カナリヤの慟哭   作:椎名リオ

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オーディション

 空は厚く、鉛色の雲が覆って空を幾分か地上へと近いように見せかけている。

 校舎裏にできた影に隠れるように座りながら、僕はいつもどおりギターを弾く。

 ここ最近間違えてばかりのフレーズを、同じようにまた間違えた。

 そんな僕から数歩ほど離れて、後藤さんがこちらをうかがっている。

 僕は小休止がてら彼女に調子を尋ねる。

 そうすると後藤さんはなんとも言い難い苦い笑みを浮かべながら、「大丈夫です」と答える。

 何が大丈夫なのかいつもわからなくて、でもその言葉の深い理由を知ってもどうすることができないから、影になったままのそれに光を照らすことなくありのままに頷く。

 そんな会話を、毎日続けている気がする。

 

 天気だったり気温だったりを除けば、一見それらはすべて僕らが過ごしてきた日と変わり映えがなくて、まるで同じ一日を何回も繰り返しているみたいだった。

 

 

 そんな馬鹿な話があるかと、一人頭を振る。

 

 

 後藤さんに目を向けると、彼女との距離が遠くなった気がする。近いはずなのに、遠く感じる。

 いや、それはきっと事実なんだろう。

 そっと視線を手前に向ける。そこには何の変哲もない、蟻の一匹すら歩いていない地面があるだけだ。

 ほぼ無意識に彼女の影を探す。そうして後ろ姿を思い出す。

 できれば今日、話し合いたかった。そして僕がなにか彼女の気に触れるようなことをしてしまったのなら、謝りたかった。

 

 でもそれは叶わなそうで。

 結局、望み通りにはならないままそこを去ることになった。

 

 

 喜多さんがその日来ることはなかった。

 

 

 

 

 後藤さんと別れた後、僕はスターリーに足を運んだ。平日だけどライブの準備があるとのことで、その手伝いをすることになっていた。

 店長さんやPAさんに軽く挨拶をして、机や椅子の整理から始めることにした。

 カウンターの台を拭き終えてからなんとなくエントランスを見渡した。バンドも客も、もちろん練習で忙しい結束バンドの皆も入っていないそこは束の間の静寂で満ちていた。

 

 そしてそっと息をついた。

 

 疲れたわけじゃない。仕事に飽きたわけでもない。ただ、自分に呆れただけだ。

 山田さんは勝手に仕事をサボって、それを伊地知さんが叱って、喜多さんはさりげなく山田さんの肩を持ちながら仲介して、後藤さんはあわあわとしながらもしっかりと見守っている。

 そんな自分以外の、四人の影を無意識に探してしまっていた。

 

 ──僕は変わったんだろうか。きっとそうなのだろう。母さんがそうであったように、伊地知さんがそうであったように。僕も気がつかないうちに変わってる。

 

 でも。

 一人でいることにわずかな苦痛を覚えるようになったことが、果たしていいことなのだろうか。

 

 

「……て、手伝おっか?」

 

 

 声の方向に振り返ると、伊地知さんが後ろに手を組みながらいつもよりぎこちない笑みを浮かべながら立っていた。

 

 

「あ、あぁ。伊地知さん……帰ってたんだ」

 

「今さっきね」

 

「いやでも……僕の仕事を手伝うより、オーディションに専念したほうがいいんじゃないかな。ほら、あと少しでしょ?」

 

 

 どう考えたって、そのほうがいい。いくら彼女が関係者とはいえ、店長さんだってきっと僕と同じように答えるだろう。

 

 

「そう、だね。うん、でも気にしないで。私がやりたいだけだから……それにこれからライブがあるって考えるとあんまり集中できなそうだし」

 

「そういうもの?」

 

「そういうものなの」

 

「なら……任せるよ」

 

「うん!」

 

 

 表面上、僕らの態度は普段と変わりなかった。けれどやっぱりどこか違った。

 弦を張り替えたギターのような一見変化のない状況に、それでも僕らは気がついていた。

 無言で作業をする。しかし会話がないというわけでもない。互いに言い淀んで、互いに何度目かもわからない「やっぱりなんでもない」を繰り返すそれを、果たして会話といってもいいのかとも思うけれど。

 

 一通りやることを終え、数分間の休憩に入る。近くの椅子を引いて、座る。遅れて伊地知さんも僕と向かい合うように座ってから、僕に紙コップに入った水を差しだした。

 

 

「ありがとう」

 

 

 そう言って受け取ると、軽く彼女の指に触れた。

 無意識にあの時のことがフラッシュバックして、目を伏せた。ちらりと伊地知さんに視線を向けると、両手でコップを包み込むように持ちながら、その水面を見つめているようだった。耳にかけていた髪がはらりと重力に従って、落ちる。少しだけ、伊地知さんの耳は赤かった。

 

 

「……」

 

「……」

 

 

 再び無言が続いた。

 伝えたいことがないわけじゃない。

 まだまだ話し足りないくらいだ。

 だって、僕らは小学生からの幼馴染で、友人同士で…………。

 

 でもこうして今も口をつぐんでしまうのは、どうしようもない事実だった。

 

 

「ずっと、変わらないと思っていたんだ」

 

 

 コップの中の水で何度も口を濡らして、ようやく言えた。

 

 

「……なにが?」

 

「いろんなこと」

 

「あいまいだね」

 

「本当に、いろんなことだよ。僕はずっとこうして一人でギターを弾いているものだと思ってた。けど気がついたら君たちが僕の隣にいた。あと、ここに限らずバイトなんてするつもりもなかった」

 

 

 ギターはマイナスな方向へ行っている気がするし、上達の兆しが見えない。そればっかりはいい意味で変わってほしかったなと内心思う。

 

 

「君とも……僕はずっと友達のままだと思ってたよ」

 

 

 ずっと友情を持っていられると、そう本気で考えていた。

 でも実際はどうだろう。僕は伊地知さんのことを理解しているつもりで、彼女の心の内なんて全くと言っていいほど見通せていなかった。伊地知さんの葛藤を見て見ぬふりどころかその実態さえ認識できず、それでも僕は能天気に彼女のことを友人と呼んでいたんだ。

 実に滑稽な話で、笑えてくる。

 

 

「そう……だね。私も、そう思ってた」

 

 

 伊地知さんが伏せていた顔を上げて、笑う。おかしいものを見たように、ほんの少しだけ、照れるように。

 

 

「でも優くんとずっと友達なんて、私は嫌だな」

 

「……」

 

「中学のとき、いつも隣の席を眺めてた。そこには当たり前にクラスメイトがいて、友達になるんだけど……その人の顔を見るたびに悲しくなるんだ。ある時なんでだろうって考えて……そしたら驚くくらい簡単に答えがでた」

 

「……君はそういう感情とは無縁だと思ってた」

 

「誰かを好きになるってことに?」

 

「違う。伊地知さんは誰とも仲良くできるから、そういう寂しさなんて簡単に忘れられるじゃないかと」

 

「あはは、そんなことないよ。私だって、普通の人だもん。それに大事な思い出はいつだって、忘れたくないし」

 

 

 壁に掛けられた時計を見てから伊地知さんは席を立った。僕も遅れて立ち上がる。

 

 

「ねぇ、伊地知さん」

 

 

 彼女は背中を向けながら立ち止まった。振り返ることはなかった。

 それでいいと思った。それがいいとひどく安心した。

 僕は君と違って、弱いから。顔を向かい合わせてこんなことを言うことはもう少し時間がかかりそうだけど。

 

 でも、これだけは言わないといけないんだ。

 

 

「あと少しだけ、悩んでもいいかな」

 

 

 言い換えればそれは子供じみたわがままで、それでいて伊地知さんにとってなんのメリットもない、理想とはかけ離れた言葉だ。

 それでも、僕にとっては何よりも大切なもので、彼女とを繋ぐ細い糸のようなもので。

 

 だから彼女がどう答えるかなんて、とうにわかりきっていたことだった。

 

 こんなずるい言葉でしか、僕はもう彼女との繋がりを確かめられなかった。

 

 

「いいよ」

 

 

 短く、しかしはっきりと。

 それだけを言って、歩き去った。

 追いかける気にはなれなかった。背中を追ってしまったら、彼女はきっと僕の手を取ってしまう。そして困った表情をしながらも、すべてを許してしまう。

 

 だから。

 

 僕は今度こそ自分の力で、伊地知さんの隣に立たなくてはいけないんだ。

 友人として、幼馴染として、親友だったかもしれない者として。

 

 僕にとって、君のためのただ一つの答えを、探し出さなくてはいけない。

 

 

 

 *     *     *

 

 

 

 オーディションの日。

 スターリーに向かっている途中で背中から話しかけられた。

 その見違えようのない綺麗な赤い髪を持つ人を僕は一人しか知らない。

 

 

「師匠、こんにちは。偶然ですね」

 

「そう……だね。数日あってないだけだけど、すごく久しぶりに感じる」

 

「おおげさですねぇ、一日か二日会わなかっただけじゃないですか……せっかくですし、一緒に行きましょうか」

 

「うん……そうしよっか」

 

 

 ただ静かに、足並みをそろえて目的の場所へと向かう。その途中で喜多さんは申し訳なさそうに若干顔を歪ませて、話し始めた。

 

 

「師匠、ごめんなさい。練習に行けなかったこと」

 

「それは別にいいんだけど……君がいきなり走り去るものだから、後藤さんはずいぶんびっくりしてたよ」

 

「師匠は?」

 

「僕も驚いたよ。あと……君に嫌われるようなことをしてしまったのかと思った」

 

「そんなことありませんよ。あれは……本当に用事があって」

 

「そう」

 

 

 たとえ嘘でも、その言葉が聞けてほっとした。

 人に嫌われるのはいつだって心が痛くなる。

 

 

「オーディション、大丈夫そう?」

 

「大丈夫です、たぶん」

 

「たぶん」

 

 

 曖昧な表現だ。でも喜多さんが緊張している様子はないし、僕の心配のしすぎだろう。

 

 

「ぜったい大丈夫、なんて言えませんよ。ただ、今ある全力を出し切ればなんとかなるかなって」

 

「みんなとは練習した?」

 

「はい、昨日。出来とか感触とかは……よくわかりませんけど」

 

「まぁなら大丈夫じゃないかな。特に大きな問題がなければ、平気だよ」

 

 

 波風の立たない、穏やかで表面だけの会話だ。

 音楽の話だったり、学校のことだったり、山田さんのことだったり、話題は行ったり来たりを繰り返した。

 

 本来話し合うことはもっとあるはずなのに、そこに踏み込めない。

 隣を見ると喜多さんはいつも通り明るい表情をしていて、僕の視線に気がつくと軽く首を傾けた。

 

 

「どうしました?」

 

「いや──」

 

 

 なんでもないと言いかけた。

 なんでもないわけがないと否定したかった。

 

 一瞬のうちに矛盾して空回りした声は音になることもなく、ただのなんでもない吐息として僕の口からでた。

 

 

「気にしないで」

 

 

「そうですか」

 

 

 喜多さんはそう言った。

 それから少しだけ悲しそうに、微笑んだ。

 どうしてそんな顔をするのか、やっぱり僕はわからなくて。それもささいな疑問かと勝手に飲み込んで。きっと尋ねたところで喜多さんは答えてくれないだろうと思い込んでしまう。

 

 ──僕と喜多さんは友達だろう。

 もちろん、友達だ。学年は一年離れて、年も違うけれど、僕は少なからずそう思っているし、その関係を壊したくはない。壊れてほしくない。

 

 だから、傷ついてほしくもない。

 

 

「喜多さん」

 

「はい」

 

「頑張ってね」

 

 

 そんないい加減な優しい言葉が、なによりも卑怯に感じた。

 

 

 

 

 

「それじゃ……始めるか」

 

 

 ステージの真正面に設置された長机に頬杖を突きながら、店長さんが言った。

 店長さんの隣にはPAさんが座っていて、僕も二人に倣ってもう一つ知らないうちに用意されていた椅子に腰かけた。

 

 

「ふふふ……」

 

「……なにか用でも? PAさん」

 

「いいえ? なにも」

 

「じゃあなんでステージじゃなくて僕のほうを見てるんですか」

 

「んー……なんとなくですかねぇ~」

 

「はぁ、そうですか」

 

 

 ……まぁ、できれば店長さんに真ん中に座ってもらってPAさんとの距離を空けたかったのだけど、仕方がない。オーディションが終わるまでの辛抱だ。

 

 

「そういえば店長さん。今更な話ではあるんですけど」

 

「なに」

 

「僕とPAさんって一応審査員ってこと……ですよね」

 

「そうだな」

 

「で、店長さんも審査員で、でも最終的な決定権は店長さんにあるんですよね」

 

「うん」

 

「じゃあ僕とPAさんいらなくないですか?」

 

「……」

 

「…………」

 

「………………そろそろ始まるぞ」

 

「あの」

 

「始まるぞ」

 

「いや、だから」

 

「鏡」

 

「はい」

 

「黙れ」

 

「はい。わかりました黙ります」

 

 

 あとどさくさに紛れてPAさんは頭を撫でないでください。

 

 やがて準備が整って、若干緊張した面持ちで伊地知さんがマイクに声を吹きかけた。

 

 

「結束バンドです! じゃあ……『ギターと孤独と蒼い惑星』って曲……やります!」

 

 

 彼女たちの演奏に口を閉じて、その音に耳を傾ける。

 それは店長さんとPAさんもそうだった。その瞬間から、僕らは何物でもなく、ただの観客になったのだから、そうすることは当然といえば当然だった。

 スポットライトに照らされるステージ上の四人を見上げる。しかし次第に視線は徐々に下がっていってしまう。

 その無意識の動作の意味を答えたくはなかったが、言い逃れようもなく"飽き"がきてしまっているのは事実でもあった。

 

 なんだって、きっかけは小さなことから始まる。

 これまで一度も四人とも目が合わないことにふと気がついたとき、彼女たちの演奏はなんだか壁を作っているように思えてしまった。客に見せるための音楽ではなくて、仲間同士でやる独りよがりなものに近かった。

 思わず顔が歪む。

 

 ──なんだか、僕みたいな演奏だ。

 

 誰もかれもが殻に閉じこもって、自分ばかりの演奏をしている。そうして自分だけの満足を求めてしまっている気がする。

 それもいいだろう。そんな音楽があってもいいだろう。

 ロックがこうあるべきだなんて、そんな偉そうなことを一体誰が言えるんだろう。

 

 でも、君たちが僕みたいになるのはなんだか違う。

 

 

 そう思ったとき、雷鳴が轟いた。

 

 伏せていた目線を上げればそれがまったくの幻だったことにはすぐに気がついた。

 

 目の前には変わらない光景。結束バンドの四人が変わらず演奏に集中している。

 でも彼女たちを纏う雰囲気と、何よりもその音が数秒前とは格段に変化していた。

 

 導かれるように、僕はゆっくりと彼女を見つめた。

 

 

「後藤さん……?」

 

 

 間違いでなければ。

 勘違いでないなら。

 

 今さっき、彼女のギターから懐かしい音が聞こえた。

 

 

「──鏡? おい、聞いてんのか?」

 

「え?」

 

「なんかこいつらに一言」

 

 

 店長さんの指先をたどると、顔が強張っている四人が立っている。

 

 

「あの、演奏は」

 

「……お前、寝てたのか? もう終わったよ」

 

「そうですか。別に寝ていたわけではなくて、その……なんて言おうか考えてて」

 

「あっそう。で、感想は」

 

 

 僕はメンバーたちと向き合う。それぞれが佇まいを正した。

 

 

「えっと……そうだな、先に走ってしまっているところもあったし、音が重なるべきところはズレてしまっていたし……バンドとしての一体感は正直感じられなかった。でも」

 

 

 ちらりと後藤さんを見る。

 

 

「途中でそれぞれの演奏に耳を傾けられたみたいなのは、よかったと思う」

 

「……だとよ。ようするにこれからに期待ってところだな」

 

「……ん? 評価的にはけっこう悪い……?」

 

「捉え方はお任せで」

 

「……え……と、お姉ちゃんは?」

 

 

 恐る恐るといった様子で、伊地知さんが尋ねる。

 

 

「……ま、ほとんど同じだな。ギター二人は下向きすぎだし、ベースは少し走り気味、ドラムは肩に力が入っているせいでリズムが若干崩れてた。でもお前らがどんなバンドなのかは十分わかったよ」

 

「あ、ありがとう……ございました」

 

 

 消え入りそうな声が反響する。そのあとに奇妙な静けさが広がる。

 

 

「……ん? なにその反応? ここ喜ぶところじゃないの」

 

「だって……」

 

「たぶん合格ってことだと思いますよー」

 

「え?」

 

 

 PAさんの言葉に続いて、僕も店長さんに尋ねる。

 

 

「……どうなんですか、店長さん?」

 

「だからそう言ってるだろ。合格だよ、合格」

 

「もー! お姉ちゃんわかりにくすぎ!」

 

「やったー! 後藤さん合格ですって!」

 

 

 喜色にあふれる姿の前で、安堵の息が口からでた。

 こういう結果が訪れたことにひとまず安心する。

 横を見ると店長さんも僕と同じように息をついていた。

 僕が視線を送っていること気がつくと、居心地が悪そうに顔をそらした。

 

 それをきっかけに、僕も視線を前に戻して結束バンドのみんなを……特に後藤さんを見る。

 

 ──彼女、さっきありえないことをしなかったか。

 

 数分前の演奏を思い出す。中途半端だったあの四人の音が、後藤さんの演奏で急激に変わった。

 まるでゼロだったものがいきなり百になるみたいに、一瞬のことではあったけれど後藤さんは確かに完璧な演奏をした。

 今までイヤホン越しに聴いてきた、常人とは違う世界にいるようなプロの演奏の雰囲気をまとって。

 

 信じられない。

 今だって、半信半疑だ。

 でも、半分は信じかけている。

 

 後藤さんは僕たちが想像していた以上の実力を……

 

 

「でも後藤さんやっぱりすごかったわ!」

 

「うっ! 喜多さんすいません……」

 

「え? ちょ、後藤さん? 後藤さーん!!」

 

「あっ、ぼっちが吐いた」

 

「なんでー!?」

 

 

 ……まぁ、気のせいか。

 

 

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