いんしゅ・は・ろっく!   作:織葉 黎旺

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梅酒なめなめ三杯目。

「あー、頭痛え……」

 

四畳半のワンルーム。張り付くような喉の乾きと、臓器を丸洗いしたいような気持ち悪さで目を覚ました。

久々の二日酔いである。『吐いて覚えた酒の味』とはいうが、基本吐いたりしないし二日酔いもあまりないのだけれど。

センパイと飲むと、だいたい翌日に残るのだ。二人してそこそこ強いから調子に乗って飲みすぎてしまうのだと思う。まあオレがいようがいまいが、あの人は飲むと思うけど。

 

「そういやセンパイは……?」

 

昨日結局「日本酒はもう満足だなぁ~」などと言い放って、「さっさと二軒目行くよ!」とオレを強引に引き連れて大衆居酒屋、場末のスナック、公園飲みと経てきたことは覚えているんだけど、そこから先は覚えてない。まあセンパイのことだから心配はないと思うが。

 

「あー、いいお湯だった~」

 

「それはよかったです……は?」

 

廊下からセンパイが現れた。紫檀色の髪は濡れて黒味を増している。しかし、仮にもお風呂上がりの女性が部屋にいるというのに、オレには微塵もドキドキはない。むしろイライラがある。

 

「え、センパイ風呂入ったんですか?」

 

「あ、ごめーん。勝手に借りちゃった」

 

「オレ、センパイには絶対風呂貸さないって言いましたよね」

 

「…………え?」

 

「いや、『なんでそんなひどいこと言うの?』みたいな顔されても」

 

シラフのこの人が打たれ弱いのを忘れてた。その微妙に焦点の合わない瞳で生気の抜けた表情を浮かべられると、めちゃくちゃ怖い。

 

「さてはセンパイ覚えてませんね、うちの浴室ゲロまみれにしたこと」

 

「うん、ぜんぜん覚えてない」

 

いっそのこと清々しい回答だった。まあたしかに、アレ以来宅飲みしてなかったし、忘れててもおかしくはなかったが。

 

 

 

 

――オレが二年生の時、つまるところ、センパイが四年生の夏の話だ。

センパイは当時もうサークルは引退していたけれど、オレとの交流(飲み)は続いていた(というかその辺りからがむしろ本番だった)。

四年生といえば当然付き纏ってくるのは重い二文字の数々。就活、卒論、進学。いや、オレたちのレベルで進学なんてほとんどないけど。

 

 

「うわぁー、また面接落ちた~!」

 

「あはは、どんまいで~す」

 

そんな中センパイは、音楽と並行しながら一応就活を行っていた。バンドで食ってくことは決めてたらしいし、記念受験ならぬ記念就活みたいな物だったけど。

 

「一次面接すら抜けられないのって、もしかしたらやばいのかもしれない」

 

「たぶんやばいですよ、それってつまり『ツラはよさそうだったけど、喋ってみたら微妙だったかも笑』って言われてるようなもんですからね」

 

「うわー、サイアクすぎる!」

 

「くそー、やけ酒だー!!」とシクシク泣きながら悲しみを酒で洗い流すセンパイと、そんなセンパイの不幸を肴に酒を飲む後輩がそこにいた。……いや、軽蔑しないでほしい。当時はまだ若かったのだ。いまでもやるけど。

 

「いいじゃないっすか、オレたちにはバンドがありますよ」

 

「じゃあ後輩くん私と組んでよ~~~」

 

「それは絶対ヤです」

 

流石に今ほどではないが、当時のセンパイは既に『緊張を誤魔化すために酒を飲む』という最悪の手法を編み出していた。

センパイに実力があるのは確かだし組んでもよかったのだが、アルコールパワーで本番強さを得ると同時に、タチの悪い部分が露呈してしまうので、そのリスキーさを考えると、何となく頷きづらかったのだ。オレはオレで別のバンドやってたし。

 

「どうなんすか、新しい人見つかりそうですか?」

 

「見つけないとまずいよねえ、流石に私一人じゃどうしようもないし」

 

先輩が空いてたら誘ったんだけどなあ、とセンパイは悲しげにぼやいた。彼女の言う先輩は、最近レーベルからもお声がかかったとのことなので、まかり間違ってもこんな酒カスとは組んでくれない。あの人はあの人でバンド組んでるし。

 

「なーんか失礼なこと考えてない?」

 

「はい、めっちゃ考えてました」

 

「もー、しょうがないなあ」

 

あっさり許された。センパイのそういう諦めのいいところは好きだ。

 

「面接も酒飲んで行ったら受かるかなあ」

 

「ウケますね、落ちますけど」

 

酒蔵とかならワンチャンあるんだろうか。いや、ないだろうなあ。まずセンパイなら、そこかしこに漂うアルコールの香りで業務に耐えられなくなる恐れがある。

 

「あー、ワンカップ空になっちゃった。手持ち切れちゃったよう」

 

悲しそうに手に持つ瓶を裏返すセンパイの姿には、あまりにも哀愁が漂っていた。だがこれは酒の催促というわけではない。彼女は意外と後輩への面倒見がいいので、不当にタカってきたりはしないのだ。まあ、電車賃なかったり財布なくしたりで頻繁にお金を貸してはいるけれども、一応ちゃんと返してくれてるし。……半年に一回くらいまとめて。

 

「しょうがないですね。ちょうど最近、成人祝いに良さげなお酒貰ったので開けますか」

 

「お、いいねえ!」

 

戸棚からグラスを二個と、桜色のパッケージの高級そうな木箱を持ってくる。ついでに一応炭酸水とロックのピッチャー。

 

「おまたせしました、よさげな梅酒です」

 

「よさげなお酒のパッケージじゃん!」

 

ワンコインで済む価格内のお酒以外を飲んでいる姿を見たことのないセンパイは、ぐるぐるのお目々を輝かせて言った。ほとんどオウム返しだった。

 

「なんかもう、色から綺麗だもんねえ」

 

梱包材に包まれていた細い瓶の中身は、透き通るような琥珀色をしていた。

 

「オレの飲んだことある梅酒なんて精々パックのやつぐらいですよ」

 

「何なら私、飲んだことないかも」

 

「えー、全然意外じゃないっすね」

 

「でしょ?」

 

センパイは梅酒だとかカクテルだとか、そういった可愛らしくてオシャレなものは微塵も似合わない性質をしている。精々が酎ハイ程度のものだ。それを思うと、飲んだことのないお酒があっても不思議ではない。

 

「あ、でも缶の梅サワーとかは飲んだことあるな~」

 

「絶対一緒にしないほうがいいですよ」

 

そんな軽口を叩きつつ、グラスに梅酒を注ぐ。琥珀色の液体は氷を静かに削って、グラスがからりと鳴った。それだけで梅の蕩けるような甘い香りが胸いっぱいに広がる。

 

「それじゃあ改めまして、乾杯」

 

「乾杯~!」

 

グラスを突き合わせ、とりあえずロックでいただく。まず口に含んだ瞬間、梅の濃い味わいとそれでいてキレのある喉越しが伝わってくる。安い梅酒だと喉にへばりつくような安っぽい甘味があるのだが、これはどちらかというとさっぱり消えていく感じだ。

 

「うめぇ」

 

「梅だけに~!?」

 

「上手くねえ~」

 

なんだかんだでセンパイも気に入ったようなので、雑に飲み切られないようにさりげなく炭酸で割っておいた。いいお酒は長く大切に飲みたい。

 

「人生もこのくらい甘かったらいいのにな……」

 

「たぶん我々には、アルコールくらい苦い人生が待ってますよ」

「つまり病みつき間違いなしってこと?」

 

「そうとも言えますし、二日酔い間違いなしとも言えます」

 

「飲んでる時に二日酔いの話したら酒カスが笑うよ」

 

「来年の話したら鬼が笑うみたいに言われても」

 

困ります、まで言おうとしたところで、ふと、センパイのグラスが空になっていることに気づく。不安を込めて彼女の顔を見れば、先刻まで赤かったはずの顔は何だか青白く変わってきている。

 

「うっ、一日酔い……」

 

「そんな言葉はない」

 

つまるところ飲み過ぎである。

 

「大丈夫ですか? 水持ってきましょうか?」

 

「や、とりあえず大丈夫……あ、シャワー借りてもいい?」

 

「まあいいですけど……」

 

ふらふらとした足取りで浴室の方に向かっていくセンパイ。どこか不安を抱えながらその後ろ姿を見送り、自分の分の水を汲む。……まあ、言うまでもなく、悲劇が起こったのはこの後だった。

 

 

 

「……遅いな」

 

数十分経った。シャワーの音はもう聞こえていないし、湯船を張っているとも思えない。不躾だとは思いつつも、浴室の扉をノックする。

 

「センパイ? 大丈夫っすか?」

 

「……う、うん。全然ダイジョウブ」

 

「大丈夫じゃない声音じゃん」

 

入りますよ、とノブを捻る。脱衣場の向こう、薄橙の照明に照らされた浴室には、センパイの忙しないシルエットが浮かんでいる。

 

「……センパイ?」

 

シャワーを浴びているとかそういった様子ではない。これはどう見ても、と確信して、容赦なく開き戸を押す。白シャツ一枚羽織っただけの、下着姿のセンパイが、ブラシ片手に浴室を掃除していた。

 

「後輩くんごめん、お風呂掃除してたら遅くなっちゃった!」

 

「はは、それならしょうがないですねありがとうございます――ってなる訳ねえだろうが!」

 

洗剤の香りで誤魔化されてはいるが、そこに少しだけ鼻をつくニオイが混じっている。傍らには昨日脱衣場に転がしていたビニール袋が転がり、唯一の救いとして床はなんなら昨日よりも綺麗になっていた。

 

「正直に言ってください。吐きましたね」

 

「はい、吐きました……」

 

「………………」

 

「ごめん、怒ってるよね……?」

 

「はい」

 

だが、怒ってるのは吐いたことに対してではない。

 

「センパイ、いいんですよ。辛いなら辛いってハッキリいってください、それなりに介抱しますし、ゲロの処理なんて今更じゃないですか。どうせバレるんだし隠す必要なんてないです」

 

「うう、後輩くん……!」

 

「それはそれとしてセンパイは今後うちの風呂は使用禁止ですけど」

 

「!」と衝撃を受けた顔で固まるセンパイだが、当然の処置である。今日のも浴槽で吐かれてたら普通にしばいてた。宅飲みだからって馬鹿みたいに飲むのは控えてほしいものだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……と、そんなアレコレで使用禁止になったんですよ。思い出しました?」

 

「いや、ぜんぜん」

 

「こいつまじで…………」

 

嘆息しつつ、グラスを軽く手で弄んでから口に運ぶ。上等な梅の香り。平然と迎え酒である。

あのとき飲んだ梅酒より高い物を遠慮なく買えるようになったことだけは、大人になった証かもしれない。

 

「でもこれ、あのとき飲んだ梅酒よりも美味しい気がするねぇ」

 

「もう、それがわかるならなんでもいいです」

 

勿体なさのために炭酸で割るような真似をしなくなったのも成長だ。飲みたい時に飲めばいいし、割りたい時に割ればいい。いまはロックの気分なのだ。

 

「ちょっとトイレ借りていい?」

 

「別にいいですけど」

 

というかさっきまでは無言で使っていただろうが。どこか違和感を覚えてセンパイの方を見れば少しだけ顔が青い。

 

「トイレまで使用禁止にはさせないでくださいね!」

 

「善処する!」

 

そこは確約してくれ、と閉まるドアを見つめた。

 

 

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