カナリヤの慟哭   作:椎名リオ

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お久しぶりです。

更新したくとも話が思いつかないジレンマ。それも相まって今月は特に忙しかった……。
でも今日は更新しなくてはならなかったのです。

だって虹夏の誕生日だもの。ハッピーバースデー、虹夏。
ツイッター覗いてみたら海外の人からもお祝いされてました。

実は最近ジャズセッションがありまして、なぜか32小節ソロやれって言われたこともありました。無理だよ。やったけどボロボロでした。

小説も、楽器も、精進あるのみです。
ちなみに筆者はドラム担当です。





迷惑の清算

 緩慢な動きで箸を動かし、それよりもっと遅い速さで咀嚼する。基本鏡家では朝食を作るのは当番制だ。別に明言しているわけではないが、自然とそうなっていた。平日は僕と杏が交代で、休日は母さんが作ることになっている。

 

 今日は杏が担当だ。ご飯とみそ汁と、目玉焼き。こんなありふれた献立でも自分が作ったものと比べると、彼女のほうが美味しく感じる。

だが今日は味がしなかった。今日はというより、ここ一週間食感も匂いも、何もかもが淡白としか感じられなかった。

 決して不味いわけではない。ただそんな当たり前な情報を受け入れる余地がないほどに、僕は別のことを考えていただけで、結局のところすべての問題の原因は僕にある。

 そんな気がする。

 

 しかし問題といっても具体的なことがあるわけじゃない。

 僕は確実に何かを間違ったような気がしてならなかった。

 なんの根拠もない、朧げな輪郭すら不明瞭な、漠然とした不安――いや後悔だろうか。

 とにかく、僕はそんな要領を得ない心の靄と向き合い続けていた。

 端的に一言で言い表すなら、僕は現実逃避をしていた。

 

 

「はあ」

 

「……兄さん」

 

「……仕方ないだろ、達成したと思っていた依頼がとんぼ返りしてきたら誰だってため息をつきたくもなる」

 

 

 あとなんか人数も増えた。後藤さんは舎弟ムーブをかましてた。謎に似合ってたけど、変にかしこまられても面倒だし、やめさせた。

 

 

「そこは我慢してくださいよ、気が滅入るんですけど。別にいいじゃないですか、ギターを弾く仲間が増えて」

 

「練習ができないんだよ。あっちはバンド、こっちはソロ。やることが違うんだから一緒にやっても互いのためにならない」

 

「そう、なんですか?」

 

「そうなんだよ」

 

 

 適当に話を終わらせ、手を合わせ食器を片付ける。これ以上話すつもりはないと杏も感じたのかため息を一つ吐き、それっきり口を閉じた。

 

 

 ――きっと関わるべきではなかった。自室で着替えている最中にふとそんなことを考える。

 

 誰に? もちろん結束バンドの人たちに。そしてそれを取り巻く人たちに。

 なぜそんなことを思ったのかはわからない。

 ただ、僕はどことなく疎外感を覚えた。ここ最近はいろんな人と出会ったというのに、おかしな話だった。

 その感覚がいつからだったか、どこからやってきたかなんて断定できることなんて何一つないけれど。

 ミミズが渚を渡るカモメと空を飛ぶことを夢見るほどに、愚かしく、同時に馬鹿々々しく感じた。

 

 階段を降りつつ、少し視線を落とす。僕は、立ち止まった。

 玄関に影が差していた。朝日が作り出したそれは、決して妹のものではなかった。

 数秒逡巡する。家を出入りできる扉は一つだけだし、登校するためには必然的にそこを使わなくてはならない。

 僕はゆっくりと階段を一段ずつ踏んでいった。足裏に伝わる感触を確かめるように、仕方ないと何もかもを諦めるように。

 姿だけなら僕の妹に似ている人だ。

 冷酷ささえ感じる無感情な氷のような目と、長い黒髪をそのまま流している。

 過去のすべてを捨て去ろうにも中途半端にしかなれなかった、哀れな人間がいた。

 

 僕の、母親だった。

 

 

「……優」

 

「……なに、母さん」

 

「ギターはまだやめないの」

 

「はっ……やめる? そんなわかりきったこと、いつまで聞いてくるんだよ。わかるだろ。ギターはやめない。何回も言った」

 

「優、私はもうギターの音は聴きたくないのよ。二度と、聞きたくもないし、だからあなたが弾く必要もない」

 

「なら聞かなければいい。それだけのことなんじゃないの」

 

「っ、あなたねぇ……っ」

 

「あ、あのッ!」

 

 

 僕は母から視線をそらした。母さんも僕と同じ方向を向いた。いつの間にか杏が近くに来ていた。

 一斉に向けられた視線からか、はたまた僕たちが恐ろしい顔をしてるのか、杏の肩が一瞬だけ跳ねたのがわかった。

 

 

「そろそろ、学校ですから……その」

 

「…………いってらっしゃい」

 

 

 母はため息をついてからそう口に出した。重く、押し付けるような声だった。

 杏は僕たちに視線をやりながらよそよそしく母の後ろを通り抜け、靴を履いて外に出た。

 僕もそれに続こうと、靴を履いた。いつもは軽い扉が、今は相当重く感じた。

 

 

「優」

 

 

 背中から声を掛けられる。先ほどと比べて幾分か柔らかくなったが、やはり冷淡なのは変わらない。

 

 

「なに」

 

「あなた、私の」

 

 

 不自然に言葉が途切れた。そしてほんの数秒だけ不穏な、濁った空気が僕を包んだ。

 無意識にドアノブを握る手に力がこもる。

 母さんはまたも息をつき、何でもないと言った。それをきっかけにその空気も霧散し、僕は黙って扉を押し開けた。

 自宅の前には杏が待っていてくれていた。

 

 

「あっ……兄さん」

 

「悪いけど、先に行って」

 

「……はい」

 

 

 俯きがちに彼女は通学路を歩んでいった。

 

 ……少なくとも今は、杏の隣を一緒の歩幅で歩くことは難しく思えた。

 冷静になる必要があった。彼女の顔を見ても、ちゃんと杏のことだとわかるようになるまで、落ち着かなければならなかった。

 でないと僕は何を杏に言うか、わからなかった。

 そしてそんなことを考えてしまう僕もまた、愚かだ。

 

 上を見上げ、ほっ息を吐く。夏に近づく空は、青と白だけの鮮明な世界を作り出していた。

 なにもかも、中途半端だ。母さんも、杏も……僕も。

 

 父さんとの記憶を忘れ去ろうとしている人。けれど思い出は残ったままで。

 幼かったがゆえに父親のことを知らない妹。だからどっちの味方にもなれないままで。

 そして僕は今も弾けないままだ。父さんの音も再現できないままだ。

 

 空を眺めながら、僕は考えた。

 数分前の、言葉の続きを。

 答えはもうとっくに出ていた。

 

 母さんは僕があの部屋に行ったことに気が付いている、と。

 そしておそらく、持ち出したものも。

 

 

 あの人はきっと、すべて見通している。

 

 

 

*   *   *

 

 

 

「バイトぉ?」

 

「師匠そんな嫌そうな顔しないでくださいよ~。みんなでやると楽しいですって! わたしもやりますし、ほらっ! 後藤さんもやるんですよ!」

 

「え、そうなの後藤さ……」

 

「ばいと……ばい、と…………ばい……と」

 

「なんか壊れちゃってるけど」

 

「朝からこうなんですよね」

 

 

 校舎裏、僕はなぜか喜多さんにバイトの誘いを受けていた。

 ライブが終わった日から喜多さんは今まで通り、後藤さんは結局結束バンドに入ることになり、喜多さんと交流を持ったからか新しく来るようになった。

 僕はというとこの状況に慣れないまま、かといって迷惑になるようなことはしてこないため、黙認という形で落ち着いている。

 

 

「で、いやに急だね。バイトなんて」

 

「実はですね、ちょっとメンバーで話し合って今後のライブのことも考えるとノルマが大変って話をしたんですよ」

 

「あぁ、なるほど。バンドの売り上げが今のままだと足らないってことか。それでバイトね。ちなみにどこでするの?」

 

「スターリーです」

 

「へぇー、ならいいね。知らないところで働くより」

 

「ですよねっ! なので師匠も」

 

「やらないけどね」

 

「えー」

 

 

 バイト自体を嫌悪しているわけではないが、やはり僕にとって時間を奪われるというのは相当な苦痛で、給料が手に入ることにもさほど魅力は感じていない。

 欲しいものは特にないし、新しいギターも買う気になれない。父さんから貰ったこのギターがある以上、現状に不満はなかった。

 そういう“働く理由”が欠如している自分が仕事をするのは、きっと迷惑になるだろう。

 客にとっても、店にとっても。

 

 

「まぁ頑張ってよ。あそこなら伊地知さんもいるからさ、心配するなんてことはないと思うよ。だから安心しなよ、特に後藤さん……後藤さん?」

 

「……宝くじ……高額……西、銀座……?」

 

「そんなにバイト嫌なのか、後藤さん」

 

「なんか、ちょっと申し訳ない気持ちになってきたわ……」

 

 

 精神が不安定になるくらいなら断ればよかったのではないだろうか。

 そんなことを考えて、あたふたしながら頷くしかない後藤さんの姿しか思い浮かばなくて、なんとなく、悲しい気持ちになった。

 

 

「……でもそっかぁ、師匠なら適任かと思ったんですけど」

 

 

 僕は首を傾げた。

 

 

「どういうこと?」

 

「さっきメンバー同士で集まったって話したじゃないですか。それで……後藤さんをみたらわかると思うですけど……その、あまり慣れてないみたいで」

 

「うん、それは明言されなくてもわかるけど」

 

 

 あれほど一目瞭然という言葉が似合う姿はそれほどないだろう。

 

「やっぱり親しい人……親しい? まぁそこそこ後藤さんと過ごした時間が長い人がサポートに入ったらいいんじゃないかって話になりましてですね」

 

「だから僕を誘ったと」

 

「はい」

 

「いや、はいって……それこそ喜多さんが後藤さんを補助すればいい話じゃない?」

 

「でも知っている人が多ければそれはそれでいいと思いません? それに機材とかの運搬とかも大変らしくて、スターリーは男手が足りないって話だったので、どうかなーって思ったんですけど」

 

「僕もそこまで力があるわけじゃないからなぁ、あんまり力にはなれなさそうだけど」

 

「そうですか……無理強いはよくないですからここまでにしておきますね。それにもう十分師匠には助けてもらったもの」

 

 

 喜多さんはふっと静かに笑った。

 その顔を見て……僕は何かを忘れているような気がした。

 

 

「……あ、貸し借り」

 

「貸し借り?」

 

「あ、いや……」

 

 

 そう。そうだ、僕は伊地知さんに借りがあった。

 ライブ直前の、あの日だ。記憶を掘り下げていると、携帯のデフォルトの通知音が近くから聞こえた。

 確認してみると、案の定僕の携帯から鳴っていた。

 そして、伊地知さんからのメッセージも届いていた。

 

『いきなりなんだけどごめん! 臨時でいいからうちでバイトしてくれない? もちろん給料は出るから安心して! これで貸し借りなしってことでいいし、どうしてもダメなら遠慮しないでね』

 

 

「……あぁ」

 

 

 次第に、思い出す。

 確かにあのときは僕が考えたもので伊地知さんに返す、みたいな約束をしたはずだ。

 実質保留みたいな感じでもあったが。

 僕は実際結束バンドに……特に伊地知さんに迷惑をかけたし、彼女がそう要求してきたのなら容易く断ることもできない。

 

 もうメッセージは見てしまった。向こうの携帯にはもう既読の履歴が残っているだろう。

 僕は彼女に送る言葉を考えて、それから文字を打った。

 最後まで打ち終わり、誤字がないことを確認して送信する。

 携帯の右端の時刻にちらりと視線を移せば、もう教室に戻らなければいけない時間になっていた。

 

 

「…………喜多さん、さっきの話、受けるよ」

 

「え!? ほんとですか! よかったー。あ、多分今日からなんですけど」

 

「あぁ……もう、うん……好きにして……」

 

「じゃあまた放課後に集合しましょう!」

 

 

 喜多さんは軽快なステップを踏むかのように、軽やかに去っていった。

 誰かと何かを一緒にするのが好き。そんな性分な彼女だからこそ、やっぱり嬉しいのだろう。

 僕はそっと後藤さんの隣に座り、空を見上げた。

 

 

「後藤さん。バイト、頑張ろうね。僕も頑張るからさ」

 

「ひぃん……」

 

 

 きれいな青空とは対照の、太陽に隠れた影ばかりが僕らを包んだ。

 

 そっとため息をつけば、授業五分前を告げる予鈴が僕の耳をくすぐった。

 

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