30 いらない涙
待っている。みんな待っている。
辺り一面に響き渡りながらも囁くようなその声は、老若男女様々な声色が混じっていて誰の声が判別がつかないと、さくらはぼんやりと思った。
気付くと、さくらはヨーロッパの田舎にありそうな村の真ん中に突っ立っていた。
これは夢に違いないと、さくらは確信した。
何故かを説明するのは、至って簡単だ。
古い写真のようにセピア色に染まる空、鉛筆で描いた写生画のような建物や木々たち。
全て現実ではあり得ない風景だ。
目が覚めると忘れてしまうが、イギリスに来てからこの夢を毎日見ている気がしていた。
さくらは、村の中を歩き回った。
さっきまで聞こえていた声も今は聞こえず、静まり返っていて人も動物も何も見当たらなかった。
寂しい場所、とさくらは思わず涙を流した。
何故、涙が零れ落ちるのか、何故こんなにも胸が痛むのか、何故一人は寂しいと叫びたくなるのか、さくらには分からなかった。
涙もこんな感情も邪魔なだけなのに。
ホーという鳴き声が耳元でした気がして、さくらは目を覚ました。
さくらは隣のベッドを見ながら、ゆっくりと起き上がった。
母はまだ眠っている。
さくらは、違和感がして自分の頬を触った。
手で触っても分かる程、涙の通った跡がくっきりとあった。
嫌そうにさくらがパジャマの裾でそれを拭っていると、何かが自分の体をスリスリしているのに気付いた。
スノウだった。
スノウは心配してくれているかのように悲しそうな顔で弱弱しくホーと鳴いた。
さくらはすぐに笑顔を作って、スノウの頭を撫でた。
それを見たスノウが更に悲しそうな顔をしたのは気のせいだとさくらは思う事にした。
いよいよ今日は、魔法使いや魔女達の学校の入学日だ。
少しして母が起き、身支度をして朝食を取りに行きチェックアウトを済ませてからキングスクロス駅へと向かった。
昨日、杖を購入した後無事に母と合流し9と4分の3番線の下見に向かったが、何やらトラブルが起きたようで9番線と10番線を含むホーム一帯が立ち入り禁止になっており復旧の目処が立たないそうだった。
その為、2人共謎めいた9と4分の3番線とやらが実際に存在するかどうかも分からず不安でいっぱいになっていた。
ホームまでの道中、「スノウを家に連れて帰ろうか?」「ううん、スノウもなんだか学校に行きたがってるし学校も連れて行っていいみたいだし」などとお互い相手に自分の不安を感じさせないよう別の話題をふった。
ホームは想像していたよりも、人でごった返していた。
9と4分の3番線9と4分の3番線……さくらはブツブツと呟きながら母と一緒に目的のホームを探したが、9の隣には10と書かれたホームがあるだけで、2つの間には何も無かった。
発車まであと40分程時間があったが、どこを探してもそんなホームは見当たらず、仕方なく駅員に尋ねた。
が、からかわれていると思ったのか、駅員は不機嫌そうにどこかへ行ってしまった。
あと25分。
気持ちだけ焦るが、なすすべなく途方に暮れていた。
こういう時どうすれば……そうだ、スノウに聞いてみれば!
今日も母のバッグの中におとなしく収まっているスノウに9と4分の3番線の場所を尋ねた。
すると、スノウはバッグから勢いよく飛び出して9と10の間にある柵に向かって飛んで行った。
柵にぶつかると思った矢先、スノウは柵に飲み込まれ跡形もなく消えてしまった。
「最初っから、あの子に聞けば良かったね」
母は不思議続きで魔法に対する耐性がついたのか驚くどころか笑っていた。
さくらもスノウの後に続こうと柵に向かって走り出そうとしたが、母が腕を引っ張ったので止まらざるを得なかった。
「ここでお別れしよっか」と母は言った。
お別れ、その言葉が急に現実を帯びてさくらは沈んでしまった。
魔法界に行きたい、自分が普通の存在だと認められる場所に行きたい、その想いばかりが先行してずっと一緒に暮らしてきた母とのしばしの別れが同時に来ることをすっかり頭から抜け落ちていた。
さくらは目頭が熱くなってきたが、グッとこらえていつも通りの作り笑いを維持した。
逆に母はポロポロと泣き始めた。
泣き出してしまった母を見てさくらは、嫌な気持ちになった。
――泣かないで。泣いているお母さんを見るのは嫌。泣かせてばかりで笑わせる事が出来ない自分が嫌い。あの頃のまま何も変わらない自分が一番大嫌い。