雨は夜通し降り続けたようで、うみどりの中でもその音はずっと聞こえ続けていた程の強さだった。ここまで強く降るのは久しぶりだなと思いつつ、その音で深雪は夜中にふと目が覚めてしまった。そこまで喧しいというわけではないのだが、不意に睡眠が浅くなった時に雨音が耳についてしまった。
以前は艦娘としての本能的なモノで、雨や風の音で眠れなくなってしまったことはあった。だが、今はその程度で眠れなくなることもない。深雪より後に生まれた電や白雲もしっかり眠っているし、深雪よりも格段に長く生きているグレカーレは言わずもがなである。
「……一度気になり出すと眠れなくなるな……」
身体の疲れはおおよそ取れている。それでも眠いとは思えるのだが、ザーザーと降る雨がうみどりの装甲に叩きつける音がどうしても耳について離れなくなってしまった。
目を瞑っていればどうにかなるかと思っていたものの、だんだんと意識もハッキリしてくる。欠伸は出ても、眠気が薄れていくような感覚。
「……ちょっと、散歩でもすっかな……」
せっかくグッスリ眠っているみんなを起こすこともないと、ゆっくりゆっくりと動くと、無事電を起こすことなくベッドから下りることが出来た。ただ眠れないだけで迷惑をかけるわけにはいかない。
そっと扉を開けて、暗いうみどりの廊下をのんびりと歩く。時間は日を跨いでそこそこ経っている丑三つ時。こんな時間に起きている者はいないだろうと思いつつ、いつもならば基本寝ている時間帯を、少し楽しみながらも散歩を始めた。
「食堂……には流石に誰もいないよな」
この時間ともなると、セレスが食堂にいることはない。日が変わる前後くらいならば普通に活動をしているが、ここまで遅くなると仕込み作業とかも終わっている。それでも、どうしても眠れない者がいれば、何か飲めるようには用意されている。
深夜に活動しているのは、その時間に深海棲艦が現れないようにと周辺警戒をしている妖精さんと、それを管理するイリスくらいだろう。伊豆提督ですら一度就寝しているくらいの時間だ。
深雪はそこで白湯を一杯飲み、一息吐いた。外の雨音は、静まることは無い。
「ふぅ……なんだか、戦いが終わったって感じがしねぇな」
独りごちる。実際はまだ出洲達カテゴリーKとの最終決戦が残っているため、本当に戦いは終わっていないのだが、少なくともこの島での戦いは終わった。
それなのに、後始末という事後処理、うみどりにとっては第二の戦いが始まり、それはまだまだ終わる気配が見えない。どころか、島での戦いが一日で終わったことを考えると、後始末の方が余程多くの時間を使っている。
これもまた戦い、むしろ本番。それを邪魔する厄介者はこの世界から消え失せたが、それが残したモノが次から次へと邪魔をしてくる。仲間が増えることは悪いことでは無いが、その都度作業が止められるというのは、どうにも心が騒つくというモノ。
「……生きてることは悪いことじゃあ無ぇ。でも、
深雪が面識を持っているのは、今はあの肥大化した忌雷くらいなのだが、その誕生のきっかけは阿手のやらかしによるモノ。まだ面識を持っていない、ヌ級や南方戦艦新棲姫も、同じ理由。
存在そのものを疎むわけではない。だが、阿手がこんなことをしていなかったら、そもそも生まれていないというのも事実。誕生そのものが、深雪達が止めたかったことが止められなかった結果みたいなモノである。
「……生まれたことが罪なわけ無ぇんだ……そうやって生まれたくて生まれたわけじゃあ無ぇ。生まれたからには、この世界を楽しんでもらいてぇ、よな……」
今は1人だから、こうして悩むことも出来る、これが隣に電がいたら、グレカーレや白雲もいたら、こんな暗い気持ちを持つことなく、全肯定していたことだろう。
だが、これまでのことを考えると、1人になった途端に暗い気持ちが溢れてくる。そして、あまり考えてはいけないことまで。
「……ダメだダメだ」
頭を振り、今の考えを振り払った。それは、自分のことすら否定しそうだったから。
そんなことを考えている時、この遅い時間だというのに、何者かの足音が聞こえた。電気がついている食堂に向かってくるのもわかる。何やら話もしているようだった。
「え、誰だ……?」
知らない者が来るわけがないのだが、やはり本来人がいない時間に誰かが動いているというのは疑問に思える。
だが、その顔を見ればなるほどと納得が出来るモノだった。
「あら、深雪ちゃん。こんな遅い時間にどうしたの? 雨の音で目が覚めちゃった?」
「うん、まぁ、そんな感じ」
伊豆提督である。既に眠っているモノだと思っていたのだが、どうしてもやらねばいけない作業があったようで、この時間まで起きていたようだ。
そして、その後ろ──
「オ前ガ特異点トイウヤツカ」
南方戦艦新棲姫もついてきていた。だが、その服装は本来のモノとは全く違うモノ。死者の命を弔い、供養するために用意されたという、厳かな礼装、巫女服。何も遊びのない、シンプルな姿に、深雪は逆に驚いた。
「えっ、あ、アンタが話に聞いた死者を弔いたいっつってた姫かよ」
「ソウダ。コレマデズット弔ッテイタ」
この時間までずっと、休みなく、心を込めて供養していたという南方戦艦新棲姫。しかし、疲労の色が全く見えないのは、やはり深海棲艦の姫だからか。逆に伊豆提督の方が少々疲労が見えるほど。
「弔イハマダ終ワラナイ。惨タラシイ死ヲ与エラレ、サゾヤ悔シイ思イヲシタダロウ。ナラバ、私ガソレヲ少シデモ軽クシテヤル。私ニ祈ラレテモ、皆ノ気ガ晴レルカハワカラナイガナ」
「そんなことねぇよ。誰か1人でもそうやって祈ってくれるなら、願ってくれるなら、きっと気持ちが和らぐってもんだぜ」
「ソウカ。ナラ良イナ。自己満足デアッテモ、私ハヤメル気ハ無イガ」
それだけ死に対して真摯に向き合い、深海棲艦という枠組みを越えて、あらゆる死を弔う。南方戦艦新棲姫は、それだけ熱心に供養という行為に取り組んでいた。
深雪はその気持ちをとても評価し、尊敬している。後始末屋としては、その亡骸を丁寧にここまで運ぶまではしているが、その後は冥福を祈って妖精さんに引き渡すのみ。それ以降はどうなっているかは実際に知らない。そこに関わり、そして真剣にその行為を執り行っているその心は、後始末屋以上に高潔だと感じる。
「すげぇなアンタ。そこまで強い気持ちが持てるのはさ」
「私ニハソレシカ無イカラナ」
「そんなこと無ぇよ。アンタはマジですげぇ。尊敬するぜ」
そこまで褒めちぎられると、南方戦艦新棲姫も少し恥ずかしそうに顔を背けた。真正面からの好意には当然慣れていないため、そこで言葉を少し失った。
だが、深雪はそこで浮かない顔をする。先程考えたことを思い出し、南方戦艦新棲姫に対して罪悪感が生まれる。
生まれたその事象そのものが罪深いという、南方戦艦新棲姫には全く関係のないことで疎まれるだなんて、自分が生きているだけで罪と言われているのと同じだ。
「……深雪ちゃん、何か悩みがある?」
伊豆提督に言われると、深雪はギクッとした表情で視線を向ける。ここで隠しておく理由などない。むしろ、ハッキリと口にした方がスッキリ出来るはずだ。
これからのことを考えると、吐き出せる時に吐き出しておいた方がいい。そのため、躊躇うことなく今の本心を話した。
南方戦艦新棲姫はあの阿手の溜め込んだ穢れから生まれてしまった存在。生まれたということ自体が、阿手の遺した忌むべき手段の残滓。そうだと思うと、南方戦艦新棲姫そのものが罪深い存在だと思ってしまったということ。
それを本人の前で告白し、頭を下げる。生まれて間もないというのに、そんなことを言われたら嫌だろうと。自分だって嫌なことなのに、そんなことを考えてしまって本当に申し訳ないと。
「オ前ハ、真面目ナ奴ダナ」
そんな深雪に対して、当人である南方戦艦新棲姫はハッと鼻で笑うように応えた。
「生マレ方ナド、知ッタコトデハナイ。私ガソレカラ生マレタカラトイッテ、ソレト同ジ生キ方ヲシナケレバ、私ハソレデハナイ。ダカラ、ソモソモソノ考エ方ガ無駄ダ」
「無駄ってアンタ」
「ソウダロウ。ソレハ、
深雪はハッとさせられた。言われてみれば、その生まれの背景ばかりを見ていて、今の自分は南方戦艦新棲姫自身をちゃんと見ていない。在り方を尊敬していると言った矢先にそれは違う。
「悪い、その方が失礼だったな」
「尊敬シテクレテイルト言ッタノガ間違イカト思ッタゾ。恥ズカシイ思イヲサセテオイテ」
「でも、本人に言ってもらえたなら、そう考えられるよ。生まれ方なんて、生まれた後には関係無いよな」
南方戦艦新棲姫は阿手の穢れが無ければ生まれることは出来なかったかもしれないが、生まれてしまえばもうそこは関係ない。犯罪人の子供が犯罪人になるわけではないのだ。
見るべきは生き方のみ。そしてその生き方は、尊敬出来るほど高潔。ならばそれで良いだろうというのが、たった一つの答えである。
「これまでずっと供養してたのか?」
「ええ、この子が終わるまでやり切るって話していたからね。確かに早いに越したことは無いし、ずっと置いておくのも可哀想だもの」
「当然ダ。遺体ヲ置イテオクナンテ言語道断。折角供養ガ出来ルノナラバ、待タセルコトダッテシタクナイ。ダガ、今回デ全テ終ワッタトハ限ラナイダロウ。マダマダ増エル可能性ハアル」
山に遺棄されていた亡骸だけではないと、南方戦艦新棲姫は何となく察しているところはあった。見えていないところにはまだまだあるのではと。それこそ、まだ見えていないだけで地下施設や集落にだってありかねない。
「……もう何も無ければいいな」
「マッタクダ。私ノ仕事ガ無イコトガ、最モ良イコトダロウ」
「だな」
翌朝に何も無いことを祈る。穢れが雨によって拡がってしまっているが、それでも。
南方戦艦新棲姫はまだ名前をつけられてはいませんが、候補はあります。