確かに向かいの道を、スーツを着た男性がスタスタと歩いているが、こちらをチラリとも見る気配は一切感じられなかった。
「それで、この子をこの家のご婦人にお預けになるのですか?」
マクゴナガル先生の言う通り、その黒い屋根の家には不幸にも、3年前夫を亡くし日々悲しみに暮れるまだ若い女性が住んでいた。
表札には、「神白」という文字が書かれていた。
「親族に預けようと思ったのじゃが、まずこの子の両親がどこの誰じゃったかわしもさっぱりでのう。分かっているのは、この子の名前が『かみしろ さくら』で、母親がイギリス人で父親が日本人という事ぐらいじゃ。ほれ、この手紙に書いておる」
ダンブルドアは、赤ん坊を抱きかかえながらも器用にサッと一通の手紙を懐から取り出し、マクゴナガル先生に手渡した。
マクゴナガル先生は、手渡されたばかりの手紙を開いた。
その手紙には、両親の我が子への愛がこれでもかという程綴られていた。
初めて立つ日、初めて歩く日、初めて話す日、我が子の色んな初めての瞬間を一緒に喜び合いたかった事、一緒にはいられない事、いつか大きくなった時この手紙を読んで欲しい事、遠くにいても愛している事、この手紙を読んだ人がどうか我が子を大切に育てて欲しい事などが数枚に渡って書かれていた。
手紙を読んでいたマクゴナガル先生は思わず手で口をおさえ、漏れ出かけた感情の渦を押しとどめた。
「これは……なんとまあ……!」
何か発しようとしたものの、言葉がうまく出せなかった。
それ程にまで手紙の内容は、マクゴナガル先生にとって心を打たれるものだった。
いや、彼女でなくてもだろう。
「ここに書かれている二人はまさか……」
ようやく言葉を発せたマクゴナガル先生に、ダンブルドアは重々しく頷いた。
「恐らくじゃが、想像通りじゃ。わしが着いた頃には二人の姿は無くてのう。だから、わしは彼らの顔も何も知らんのじゃ」
ダンブルドアは、珍しく強張った表情をしていた。
「『彼』がこの子を抱いておったのじゃよ。それもとても大事そうにな」
マクゴナガル先生は、大きく目を見開いた。
「今、何と?」
ダンブルドアは、そんなマクゴナガル先生の状況を知らずに淡々と説明を続ける。
「それでわしは、『彼』からこの子を奪い去り、『彼』が二度とこの子を見つけないよう遠い国の、この子のもう一つのルーツの国に隠す事にしたのじゃ」
「いえ、そうではなく……何ですって?」
マクゴナガル先生は、全ての話が衝撃的過ぎて頭に入った内容が右から左へすり抜けていくような感覚に陥った。
「『彼』とは、まさかとは思いますけど、『例のあの人』ですか?」
例の……までの所で一瞬ピタッと、赤ん坊の寝息が止まった。
ダンブルドアだけがそれに気付き、赤ん坊を少しだけ揺らしなだめた。
赤ん坊はまた穏やかな寝息をたて始めた。
「いかにも。この子を『彼』から奪い去るのはそう簡単な事では無かった。
わしも全力を尽くしたが、『彼』も全力を尽くした。」
「この赤ん坊をあの者が、守りたい程……愛していたとでも? 実の子でも無いのに?
もし、実の子供がいたとしてもあの者が誰かを愛するなど、私には考えられません」
「これまた、いかにも。間違ってはおらんよ、マクゴナガル先生や。ただ、『彼』はこの子を欲し、求めた。それだけじゃ」
マクゴナガル先生は聡明であったが、ダンブルドアの言葉の真意を理解する事が出来なかった。
それ程、今ここで眠っている赤ん坊は謎に包まれていた。
特別変わった所も無い、ただの赤ん坊だった。
ダンブルドアは、マクゴナガル先生が持っている手紙を指さした。
「その手紙には、わしらが使っている言語とは違う言語でも、この子の名前が記されおった。そして、その文字と同じ字がこの家の壁に刻まれておる」
手紙には、確かに「神白 さくら」という文字が書かれており、「神白」はこの家の表札にも書かれていた。
「まさかとは思いますけど、字が同じだからという理由だけでここに預けるお考えで?」
「この子がこの家を選んだんじゃよ。この家の前に来るまでぐずっておったんじゃが、家の前を横切った瞬間、ピタリと泣き止んでな。ここのご婦人をどうやら気に入ったらしくてな」
ダンブルドアは、マクゴナガル先生から先程の手紙を受け取り、赤ん坊がくるまっている白い布の隙間に手紙を入れた。
ダンブルドアは、鉄製の門を音を立てないように開けた。その赤ん坊をそっと玄関の前に置くと、また門を閉めた。
「『例のあの人』があの子を狙っているのなら、あなたの元が一番安全なのでは?」
ダンブルドアは、静かに首を横に振った。
「わしが安全だとどうして分かるのじゃ? マクゴナガル先生や、あの子は魔法界に決して来てはいけない存在じゃ。マグルの世界で自分の力を何も知らず、生きていくのがあの子の為でも、人の為でもある。あの子が魔法界に来れば、あの子を利用しようとする者が必ず出てくる。それがヴォルデモートで無くても」
「どういった力なのですか?」
「誰もが一度は願う力じゃよ。わしに言えるのはそれだけじゃ」