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ライブが終わった後、僕はロビーにある椅子に腰かけ、机に頬杖を突いた。視線をどこに定めることもなく、ただぼーっと先ほどまで一緒の空間にいた名前も知らない観客たちを眺めた。足早にここを後にする人、友人と語り合う人、なにやら手元のスマホを熱心に見つめている人。全員が同じ行動をしているわけじゃなく、けれどそれが分かったところでなにも意味なんてないことを実感し、僕はそっとスマホの電源を入れた。
動画投稿のサイトを開いて、検索欄に『カナリヤ』と入力する。検索結果からチャンネルに飛ぶ。
……ここを開いたのもいつぶりだろうか。数か月だった気もするし、数年単位だった気もする。いづれにしても僕にとってここが久しいものであることに違いはない。
父さんの音を、演奏を目指しているというのに、本人の映像を全く見ていなかったのは僕の弱さのせいだ。
目標の高さを実感させられるのが怖かった。命をすり減らすような思いで登ってきたのに、頂上まであとどれくらいかなんて僕は知りたくはなかった。
どうしても父さんに近づいている気がしない。
そんなことを考えている時点で、まだ駄目なんだ。そんな曖昧にぼやかしたままでいたかった。
けれど、いい加減僕も現実を見るべきだろう。
彼女は必死に努力して、見事やりきったというのに、僕はどうだろう。
今日の喜多さんの姿を見て、ひどく自分が情けなく感じた。
僕は、前を向かなくてはならない。
「……」
イヤホンを取り出して耳に着ける。動画一覧に僕が練習している曲はない。あるのはカバー曲だけで、それも流行りのものではない父さんが好きだった曲しかない。
それでも動画で演奏されている音に耳をすませば、僕が弾くときとは全く違う音色を響かせているのがわかった。
「……はぁ」
「なぁ~にみてるの?」
「っ……あぁ、伊地知さん、と……喜多、さん」
「ギターの動画ですか?」
「……うん。全然見てなかったんだけど、久しぶりに見てみようかなって」
いつ近づいたのか、すぐ横に二人がいた。僕は軽く笑って、そっとスマホの電源を落とした。
「いやーそれにしてもよかったー! まだ優くんいてくれて! これから反省会しようと思ってさ」
「反省会? えっと、喜多さんと二人で?」
「まぁほんとは全員で……ってあれ? 優くん喜多さんと知り合い?」
「前に話した後輩」
「あーあれって喜多ちゃんのことだったんだ。初心者っていうには上手だったからどうりで」
「あっ、いえいえそんな……。師匠が一から教えてくれたおかげで」
「……ん? し、師匠?」
「まぁ、うん。語弊のないように言っておくと最初からそう呼ばれた」
「そう、なんだ」
どこか納得のいかない、伊地知さんはそんな顔を一瞬だけ浮かべた。
「……話し戻すけど、後藤さんとかもう一人のベースの人は?」
「ぼっちちゃんは疲れて勝手に帰っちゃって」
「ぼっちちゃん?」
「……後藤さんのあだ名です」
耳打ちで喜多さんが教えてくれた。
「……それ結構攻めたあだ名じゃない? 後藤さんに確認したの?」
「なんかリョウが……あ、うちのベースね。勝手につけちゃって、本人もなんか初めてあだ名とかつけられたられて嬉しそうで、まぁぼっちちゃんがいいならいっかなって……成り行きで」
「そ、そう……ならいい、のか?」
それはそれでネーミングに問題がある気がしなくもないけれど、ひとまずそれで納得しようと飲み込んだ。
「リョウ先輩も疲れて寝ちゃってます。ぐっすりです」
「……なんか伊地知さんがバンド名変えたがってた理由がなんとなくわかった気がする」
「うぅ、そういう意味ではないんだけど否定できない……」
伊地知さんは頭を抱え、喜多さんもごまかす様に苦々しく笑った。
「……とりあえず座れば? 改善点とか出せる身分じゃないけど、愚痴くらいだったらきくよ」
時間が来るまで、いくらでも。
そうはいったが、伊地知さんはお姉さんに機材の片づけに借り出されるその時まで遠慮なく話し続けてくれた。彼女の話に僕は静かに耳を傾けた。
彼女は本当によく笑う。あの夜に話した時より表情も柔らかかった。ライブが終わったという解放感もあるのかもしれない。ともかく昔となんら変わりのない調子で、こんな風に話せるのは僕としてもありがたかった。
ただ少しだけ気がかりなのは――。
「……はぁ」
「……」
喜多さんがため息をつく姿を、僕は初めて見たかもしれない。
* * *
スターリーを後にして、僕は喜多さんと一緒に帰路に着くことになった。
空はとっくに暗く、街灯が頼りなく太陽の代わりを担っていた。だというのに昼間よりも人の声がよく耳に届いた。
曇ってばかりの星の見えない夜空に視線を向けつつ、隣を歩く喜多さんに問いかけた。
「喜多さん」
「……あっ、はい! なんでしょう」
「元気なさそうだね」
「そんなことないですよっ! 疲れてもないですし、わたし結構体力ありますから」
「そう。じゃあ気のせいか」
「……はい。きっと、そうです」
それっきり、僕らは閉口した。
話したいことがないわけじゃない。喜多さんに伝えたいことがいくつもあって、けれどどれから話すべきか、どンな言葉を彼女にかければいいかずっと悩んだ。
思いついたことも、いざ口に出そうとすると間違いなように感じて、結局僕は無言のまま歩き続けた。
星は隠れたまま、雲に紛れたまま僕の言いたいことは見つからない。
挙句の果てには、もう彼女に言葉をかける必要はないのではないかとさえ思えてきた。
高校生になった僕らは大人ではないかもしれないが、子供でもない。
次第に歩き続けると次第に人は数を減らし、それに比例するように視界に入り込む光量も減った。今はもう、家々から漏れ出る明かりと街灯くらいだ。
視線を前に向けると暗闇の先に無機質に白く輝く自販機がぽつんと佇んでいた。
せめて、彼女を労うくらいはやってやりたかった。隣を歩く喜多さんより先に自販機に寄る。
「喜多さん、なにか飲みたいものある? せっかくだし奢るよ」
「……いえ、大丈夫です」
「あっ、別にお金の心配なんていらないよ。ジュースの一本もあげられないほどの貧乏人じゃないし」
「……」
「ついでだし僕も買おっかな。まあ、さっきライブハウスで烏龍茶飲んじゃったからあんまり喉は乾いてないんだけど……んー……そうだなぁ。レモネードにしよっかな、なんか新登場っぽいし。喜多さんは」
「わたしは、」
自販機に向けていた目を喜多さんに向ける。なにかを堪えるような弱々しい声だった。俯く彼女の顔は光の陰に隠れていてみえない。目の前の赤い髪だけが、背後のLEDによって鮮やかに照らされていた。
振り返ったままだった体を喜多さんに向ける。
「……うん」
たった一言、それだけを言って静かに待った。
「……いっぱい、失敗しちゃいました」
「そう? 言うほどじゃないと思うけど」
「何回も練習したところも、逆に練習ではできていたところも、飛ばしちゃいました。伊地知先輩やリョウ先輩、それこそ師匠が連れてきてくれた後藤さんのおかげで何とかなりましたけど……お客さんの反応もいまいちで、し、師匠に申し訳、なくて」
「僕?」
一瞬だけ、困惑する。てっきり『想像してたより実力が発揮できなかった』みたいなことだと思っていたから、完全に虚を突かれた。
「もしかして僕から習ったわりには上手くできなかった、とかそういうこと?」
「そうですっ! せっかく練習にも付き合ってもらったのに演奏下手でごめんなさい!」
喜多さんが頭を下げる傍ら、僕は放心していた。
次第に現状の把握ができるにつれて、笑いが込み上げてきた。
彼女はおかしな勘違いをしている。
「ははっ……優しいね、喜多さんは。僕は全然気にしてないよ」
「でもっ」
「そもそも君の目標はなんだっけ? ギターが上手くなって観客を驚かせるためかい? 違うだろう。君はあのバンドに入るのが目標だったはずだ。ギターとボーカルとして。喜多さんはあのライブの後リョウさんになにか言われた? バンドメンバーには相応しくないとか、そんなことを告げられたかい?」
「……それは、ないですけど」
「ならそれでいいんだよ。君は上手くやった。伊地知さんも喜多さんのことを褒めてた。僕が教えたことが今日できなかったとしても、観客のことを考えるのも、後のことでいい」
五百円を自販機に入れ、ボタンを押す。乱雑にレモネードが取り出し口に落下する音が、鈍く僕たちの間に広がった。
手に取ると徐々に熱が奪われる感触がする。そして冷たくなりすぎた手は痛みを訴えだして、別の手に持ち替えた。
「まあ要するに、“次、頑張ればいい”ってこと」
「……つぎ、も観に来てくれますか?」
「誘われたときは絶対に。基本暇だから数合わせ程度でいいから呼んでよ」
「……はいっ! わかりました!」
喜多さんの瞳が僕に向く。表情はどことない不安を含んでいた。先の見えない暗闇を目の当たりにしたような、迷子を想像させる目だった。きっと僕に今の彼女を導くだけのことはできなかった。
でも、それでいいと思った。必ずしも僕が喜多さんに答えを出す必要はない。
僕は喜多さんの師匠だった。今まではそうで、これからは、違う。なら今日生まれた彼女の不安は彼女だけのものだ。喜多さん自身が、解決するべきだと思う。
僕は軽く彼女に笑いかけた。無責任に、できるだけ優しく。
そうしてから、「あぁ」と口に出た。
忘れかけていて、僕が喜多さんにできる最後のこと。
「飲み物、どれにする?」
「……そういえば師匠ってレモネード好きなんですか?」
「……まぁ、わりと」
「というと?」
「あー、去年の秀華祭で出し物をやった時に、飲み物のメニュー案に提案するくらいは」
「あはは、それ”わりと”の範囲超えてますよ」
じゃあ、と紅い唇が揺れ動く。
彼女はすっと僕の隣に移動し、レモネードのダミーラベルに指を置いた。
僕が買ったのと同じものだ。
それがなんとなく、うれしかった。
歩いて十分も経たずに、十字路で僕らは別れの挨拶を交わした。
喜多さんの家はここからすぐらしく、僕の家も少し歩けば着く。さよならを言うには丁度よかった。
「それじゃあここで」
「はい。師匠も気を付けて」
「もう師匠じゃないけどね。免許皆伝ってことで」
「そんなことないですよ。師匠は師匠のままです」
「……はぁ……まあ勝手にしてくれ」
「ふふっ、はいっ! 勝手に呼びますね、師匠!」
僕の出番はもうなさそうだけど。それこそ後藤さんやリョウさんにでも教えてもらえばいい。
暗闇に喜多さんの姿が溶けていく。その光景を数秒だけ見つめ、そして完全に見えなくなる前に視線を数メートル先の信号に向けた。車どおりが少ないというのにいまだに信号は赤のままで、色がなかなか変わらないことがじれったかった。
ため息を少し吐く。その分だけ体が軽くなった気がした。
「師匠っ!」
唐突に聞こえた声に、背後を振り返った。
街灯の下に喜多さんが手を振っている。
「またあしたーっ!」
一瞬だけ硬直して、そうしてから手を軽く振り返した。
遠目で彼女がかすかに笑ったような気がした。
「また明日、ね」
身勝手で、楽観的な、希望にあふれた言葉だ。
――それが今は、とても心地いい。
前を向き、僕は歩く。
信号はとうに青になっていた。
ある日の……というか、例のライブが終わった次の日。校舎裏にて。
本日の天気は晴れ時々曇り。降水確率は四十パーセント。
傘は備えあれば憂いなし。
良いとも悪いとも言えない空の下、僕もまた、多分、渋い顔をしていた。
「師匠! 新しいメンバー連れてきました! ほらっ後藤さんあいさつ!」
「あっ、ごご、後藤ひとりっスー……パイセン、まじ、りすぺくとー…………あっ、スー……」
「あの、弟子はとってないんでお引き取りください」
なんか増えた。
「ただいま」
「おかえり。兄さん」
「……」
「どうしました?」
「あー…………これ、あげるよ」
「ん? レモネード?」
「前、ちょっと強く当たっちゃったから。それでチャラで」
「兄さん……」
「いらないなら、別のやつ買ってくるよ。高くないなら、なんでも。なにがいい?」
「ん……じゃあもう一本レモネードを」
「はい? お前そんなレモネード好きだっけ」
「違いますよ。兄さんと飲むんですから二つ必要でしょ」
「僕と?」
「はい。だから兄さんの分をこれから買ってきてください。それからわたしと話をするんです」
「……まぁいいか。ちなみになんの話するんだ?」
「決めてません。兄さんが決めてください」
「こいつ……じゃあ……今日のライブの話でも」
「ライブ? 誰のですか?」
「え、喜多さんが入ってるバンドの」
「え?」
「…………誘われてない?」
「……………………うん」
「あっ! 杏ちゃんにライブ誘うの忘れてたっ!」