサが、何処か思い詰めているような表情をしているように見える。
ムーサだけならまだしも、高波もあまりいい表情をしておらず、副官ル級すら2人を慰めるように寄り添っていた。
「なんか悩みでもあるのかな。セレスに叱られたとか」
「忌雷の食べ過ぎでセレスさんのご飯が食べられなかったとか、なのです?」
「と思ったけど、セレスがそんなことでムーサを叱るとは思えないんだよな。そもそも、アイツが忌雷食ってたところで、飯も普通に食ってたし」
「本日の朝食も昼食も普通に食べておられましたね」
「なら別の悩みかなぁ? でも、何か悩むことなんてあったっけ」
そういうことを考え始めたらキリがない。気になって仕方なくなるが、これから仕事もある。
「ムーサさんのことが気になるんですか?」
そこで、助け舟を出したのが、そんな4人の様子をこっそりと見つつ、『未来視』により最善の選択をする丹陽。相変わらずの神出鬼没っぷりで、ニッコリ笑って深雪の後ろに立っていた。
「どわぁっ!? あ、相変わらずだなお前本当さっ」
「び、ビックリしたのです」
「ボスさぁ、いきなり真後ろ立つの好きだよね……」
「丹陽様……もう少し控えていただけると……」
心臓をバクバク言わせながら、四人が四人、その丹陽の登場方法に苦言。しかし、丹陽はそれに対して悪びれる素振りもなく、話を進める。
「実は先日、ムーサさんとお話しする機会がありまして。そこで少し落ち込んでしまうことがあったんですよね」
「そうなのか? 何を話したんだよ」
「ムーサさんと言えば、忌雷のことです」
実際に、ムーサが悩んでいるのは忌雷のことである。しかし、丹陽はその真実を4人に話すつもりはない。
この事実を知っている者は全員口止めされているが、ムーサは特に重く感じてしまっているところがあるため、今の神妙な面持ちになっている。態度に出るくらいだし、アレだけ大好物で止めても食べまくっていた忌雷を、それ以降1つも口にしなくなっているのだから、見る者からしたら不安にも不穏にも思う。
「この戦いで、宿敵であった阿手をみんなの力で打倒し、ついには斃すことが出来ました。この後始末では、阿手の痕跡を全て消し去るためにお仕事をしています」
「だな。アイツがここにいたってのを全部無くしてやるのが、今回の後始末では重要なところだと思ってる」
「ですが今、うみどりには阿手の痕跡としてすぐに消すことが出来るのに消していないモノが存在します。たった1人だけ、グレカーレさんの『羅針盤』によって正気を取り戻し、カテゴリーKのまま私達に協力してくれています。それが、高波さんです」
身体を改造されてカテゴリーYとなってしまった面々は、それを治すための手段を今も鋭意研究中。治せるようになればすぐに治して、元の人間に戻ってもらいたいというのが基本。それもまた、阿手の痕跡を消すというところに繋がる。
しかし、その手段が簡単に見つからないから困っている。痕跡を消したくても消すことが出来ない。出洲もおそらく同じ手段を持っているのだから、最後の戦いで問いただすということも考えているくらいだ。
だが、今すぐにでも消すことが出来るのに、
今でこそ正気であるため問題なく、特異点の力により全員に『羅針盤』が行き渡っており、特機の配備も出来ているため、寄生されても一応は何事もなく済ませることは可能である。
とはいえ、
「私はムーサさんと高波さんに伝えたんです。阿手がいなくなった今、万が一のことが起きてしまう可能性も無くはないと。もう死んで数日経ちましたが、時限爆弾式に何かを引き起こす可能性だってある。それによって、高波さんがどうにかなってしまうかもしれない。そうなる前に、高波さんから忌雷を取り除くことが必要なのではないかと、ね」
……という
実際、近しい話は既にしていたりする。忌雷=妖精さんということを知ったムーサは、これまでの自分の行いに罪悪感を持つようになったのは間違いない。そして、生まれた経緯からして、それはムーサの生きる意味に直結することになる。
ムーサは特異点の願いから生まれた、忌雷をどうにかするための存在。現れた忌雷をその場から処理すること。その必要が無くなった時、その存在意義は途端に薄れてしまう。
「高波さんも優しいですから、危ない橋を渡りながらムーサさんの好物を生成し続けることをヨシとしています。ただ、何が起きてもおかしくない状況を、これ以上維持し続けるのも難しい」
「だから2人ともあんな顔になってんのか……」
「はい。ムーサさんも、ここで生活していく内に成長しています。だから、今ずっと悩んでいるんです」
これも半分は本当のこと。ムーサと高波が、忌雷のことで悩んでいるのは間違っていない、偽りのないことだ。その理由が全く違うのだが、嘘の中に本当が含まれることで、勘が良くても気付けなくされている。
「まぁでも、確かに忌雷は出来れば無い方がいいんだよな……ムーサには悪いけどさ」
「それか、絶対に安全な忌雷を作るかだよね。タカナミが『増産』するにしても」
「だよな。でも特機だと……うん、なんか違うよな。違うはずだ」
グレカーレも丹陽の真意には気付かず、しかし方向性としてはいい話を口に出す。安全な忌雷──それこそ、妖精さんが材料に含まれず、しかし味は据え置きのモノが作り出せれば、ムーサも高波も万々歳と行けるかもしれないと。
「忌雷よりも好物なモノを持ってもらうのが、おそらく一番妥当でしょう。でも、ムーサさんはそもそも性質からして少し違います。忌雷の匂いを感じ取り、それを美味しいと感じ取る。嗅覚と味覚でそれを至高の一品と認識していますからね。そしてそれは、私達には絶対にわからないモノ。ムーサさんにしか許されていない感覚です」
代替品が作れればいいのだが、そんなことが出来るわけがない。その匂い、その味を知るのは、世界で1人だけ、ムーサしかいないのだから。これに関しては、セレスですら無理だろう。一度食べるという行為が不可能。
それに、うまく解析が出来たとしても、ムーサが美味しいと思える成分が、妖精さん由来である場合はもうお手上げ。妖精さんを食べさせられた杏やカテゴリーYから忌雷の匂いがすると言った時点で、その節は濃厚。妖精さんの味の再現とか、不可能であろう。セレスは真実を知ったらやろうとするかもしれないが。
「こちらでもいろいろ考えているところなんですけどね。なかなか上手くいかないモノです。高波さんには定期的に工廠で検査を受けてもらったりはしていますが……何か起きそうだったら、深雪さん……いえ、特機にお願いするしかありませんね」
「ああ、そっちに預けてある特機もいたよな。それ、自由に使ってくれ。あたしがいなくても別に使えるだろ」
「はい、良き協力者達ですので。解析も随分とやりやすくなりましたからね。とにかく器用ですから」
ただし、今回の件は特機でもどうにもならないことである。ムーサの味覚に関してはやりようがない。
高波が『増産』した忌雷を解析し、妖精さんの要素が入っているかを確認。そうであれ、そうでなかれ、増えた忌雷をそのままにしておくわけにはいかないので、これまでならムーサが食べていたが、今は特機が破壊している。
特機も妖精さんなのだから、これは妖精さん同士で命を奪う行為とも認識出来てしまう。それすらも残酷な現実を突きつけられているかのよう。
「なので、ムーサさんと高波さんのことは、こちらが動いていますので大丈夫です。心配しないでください」
「……わかった。忌雷が喉を通らないくらい悩んでるって相当だもんな。高波から忌雷を剥がすってなったら、もう食べられないんだからってドカ食いしそうな気がするし」
「それはそうですね。でも、ドカ食いするためには、その分『増産』しないといけません。となると、高波さんに負荷がかかります。そうなると、それこそ忌雷が高波さんに悪いことをしてしまうかもしれない。なので、控えざるを得ないところもあるんですよ」
あくまで、ムーサが忌雷を食べていないのは、丹陽含めたバックにいる者達の指示ということにされている。自主的に食べないなんて、ムーサからは考えられないから。
「ひとまず、あいつらのことは任せるよ。あたし達は後始末を優先しねぇと」
「なのです……心配ですけど、今、電達に出来ることは多分ないのです」
「誠に遺憾でありますね。ムーサ様御自身の問題となれば、我々は口出し出来ませぬ」
「だねぇ。そんじゃあボス、任せちゃうからね」
「はい、その分後始末をよろしくお願いしますね。現場で手伝えない分、裏方でしっかり手伝わせてもらいますから」
一旦ここで真実を悟られることは避けることが出来た。表情にも態度にも出さないが、丹陽は内心ホッとしていた。
ムーサの問題は、そう簡単には取り払えない問題。慎重にやらなければ、この真実を知られることになってしまうのが大きすぎる。
丹陽のでっちあげで納得してくれた一同だけど、綻びが無いかどうかは心配なので、この後丹陽は事実を知っている者達に片っ端から今こう話したんだって展開することでしょう。