基本自分は書きたい場面が点々としか浮かばないので、その話に至るまでの連結が本当に壊滅的です。
「ねぇ喜多さん、今更なんだけど君が入ったバンドってどんな名前だっけ」
昼休み、僕はFコードを押さえることに苦労している彼女にそう尋ねていた。一弦一弦を慎重に弾いている。指のフォームはあってるのになぜか音が鳴らないことに、音を上げそうになっていた。僕にもあんなときがあったな、なんてふと思う。
「あれ、そういえば言ってませんでしたっけ。えーっと、ちょっと
「……うん」
「その、結束バンドっていいます」
「……そっか……いや、そっか」
道理でなんか変な予感がしたんだ。昨日の時点で気づくべきだったんだろうけれど。
そっと視線をスマホの液晶に落とす。伊地知さんとのデフォルメされたメッセージの吹き出しを上から順に、確認してみる。
『スターリーって場所は調べてわかったんだけど、君の入ってるバンドってどんな名前?』
これが僕。送信したのは朝で家を出る前くらい。そこから何時間か経って、今さっき昼休みが始まったくらいに返信が来た。
『けss』
なんか暗号が返ってきた。なんだ『けss』って。とりあえず普通に彼女の安否が気になったので『大丈夫?』と返すと、すぐに『友達にスマホ奪われてた』と返事が返ってきた。
それからやたらと『この名前わたしが考えたんじゃないから』とか『実際変えたいと思ってて』とかいって予防線を張ってきて、やっと答えてくれた。
『結束バンドです……』
『まぁ、いい名前だね』
うん……そういう路線で行くんだね、伊地知さん。まぁでも覚えやすいから意外といい名前なのかもしれない。
つい適当に返事をしてしまって、でも正直さっきのやり取りで疲れたからもうこれでいいやと思いながら、ポケットにしまったのが教室をでる前のこと。
校舎裏にたどり着くまでやたらと通知が鳴っていたので、何事かと思って取り出したのが今の現状だ。不思議なことに伊地知さんからのメッセージは一つもなくて、多分誰かと間違って送ったんだなと勝手に予想をつけた。
それよりもっと大事なのは喜多さんがその結束バンドに入っている事実のほうで、期日までにギターの腕をそれなりにしておかないと伊地知さんにも迷惑がかかる。事情を話そうにも、喜多さんは例のリョウ先輩にギターが弾けないことが判明するのを恐れてる様子だし、伊地知さんにだけ話しても何の解決にもならない。
つまるところ、僕一人で喜多さんの技術を上達させるしかなかった。というか思っていた以上に責任重大な立場になっていた。
「はぁ……」
「あ、師匠―! 今、音出ましたよ! Fコード弾けましたよー」
「喜多さん」
「はい!」
「ごめんね、たぶん滅茶苦茶スパルタにいくと思う」
「え」
「指の皮剥けるかもしれないけど痛くなっても頑張ってね。あと譜面は明後日までには覚えて、ゆっくりでいいから一通り弾けるようになってくれてると嬉しいな」
許してくれ、喜多さん。友人の面目を保つためなんだ。
僕の言っていることがようやく飲み込めたのか、あるいは考えることをやめたのか、彼女は笑顔のまま硬直してしまった。
「固まってる暇あるなら、練習しよっか」
心を鬼にして、僕は喜多さんにデコピンをした。
* * *
あのあと喜多さんは一週間かけて、ほとんど完璧に本番に演奏する曲を弾けるようになった。喜多さんは一週間もかかってしまったことを謝っていたけれど、こちらとしては一週間であの無茶をこなせたのが驚きだった。
もちろん原曲通りのスピードでは無理だが、ゆっくりなら一曲弾き通せるポテンシャルを喜多さんは短い期間で培ったのだ。何も至らないところなんてないし、むしろ誇るところしかない。
ただすべてが順調なわけではなくて、コードチェンジがたまに間に合わない箇所があったり、改善の余地は十分にある。
それでも、喜多さんは十分すぎるほどに上手くなった。誰も彼女が二週間前にギターを始めた初心者とは信じないほどに。
……ということを僕は何分も喜多さんに説明していた。
五月九日。端的に言うならエックスデー。こうして話している場所も今日の目的の場所のライブハウスSTARRYへと続く階段の上だった。
「自信持ちなよ。喜多さん。君は正直僕の想像以上のところまでいったよ」
「うぅ、でもですよ……わたしゆっくりでしか弾けなくて、リョウ先輩に幻滅されるんじゃないかと思うと……」
「気持ちはわかるけどさ」
なんか今日の喜多さんやりづらいな。こんなにナイーブな人だっただろうか。
俯いたままの彼女をそっと見やる。表情は見えない。けれど簡単に想像できる。手先は震えている。それは決して寒いからではなく、喜多さん自身の感情の揺れ動きから来ているものだ。恐怖と使命感。今の彼女にあるのはそれだけだ。
「……喜多さん、ギターは重い?」
「え?」
「君がギターと間違えて買ったベースを持ってきた日、貸したギターだよ。まさに今背負っている。それが重いかと訊いてるんだ」
「……重い、です」
「だろうね。なら教えてあげようか、それが軽くなる方法を」
階段下の暗闇の中で怪しく発光し続ける『STARRY』の文字を見つめる。それ以外に光は何もない。陽光すらも途中で途切れていて、圧迫感すらある。見る人が見れば、非現実の空間のようにすら思えるだろう。
僕は暗闇のその先を見据えて、彼女に言った。
「一つは、今僕にそのギターを返して家に帰ること」
隣からひゅっと息が詰まる音が聞こえた。
「この場合、君はいろんな心配から解放される。ギターは最悪バンドに頼んで僕が弾けばいい。誰かと合わせて演奏するなんて久しぶりだけど、少なくとも喜多さんよりかは上手くやる自信がある。あぁ、別に僕は怒ったりしないよ。ギターを突き返されても、二週間練習に付き合ったことをなかったことにされても。ただ、君の言うリョウ先輩のことはわからない。怒るかもしれないし、今後君とは連絡は取らないかもしれない」
「……」
「二つ目は、いる?」
「……いいえ。いらないわ」
喜多さんは大きく深呼吸をしてから、そう答えた。
それからゆっくりと、地下への道を歩みだした。ぎこちなく、緩慢に。けれどしっかりと、確かな歩調で。彼女はゆっくりと階段を下りていった。
日向と日陰の境目のところまで下りると、喜多さんはおもむろにこちらを見上げるように振り返った。
「師匠って、いじわるなのね」
優しく笑って、それだけを呟いて。彼女はドアの開閉音とともに暗闇の向こうへ消えていった。
僕はそっと息をついた。
結局のところ、本当にあの緊張から解放されるのは一つしかない。ステージに立って、自分の信じるギターをかき鳴らすしか方法はないんだ。今までの自分を信じて、一瞬の迷いも見せてはならない。ことこういうことに関しては、緊張は鎖で毒だ。泥沼のように思考は鈍り、実力は落ちる。
喜多さんはまだ一歩を踏み出したに過ぎない。もしかしたらステージでも失敗をするかもしれない。憧れているリョウ先輩にも、もしかしたら呆れられるかもしれない。
今回、喜多さんが選んだのは間違いなく苦しいものだったと思う。
けれど僕は彼女が一つ目の選択肢を選ばなかったことにひどく安心したし、なにより嬉しかった。
今日、一人のギタリストが生まれた。
それが僕は果てしなく――嬉しかったんだ。
* * *
チケット購入が可能になるにはまだ結構な時間があったので、一人手頃な公園を見つけに散策をしていた。実をいうと僕は公園が結構好きだ。静かなところだとなおいい。家族のことを気にせずにギターが練習できるというのは言わずもがなだが、寂れた遊具に囲まれた中でいると同族意識のようなものが働いて、非常に落ち着くという理由もある。クラスメイトや伊地知さんにも話したことはあるが、今のところ誰一人として理解者は現れていない。
歩きながら今日のライブのことを考えた。喜多さんにはできるなら成功といえる演奏をしてほしい。二週間前の自分と比べて、どれほど成長したかを実感してほしい。
伊地知さんに関してはどんなドラムを叩くのかが気になる。てっきり僕は彼女のお姉さんと同じギターを選んでいると思っていたから、きっと伊地知さんなりのドラムの魅力を見つけて、それを感じさせる演奏をするんじゃないかと密かに期待している。
「そういえば、師匠役もこれで御免か」
青空を見上げ、なんとなしに呟く。軽く口から出たわりに、次第にその言葉は重みを増していった。
寂しくないといえば、嘘になる。でもわざわざ喜多さんに言うことでも、お願いすることでもない。「できればこれからも僕の弟子でいてください」なんて弟子に頼む師匠が一体どこにいるのか。
そんな頭の片隅にあったどうでもいいことを掘り起こしながら何の変哲もない住宅街を歩いていると、ポツンと取り残されたように小さな公園が姿を現した。砂場とブランコ、鉄棒とすべり台にベンチが二つ。あとは一つだけ奇を衒ったのか回転式のジャングルジムがこの公園の存在を主張するかのように中央にあった。
人は少ない。入口から入ってすぐ左のベンチにスーツを着た男性が一人。ブランコにピンクの見覚えのあるジャージを着てギターケースを背負っている女子高生が一人。よくよく見ると自分が通っている秀華高の指定のジャージだった。どことなく表情が暗く、なんかショックなことでもあったのだろうかと邪推する。
一瞬二人分の視線を感じたが、かまわず左奥、すべり台の隣のベンチに腰掛ける。いつも通りギターを取り出し、いつも通りに練習をする。わかり切ってはいたことだが、もちろん納得のいくものではなかった。けれどいつもとは違う場所で久々に弾いたから、なんとなく清々しい気分ではあった。
ノートを取り出そうとすると、まばらな拍手が聞こえてきた。視線を向けると先ほどのスーツの男性と、いつの間にかやってきていた男性の家族であろう女性と幼い女の子が僕に送ってくれていた。
笑って軽く会釈をすると、男性はもう一度軽く頭を下げ、二人と一緒に公園を後にした。こういうことは何回かあって、最近はもう慣れてしまった。
僕ももうそろそろライブハウスのほうに向かおうか。
ゆっくりと片付けをして、ベンチから立ち上がる。背伸びをして、固まっていた肩をほぐす。
「あっ、あのっ!」
振り向くとブランコに座っていた少女が立ち上がって僕のほうを向いていた。
「あ……あ……あっ……」
「……」
「カッ……」
「……か?」
「……や、やっぱりなんでもないですはい」
彼女はそう言って顔をそらした。女子高生というには挙動が不審で、どう見てもなんでもないという言葉に信憑性は全くなかった。
とりあえず僕は公園を出ようとしていた足の向きを変え、ブランコのほうへ向かうことにした。ブランコの周りを囲う柵の外で立ち止まり、なるべく警戒させないように笑って見せる。
「どうしたの? なんか道に迷ったとか?」
「……あ、いやそういうのではないん、ですけど」
「そうなんだ。えっとそれじゃあ……んー人間観察?」
「……えっと」
「あ、違う?」
「は、はい」
とりあえず女子高生が公園で一人でいるそれっぽい理由を適当に上げてみる。彼女の様子を見る限りだと、話すのが苦手なようだったからなにか切り出せるきっかけになればいいと思ったんだけど、失敗に終わった。
最初に見た彼女の顔といい、明らかなにかに悩んでそうだったし、可能なら力になってあげたかった。いつもだったらこうは思わないはずなのだが、彼女の姿を見ていると無性に自分を閉ざしていたときの昔の自分を思い出してしまう。
話題に悩んでいると、彼女は自信なさげに声を震わせて口を開いた。
「あっ、あの! カナリヤさん、だったり……」
「え、いま、なんて」
「あそうですよね人違いでした申し訳ありませんでした!」
「あっ! ま、待って!」
「ぴぃ!?」
逃げ出そうとする名前も知らない彼女の肩を掴む。僕は必死だった。最も憧れていて、けれどきっとたどり着けないと思っている人の名前が聞こえたから。僕は彼女の口からどうしてその名前が出た理由を知りたかった。
『カナリヤ』は、父さんが動画投稿をしていたときのチャンネルの名前だった。
「君の、話を、聞かせて」
青ざめる彼女を連れ戻し、僕たちは二人ブランコにそれぞれ座った。
どこか苦し気に軋む音が、鼓膜を震わせた。
おまけ ~ある日の下北沢高校~
「虹夏、どうしたの」
「わたしはどうしてあのバンド名をもっと必死で止めなかったのかと後悔しているところ」
「なんで? 覚えやすいじゃん」
「そこは同意するけどそれだけじゃん……あーなんて送ったらいいの……」
「普通に送ればいい。別に恥ずかしいことはなにもない」
「いや恥ずかしいよ!? 絶対寒いって思われるから!」
「……で、誰に送るの」
「あー、昔からの友達でさ。最近たまたま会って、今度のライブ来てくれるっていうから、それで」
「ふーん……調子がいいのもそのおかげ?」
「えー、そう? 普通だと思うよ」
「虹夏、顔赤いよ。ごまかし方下手」
「へっ?」
「隙あり」
「えっ、あっ、っちょ、リュウ! スマホ取るな!」
「えーっと『結束バンド。わたしが考えて』……」
「なななにを打ってる!? 返して!」
「虹夏やめて、ひっぱらないで。まだ途中」
「やめてはこっちが言いたいよ!? いいから! はやく! 返して!」
「うぐっ! 首っ……にじか、これしまって……」
奮闘の結果 「けss」