しっかりと休息を終え、心身共に快復した深雪と電。ここまで休むことが出来れば、明日の大規模後始末にも支障は出ないだろう。
昼寝の際に悪夢を見かけたものの、その打開策もしっかり確立している。あの時の嫌な思い出であっても、もう確実に覆すことが出来た。深雪は沈む前に泳いで浮上出来る。電は衝突の寸前に抱き締めることが出来る。ただそれだけでも、自分に自信がついていた。
「ハルカちゃんが言ってた通り、雨降ってんなぁ」
「なのです。でも、明日には止んでいそうなのです」
「だな。残骸が濡れてるくらいなら別にどうってことないしな」
その雨はかなり控えめではあるので、以前雨音で眠れなかった深雪も不安では無かった。一度経験しているから大丈夫というのもある。
しかし、電には悪天候もトラウマの一因となっているため、深雪と同じように眠れない夜を過ごすかもしれないという不安があった。今の電はそこまで気にしているようには見えないものの、夜に一人で部屋にいると、不意にそういう感情に襲われたりするため、深雪としても安心出来ない。
「前に雨降ってた時には、夜になかなか寝られなかったんだよなぁ。艦の本能っつーか」
「……そうかもしれないのです。電も、なんだか途端に不安になってきたのです」
深雪の言葉でいろいろ考えてしまい、電は途端に不安になってきてしまった。今の状態だと間違いなく眠ることが出来ない。美味しい夕食を食べて、気持ちよく風呂に入ったとしても、一人で布団に包まっていたら外の雨音が気になって仕方なくなるタイプ。
後始末前夜に睡眠不足というのは流石に問題である。ここまでお膳立てされているのに、最終的には体調不良とか、いくらなんでも笑えない状況である。
ここで深雪が一つ提案した。
「正直なこと言うと、あたしもちょっと不安だったりするんだ。前の雨の日も寝られなかったからさ。だから電、今晩は一緒に寝るか?」
深雪の方から誘うことで、そういうことを言い出しづらそうにしている電に選択肢を作る。
この不安は、自分への不安ではなく
むしろ、電と一緒に寝るくらいなら最高の手段である。深雪としても安心出来るし、電は尚更だ。落ち着ける状態ならば、例え雨音や風音が聞こえてきても、きっとグッスリ眠ることが出来る。
「……電も、ちょっと考えていたのです。深雪ちゃんがいいなら、一緒に……寝たいのです」
やはり控えめにはなってしまうものの、自分の意思をしっかりと口にした。雨の日に一人で眠るのは怖い。眠れるかもわからない。ガタガタ震えて朝まで過ごすなんてこともあり得てしまう。そんなことになったら、翌日の後始末では間違いなくまともに働けない。
電としても、後始末という作業には強い信念が芽生えている。自分のせいでそれを蔑ろには出来ない。仲間達なら、体調が悪かったら遠慮なく休めばいいと言いそうだが、電自身がそれを是と思わないだろう。だから、出来る限りのことをして、最悪の事態を回避する。
それが深雪の添い寝だというのなら、電は喜んでそれを選択するだろう。たったそれだけで上質な睡眠を手に入れることが出来るのなら、何度でも要求したくなってしまうくらい。
「よし、決まりだな。んじゃあ、今晩はあたしの部屋でいいか?」
「なのです。よろしくお願いするのです」
「おうよ。お互いぐっすり寝ような」
この機転のおかげで、雨風の音がする夜でも二人は気持ちよく眠ることが出来た。電は少し恥ずかしそうにしていたものの、寝入ってしまえばそんなことは関係ない。まるで縋るように深雪の腕を抱き締め、安堵するかのような表情で熟睡するに至った。
うみどりは朝になる前、まだ外が暗いうちに現場に到着。その頃はまだ雨が止んでいなかったが、陽が昇る頃には雨は止み、作業中は晴天になるという予報である。
そんな夜中であっても、イリスは停泊のために起きて活動していた。その分いつもよりも早く休息を取っているので普段と同じように仕事が出来る状態。
今うみどり内で活動しているのはイリスのみ。伊豆提督も眠っているような時間である。そういう縁の下の力持ち的な存在なのがイリスだ。
「大規模とは聞いているものね。丸一日の放置が悪い方向に行っていなければいいけれど」
操舵室の妖精さん達に挨拶をしつつ、停泊中に周囲を確認していく。探照灯を点けることなどはしないが、見える範囲で何もないことを調べる。
今回は大規模なのにもかかわらず一日置いた状態にしているという不安要素があった。加えて、今は周囲が見えづらい雨。朝には止むとはいえ、警戒はいつも以上に厳とする。
前回の雨の日には、深夜に深海棲艦がうみどりを襲撃してきた。雨の中では活動がしやすいのかもしれない。つまり、その分天候を気に留めておかねばならない。
「……大分穢れが拡がってるわね……。最初から薬を散布しながらの方がいいかもしれないわね」
夜でかなり見にくいが、垂れ流された体液などではなく、海そのものが黒ずんでいる場所が多い。亡骸や破損した艤装が穢れを発生させ続けている証拠である。
これがまた新たな深海棲艦を生み出す温床となるのだから、あまり長く放置は出来ない。朝イチからの後始末作業の際には、真っ先に穢れを無くす必要があるだろう。
うみどりの停泊も完了し、しばらくはこれで動くこともない。操舵室の妖精さんはここで当番を交代することになる。
航行が終わったことで、今度は停泊維持。艦体がなるべく揺れないようにするための制御と、周辺警戒が主になる。
「お疲れ様。ここまで急ピッチだったから、ゆっくり休んでね」
イリスからの労いの言葉で、休息に入る妖精さん達は満面の笑みを浮かべながら敬礼。そしてそのまま操舵室から出て行った。
それと交代で入ってきたのが新たな妖精さん。こちらは今からが仕事なので真面目な顔でイリスに敬礼。
「穢れが拡がってきているから、充分に気をつけて。もしかしたら今この時でも深海棲艦が発生する可能性があるわ」
小さく頷くと、妖精さん達はすぐに持ち場につき、うみどりの周辺を確認し始めた。
「……そういえば、ここは……」
海域の確認しながらイリスがふと思い出す。今いる海域は、
後始末作業中に神風が深雪を発見した場所であり、雨の深夜に深海棲艦からの襲撃を受けた場所でもあり、電が導かれるようにやってきた場所でもある。
後始末によって海域を清浄化したとしても、流れ着く深海棲艦などから再び戦場になってしまうことは稀ではなくあること。特に、艦娘に縁があるような海域では、深海棲艦とも縁が出来てしまうことが多い。
「二度あることは三度あるとも言うし、またカテゴリーWが現れるなんてこと……」
深雪が生まれ、電が惹かれた海域だ。
そして、それは実現してしまう。
周辺警戒のために作業している妖精さんが、ほんの少しだけ慌ただしくなった。何かを発見したような表情で、イリスにわかるように身振り手振りで伝えてくる。
「何かを見つけたの?」
それにすぐに反応したイリスが、妖精さんの指し示す場所を凝視する。やはり探照灯は点けることはない。万が一のことを考えると、灯りというカタチで刺激するのはあまりいいことではない。
うみどりの周囲に設置したカメラを暗視モードに切り替える。そうしなくてもわかっていた残骸が、カメラ越しにハッキリ見えるようになる。
その中でも一際大きいモノ──空母棲姫の艤装の辺りが、波ではない何かで蠢いていた。
「今このタイミングで生まれた……? あの場所、もう少し大きく映すこと出来る?」
妖精さんに指示をすると、ググッとカメラの映し出す範囲が大きくなる。
空母棲姫の艤装は、姫そのものが腰掛けているほどに大きなモノ。その高さだけでも、大人の胸くらいまではある。よく見れば、その横にそれに手をついている
暗い上に雨まで降っているので、その姿形は非常に見えにくい。ヒト型であることくらいしか判断出来ない。だが、イリスにだけは違う見え方がある。
「少しデッキに出るわ。何かあったらすぐに教えて」
急ぎ足で操舵室から離れ、裸眼でそれを確認するためにデッキに出る。雨が降っていようと関係なく、緊急事態であると確信してその行動に出ていた。
イリスの目は、基本的にはどのような状況でも対象の彩を視ることが出来る。鏡越しでも、カメラ越しでも、
しかし、今は夜であり雨。カメラも暗視カメラにしなくては見えないくらいに暗い時間。それでは彩はまともに見えない。それ故に、イリスは裸眼を使うために外へと飛び出したのだ。
カメラが向いている方向は把握しているため、デッキの何処からそれを見ればいいのかは既に判断出来ている。一切迷うことなく、海の一点に集中した。
「……あれは……」
遠いところにいる、かつその彩がまだ弱々しいモノであるため、イリスの目にもかなりギリギリだった。しかし、それを裸眼で捉えることが出来た。
マゼンタ。つまり、
「まずいわね。まだ夜も明けていないけど、そのまま放置するわけにはいかないわ」
誰もがまだ熟睡している時間。しかし、優先順位が高いのはこちらだ。そのままにしていると、うみどりを攻撃してくるかもしれない。そうでなくても、このまま陸に向かって大惨事を引き起こしてしまうかもしれない。
対処するならば、今しかない。
イリスは大急ぎで操舵室に戻り、妖精さんに警戒度を高めるように指示。そして、艦内に警報を鳴らした。
まだ眠っていたところに、けたたましい警報音。流石にこれほどまでの音が流されたら、熟睡していても飛び起きる。
「な、なんだなんだ!?」
「何かあったのです!?」
咄嗟だったため、深雪の腕を強く締め上げてしまっている電を落ち着かせつつ、深雪はすぐにベッドから降りる。
突如バタバタし始める艦内に、深雪は既視感を覚える。以前にもこんなことがあった。雨の日の夜、警報に驚かされた。
「……敵か!」
それに気付いた時、深雪は電の手を引いて工廠へと駆け出していた。自分が戦うことはないかもしれないが、うみどりを守るために少しでも戦力になれるかもしれない。
電は驚きながらも、深雪に引っ張られるままについていく。寝間着のままでもいいのかと考えながらも、深雪には迷いが無かったため、何も考えずに。
『ドロップ艦の存在を確認したわ。カテゴリーは……Mよ』
艦内放送で警報の理由が語られたことで、一気に緊張感が増す。深雪には二度目、電には初めての、カテゴリーMとの邂逅。
前回は、説得に応じることなく戦闘に入り、仕方なく沈めることとなったしまった。深雪もその時に世界の真実を知ることとなったため、ただ見ていることしか出来なかった。
だが、今回は違う。仮想空間とはいえ演習もした。トラウマを払拭するために努力もした。まだまだ力は足りないかもしれないが、信念だけは正しく育っている。
余計な死者は、敵にも味方にも出したくない。カテゴリーMならばもっとだ。理性が失われているかもしれないが、きっと声は届くはず。まだ試してもいないのだから、やってみなければわからない。
「電、この時が来た、来ちまった」
「なのです……電達が、説得を……!」
「ああ、沈めることなく、救うんだ。カテゴリーMであってもな!」
この決意は固かった。成功するかはわからずとも、やらない理由がないと奮起した。
その海域では三度目の事件。深雪が生まれ、電が惹かれ、そして新たなカテゴリーMが現れました。