折原臨也と実力至上主義の教室 作:あいうえお
〈龍園翔との協力関係は成立しました。詳細をメールで送ります〉
──概ねは、予想通りでしたね。
届いた報告に目を通すと、私は坂本くんに労いの返答を送る。
Cクラスが既に過去問の有用性に気が付いていたことは意外でしたけど、龍園翔に対する評価を少し上方修正すれば間に合うでしょう。
「思ったよりも、利口なようですね」
協力相手としては申し分ない。それは喜ばしいことです。
当初の予定よりも警戒は必要ですが、暴力的な手段で支配されているCクラスには、龍園くんに対する反発分子が存在しています。カウンターの手段がある限りは、都合よく利用させていただきましょう。
今後、この私──坂柳有栖は、大胆な行動を控えようと考えている。
葛城くんは決して軽視できる存在ではない。彼は警戒に値する優秀なライバルです。もちろん、多少の手間を労せば容易に潰すことは可能ですが……極力それは避けたい。将来的には彼にも、私の手中で活躍して頂かないとならないのですから。
得られる駒を全て得た上で、利用可能な手段を全て尽くし、私は才能を体現し続ける。
盤上に並べられたチェスの駒。
私はそれらを生徒に見立て、対処可能な配置をされている駒を一つ一つ取り上げていく。
残ったのは、黒の
私がコレに当てはめている人物は……
「……やはり、目下の懸念材料は折原臨也ですね」
ふっと笑みが零れる。
彼は楽しい人物です。しかし、好ましくは思っていません。
「折原くんの行動原理を理解できれば、御すことも出来るのですが……」
私はそれが分からないから、困っている。
葛城くんの弁当にデスソースを混ぜたり、鬼頭くんを体育館裏に呼び出して放置したり、橋本くんの筆箱と私の筆箱を入れ替えたり、悪口ノートを教室に広めたり──彼は私たちが困り戸惑う様を、どこか楽しんでいるような節があります。
ならば──ただのイタズラ好き?
「いいえ。あなたはそんな小物の気狂いではないでしょう? 折原くん」
曰く──訳の分からないことがあれば、大体アイツの仕業。
曰く──人間を玩具のようにしか考えていない破綻者。
曰く──社会実験として何件も殺人を手引きしている。
曰く──猫の解体を趣味としている。
曰く──曰く──曰く──、
──ア、アイツをどうしたいのかは知らねぇが、悪いことは言わない。絶対に折原を“利用”しようとしちゃいけねぇ。中学時代、それで後悔した奴を、俺は何人も知ってるんだ……!
──臨也の野郎は、他人の命なんざどうとも思ってねぇぞ……!!
「……一体何をすれば、人にあそこまでの恐怖を根付けられるのですかね」
入学して間もないことに耳にした、折原臨也と同じ池袋出身という、とある先輩たちの証言。
あの人たちの目は、暗雲よりも暗く曇っていました。恐らくは、生涯落ちることのないほどの闇で。
「もっと彼を、知る必要がありますね──」
「──“彼”って……俺のこと?」
後ろ。
心臓が止まったような錯覚。
微かに残った意識で、私はベランダのカーテンが外からの風で揺れていることに気が付きました。
「や。有栖ちゃん。駄目じゃないか、ベランダの扉はしっかりと締めておかないと」
「……お、折原くん。ここは、7階……ですよ……?」
「登ってくるのは難儀だったよ。あ、靴は脱いでおいたから安心してね」
「いえ、そういう問題ではなく──」
どうしましょうか。
この状況は、大変まずい。
ドアには内側からロックをかけている。開錠には時間がかかります。
私の膂力では、彼の微弱な腕力すら払いのけることは出来ません。
もしもここで彼に襲われると、私には抵抗する手段が存在ない。
というか、そもそも彼はどうやって外の壁を登ったのでしょうか。命綱も無しに。
「君に乱暴するつもりはないよ。俺は全人類を愛するために、どんな人間ともそういう関係を持たないって決めてるからさ。今晩は、ちょっとしたお誘いに来たんだ」
「……お誘い、ですか」
「一緒に来てくれないかな? きっと、楽しめると思うからさ」
彼の本心がどうであれ、常識的に考えて女子の部屋に忍び込む男子なんて普通じゃない。
折原くんを刺激することを避けるため、私は彼の提案を呑むことしかできませんでした。
×××
約束の時間よりも、40分も早く来てしまった。
それだけ自分が彼との待ち合わせを心待ちにしていたのだろうか?
自分を理解してくれているというだけで、私はどれだけあの男に心を傾けている?
……良くない。自分らしくない。従順なだけの女なんて、この神室真澄には似合わない。だけどあの男に向けている情念を、少しだけ歓迎してしまっている自分もいる。
そんなことを考えながら悶々と時間が過ぎるのを待っていると、待ち人の少年──折原臨也は、カッターシャツに薄手の黒いパーカーという恰好でロビーに現れた。
「やぁ、待たせた?」
「ん。今来たとこ」
「……嘘ばっかり。30分前から立ってたくせに」
「な……っ!? あんた見てたの!?」
「あ、ほんとに立ってたんだ? ウケる。ちなみに俺が来たのは今から5分前だったよ」
「っ」
──してやられた。
だけど、何処か少女は安堵する。
自分がそれだけ、この男のために時間を前倒ししていたことをアピールできたから。
「行こうか。お話するのに、もっといい場所を知ってる」
にも関わらず、薄情な態度を続ける臨也には辟易の念すら覚えてしまう。
もしかして、こんなに心動かされているのは自分だけだったりして。
嬉しかったり、悔しかったり、思春期じみた不安定な感情に押しつぶされそうになるが、手招きする臨也の姿を見ると、途端に全部がどうでも良くなってしまう。
「こっちこっち」
臨也が神室に案内したのは、寮とケヤキモールを繋ぐ通路の脇にある、従業員用と思しき安っぽい寮舎だった。まだ19時だというのに、部屋の灯りは全く点いていない。
近辺の建物と比べて、そこだけまるで幽霊屋敷のようで、どこか恐ろしい雰囲気が漂っていた。
正面入り口にやってくると、当然のように扉は施錠されている。
「なに、ここ……」
「非常勤の従業員向けに増設された宿舎なんだってさ。この時期はほとんど使われないみたい」
外部から招いた従業員が利用することを前提としているからか、学生寮と違って玄関口にカメラは備えられていなかった。
完全に学校に監視されるのが当然になっている神室からすれば、少しだけ特別な感覚だ。
日常に交じった非日常に、半歩だけ足を踏み入れたような──。
「屋上まで行こうか」
建物の裏に回ると、非常用の鉄階段があった。
臨也の背中に着いて行くように、神室も階段を登っていく。
「少しだけ悪いことしてるみたいじゃない?」
「いやいや、悪いことでしょ。用もないのに知らない建物に侵入するだなんて」
「…………そっか。悪いことしてるんだ、私たち」
改めて言葉にされて、胸に浮かんできたのは微かな高揚。ルールから外れた行為をしていることに対する罪悪感なんて、一瞬で掻き消えた。自分たちだけがルールから外れている特別感を、神室は確実に楽しんでいたのだ。
階段を登りながら、二人は会話を続ける。
「ルールを破るのは嫌いかい?」
「ううん、好きだよ。悪いことしてると、日頃のストレスとかぶっ飛ぶから」
「そうだね。そういう風に考える子もいる」
「何よ。あんたは違うっていうの?」
「俺は別に……楽しくてルールを破ったりはしないかな。俺にとっては、そもそも誰にも従わないっていうのが当たり前のことだったから……」
「いつか捕まるよ」
「真澄さんは捕まったことあるの?」
「……まーね」
少女は一瞬だけ言い淀んだが、堰を切ったように続けた。
「警察に捕まったわけじゃない。私が捕まったのは坂柳によ。入学して間もない頃、魔が差してコンビニの商品を盗んでみたんだよね。そうしたら、その現場をたまたまあの女に見られて……あーあ、あんなことしなきゃ、私はもっと自由に生活できたのになぁ」
「そうか。君が彼女に握られていたのはそういう弱みか」
階段を登り切る。
そこに広がっていたのは、開けた空いっぱいに広がった満天の星々。
建物の屋上には澄んだ風が吹き抜け、強烈に神室の柔肌を撫でてくる。
──心に蟠っていた泥のような感情が、全て消え去ったような気がした。
「分かるかい。最初から君を縛ってるものなんて何もないんだよ」
「──」
もはや高揚なんてものじゃなかった。
胸が弾むどころか、心を抑えつけていた肉体が何処かに行ってしまったかのようで。
剥き出しになった魂を曝け出し、両手を開いて空を仰ぐ。
「……はは」
もう自分でも、狂ってしまったんじゃないかと思うくらい。
「ははははははははは──っ!!」
少女はただ笑った。
生まれた時以来なんじゃないかってくらいに、無邪気な声音だった。
「あーーーすっきり!! 何ここ!? サイコーじゃん!! 折原って普段からこういう所うろついてんの!?」
「適当にブラつくことは多いけど、特定の場所に留まることはしないよ。ただ、ここの敷地内にある建物の屋上はとりあえず全部回ってる」
「何それーっ、ははははっ!!」
「ちょっと笑いすぎじゃないかな。俺は君の精神状態が心配になってきたよ──っとぉ」
臨也はルーフファンの上に飛び上がると、一段高い場所から少女を見下ろした。
「で、えーっと? なんだっけ? 私に相談があるんだっけ?」
我に返った神室は、本来の目的を振り返った。
元々は、臨也の相談とやらを聞いてやるための密会だ。
──そういえばそんなお題目で呼び出したんだったか。
正味の所を語ってしまえば、少年が彼女に相談したいことなど皆無である。
むしろ本当の目的は別にあるのだが──臨也は、少しだけ自分のことを語ってやることにした。別に隠している秘密というわけでもない。
「これから君に話すことは、酷く哲学的で、荒唐無稽に聞こえるかもしれないけれど──俺は人間が好きなんだ。人間が大好きで、愛していて、だから構わずにいられない。好きな子ほどちょっかい掛けたくなるでしょ? だから俺が君に近付く理由も、そんな感じでさぁ。まぁ、適切な距離は保とうとは心掛けているんだけど──やっぱり君への興味が勝っちゃって、たまに我慢できなくなるんだよねぇ……?」
「……ぇ、へっ!?」
人間が好き。少し共感し難い感性だが、理解できないわけじゃない。
好きな子ほど構わずにいられない。子供っぽいけど、自分にも心当たりのあることだ。神室は強く共感した。
だったら、折原臨也がここまで神室真澄を構う理由は──。
そこまで考えた所で、少女の頭がパンクした。
「や、えっと、その気持ちは嬉しいっていうか、薄々知ってたいうか、私も同じ気持ちっていうか覚悟してこなかったわけじゃないけど……」
「うん?」
「あの、えと、数秒だけ待ってくれる? 結構前向きな返事をしたいと思ってるんだけど、考えておいた言葉がどっか飛んじゃって……!」
「あ~~──違う違う。そういうのいいから」
突き放すような声に、少しだけ少女の頭が凍る。
「俺が好きなのは人間であって君じゃあない。この絶妙なニュアンスの違いを説明するのが難しいんだけど……ま、そういう相互理解は二の次でいいや」
「……? そ、そっか……?」
「聞かせて欲しんだよね。君のもっと心の深部。何を感じて、何をしようとしているのか。
真澄さん。君は今──坂柳有栖をどう思ってるんだい?」
〇×〇×〇
……私をこんな所に連れ出して、あなたはどうしたいのですか?
──俺がどうしたいかは問題じゃない。君はどうなるかを知りたいだけさ。
あなたの言っていることは意味が分かりません。
私の身体が目的なら、今すぐ犯してしまえばいい。私が憎いなら、今すぐ襲ってしまえばいい。私の心が欲しいなら……この状況は非常に不愉快です。今すぐに開放してください。
──勘違いしないでよね。俺は君の真っ平な水平線に欲情するほどオスとして落ちぶれちゃいないし、君を憎むほど狭量でもない。他人の心に至っては、欲したことなんて一度もないさ。
……。
……謝罪してください。あなたは自分の見栄を繕うためだけに、私の身体的特徴を揶揄しました。
──貧乳ってこと気にしてんの? 大丈夫さ。この日本はロリコン大国らしいから、君はむしろグラマー体型美女よりも希少価値がある。
全く益体のない心の傷を負わされた気がします……。
私を中傷して、その加虐欲を満たすことが目的というわけでもないでしょうに。
もういいです。折原くんは訳が分かりません。煮るなり焼くなり、お好きになさってください。
──俺が分からない?
──はは、理解する気もない人がよく言うよ。
……寒いので早く話を終えてくれるとありがたいです。
──おっと、毛布とポップコーンの準備を忘れていたな……。仕方ない、俺のブレザーを貸そう。
──君にして欲しいことは単純だ。ここに残って、ただ見ていて欲しい。そしてこれからここで起こることを知って欲しい。
──興味がないなら今すぐ帰ってくれても構わないし、感想文を強制したりもしないよ。
──俺にこう言われて君がどう判断するかって所も、俺の興味の一つではあるしね。
……これからここで起こること……?
それを知れば、折原くんのことを理解することが出来るのでしょうか。
──さぁね。
──君の見方次第なんじゃないかな。
〇×〇×〇
「私は、坂柳を……」
──どう思っているのか。
考えを整理してみよう。
まずアイツに弱みを握られたのは、完全に私の落ち度だ。こっちが盗みなんてしなければ、向こうだって私を都合よく利用なんてできなかっただろうし。
でも……他人の犯罪を知ってて黙秘することも、確か犯罪の一種なのではなかっただろうか。
そう考えれば、坂柳のしていることも結構な悪事だ。
可哀想な奴だとは思ってるよ。自由に運動することもままならないなんて、心の底から同情してしまう。アイツの姿を始めてみた時だって、私は出来ることなら支えてやりたいと思ったくらいなんだから。
でもアイツはそれを、逆手にとって……。
「──坂柳は、私の善意を悪用したんだ」
だから、許せない。
「私だって、お金に困ってないのに者を盗んだり、人を騙したりすることだってあるよ。だけど、あいつはそんな私の心弱い気持ちを理解することもできないんだろうね! 最初から全部親に与えられて、自分では欠片も努力する必要のなかったアイツは、私みたいな凡人を見下してるに決まってる!!
……折原も、あんな奴に絆されてないよね? 坂柳は人を顎で使うことを当然のように思ってるよ。普通じゃないことを当たり前って顔でこなしてるんだ! 同じ女だから分かるけど、アイツに心を許したら一環の終わりよ!!」
「俺の心配はいらないよ」
どうだか。
私は気付いてるんだからね。
折原が坂柳と話すとき、他の人とは違う熱量を向けてることに。
「私は坂柳が嫌い。大嫌い。明日、アイツがどっかで死んでも何とも思わない。むしろ『ざまぁみろ』って笑っちゃうと思う。
──多分ね、坂柳は他人に頼ることが出来ないんだと思う。親から全てを与えられたアイツは、無償の優しさを信じられないんだよ。本当は脅しなんてせずに、頼って欲しかったよ。ただ何の裏表もない『助けてください』の一言が、アイツの口から聞けたら、こんな風にも思わなかったんだろうね……」
「────ぷっ」
折原はにやけた口元を隠すように握り拳で覆う。
「……私、何かおかしいこと言った?」
「いいや、むしろ後半部分、割と俺と同意見だったから意外で。真澄さんも他人のことを結構真面目に見てるんだね」
「でしょ!? 坂柳ってマジで人間として終わってるのよ!! さっさと死ねばいいのに!! ねぇ、折原と私で組んで、アイツのことイジメない!? 私、アイツを一回泣かせてやらないと気が済まないよ!!」
「はは。面白い提案だけど、お姫さんよりよっぽど終わってる君なんかと組む気にはならないなぁ~」
「………………へっ?」
「いやぁ、ここまで言ってくれるとは思わなかった」
……軽蔑されたのだろうか。
私は折原の眼差しに中てられて、少しだけ怖くなった。
でも、それを言えって言ったのは折原だし。
──私は正当な本音しか語っていない。全て間違ってはいないはずだ。クズをクズと称して何が悪いのか。
自分の意思を信じて、私は胸を張ることにした。
折原なら、きっと分かってくれると信じて。
「私にここまで思わせたのは坂柳よ。全部、アイツが悪いんだから」
「──かもしれませんね」
そこで。
ここに居る筈のない奴の声が、聞こえた。
「普通なら、ビビッて隠れたままでいるものだと思うけど」
「この軋轢を放置して先延ばしするほど、愚直ではありませんよ」
「そうか。その非凡で合理的な部分は君らしい。ある意味想像通りで──逆に退屈かな」
「あなたの感想などどうでも良い」
……なんで?
いつから? どうやって?
どうして、ここに坂柳がいるの?
それも……男子用のブレザーを着て。
折原は普通に会話してる。知ってたから?
てゆーか、折原は自分のブレザーをどうしたの?
こんなに風の強い所に来るって分かってたのに、薄手のパーカー着てくるとか普通あり得なくない?
まさか──。
「真澄さん」
「…………」
「言いたいことがあるなら、私の目を見て言ってください。逃げも隠れもしませんよ」
「っ」
私の目の前に、小さな杖に体重を預け、今にも倒れそうな姿勢で必死に立つ少女がいる。
大嫌いな女だけど、その姿を見ると責める気を失ってしまうのが私の弱い所だ。
坂柳が杖を持つ手は震えていた。
精神的な理由でではないだろう。今日は移動教室が多かったし、ここまで私たちが通った階段を上ってきたのなら、肉体的な疲労は相当溜まっているはずだ。
額には玉汗が滲んでた。
「あなたが私に向ける感情は、醜い嫉妬です。それは私が小学校に入学すると同時に捨てた、人の弱みでもあります」
「……知ったようなこと言わないで。そういう所もムカつく」
「事実でしょう」
坂柳は私の方に近づいてくる。
一歩一歩自力で、ふら付きながら、転びそうになるのを堪えて。
「──確かに私は恵まれている。両親が提供してくれる衣食住や、習い事の機会は豊富でした。しかし断言できます。あなたと私の出生が逆であったとしても、現在の立場は変わっていないでしょう。自力で実力を磨き、発揮する機会など、この国では無数に存在しますから」
「……何言ってんのよ。だったら、裏口入学のことはどう言い訳するのよ? それのどこが実力だってのよ!」
「…………裏口入学? 確かに私の父は本校の理事長ですが、あの人はその手の不正を嫌います。決してそのような事実はありませんよ。憶測だけで決めつけないでください」
「ふん。そうは言っても、こっちには証拠があるのよ」
仮に本当に坂柳に才能があったとしても、親の権力で贔屓されてることは確実だ。
そこだけは、しらばっくれようったってそうはいかない。
私をこき使う権利が本当にコイツにあるのか、突き付けてやる。
「事実がないというのに、証拠ですか……? どうやら、何か誤解があるようです」
「そうよね、折原? 言ってやって」
「……ん~、何の話かな」
「えっ、ちょっ、アンタが私にくれたんじゃない! ほら、言ってやって! 坂柳が裏口入学したっていう証拠があるって!!」
「いや無いよ」
「え」
私は頭の中が真っ白になる。
ここにきて折原が私を裏切った?
最初から坂柳の味方だったのだろうか。
焦燥のあまり、私は全身が干上がる様な感覚に陥った。
「あぁ、もしかしてアレかな──理事長が『とある男子生徒』の入学を取り消して『別の男子生徒』を入学枠に捻じ込んだ“疑惑”があるっていう、議事録データ。それをどう解釈したら、有栖ちゃんの裏口入学に繋がるのかな?」
「……な、なによ、それ。だって、アンタだって、坂柳が不正したって……」
「言ってないよ」
「……でも、でもでも、否定しなかったじゃん……!」
「聞かれてないから」
「……意味分かんない」
肌を打つ風が、嫌に痛かった。
折原の変わらない笑みが、先刻とは全くの別物に見えてくる。
認めたくない。
でも、これってまさか──私が、最初から誤解してた?
いや、でも可能性は否定できないはずだよね。
自分の親が理事長なら、いくらでも不正は出来るよ。
そうだ。私は間違ってない。坂柳と折原が間違ってるに違いない。
「……人間は、一度自分で信じてしまったことや、口にしたことを正当化する傾向があるそうです。そこから新たな認識を付け加えることは非常に難しい。ですが、真実を受け入れてください。真澄さんは勘違いをしています」
「違う。私は正しい。あんたたちは嘘を吐いてる」
「俺までウソツキ呼ばわりって酷くな~い? 何一つ、本当に何一つとして、今の所君に嘘は言ってないんだけど」
──やめてよ。
折原、あんたまでそんな冷たい言葉を私に向けないで。
「自分の勘違いや性格の悪さを棚に上げて、よく言えたものだよね」
視界がゆらめく。
鼻腔と目頭が燃えるように熱くなって、息が出来ない。
「俺が君なら、自責の念のあまり今すぐそこから飛び降──」
「──黙っていなさい折原臨也。あなたの一言一句は私の神経を逆撫でします」
その時、私は初めて坂柳の感情を感じた気がした。
坂柳は怒っていた。
……私の為だけに、怒ってくれていた。
その横顔が、この目にはたまらなく優しく見える。
「おっと、怖い怖い。刺さないでね、お姫様」
「普段から隠しナイフを携帯しているあなたに言われたくありません」
「さて何のことやら?」
折原は楽しそうに配管の上でタップダンスを踊っている。
私が二人っきりの時に話していた男は、もうどこにもいないみたい。
冷めた私の手を握ったのは、折原ではなく、坂柳だった。
「私は真澄さんのことをここまで追い詰めてしまっていたのですね」
坂柳の人形のような指が、私の顔から垂れる液体を拭っていく。
「さか、やなぎ……私、は……あんたのこと……」
「どこまでが真澄さんの本心だったかは分かりません。しかし、私は確信していますよ。私が死んでしまった時、あなたならきっと泣いてくれると。
お互いに、許しも脅しも必要ないでしょう。ただ──私にはあなたが必要です。あなたが折原くんや、葛城くんに下ってしまうのは、とても辛い。真澄さんを誰にも取られたくありません。どうか私の隣にいてください」
──私を求めるその一言が、胸に刺さった。
心臓がジクジク痛んで堪えられない。
そこでようやく気付けたんだ。
私が折原に欲してた得難い感情は、いつでも坂柳がくれたんだってことに。
「…………ぅ、嘘じゃ、ながったの……アンタのこと、死ね゛ば、いい、って……ッ!」
「一時の感情を恥じる必要はありません。私だって、道で肩をぶつけただけの殿方にそう感じることはあります」
「わ、わ゛たし、が……隣、でっ……ぃ、いぃッの゛……っ!?」
「勿論です。あなたがいないと私が寂しい。真澄さんには今後も、私の友達でいて欲しいと思っています」
それでもう耐えられなかった。
満ち足りない生活を満たすために窃盗に手を染めて、坂柳に奪われたと思い込んでた空白を埋めるために折原を求めて。
最初から、私が素直になっておけば良かったんだ。
そしたら何事もなかったはずなのに。
「酷いこと、言っだ……!」
「構いません」
「ごめん、ねっ……さかやなぎ……ッ!!」
「真澄さんが泣くことはありませんよ。全ての元凶はここにいます」
膝を落とした私の顔を抱き寄せながら、坂柳が折原を見据えた。
「──あなたのことも少しだけ理解できました、折原臨也。いいえ、それともあなた自身がバラしたと言うべきでしょうか」
「──言ったろ坂柳有栖。君の見方次第だ」
男は笑っていた。
いつも笑って、いつまでも笑っていた気がする。
私はその笑みが、絶えればいいと思った。
坂柳が、笑えていなかったから。
××××
──やぁ諸君、私だよ。
私が誰かだって?
ノンノン。語るに及ばず。見たまえよ、爛々と輝く星空の中でも最も強き光を放つ、気高くも雄々しき美の結晶があるだろう。
世界で最も美しい星。すなわち、そう──私だよ。
時に諸君、星明りの夜は好きかな。
空が最も輝く神秘的な時間帯。
嫌いな者などいないだろう。
私は美しいものが好きだ。美しい料理が、美しい服が、美しい曲が、美しい夜が。
美しい自分が大好きだ。
そう、だからこそ私は美しい空に囲まれて、世界で最も美しい自分を磨いている。
自室での筋トレも良いが、たまには趣向を凝らしてみるのも乙というものだ。
知っているかね。星の輝くのは、私の筋肉を祝福するためだということを。
……何、知らない? 頂けないな。
そんな諸君には、高円寺コンツェルンの辞書をオススメしておくよ。
「ふっ……はぁっ……ふっ……あぁん」
現在、最も空に近い場所で、私は腹筋運動をしている。
いい感じに部屋から目に付いた、とある建物の屋上だ。
正確には、屋上に設置された貯水施設を登った先の空間だが、まぁ一応屋上と呼ぶのに該当する場所ではあるだろう。
『でしょ!? 坂柳ってマジで人間として終わってるのよ!! さっさと死ねばいいのに!! ねぇ、折原と私で組んで、アイツのことイジメない!? 私、アイツを一回泣かせてやらないと気が済まないよ!!』
何やら下が騒がしいねぇ。
どうやら、招かれざる客がいるようだ。
美しくない音色だが、私の知ったことではない。
『自分の勘違いや性格の悪さを棚に上げて、よく言えたものだよね』
私には何も聞こえない。
星々の音を、ただ筋肉で感じているだけだ。
『真澄さんを誰にも取られたくありません。どうか私の隣にいてください』
『わ、わ゛たし、が……隣、でっ……ぃ、いぃッの゛……っ!?』
『勿論です。あなたがいないと私が寂しい。真澄さんには今後も、私の友達でいて欲しいと思っています』
ほら、聞こえるだろう?
私の願いに、空の音色は答えてくる。
美しい少女の涙の声さ。
『──あなたのことも少しだけ理解できました、折原臨也。いいえ、それともあなた自身がバラしたと言うべきでしょうか』
『──言ったろ坂柳有栖。君の見方次第だ』
さぁて、これで3000回。
本日の腹筋運動は終了だ。
「フッ──ハァァァァァン!! ハハハハハハハ!! 本日も実に有意義な汗をかいてしまった! さて、部屋に帰ってこの身を清めるとしようか!!」
「……いや、誰だよ君。いつからいたの?」
私の眼下に、三人の少年少女。
その中でも最も美しさから離れた少年が、忌々しげに私のことを見つめていた。
今後の臨也の観察対象は?(参考までに)
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戸塚弥彦
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山内春樹
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山田アルベルト
-
石崎大地
-
家電量販店の店員
-
神室真澄
-
坂柳有栖
-
葛城康平
-
橋本正義