あと最近『時をかける少女』を改めて観たんですけど、やっぱりいいですねー。
個人的にはラストも近い夕暮れの河川敷のシーンがあんまりにも綺麗すぎて、言葉失いました。
ああいう作品を残せたらと思うと、憧れますね。
ご感想、評価、お気に入り登録ありがとうございます。
誤字報告も大変ありがたいです。
――ギターを構える。
たったその動作だけで、激しい既視感が頭をよぎる。
あの人との出会いも、こんな感じだった。
まだ私がお茶ノ水の楽器店でバイトをしていた時の、なんでもない一日だった。
「伊地知さん、お願いだから勝手にギター仕入れたりしないでよ」
「うぃー」
先輩の言葉を軽く聞き流す。
いつものようにカウンター裏にあるパソコンでマウスをポチポチとクリックしながら検索していた。
ネット上に新製品のラインナップを目で流す。
「……なんかピンとこねえなぁ」
ここで働いて何カ月か経つが、それともそれだけ働いているからか、私の目は幾分か肥えてしまっていたらしかった。
カラーリングは好みだが、サウンドが求めているのと違かったり、その逆もあった。
「はぁ……とりあえずこれと……これかなー」
「伊地知さん? なにが「これかなー」なのかしら?」
「仕入れ。いやほら、店内も賑やかになるんじゃないかなーって」
「飾りつけみたいにギター入荷しようとする人、私初めて見たわ」
「いいじゃないですか。現に売れてるし。私目利きはいいと思うんです」
「中には確定してない売約もあるみたいだけどね……あ、いらっしゃいませー」
先輩が視線を逸らした隙に確約のボタンを押す。
……まあバレると思うけど、いいだろう。多分売れる。少なくとも一つは私が買うから問題ない。
咎められる前に見回りに行く。
楽器の埃を掃ったりしていると、声をかけられた。
若く、落ち着いた雰囲気の男の声だ。
「すいません、試奏って大丈夫ですか?」
「あぁはい、大丈夫ですよ。どちらを弾かれます?」
「えっと、じゃあこのマーティンのやつとヤマハの……はい、それで。ありがとうございます」
ギターを構える動作に淀みはない。
それだけでこの人が初心者ではないことはすぐにわかった。
……万が一ぞんざいな扱いをされてもすぐに声掛けできるように注視しておく。
けれどそれはすぐに無駄に終わった。
無駄に終わったというか、する必要がなかった。
店内に、優しい音が満ち溢れる。
「――さん。もしもし、店員さん?」
「……えあっ、はい。なんでしょう」
「あぁよかった! 呼びかけても返事ないからてっきり無視されたのかと。ありがとうございました。二本ともいいギターですねっ。あ、元の場所に片付けたほうがいいですか?」
「あー……こっちでやっておきますんで、はい」
「そうですか。ありがとうございます」
なんだ。うまく頭が働かない。
この人と話していると調子が狂う。
足がつかないような、思考が宙に浮いた感じ。
でもそれが決して嫌なものではないのが、余計に不思議だった。
「ギター上手なんですね」
気づけば声をかけていた。
男はわずかに首を傾げた後、にこやかな表情をして言った。
「ありがとうございます。でも僕なんてまだまだですよ」
「そんなことはないと思いますけど」
「僕は自分の実力には満足しないことにしてるんです。そうしないと、自分の限界を勝手に決めちゃいそうで」
「……なるほど、深いですね」
「そ、そうですかね……?」
「はい」
多分。知らないけれど。
少なくともこの人が今の音楽の感覚を大事にしてほしいとはうっすらと思った。
「今日はギターを新調しに、って感じですか?」
「あー、いや実はですね。息子のプレゼントにと思っていて。今回はそれ用のを探してたんです」
「エレキじゃなくてですか?」
「なんかこっちを弾きたい様子で」
彼は先ほどまで弾いていたアコースティックギターを指さした。
「ボディの大きさも考えると……テイラーのアカデミーなんかは初心者にはおすすめですね。エレアコだからバンドとかでも使えるんですよ。そこらへんも便利で」
「うーん、そっかー。あいつも将来バンドとか組むかもしれないんだよな……」
「音色だったりを求めるならオール単板のやつとかになりますね。安い奴だとフェンダーの――」
その人と数十分はやり取りをして、ようやく一本に絞りこめた。
ピックガードにシンプルながらも目を引く絵柄を持つ、ギブソンのアコースティックだ。
ただやっぱり本人の感想が欲しいということで、購入は見送りになった。
ここまでしてギターを買われなかったことに苛立つことはなかった。
だってこの人はきっとここに来る。
なんの根拠もないのに私はそう思えたから、最後の退店まで落ち着いていられた。
「あ、そうだ。店員さん。今日はありがとう」
「いえ別に……大したことは」
「それでもお礼を言わせて。で、それでってわけじゃないんだけど……これ、もしよかったら」
手渡されたのは、シックな文字が印刷されたライブチケットだった。
「これ……」
「今度ライブやるんです。っていってもあと一週間後とかそこらなんだけど。あ、お金はいらないから」
「え、それは」
「いいんだ、今日は本当に助かったから。それに稼ぎに困ってるわけじゃないし」
「じゃあ、その、遠慮なく」
「うん。それじゃあまた来ます。今度は息子も一緒に」
「……ありがとうございましたー」
姿が見えなくなるまで見送り、自動ドアが閉まり切った後にほっと自然に息が漏れた。
それから手元に視線を下す。そこには当然ながら先ほど渡されたチケットがあった。そっと撫でるように触れると、手触りのいい紙の感触が指先に伝わった。
……本来なら一店員が客からこのようなものを貰うなど、やってはいけないことだ。
そのことに思い至っていながらも受け取ったのは……やはりあの音を聞いてしまったからだ。
優しくて、けれどそこには力強さがあって。
悔しいが……私には出せるかもわからない音。
「……変な客」
カウンターに戻りながら、そうぼやく。
席に座って白紙を手に取り、ペンを握る。
すぐに先ほどの場所まで戻り、そこに飾ってある一本のギターのボディに貼り付ける。
「うしっ」
「珍しいわね、伊地知さん。アコースティックにそれつけるなんて。あ、もしかして
「先輩……まー、そんな感じですかね……」
いつの間にか先輩が近づいてきていた。
よくよく考えてみると、確かにそうだ。アコギにこの紙を貼り付けるのは初めてかもしれない。
――というか、本当の意味でこれを書いたのすら今日が最初かも。
「……先輩」
「ん?」
「私、楽器が……このギターがちゃんと買われてほしいって思ったの、初めてかもしれないです」
そっとボディの輪郭をなぞる。
傷つけないように、持つべき人のもとに渡るように細やかな願いを込めて。
――せめて、また来るまではとっといてやるよ。
紙に書いたのは書き慣れたもののはずなのに。
いつも以上に堅い、不格好な『売約済み』の文字が気になってしょうがなかった。
そしてまぁ……もったいなかったからライブも行ってみた。
たまたま予定がなかったから、仕方なく。
もしかしたら忘れられてるかもな、なんて一抹の不安もあったがそんなものは杞憂に終わった。
件のギターのことを話すと、「ら、来週の休日には行くから」と少し慌てた様子で話していた。多分向こうからは急かしていたと思われたが、それに気づくのはライブが終わって家に帰ってからのことだ。
あの人に会ったのは、それの日が最後だった。
来週の休日、彼はやってこなかった。
――あぁそうかよ。結局、その程度のもんだったか。
売約済みのギターはそのままで、店の出入り口を一日中睨み続けて、けれど望んでいた客はやって来なかった。
私に残ったのは、嘘をつかれたことの失望と、行き場を失った怒りと、そしてどうしようもない悲しさだった。
「最近お姉ちゃん、ちょっと変だね……?」
その日の夜、虹夏がおそるおそると尋ねてきた。こちらを窺うような、慎重さを伴った声色だった。
「……チッ。別に、なんでも」
「ほらまた舌打ちした! わたし、なにかした? さっきからそればっかり」
「うっせぇな。何もないし、舌打ちするぐらい普通だ」
味噌汁をすする。いつもよりひどく味気なく感じた。
「なにもなかったら舌打ちしないよ?」
「……なんでもねぇよ」
それに。
「――お前には関係ない」
しばらく沈黙が部屋に降った。壁にかけてある時計の秒針の音がやけに響いた。
やがて震えた声で虹夏は言った。
「……お姉ちゃんなに……その言い方」
「本当のことだ。知ったところでどうしようもないし、どうもしない」
「こっちはお姉ちゃんのこと心配して言ってるのにっ!」
「……虹夏、うるさい。少し黙れ」
「ちゃんと話してくれなきゃわかんないじゃん! お母さんがいなくなっちゃったときみたいな、苦しい顔してるもんっ! なにかあるなら言ってよ! 言うだけでもいいから言ってよっ!」
「ッ……虹夏ッ! いい加減に――」
「だってわたしたち、家族じゃんっ! 世界一仲がいい姉妹だって、お姉ちゃん言ったじゃんっ!」
「――」
『星歌。虹夏と仲のいい姉妹でいてね』
「ぁ……」
……私は、なにを、しているんだろう。
こんなことで、私は母さんの願いを駄目にするところだった。
虹夏のことも、考えていなかった。
『これからは支えあって生きていこう。私たちは世界一仲いい姉妹なんだから』
私は誓ったはずだ。
それなのに、この様か。
虹夏は感情が高ぶっているのか、息が荒い。目は潤んでいて今にも泣きだしそうだ。
私はただ意固地になって、自分だけのことしか考えてなかった。
「わ、わたし……お姉ちゃんの苦しい顔なんて、みたく、ないから」
「虹夏……ごめん。ごめんな……私が悪かった」
席を立って、虹夏の傍に寄る。
瞳をのぞき込むとかすかに充血していて、そっと抱き寄せた。
「……くだらないことなんだけど、きいてくれるか?」
「……ん。いいよ、くだらなくても。最後まできく」
「そっか」
「うん。そうだよ」
背中に腕二本分の体温を感じながら。
私は少しでも面白おかしく話そうと、頭を巡らせた。
次の日の朝。
ニュースをなんとなしに眺めていたときだった。
「……ん? 結構近くだな、この事故」
「トラックと乗用車の正面衝突だって」
「あぁ……お前も道歩くときは気をつけ…………」
「? お姉ちゃん?」
「……こいつだ」
「な、なにが?」
「昨日話した……客のこと。間違いなく、この人だ」
私はようやく、真実を知った。
彼は来なかったんじゃない。
たとえどれだけ願おうとも、来ることができなかったんだということを。
碌な別れの挨拶もしないまま、また私は会いたいと思っていた人と会えなくなった。
* * *
一曲を弾き終える。
といっても、いつものだ。
名前の知らない父の曲を実力の限り演奏した。
ほっと息をついて頭を下げる。
「――ありがとう、ございました」
まばらに拍手が起こる。
一様に、それらは違うものばかりだ。
音ではなく、そこからとれる印象が決していいものだけではないことをなんとなく悟る。
「……とりあえずお疲れ、鏡」
「はい、店長もわざわざありがとうございます」
「それより」
店長さんの視線がゆっくりと僕から外れ、横に向いていく。
「お前らは呼んでねぇんだが」
「いやーやっぱり優くん上手いね……これは喜多ちゃんもぼっちちゃんも負けてらんないね」
「いやもう負けてますよ。弟子入りしてるって事実がわたしたちにはあるんですから」
「そういう意味じゃないんだけど」
「話聞けよ」
「構わないですよ。聴いてくれる人は何人いてもいいですから」
「うぐわぁッ!!」
「後藤さん!?」
「人前でろくな演奏できないわたしは……いったい……」
後藤さんが謎に後方に吹っ飛んでったが、段々気にならなくなってきた自分がいることのほうが怖くなってきた。
店長さんはため息を一つ吐いて、それから再び僕に顔を向けた。
遠くの的を射抜くような鋭い視線に、背筋を伸ばす。
「……鏡」
「はい」
静まり返った。
誰も口を開くことなく、だから余計に自分の心臓の音がうるさかった。
「……虹夏も言ってたが、技術だけ言うならたしかにお前は上手い。私もギターをやってたから、どれだけ努力してきたかも、お前の動きを見てればわかった」
少し間が空いて、店長さんの視線が一瞬だけ下がるのが見えて、それから「だが」と言葉が続いた。
「お前はそれだけだ。音が小綺麗で、ただ無感動なだけ。つまんないよ、お前の音楽」
「……そう、ですか」
「ちょ、お姉ちゃんそこまで言うことないじゃん!」
「いいんだ、伊地知さん」
「でもっ」
「嘘をつかれてまで慰めるようなことを言われるより、隠さずに言ってくれたほうが何倍もいいよ」
ステージを降りながら伊地知さんにそっと笑いかける。
それで僕が何も気にしていないことが伝わってくれればよかったけれど、あまり納得のいかない表情をしていた。
その顔が嬉しくもあり、申し訳なくもあった。
――僕はやっぱり下手らしい。少なくともギタリストとしては失格だ。
厳しいことを言われることは、覚悟していた。
僕自身伸び悩んでいたことを自覚していたから、店長さんの言葉に反論することはなにひとつとしてなかったし、事実正しいのだと思う。
無感動で、つまらない。
脳内で圧縮された言葉を飲み込む。
心のどこかでは思っていたことでも、受け入れるには少しだけ時間がかかった。
そんな僕をよそに、店長さんはおもむろに話を続けた。
「なぁ、鏡。お前なんでギターやってんの?」
「それは……」
口は不自然なほどに重かった。
「……別に無理に答えなくてもいい。改めて知ったところで私がどうこうできるものじゃないし、口出しするようなものでもない。ここで言いたいのはな、いいか、お前の音はまっさらだってことだ。心揺さぶるような音だとか、一音ごとに熱がこもってるとか、そんなものを語る以前の話だ。強弱もへったくれもない、マシンビートでも聴いてるみたいだったよ」
店長さんはつまりだ、と続けざまに言った。
「空っぽすぎるからどうにかしろってことだ」
「空っぽ」
「譜面にあるだけのものが正しいってわけじゃない。わかるか?」
「……いえ」
「いつかわかるさ。それを弾き続ける限りな」
店長さんが椅子から立ち上がった際にギシリと軋むような音をきっかけに、どことなく今度こそ帰る流れになった。
山田さんだけ少しだけ残るらしく、喜多さんと後藤さんの秀華高のメンバーで帰ることになった。
最初は喜多さんがたくさん話しかけてくれたけれど、僕と後藤さんはそれに頷いたり簡単な言葉を交わすくらいでちっとも会話にならなった。
喜多さんには申し訳なかったが、僕は考えることで手一杯だった。
“いつか”できる。
“いつか”わかる。
じゃあその“いつか”はどこまで続いているのだろう。
距離を尋ねても、誰も教えてはくれない。
近いのか、遠いのか。
それとも誰の目にも映ってないからそもそもわからないのか。
それでもわからないなりに歩いて、必死に前に顔を向けるけれどそこにあるのは暗闇ばかりで。
だからいつまでも停滞しているように思う。
“いつか”なんて言葉が、僕はいつしか嫌いになっていた。
僕ら三人の中に会話はもうなかった。
下北沢の住人たちの雑踏とも呼べるような声が耳に届いては容易く流れていった。
歩きながら、少し遠くにある水色の飴玉みたいな街灯にぼんやりと目を合わせていると、ふと思い出したことがあった。
僕は二人を呼び止めた。
「そういえば後藤さんさ」
「うぇ!? は、はい」
「前に僕の演奏聴いてくれたときあったよね。そのときの感想をたしかもらってなかったと思うんだけど」
「え゛」
「え、そうなの? 後藤さん?」
「えと……そっ、そうでしたっけー……」
「うん、そうだよ。結局あの後なんやかんやで聞けないままだったし」
「あうぅ……」
「……怒ったりなんかしないよ。ただあのとき思ったままことを言ってくれればいい。純粋に、君の感想が知りたいんだ。だから、お願い」
俯いてしまった彼女に、僕は静かに頼み込んだ。
ちらちらとこちらを見上げる視線を感じた。
口を開いたり、閉じたりして言葉になっていない小さな声が漏れだしていた。
そんなことを数回繰り返して、ようやく。
「……あ、あの大体は店長さんと一緒、なんですけど」
「うん」
「ちょっと、ちょっとだけ……あのときの鏡先輩はその……あまり楽しくなさそうにギターを弾く人だなぁって……思いました。あの、ごめんなさい」
「ううん、いいよ。後藤さんは……音楽をやるのに楽しさが必要かい?」
「……はい。絶対に」
「そっか」
駅まではあと十数分は歩く必要があった。
それ以降相変わらず僕らはそろって口を閉ざして、けれどこの空間は決して居心地の悪いものではなくて。
その曖昧な空気の中で、唐突に自分がふがいなく感じて、どうしようもなく空を仰いだ。
二人とは駅で別れた。
当然駅を使ったほうが家に着くのは早いのだが、なんとなく一人で歩いて帰りたい気分だった。
そんなことを伝えると後藤さんたちは慌てだして「早まらないでくださいっ」とか言い出してきた。
僕は何だと思われてるんだろうか。
今日のことを思い出しながら道を歩いた。
駅から離れるほど、人の往来は次第に少なくなり、やがて僕一人だけになった。
靴が地面を叩く音が心地よく聞こえた。
車は一台も走っていなくて、僕を照らすのは街灯の光だけだ。
春とも夏ともいえない季節の夜の風は歯を鳴らすほどでも、かじかむほどでもないけれど、少しだけ肌寒く感じた。
僕は黙って歩いた。
歩いて、歩き続けて……。
ふと視線を横に向ければこじんまりとした公園があった。
一瞬だけ立ち止まって、吸い込まれるようにその公園に足を踏み入れた。
近くのベンチに座り、背負っていたギターケースを開ける。
ストラップを肩にかけて、そこまでやって僕の手は止まった。
――驚くほどに、なにも弾きたくなかった。
「……馬鹿か、僕は」
ため息をついて、悪態をつく。
弾きたくないなら、なんでギターを取り出したんだ。
ベンチに座って、それで終わりでよかっただろ。
こんな夜中にギターを鳴らしたところで迷惑になるだけだ。
そもそもこんな場所なんて通り過ぎてさっさと帰ればよかったんだ。
いろんな考えが頭に浮かんで、僕はその一つひとつに頷いた。
それでも、僕がこうしたのは事実で。
じっとその意味を探したかった。
「――」
そうして何分経ったかもわからない頃に。
頭に思い浮かんだのは、一つの曲だった。
ギターケースからカポタストを取り出す。
耳を澄まし、弦を鳴らす。
曲を構成するすべてを思い出そうとする。
いや、すべてでなくてもいい。
大丈夫だ。
耳が覚えている。
そっと息を吸って、誰にも気づかれないように、歌う。
ただの音じゃなくて、声に出して、歌いたかった。
『未来からの 無邪気なメッセージ 少なくなったな』
『あいまいじゃない 優しさも 記憶に遠く』
『だけど追いかける 君に届くまで』
『慣れないフォームで 走り続けるよ』
『霞む視界に 目を凝らせ』
ギターの音が孤独に響く。
歌は得意なわけじゃない。
むしろ下手なほうだ。
音程は取れるけれど、声は震えて、掠れる。
技術もなにも、僕は知らない。
けれどこのままでいいと思えた。
少なくとも、今は。
なんとなく、喜多さんが聞いたらどんな反応をするのかを少しだけ想像してみた。
笑ってる顔も、苦い顔も、どちらも容易に脳裏に浮かんで、少しだけ頬が緩んだ。
『同じこと叫ぶ 理想家の覚悟』
『つまづいた後の すり傷の痛み』
『懲りずに憧れ 練り上げた嘘が』
『いつかは形を持つと 信じている』
“いつか”を僕は信じてきた。
今も嫌いな言葉だし、きっとこれからもそれは変わらないだろう。
好きになることもない。
でもきっと信じ続ける。
望む世界は遠くて、どこにあるかもわからなくてけれど。
だから信じて進むしかない。
膝をついても、挫けたとしても。
また“いつか”を胸に抱いていよう。
『幼いころの魔法 心で唱えたら』
『安らげることもあるけれど』
コードを弾きながら、僕はそっと空を見上げた。
そこに月も星もない。
けれどたしかに僕の頭上には輝いている。
ただ見えないだけで、隠れてしまっているだけで。
僕はそれを見つけることができていないだけなんだ。
『だけど追いかける 君に届くまで』
『慣れないフォームで 走り続けるよ』
『霞む視界に 目を凝らせ』
曲が終わっても、僕はギターを構えたままでいた。
かといってもう演奏する気は全くなかった。
僕の中には、諦めにも似たどうしようもない感情がこみあげてきていた。
空を見つめていると、視界の端に輝くものが見えた。
最初は星だと思っていたけれど、数秒もすればそれが夜間飛行をする飛行機の灯火だとわかって、おかしくて少し笑う。
ギターをケースにしまい、立ち上がる。
入ってきたところと同じ場所へ向かい、僕は名前も知らないこの公園を出た。
「諦めないから」
偽物を重ねて、その先には何が残って、僕は何者になるのか。
わからないことだらけで、予想もできないけれども、あの偽りの光だって輝いて、空を飛べるのなら。
本物の星を探してそこに手を伸ばし続けることを、まだ止めたくはなかった。