深雪と電の実戦訓練は午前中いっぱい続き、深雪は技術を、電は精神力を刻まれ続けた。特に深雪は、何度も何度も繰り返し同じことをする事で、顔面に向かってくるパンチくらいならあらゆる方向に受け流すことは出来るようになっている。
勿論、実戦で同じことをしてくるわけがないため、今回刻まれた攻撃と受け流しに関しては、基礎の基礎。長門もそのことを重々伝えつつも、それさえ出来なければ次に行くことが出来ないということで、徹底的に叩き込んだ。
終わりということで身につけていたヘッドギアとサポーターを外す深雪。そこにはじっとりと汗が染み付き、今回の鍛錬のハードさを思い知らされる。
顔などを押さえても痛いようなことはないため、長門のパンチは本当に触れる程度のモノだったことがわかった。本気で殴られていたら、今頃首が回っていない。
「顔面何回殴られたかもう思い出せないんだけど」
痛みはなくとも感触は覚えている。妙な悲鳴も何度か上げてしまった。そのせいで、今回の鍛錬は別の意味で心に残ることになってしまっている。
「そういう鍛錬だからとしか言えないな。攻撃を返され、それをさらに返す。これが出来れば、もし同等な技術を持つ者が相手となっても、身体が反応してくれるはずだ。今回は、基礎を刻むことが目的だったからな」
言いながらも顔に一撃入れようと手を伸ばした長門。終わったと見せかけた完全な不意打ちであり、普通だったらまず反応が出来ない。しかもヘッドギアがない状態なので、それを喰らえばモロにダメージが入る。
しかし、今回の鍛錬で数えきれないほどの回数顔面を狙われ続けてきた深雪は、咄嗟にその手の甲を払って確実にダメージが入らないようにした後、もう片方の手で長門へ攻撃。
その一撃は軽々と受け止められてしまったものの、顔面への攻撃は不意打ちであっても払い除けることが出来るようになったということに他ならない。
殆ど身体が勝手に動いたようなものなので、深雪自身も少し驚いてしまっていた。顔への攻撃に恐怖を感じる前に手が動く。目を瞑ってしまうこともなかった。
「流石に身体が覚えているようだな。まずはこれが出来ていれば充分だ」
「そ、そうか、そうだよな。でもいきなりは勘弁してくれよ……」
「相手はそれで待ってくれないぞ」
「そうだろうけども!」
真正面から殴ってくること自体が稀かもしれない。それこそ、もっと不意打ちが
「電さん、よく頑張りました。精神鍛錬、ひとまずここまでです」
そして電。ずっと殴られ続けながらも、最終的には今この場で見た技術を手に入れた深雪の姿を、最初から最後まで見通した。
どれだけ殴られても折れることなく鍛錬を続けた深雪だったが、一撃受けるたびに、電はビクッと震えては肩を小さく叩かれた。驚くたびに、怯えるたびに、悲しむたびに身体は震え、それに即座に反応した妙高がそれを小さな痛みによって伝え続けた。
それももう終わり。深雪の鍛錬が終われば、電も終わる。
「……終わり、ましたか」
電はすぐに立てなかった。流石に数時間の間ずっと正座し続けろというのは酷だからと、途中で足を崩していたものの、ここまでの精神的なダメージのせいで足腰が立たなくなってしまっていた。
それだけで済めばよかったのだが、電の表情は少し虚ろだった。冷静でいるということが難しいため、まずは最低限の
しかし、ここで一番やってはいけない
そのせいでストレスがかなりかかってしまっている。演習の際のストレスに近いか、それ以上と考えられる。
「電、大丈夫か!?」
そんな電の様子が目に入ったため、すぐに深雪が駆け寄る。深雪も消耗はしているものの、それよりも電の方が心配だった。
深雪に触れられることで、電の表情は回復。あれだけされていても全く堪えていない深雪の姿を見て、心の底から安心していた。安堵の息は、それはそれは深く吐き出された。
「深雪ちゃん、無事で良かったのですぅっ」
「そりゃあな、うん、これくらいでやられる深雪様じゃあないぜ!」
深雪は大分緩和されているが、電はまだまだ演習というものに心を揺らされる。だからこそ、深雪がどれだけ演習をしても無事であることを示し続けた。
今回は砲雷撃戦ではなく直接殴り合うような演習であり、長門からの攻撃を8割方喰らうことになっていたが、それでもピンピンしていることを見せたことで、電の心は安定を取り戻すことが出来る。
「午後からはどうする予定だ?」
「うーん、電はちゃんと休んだ方がいいと思うんだよなぁ。あたしの演習見てたから、すげぇ疲れてるみたいだし」
電の疲労は誰の目から見ても明らかである。精神的な負荷がかかり続けることで、慣れもしているがまだ厳しい。精神鍛錬としては非常に有効であることは理解出来るものの、初日はこうなってしまうのは仕方ない。
以前、伊豆提督からは、トラウマと向き合った日は身体を休めろという旨の指示を貰っている。練度上げは急務であっても、それによって体調を崩していては意味がない。そのため、電はその以前の指示に従うカタチで休息とした。
「わかったのです……午後はお昼寝するのです」
「明日は大規模の後始末だしな。疲れを明日に残しておきたくねぇよ」
「深雪ちゃんはどうするのです?」
深雪はというと、今回の鍛錬で痛い目を見たものの、電のような精神的な疲労は無く、風呂に入れば全快となりそうではあったため、午後からも何かしらの訓練がしたいと考えていた。
VR訓練によって技術をさらに学んでもいいし、午前中の鍛錬をさらに続けてもいい。それ以外にもやれることはいろいろとある。
「私としては、君も身体を休めるべきだと考えているが」
だが、長門は深雪にも休息を促す。理由は深雪自身が今言った通りのモノである。
いくら今はピンピンしているとしても、深雪にとってはトラウマと向き合っての訓練に近い。気付かない内にストレスが溜まり、それを明日に持ち越してしまうことで、後始末で最大のポテンシャルが出せないかもしれない。
ただでさえ大規模の後始末だ。参加する全員が全力で取り組まなくては、早期に完了させることは出来ない。今はまだまだ初心者から中級者に上りたてくらいの深雪と電であれば、そこはさらに大切なこと。
「私が過去に読んだ本でな、素晴らしい考え方があった。とある武術の教えでな、『よく動き、よく学び、よく遊び、よく食べて、よく休む』だそうだ。感銘を受けたのを覚えている」
ただただ身体を鍛えるだけでは身体が潰れてしまう。それに、ストイックが過ぎるとメンタルの面も削られ続けるだろう。根を詰め過ぎると、後から痛い目に遭うのは目に見えている。
激しいトレーニングの後はしっかり休む。栄養もしっかり摂る。それでも何かしたいならば、本などから学ぶ。それに、一度その責任感から離れてパーッと遊ぶことも大切。
「だから、身体を動かすのは一度やめて、身体を休めるといい。昼寝でもいいし、他のことでもいい」
「うーん、あたしはそこまでって思うけど、長門さんがそう言うんだからそれがいいんだろうな」
「私が全て正しいというわけではないが、根を詰めすぎて倒れた者のことをよく知っているのでな。むしろ、休んでいる者の方が早く成長した」
まだ午前中しかやっていなくとも、長門からしてみればこれは根を詰めたと言えるらしい。同じことを数時間何度も何度も繰り返していたのだから、それはそこに繋がるのかもしれない。
「と、ここまで講釈を垂れてしまったが、私としては、明日の後始末に向けてしっかり身体と心を休めておこうということだ。そもそも後始末だって鍛錬の一つにカウント出来るからな」
「仕事が鍛錬……って、ああ、納得した」
「体力のための訓練に代わる……ということなのです?」
深雪だけでなく、電もそこに気付く。あれだけハードな作業なのだから、やっているだけでも基礎的な部分は鍛えられるだろう。
実際、電よりも早い段階で後始末の作業を始めている深雪は、電よりもスタミナがある。勿論体格などの差はあるが、作業を通して鍛えられているからだ。
「スタミナのトレーニングは生活の中でも出来るということだ。勿論急ピッチで鍛えたい時はそれ相応のことをしなくてはならないがな」
「それが那珂ちゃんの……」
「ああ。あれは私でも音を上げてしまったよ。彼女のスタミナは段違いだ」
とにかく、作業のためには体調を完璧に仕上げておく必要があるから休めと長門は話した。慣れているのならまだしも、慣れていないうちは特に身体を休めておけとまで。
これが艦娘のやるべきことに準拠しているのなら、立て続けでもそこまで疲労にならないだろう。だが、格闘戦やら仮想空間やらは、艦娘からはかけ離れている。そのため、間違いなく普通よりも疲労しているのだ。
「了解。あたしも電と一緒に休むことにする。流石に今回は加賀さんの膝枕ってわけにはいかないだろうけど」
「お部屋でゆっくりでもいいのです。それに、電は少し甘いモノが食べたいかなって……」
「いいなそれ。ハルカちゃんに聞いてみるか。疲れたからおやつくれーって」
ケラケラ笑う深雪に釣られて、電もクスクス笑う。先程までメンタルに大きなダメージを受けていたが、深雪のおかげですぐに回復出来ているようだった。
そんな電の姿に、妙高は内心ホッとしていた。最初からかなりハードなメンタルトレーニングを強いてしまっているのではと思いながらも、急ピッチな練度上げのためには仕方ないと割り切っていた。
だが、電は確実に育っている。今のようにすぐに切り替えることが出来ているのは、当初よりもメンタルが強くなりつつある証拠だ。今までの電なら、こんな話の最中でもずっと俯いていただろう。
そこはやはり、深雪という存在が大きい。電のメンタルには、深雪が強く強く根を張っている。
「では、風呂に入って汗を流してから、身体をしっかり休めること。提督には私から伝えておくから安心してくれ」
「ん、ありがとう長門さん。じゃあ、電と先に行かせてもらうよ」
深雪と電は礼を言いながらトレーニングルームから出て行った。二人の背中は、やり切ったことによる自信が少しだけ表れていた。
「電の調子はどうだった」
片付けをしながら聞く長門。対する妙高は、小さく頷きながら答える。
「資質はありますね。彼女ならば、トラウマを乗り越えることも出来るでしょう。私の素性を話した甲斐がありました」
長門は少しだけ複雑な表情を向ける。妙高の事情を知っている数少ない仲間であるため、妙高がそれだけ電を気にかけていることは理解している。
「電さんは過去の私と同じですからね。流れも同じです」
「君もこういうトレーニングを積んでいたものな。何度吐いた」
「数え切れないくらい。でも、電さんはもう既に少し慣れているんですよ。それは、本来の強さがあるからでしょう」
これがカテゴリーWなのかもしれないと、長門と妙高は変に納得出来た。成長速度が非常に早く、教えられたことを確実にモノにしていく。
最初から天賦の才を持つ特異点。真の意味での即戦力。カテゴリーのWは、
深雪も電も、確実に強くなっている。想定されている時間よりも早く。
長門が過去に読んだという本は、間違いなく某有名漫画。この世界は今より未来の話ではありますが、名作ならば漫画であっても後世に伝えられるでしょう。