黒騎士は英雄にはなれない 作:影雪
夢を見ている──
知らないはずなのに知っている、独房のような何も無い部屋。その中央に蹲って泣いている女の子……。
黒い髪は半分ほど色素が抜け落ち、身体にはいくつか包帯が巻かれている。
僕は彼女を知っている。知っているはずだ。すぐに駆け寄って手を差し伸べてあげないと、そう思っても体が動かない……。いや、そもそも身体なんてない。空間に目玉だけをつけたような、そんな感覚だ。
「17番。時間だ……今日の実験を開始する」
大きく肩が跳ね、蹲った少女が震える。恐る恐る顔をあげた今より幼く見える彼女の顔は間違えようもない、あの琥珀の瞳は──
「…………あぁ」
嫌な夢だ。
こうやって記憶を覗く度に、不愉快な思いが込み上げてくる……。彼女の運命を狂わせた『研究所』とそれに協力した勢力に対して、それに夢の中であっても彼女を助け出すことが出来ない己の無力さに
「……けど、それも今日から変わる」
昨夜、僕達は明確に敵の関係者である異能力者達の魂を取り込んだ。
彼等が信奉していた『あのお方』……。鏡の向こうで話していた者。奴らが勢力を拡大させて最終的に何を企んでいるのか。追っていけば必ず分かる。
悪を倒すのは自分のためでは無い、姫はそう言ったが、僕にとってはそうでは無い。記憶を覗けば覗くほど、彼女の中には確かな願いが、怒りがあった。
故に僕は悪を殺す。騎士として、化物として、自分達が何を相手にしてしまったのか思い知らせて彼女から奪ったものを取り戻す。
復讐を成したあと、彼女は心から笑ってくれるだろうか。夢の中でも、今も彼女の幸せな笑顔というものを見ていない。
幸せそうに、楽しそうに笑っているあの子を想像する。今はまだ無理だとしても、いつかは必ず──……。
服を着替えるついでに腕に巻いた包帯をとる。レイジによってつけられた火傷は傷一つなく完治していた。この短時間で治癒したのは姫の手当のおかげだろう。
部屋のカーテンを開けて背伸びをする。時刻は明け方と言ったところか、太陽が登り始め、街を照らしていく様子が美しい。
この光の中で、また彼女が生きていけるようになるなら、暗闇の化物としてはこれ以上ない幸福だ。
着替えを持って部屋を出れば、姫はまだ起きていないようだった。昨日は遅くまで起こしてしまっていたからもう少し寝かせていてあげたい。足音を立てないように洗面所に移動する。
洗濯機に着替えを放り込み、静かな機械音を聞きながら顔を洗って歯を磨き、リビングに戻る。
キッチンに入って朝食の用意をしていく。僕は料理というものに疎いから、せいぜいがインスタントコーヒーを作るためのお湯の用意だったり、トースターに食パンをセットしたりする程度だったが……。今日は違う。
「ふふ、図書館に足繁く通ったのはこのためでもある」
冷蔵庫から取り出した卵。図書館で見つけた小説にあった「どんな人でも目玉焼きくらいなら作れる」その言葉を今真実に。
確かフライパンに薄く油を引いて、その上に卵を割入れるだけでいいのだとか。なるほど単純だ。
「あとは卵を……あれ」
割入れようとした卵は砕けて殻と一緒にフライパンの上に落ちる。黄身が割れてとてもじゃないが目玉とは呼べない。
「ま、まだ……卵はもうひとつある」
姫はどうしていた……?そうだ、たしか卵を硬い場所で軽く叩いていたはずだ。フライパンのふちで軽く叩けばっ!
…………。化物には料理を作る資格もないと、そういうことらしい
ふちに叩きつけられた卵はその中身を激しくぶちまけ、フライパンに黄色い海を作る。失敗か、すまない卵達……、僕は無力だ。
横から菜箸が伸ばされ、手早く卵の殻が除かれる。調味料が投入されくるくるとかき混ぜられると、ふわふわのスクランブルエッグが完成した。
もうわかっている。隣を見ればいつの間に身だしなみを整えたのか、いつもの姫が微笑んでいた。
「おはようございます、騎士様。朝食を作ろうとしてくださったんですよね。ありがとうございます」
「……おはよう、姫。どんな人でも、スクランブルエッグなら作れるらしいからね」
今日は失敗だった。だけど僕は諦めないぞ……。
ポットが鳴り、子気味いい音を立ててトースターからパンが飛び出した。とりあえず、朝食にしよう。
●
「なるほど。彼等が鏡で話していた男は
朝食を摂り終わって少し寛いだ後、昨日仕入れた現時点での情報を姫から教えて貰っている。姫の天使は彼女が
「はい。人工的に
「そんなものに頼るほど、力を欲している連中だ。一度力を得てしまえば歯止めが効かなくなるのも頷ける」
「ただ、今回委員会が押収した薬物の数はそう多くなかったようで……それに、委員会の動きと迎撃の体制が揃いすぎていました。つまり」
「あの貿易会社も囮として使われた可能性があるってことか。それなら向こうに保護された代表の男も大したことは知らなさそうだし、委員会がそっちに構ってる間に別ルートから薬物を仕入れられたかもしれないね」
「断定はできませんが、今後制御の甘い異能力者による被害が増えてくると考えて動くのがよろしいかと」
「治安維持のために巡回する委員会や警察組織の数も増えそうだ……面倒だな」
単独で戦うしかない僕達にとって、組織の力は厄介なものになる。滅ぼすべき対象と委員会との三つ巴になるのはなるべく避けたい。
しかし、人工的に
「まだ天使達も情報を集めきれていませんし、焦る必要はありませんよ。騎士様は次の闘いまでゆっくり休んでくださいね。そうだ、怪我はもう大丈夫なのですか?」
「姫の手当のおかげでこのとおり完治したよ。ありがとうね」
袖を捲って怪我のない腕を見せると、姫は少しほっとしたような顔で頷く。しかし、またしばらく待機時間ができるのか……。
あぁ、それなら。
「……そうだ、姫。出かけよう」
「え?」
「ほら、僕もそろそろ図書館以外の所もいきたいし、姫だってずっと夢見た外の世界だ。買い物なんかも通販だし、もっと沢山見てみたくない?」
今日は天気も良くてお出かけ日和だ。いつも天使と交信するために部屋にいる姫も、時間が出来たのなら気分転換だって良いだろう。
なにより、僕が彼女と出かけたいのだ。夢の中では届かなくても、今この場にいるなら手を差し伸べることができるんだから
「……それは、デートと考えていいのですか?」
「ん!?…………こほんっ、あぁ。君が望むのなら」
「なら、行きます。楽しみましょうね」
「よし!じゃあ早速出かけよう。バスで行けてここからそんなに遠くもないし、ショッピングモールにでも行ってみる?」
「いいですね、前々から行ってみたいと思っていたんです。そういえば、騎士様はずっと制服ですけど、他のお洋服も買いましょうね」
良ければ選んでみたいです。と姫が言う。確かにずっと制服を着ていたな……。『研究所』の居住区からストックをいくつか持ち出しきてそのままにしていたが、聞かれた時に誤魔化しにくいしそろそろ替え時だろう。
「そうだね、じゃあお願いするよ」
「はい!」
●
さて、そういうことでショッピングモールに来てみたわけだけど……。
「お似合いですよ。次はこちらをどうぞ。これも良く似合うと思います」
僕は姫の着せ替え人形となっていた。一緒に見たいと言われたし、選んでも貰えるようだったので頼んでみたが、ここまでとは……。
服を受け取って着替えて見せれば次の服を手渡される。試着したものを全部買う勢いだったので流石に止めておいた。初めから荷物を増やす必要もない。
いくつかの店をハシゴして、姫が僕に一番似合うと思う服を購入していく。昼を回り、フードコートで昼食を摂りつつ休憩する頃には、隣の席には沢山の紙袋が。こういう物は女の子の荷物が増えていくものなのでは……?
思えば姫も随分人間らしくなったものだ。研究所を抜け出した当時は天使の権能で何とか人らしく振る舞う人形のような少女だったのが、今では年相応に買い物を楽しむ一人の少女に見える。隣を歩く彼女は心做しか楽しそうで、声も弾んでいるようだ。
「次はあそこに……? あの、私に何か?」
「いや、なんでもないよ。ごめんね僕の買い物ばかりで……楽しそうだね」
「とっても! 楽しいですよ。あなたが連れ出してくれた外の世界で、あなたに誘われてこうして出かけているのですから」
楽しくないはずがないのです。と、そう言われてしまえば何も言えない。しかし、僕が連れ出したのだ。僕が手を引かれてばかりでどうする。
立ち上がって手を差し伸べると、姫は嬉しそうな顔をして握り返してくれた。
「今日はとことん遊ぼう。せっかく連れ出したんだから、もっと日常を楽しんでもらわなきゃね」
「……ふふ、では。私の買い物にも付き合ってくださいますか?」
「もちろん!」
その後、荷物が倍以上に増えたのは言うまでもない。
●
「……ごめんなさい。少しはしゃぎすぎたかも知れません。荷物持ちますよ……?」
「全然大丈夫だよ。僕がこう見えて力持ちなのはよく知ってるでしょ?」
楽しい時間はあっという間に過ぎ、太陽も隠れ始めた頃。帰る為にバス停のある方向へ二人で歩く。小さな荷物は纏めて大きな袋に入れたが、それでも両手が塞がる程の量を購入してしまった。
「あら、すみません。最後に一つ買い忘れが……すぐ戻るので、少々お待ちください」
「え?あぁうん。行ってらっしゃい」
そう言うと姫は足早に行ってしまった。行先は……本屋か。
手持ち無沙汰になってしまったので壁に背をつけて姫を待つ。
ん?あれは…………。
「お待たせしました、騎士様」
店を出ると、ちょうど姫も戻ってきた。手には1冊の本を抱えている。
「おかえり、姫。何を買ってきたの?」
「じゃん。これですよ」
「これは……料理本か」
「今朝お料理に挑戦されていたのを見て買ってみました。初心者向けなので、騎士様ならすぐに習得できるかと思います。これで一緒にお料理も出来ますね」
今朝の醜態を見て僕の為に買ってきてくれたのか……。なんだか情けないな、それでも見栄を張らずに基本から学んだ方が良いか。姫の性格的に、一緒に作った料理を二人で食べることだって充分喜んでくれそうだ。何を意固地になっていたのだろうか
「変な意地を張るのは僕の悪いとこかもしれないな。今度からちゃんと君に相談するよ。ありがとう。じゃ、これは僕からのお返しってことで」
「?」
姫に先程見つけて買った物を渡す。シンプルなシルバーのブレスレットで、一部にルビーがつけてある。
真っ白な彼女には良く似合うだろうと思い買ってみたが、喜んでくれるだろうか
「ブレスレット、これを私に?」
「今日の記念……てわけでもないけど、お守り代わりにね」
「綺麗……。付けてくれますか?」
「勿論」
姫の左手をとってブレスレットを通す。華奢で白い手はするりとそれを受け入れ、彼女の手を飾る。
「うん!とっても似合ってる」
「……嬉しい。ありがとうございます」
「じゃあそろそろ帰ろうか……って、姫?」
言いつつ置いていた荷物を持とうとすると、それを姫に先に持たれた。
困惑を言葉に出す前に手を差し出される。空いた左手、そういう事か。
「……仰せのままに、お姫様」
「ふふっ」
二人で手を繋いでショッピングモールを後にして、併設されたバス停に向かう。冬の空は暗く、遠くの空を太陽が赤く染めるのみとなっていた。
「あそこにいた時はこんな日が来るなんて思ってもなかったんです。だからありがとうございます、騎士様。今日のことは私にとって忘れられない思い出になりました」
歩きながら姫が言う。『
「……今の僕達の生活はまだ非日常の側だ。姫、君の人生の日常は今日みたいな日が相応しいんだ。だからさっさと終わらせて、飽き飽きするくらい過ごせるようにしてあげるから、楽しみにしててよ」
「それは、楽しみですね。ですけど──」
握られた手に力が入り、少し前に姫が出てこちらを振り向いた。街頭に照らされて白い髪が光を透かして輝いたように見える。
引っ張られる形になった僕に彼女が言う
「その日常は貴方と一緒に過ごしたいので、暗闇に一人残ろうとするような顔はやめてくださいね」
「…………そんな顔してたかな?でも約束するよ」
「えぇ、約束です」
約束。その言葉を聞くと姫は安心したように微笑んだ。本当に、どこまでお見通しなのか……。
バス停に着くと、ちょうど家に帰る方向のバスも来ていた。帰れば僕達の
「あの、騎士様。お気持ちは嬉しいのですけど、まだ天使も情報を集めきれていませんので、焦る必要はありませんよ」
「僕ってそんなにわかりやすいの?」
主の感が働きすぎるのも考えものだな……。
三歩進んで二歩下がるような執筆活動なのですが、気が向いた時にでも覗いて頂ければ。また次回お楽しみに