カナリヤの慟哭   作:椎名リオ

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初投稿なので、温かい目で見てくれると助かります。


校舎裏にて

 

 

 ――なんとなく、思い出す。

 

 その日が晴れだったか、雨だったか。それとも雪が降っていただろうか、季節も、その日の天気も覚えていない。

 朝か、昼か、それとも夜だったか。外を見れば一目でわかることも、なにも。

 

 ……視界に入った光景だけを単なる情報としてみる。

 ただ目の前のにあるものを、あるがままに受け止めた。

 りんごが木から落ちます。風が一瞬吹いて、それに驚いた鳥たちが飛び立ちました。 

 そんな数秒後には視線をどこかに移しそうなほど単調で些細なことを頷きもせず、ただ認めるように、無感動にそれを眺める。

 

 アコースティックギター。弦がきれいに張られ、錆びたところなど一つもなく光沢を放っている。

 一見新品同然のようだが、かすかに香る匂いがこのギターが決して新しくないものだと伝えてくる。

 

 導かれるように、そのギターに手を伸ばした。なぜかはわからない。ただ自然と、そして漠然と、そのギターの音を聞いてみたかったからかもしれない。

 徐々に距離が縮まる。十五センチ、十センチと。

 そこまでいって、ふいに手が止まる。

 それから、ゆっくりと腕を下した。

 

 

 ――このギターを、僕が持つべきではない。

 

 

 それは明確な拒絶だった。僕か、それともこのギターからか。理論じみた事なんていえなかった。ただ本能で、このギターを弾くべきは自分ではないと悟った。

 途端に、悲しくなる。

 このギターを弾けないことが? 違う。

 ”本能”だなんて理由で諦めた自分の意志の弱さ? 違う。 

 わからない。わからないことに、僕はなぜ悲しんでいるんだろう。

 

 そんなとき、背後から声が聞こえた。低く、柔らかい声だ。

 

 

「ん? どうした、優? お、もしかしてこれが気になるのか」

 

 

「これはね……実は僕の宝物なんだよ。こうやって持って、この細い線があるだろ? これをこうやって弾くんだ」

 

 

 声の主はそのまま僕の横を通り抜け、目の前のギターをなんなく持ち上げて、難なく弾き始めた。

 ……まるで音と一体となったかのような、不思議な感覚だった。楽しくもあり、けれど同時に悲しさもその音たちには混ざっていた。

 その人を素顔を見ようとしたけれど、なぜか固定されているように首が持ち上がらなかった。

 

 謎の声は再び僕の鼓膜を揺らす。 

 

 

「ふふふ、優。実はね、この僕の宝物はね、もっと綺麗な声で歌うんだよ。鳥みたいにね。いやいや、嘘じゃないさ……なら、一つ試してみよう」

 

 

 その人はもう一度構えると、それに応えるかのようにきらりと銀色のペグが瞬いた。

 

 ……そこから始まった演奏を、僕はどう表現したらいいのだろう。

 確かにそれは綺麗な音だった、声だった、そして歌だった。

 秘密ごとを囁くように、あるいは叫ぶように。けれどその音はずっと目の前の人のように優しくて、決して僕を置き去りにはしなかった。

 寄り添い、慈しみ、ときに悲しみ、泣いて、笑って…………すべての感情を表した。

 

 人では決して出せない音であり、声だった。それこそ鳥のような、美しい鳴き声を持った動物が歌ったほうが、相応しい。

 

 

 

「……どう? 綺麗だっただろう? いろんな音が聞こえた? 残念、僕はギターしか弾いてないよ」

 

 

 そっと頷いた。きっと目の前の人は笑った。そんな気がした。頭を撫でられ、そこから伝わる体温が心地よくて目を閉じた。

 僕は一つだけその人に尋ねたいことがあった。胸の内に燃え上がったこの感情の名前を、何と呼んだだろうか。

 単純だからこそ気休めな言葉を掛けられそうで、この人が確かな答えを持っているだろうからこそ言葉にするのが怖い。

 

 ゆっくり、誤解のないように、おそるおそると口を開いた。

 

 ――あなたのように、ギターを弾けるようになれますか?

 

 間もなくして、その人は言った。疑いようもなく、しっかり。

 

 

「きっと君は僕なんかよりも上手になるよ。嘘じゃない、絶対に」

 

 

 そっと目の前にギターが差し出される。なすがままに慎重に受け取る。

 

 

「……優にあげるよ。父さんの演奏を聴いてくれたお礼さ。だから今日からそのギターは君のものだ」

 

 

 ゆっくりと、顔を上げる。今度はちゃんとその人の顔を見ることができた。

 携える笑みは優しく、黒い瞳には背の小さい、小学生の僕の姿が映っている。

 次第にその人のすべてに懐かしさを覚える。

 くっきりとした眉も、カラスの羽のような艶やかな髪も、耳の輪郭も、すべてが昔のままで目に涙が滲みそうになる。

 それと同時に、僕は現実に戻らざるを得なかった。

 

 これは、すべて夢だ。残酷な夢なのだ。かつての自覚のない確かな幸福で、そしてもう二度と手に入らない――昔の話なのだ。

 

 

「じゃあね、優。今度ギター教えるよ」

 

 

 足音が、去っていく。扉が開く音がする。

 まって、いかないで。そんな言葉が飛び出そうになる。もしかしたら口に漏れていたのかもしれない。

 

 けれどどちらにせよ届かない言葉なのだ。父さんがもう一度ここに戻ってくることは、ない。

 

 

 父さんはもう、いないんだから。

 

 

 僕は手渡されたギターを構えた。そして六弦から一弦までを素早く弾いた。

 その音の酷さに、呆れて笑った。

 

 

「なんて、不協和音」

 

 

 正しい音に合わせて、ペグを回す。五弦はA、四弦はD。寸分の狂いもなく、集中して音を聞き、ゆっくりと音程を合わせていく。

 すべての弦を正しい音にした頃には、とうに父さんの姿はなくなっていて、僕はどうしようもなく天井を見上げた。

 

 寝覚めは悪く、設定したアラームより三十分も早く起き、窓を見やれば空が白み始めていて、視界がぼやけるものだからふと目元を拭ったそれが涙で、結局僕は泣いていたことをそこで知った。

 朝食を食べる頃、妹には顔色が悪いと心配され、けれど適当に話を流して逃げるように学校へ向かった。

 

 聞き覚えのない鳥の鳴き声が聞こえて、立ち止まった。でも鳥の姿なんてあたりになんかどこにもなくて、仕方なく空を見上げた。

 青空を見上げていると、胸が苦しくなった。朝の心地よい風を背中に感じ、それだけで心が折れそうになる気がした。

 それが怖くて、僕は足早に歩きだした。

 ――あの音を出せないまま、僕は高校生になってしまった。 

 

  

 「嘘つき」

 

 

 そう呟いたとき、僕は今日の優しい夢を多分忘れられるだろうと思った。

 

 

 

 

* * *

 

 

 

 

 校舎裏、日の差さない陰湿な場所で今日も僕は座り込んでギターを弾いていた。

 膝にはいくつもの修正をして真っ黒になりかけている譜面。アコースティックギターを構えたまま、その譜面と睨む日々を送っていた。

 何年も練習しているはずなのに、何度やっても自分の演奏が間違っているように思えてしまうのは僕に音楽の才能がないからか。

 陰鬱な気分に毎回なる。

 

 

「もう、やめよっかな。ギター」

 

 

 ここまでギターを続けてきた自分を俯瞰して、言葉を吐き出す。お前がやってきたこと、全部無意味だったよ。吐き捨てるように、自分を嘲笑する。

 もう今日はギターを弾く気にはなれなかった。できないことをずっと続けるのはいつだって辛いものだ。

 ギターをケースにしまうため、肩にかけているストラップを外す。

 

 

「え……やめちゃうんですか……?」

 

 

 声のしたほうを視線をやれば、こんな場所には似合わない快活な雰囲気を醸し出す赤髪の女子が立っていた。

 

 

「あー、いや、冗談だよ。ただの弱音さ」

 

「あ、そうでしたか。よかったです」

 

「……よかった?」

 

 

 彼女は微笑みながら再び口を開いた。

 

 

「鏡先輩ですよね! お願いします! わたしにギター教えてくださいっ!」

 

「え、なに急に……というか眩し」

 

 

 綺麗に腰を折ったままなのに、なぜか後光が差している名前も知らない後輩の姿に困惑したままの僕を置き去りにして、彼女は矢継ぎ早に言葉を継いだ。

 

 

「あの実はですね。あ、わたし一年の喜多っていいます! よろしくお願いします」

 

 

 どこか聞き覚えのある名前だった。 

 

 

「は、はぁ。まぁ、なにをどうよろしくすればいいのかわからないけど、よろしく……」

 

「それでですね。話すと長くなるんですけど、とりあえず二週間後にライブに出ないとならなくてですね」

 

「はぁ……」

 

 

 僕はとりあえず喜多さんがなぜギターを教わりたいか、彼女の話を聞きながら頭の中で整理していった。

 

 発端は喜多さんにとって気になる人がバンドメンバーを募集してて、ボーカルとギターの枠に喜多さんが応募したのが始まりだった。喜多さんはボーカルは問題なくこなせるということだったが、つい勢いで全く経験がないのに「ギターもできます」と名乗り上げてしまったそう。でもその気持ちはなんとなくわかる気がする。気になる相手にはいいところを見せたいものだ。本題はここからで、早速楽器店に行ってギターを買ったまではいいものの、いくら練習しても上達の兆しが見えないらしい。

 このままだと喜多さんのいう気になる人やバンド自体に迷惑がかかる。でもギターはいつまでたっても上手くならないし、どうしようかと考えていたところ、ギターを弾いてる僕の姿を発見した、というのが一連の流れだった。

 

 

「うーん。期限、二週間後か……」

 

「はい……」

 

「現時点でどれくらい弾けるの」

 

「いや、それがまったく……」

 

「え、まったく?」

 

「はい、まったくですごめんなさい」

 

「そ、そう」

 

 

 本当に申し訳なさそうに目線をそらす彼女を見て、たぶん限りなく初心者に近いんだろうなと予想をつける。

 それに教えるにしても、僕自身にも問題があった。

 

 

「そもそも僕独学だし、人にギター教えたこと一回もないんだけど」

 

「そこをなんとか!」

 

「うーん……あ、話変わるんだけど、喜多さんってもしかしてだけど部活ってやってる? 例えばバスケとか」

 

「え? んー部活には入ってませんけど、助っ人としてはよく声をかけられますよ」

 

 

 喜多さんは首をかしげて、不思議そうにこちらを見た。

 

 あぁ、絶対この人だ。噂になってる人。

 さっき喜多という名前を聞いて思い出したが、クラスメイトがなにやら話していた気がする。特に女子バスケに入っている佐々木さんが逸材を発見したとか話していた。その人の名前が確か喜多だった。話を聞く限りだと、ほかの部活にも声がかかってるらしい。

 なんでそんな人が、楽器をやってる親しい友人とかじゃなく、わざわざ学校の敷地内の隅にいる僕に頼んできたのかが気になる。

 裏があるような気がしてならない。

 

 ちらりと彼女のほうを見る。

 

 

「うぅ……」

 

「……」

 

 

 わずかにうめきながらも藁をもすがるような必死さでこちらに視線を送る喜多さんの姿が目に入る。とても断れそうになくて、今日初めて会う自分も彼女がなんで人気者かが身をもって分かった気がした。

 

 

「はぁ、わかった。いいよ。僕でよければね」

 

「ほ、ほんとですか」

 

「うん。ほんとほんと。」

 

「わぁ……! ありがとうございます!」

 

 

 彼女の笑顔はあまりに眩しすぎて、僕は無意識に明後日の方向にそらした。

 それを咎めず、喜多さんはそのままの調子で言った。

 

 

「あ、でも今日はギター持ってきてないので、明日からってことになっちゃうんですけど……」

 

「いいよ、それでも。僕は昼ならここにいつもいるから、喜多さんの好きな時に来ればいい」

 

「わかりました! それじゃあ、鏡先輩……いえ、師匠! また明日!」

 

 

 軽快な足取りで走り去る足音が聞こえ、僕がその方へ顔を向けたときにはすでに彼女の姿はなかった。

 

 

「……いや、師匠て」

 

 

 まるで嵐が過ぎ去った軌跡を追いかけるように、僕は彼女が行ってしまった方向を眺めた。

 師匠なんて呼び方をされたのは初めてで、自分はその言葉に釣り合うほど技量があると自負しているわけでもない。

 でも胸裏ではそんな不足だらけの自分に対する嫌悪ではなく、掴みどころのないもやもやとした感情が渦巻いていた。居心地が悪くて、かぶりを振る。

 

 

「帰ろ」

 

 

 時計を見やれば、休みが終わるまでまだ十数分は残っていた。いつもだったら時間ギリギリまでここにいるが、なんだか今日はどうにもこのまま練習する気にもなれなかった。ギターをケースに収納し、譜面や筆記用具など使ったものを手提げに無造作に放り込む。ケースを背負って、校舎玄関へ向かう。校舎裏を抜ければうっとおしくなるほどの強い日光が当たった。目を顰める。今日は快晴。雲もなく、風もない。雀が気持ちよく青空を横切って、どこかの木の実でも啄んでそうな長閑な日だ。

 僕はため息をついた。

 

 

「教則本、どこにしまったっけな」

 

 

 囁く程度につぶやいたその言葉は、驚くほど自然にでた。

 

 

 




なお、筆者はギター初心者とする。
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