駆逐艦の会の仲間達に見守られながら始まったVR訓練。深雪が相手として選んだのは、当初からそのつもりだった仮想のタシュケント。練度は深雪の知るタシュケントから大きく下げられているが、実戦経験が全くない深雪にとっては、それでも脅威である。
さらに言えば、現在の深雪の練度よりも少し高めの数値で設定されているため、少々手強い相手となっている。
「くそ、少し速いか……っ」
気合でギアを入れて演習に臨んではいるのだが、海戦シミュレータとはまるで違うことを実感する。自分が回避するように、相手も回避するというだけでも厄介なのに、今回はベースがタシュケントであるため、明らかに自分よりも速いとわかる。
仮想タシュケントはVR機材に保存されたこれまでに見てきたタシュケントのデータを集約した存在だ。適性のある人間も、タシュケントとなれたらこのスピード、いや、反射神経が手に入ることとなるだろう。
そもそもタシュケントは駆逐艦の中でも特に万能と言われるくらいに多彩な戦闘手段を扱える。非常に優秀なスペックを持ち、何をやらせてもそつなくこなす。砲雷撃戦だけでなく、対空も対潜もお手のもの。
この仮想タシュケントもそこを考慮され、全ての行動を劣ることなく再現した。持ち前のスピードで深雪の攻撃を回避する様子は、深雪とて若干焦ってしまいそうになるほどだった。
練度の差は、具体的な数値でいえばたったの2ではあるのだが、たったそれだけでも苦戦してしまうのは、仮想とはいえタシュケントの地力と深雪の経験の無さが原因。
「あたしより少しだけ
砲撃の精度も、回避の速さも、今の深雪から一歩先に行っている。これをどうにかするためには、自分が出来ること以上を見つけ出さねばならない。
しかし、今この場で成長することは絶対にないのだ。現在の自分の力で出来ることを模索して、自分よりも練度が高い相手を絡め取る。そうしなければ、絶対に勝てない。
それに加えて、深雪には演習に対するトラウマがある。仮想タシュケントからの砲撃を躱していく間にも、艦の時のあの瞬間が脳内でフラッシュバックしていた。
別にこの場で突然衝突するようなことはない。それで命を落とすことなんで絶対に起きない。だというのに、過去のトラウマが心を抉り、戦っている最中でも、不意に震えが走る。その瞬間、正しく照準を定めていたはずなのに、回避行動も相まって、まるで違うところに着弾することになる。
「焦るな……当たらないのは当たり前だ。初心者なんだからな。心を落ち着かせろ……っ」
簡単に落ち着くことが出来れば苦労はしない。しかし、何度か失敗した経験があるからこそ、仮想とはいえ戦場のど真ん中で改めて息を吐くくらいの余裕はある。数度の暴走は、こういう時の糧となっている。
仮想タシュケントと向き合っている状況は、トラウマの状況とは全く違う。それはわかっていても、悪夢として見た
今でこそ泳いで沈没を防ぐという手段を使えるようになったことで、悪夢を覆せるようにはなった。だが、それはあくまでもその時の状況だからだ。どうなるかわかっている状況だからこそ、回避する手段を最初から考えていられる。
しかし、今の状況は臨機応変に対応しなくてはならない。相手が深海棲艦ならばここまで悩む必要は無いのだろうが、艦娘だからこそどうしてもすぐに考えられない。
むしろ、あの時の自分と同じ状態に持っていかねばならない。しかも、立場は逆で。
「迷うな、迷ってたら誰も守れねぇ……!」
声に出して奮起することで、多少は震えを止めて前に踏み出せるのだが、トラウマはそう簡単には払拭出来ない。仮想タシュケントの攻撃を避けることは出来るのだが、自ら撃つのにはどうしてもラグが発生してしまっていた。
攻撃が当たらないのは、この躊躇いのせいである。そもそも回避能力が高い相手に、躊躇いを持っていたら余計に当たらない。
迷っていても、相手は待ってくれない。仮想タシュケントの砲撃は、少しずつ深雪を追い詰めていく。回避に迷いが出てしまっているため、しっかり回避出来ていたはずなのに徐々にそれが紙一重になっていく。
仮想タシュケントとて、現在の技術の粋を集められて作られたデータだ。眼前の深雪の動きを収集し、少しずつ的確な場所を把握し、勝つように動く。データだからといって、絶対に負けるようになんて作られていない。そして、感情なく行動するために、
「くそっ、追い詰められてる……っ」
これが現実ならば、もっと危険だろうと理解しつつも、深雪は速力を上げて距離を取った。
視線はずっと仮想タシュケントに向けているため、攻撃が来るタイミングは逐一把握は出来ている。だから、当たることは今のところは無い。紙一重であっても、当たらなければそれは問題ない攻撃である。
しかし、深雪はそれでも焦りに繋がる。早く終わらせなければならないというわけでもないのに、落ち着くことが出来ない。その裏側にはどうしても恐怖が付きまとう。
ここで衝突してしまったらどうなってしまうのか。また為す術なく沈んでしまうのか。そんなことばかりが頭の中でチラつく。夢では対処出来たのに、現実になるとどうしてもダメだ。
「深雪ちゃん!」
そんな深雪に、電の声が届く。ただ叫んだだけではない。焦りとトラウマで砲撃しか見えていなかった深雪には、仮想タシュケントが放った魚雷が見えていなかった。
回避方向まで計算に入れている、しかし練度は少々低めでしっかり見ていれば避けられる雷撃。落ち着いていれば初心者でも避けられるはずのそれは、今の深雪には回避が非常に難しいモノになっていた。
「っ……」
だが、電の声が深雪を目覚めさせる。その声が聞こえた瞬間に、一気に視界がクリアになった。
自分しか見えていなかったところに、仲間の声援が入ったことで、演習とはいえ戦いが自分のモノだけでは無くなった。
「ったるかぁ!」
そして、深雪は咄嗟にその場でステップを踏みながら跳躍。あと少し遅ければ雷撃が直撃していたというタイミングで回避に成功。
電からの声援が無ければ、間違いなくこれは喰らっていた。そして、仮想空間とはいえ脚を失っていた可能性があった。
深雪の脳内では、自分のこと以上に電のことを考えていた。怪我をした自分を見せられない。ただその一心で、咄嗟の回避を成功させたのだ。
「ありがとな、電。あたしが守らなくちゃいけないのは、みんなの身体だけじゃねぇ、心もだ」
電に向かって小さく手を振ってから、もう一度仮想タシュケントに視線を向ける。その時には、躊躇いそのものが薄れていた。
物理的に守ることも大切だろうが、躊躇いによって自分が苦戦している姿を見せることは、精神的にもダメージを与える。他の仲間達は熟練者であるため何も無いかもしれないが、電は別だ。怪我をした深雪なんて目にしたら、まず普通の精神状態ではいられない。仮想空間ですぐにそれが治るとしても、
自分のせいで電を崩れさせることが、深雪には耐えられなかった。そのおかげで、今の力を発揮出来た。
「負けねぇよ。ここからは、絶対に」
そして、その元凶となり得る仮想タシュケントを斃さない限り、電の心への脅威は無くならない。ならば、躊躇ってなんていられない。演習に対する恐怖を感じていては、精神的なピンチを脱却することなど出来やしない。
ここで、深雪はまた一歩前に進むことが出来る。
「もう、沈まねぇ!」
艦娘の姿で当時を再現する悪夢を見たからこそ、二度とああはならないという気持ちは強くなった。
その結果、途端に深雪の動きは良くなる。迷いが無くなったことで、身体が軽くなったような感覚さえした。
「もしかしたら、現実でもこうなるかもしれねぇ。でも、そうなったら絶対に電が泣くじゃねぇか。それは許せねぇ。あたし自身が許せねぇ」
アイドル活動によるスタミナトレーニングで学んだステップで、放たれる魚雷は全て回避しながら、少しずつ距離を詰める。離れていたら震えで当たらないというのなら、
勿論仮想タシュケントもそれを簡単に許すはずが無い。近付いたら離れる。一定の距離を維持するために。近付かれたら当たりやすくなることくらいはプログラミングされているため、接近は許さない。
「躊躇ってちゃ、何も変わらねぇ。だから、もう躊躇わねぇ。優先順位は、お前らの方が後ろだ!」
接近したら当然、あちらからの砲撃も当たりやすくなる。だとしても、練度が低い深雪には近付いて攻撃するくらいしか確実に当てる手段が思いつかない。
故に、仮想タシュケントからの砲撃は本当にギリギリというくらいの回避に収めた。痛みは何も無いが、ピシッと言う音と共に、主砲を握っていない方の腕に傷がついたのがわかった。
「肉を切らせて……っ」
だが、今の深雪にはそれに痛みがあろうとも関係なかった。砲撃した瞬間は、データであっても多少動きが止まる。動きながらであっても、照準を定めている時だけは、行動に隙が出来る。
練度の低い仮想敵だからこそではあるが、同じように練度の低い深雪がそこに気付けたのは、本来の素質。
当てやすくするために、少しだけ自分が傷付いて、その隙を引き出した。そのおかげで、仮想タシュケントはほんの一瞬でも隙だらけになった。
「骨を断つ!」
その瞬間を見逃さず、深雪は仮想タシュケントに砲撃を放つ。即戦力と言われる純粋な艦娘の砲撃は、一切のブレ無く狙い定めた場所に向かって行き、そして仮想タシュケントの右肩を撃ち抜いた。
ここで生々しく仮想タシュケントの右腕が噴き飛んでしまうが、データであるためすぐにそれは霧散。失われた本体の腕もすぐに再構成される。
『そこまで。仮想敵大破で深雪の勝ちよ。お疲れ様』
ここで神風の声が聞こえ、演習終了。その瞬間、仮想タシュケントは先程の右腕と同様にその姿が霧散した。
「……勝てたのか」
『ええ、貴女の勝ち。反省会は後からするにしても、少しの傷でよく出来たと思うわ。反省するところは勿論あるけれど』
「何度も言うなよ! でも、何とかなって良かった」
仮想空間であるため、今この場では疲労というモノは感じない。しかし、力が抜けるような感覚はあった。
「えーっと、あのタシュケントはあたしよりちょっと強いくらいなんだっけか」
『ええ。練度の数値だけで言えばね。それでも勝てたのは、貴女がちゃんと戦えているからよ』
「そっか……へへ、そうかそうか」
勝てたことというよりは、トラウマを乗り越えることが出来たことが嬉しかった。次また演習をするときは再発するかもしれないが、乗り越え方がわかったことは大きい。
また、今回の動きが今の練度でも出来ることがわかったことも大きい。これまでのトレーニングは無駄ではないことが自覚出来た。気絶するまでやったアイドル活動も、それが刻まれたことで雷撃が避けられたようなモノ。
「電、あたし、勝ったぞーっ!」
「やったのですーっ! 深雪ちゃん、凄かったのです!」
いち早くトラウマを抜け出した深雪を見て、電は素直に喜んでいた。そして、次は自分がああなる番だと意気込んだ。
『それじゃあ、次は電ね。相手は睦月。準備してちょうだい』
「なっ、なのです!」
「はーい♪」
続いて始まる電の演習。相手は自分で選んだ睦月。深雪が勝利を収めた勢いを、自分でも掴み取るため、電はギュッと拳を握り締めた。
しかし、仮想タシュケントの腕が噴き飛んだ瞬間だけは、どうしても頭にこびりついて離れそうになかった。
仮想空間での演習は、普通に腕や脚が無くなります。すぐに戻ってきますが、それでも失われた瞬間は目に入るモノ。第三者目線だと余計にそこに目が行ってしまうかもしれません。電のように。